寝込んで改めて思ったこと

少し前の久々の体調絶不調で改めて
ある日体調崩して寝込んで、
自分は辛い、
パートナーが自分の世話をしてくれず子供の世話ばっかりしてる、
と怒っている 病人の言いぐさがいかにナンセンスか、というのを感じた。
日ごろから家事育児にほとんど参加してない人が
病気になって家にずっといて重い空気を発している。
その存在を感じながら、パートナーはワンオペで子どもの相手をし世話をしながら
ゆっくり寝てられる環境つくってくれている。
この事が、物凄くありがたいことだとは思えないようだ。
子どもたちが私を気遣って、できるだけ自分たちでやってくれてる様子
子供たちが自分たちだけでおさまらず、寝てる近くで大ゲンカが始まり発狂しそうになったとき
病人にとって 静かに寝させてもらえる環境をシンプルに提供してもらえるだけで
本当にありがたいことだと思った。
子どもたちの、彼らができる限りの思いやりの行動(とりあえず、自分たちで全てやってみる)、
気遣いを感じて感謝した。
高熱でフラフラしてても、水や薬くらい自分で取りに行って飲めるし
何か食べるものが必要なら、冷蔵庫にあるものや、フルーツなど、自分でできる範囲で摂取するくらい、体調悪い中で子どもの世話をするのと比べたら、大したタスクじゃない。なにも、手の込んだ病人食を誰かに作ってもらわなくっても、療養でき回復できる。
おおきな大人がそんなことに思いをはせられないのは
体調不良のせいではなく 生きてきた中で
パートナーや家族とのかかわり方について、
愛 について、何か勘違いして誤学習してしまっているからか。
小さい子供を育ててるときは、
夫婦の片方が病気になるのは大きな痛手で、
それを、どう家族として夫婦として子育てチームとして乗り切るか、
という協力体制を考えるのが効率的であり必然的。
体調が悪くて辛い思いをしている自分をパートナーが構ってくれない
と文句を言うのは、自分が家族の一員で、幼児を育てているチームの一員である、
という自覚がないから言えるのだろうし、
チームメンバーとして振る舞うつもりもないんだな、と思う。
体調が悪い時だけ家族の元に帰ってきて、
赤ちゃんがえりして、世話や思いやりの気持ちを要求するのはお門違いで、
(家族ってそんなものじゃない)
もしそういう時だけ優しくしてほしいのなら
そういう種類の関係や関わりが専門の所や人の所に行けばいい
都合のいい時だけ自分もチームメンバーだ、という風にアピールする姿には
背中がぞっとするような不気味さを感じる。
困難に立ち向かうとき、チームは一丸とならないと切り抜けられない。
この家族のチームメンバーであること が自分にとって大事で、
自分にとって家族が、チームメンバーが大事な存在なら、
その気持ちと矛盾がない言動ができる自分になるために 自分の心と向かい合う必要がある。