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傾聴とセラピーは全く異なる

傾聴とセラピーは全く異なる_d0065558_14394462.jpg辛い出来事を誰かに話す事で気が楽になったり、方向性が見えてきたりして、とても助けられることがある。
傾聴 とは、よく病院とか震災でボランティアをする人達などの教育をする時に説明することがあるのだけど、要は ひたすら相手の話をきく というスタンスのこと。 そういうスタンスで相手と接する事で、困っている人が 自分の思いを理解してもらった、受け止めてもらえた、と感じる事ができる。

傾聴 というテクニックはそういう意味で素晴らしいものだと思うが、
セラピー という治療行為の枠組みの中で相手の話を聞いている場合 
吹聴とは全く異なるスタンスで話を引きだしたり 受け止めたりしている。

なぜなら、サイコセラピーを行う時には、
その人が必要な変化:価値観・世界観の変換や、言動、思考パターンの変容 等が、
その人の根本の所から起こるような事を目的としているからだ。


それゆえ、心の深いふかいところまでを刺激するような会話や、アートワークを、
その人の状態に合わせながらやっていくのだけれど、
下手をしたら、まだ当人がその深い傷を手に取って受け止めるまで心の状態が変容していないのに 経験の浅いセラピストがクライアントの状態をキチンと把握できず、深いところに導きすぎて、再び傷を負わせてしまう(リトラウマタイズ)事がある。

傾聴 と セラピーでの会話 は よく混同されるのだけど、全く異なるものなのだ。


先日 友人が尋ねられるままに自分の経験を知り合いに話していたら
当時の細かい出来事が鮮明に蘇ってきて 過去のトラウマを追体験している気持ちになって
落ち込んでいる、という話になった。

まだ、誰かに詳細を話すほど 傷口は閉じてはいなかった、と。
相手に悪気はない、ただのお喋り、というセッティングだったから、話した自分に責任があるのだけど、、、
ちょっとかさぶたにふれてる程度のつもりで話していたけど

実際自分がやっていたこと
(細かい出来事、当時言われた一つ一つの言葉を思い出し話す、という行為)は、
自分の傷口を深くほりさげていたことだったと。

そうしたら、ぱくっと皮膚が深く開いて、血がどばーーっと流れてきた、と。

彼女の過去の悲しみや痛みは 風化していなかった。
まだ 当時のトラウマに関わった人との関わりはネガティブな形で続いているから 
もっともであるともいえるのかも。

痛みとか、恐怖とか、 そういう経験って、そう簡単に心の記憶から消去されるものではない。

なんてパワフルなんだろう。
トラウマレベルの経験は、蘇ってきたら一瞬で 深い闇に突き落とせるような魔力を持っている。


そんな事を思っているとき 
私の中で 親しい人を弔ったときのイメージが 鮮明に蘇ってきた。


日本では、人が亡くなると多くの場合、荼毘にふされる。
遺骨を囲み、ここが喉仏、ここが骨盤、これが手術していれたボルトの場所 と説明をうけながら
みんなで骨を拾って一つの壺にいれる。

肉体が死んだら、 なんにもなくなる。
自分がこうなるとき、 悲しみとか痛みとか 
そんなものは全部昇華できてる状態になれたらいいな、と思った。 


壮絶な悲しみや痛みを経験したとしても
せめて、真っ白い骨だけになるときには それを超越した状態の自分になっていて、
そうして 次のステージにいきたい、 と思うのだが
もう何十年寿命が与えられているとして その間に トラウマ的な経験をせずに済むか
というのは、生きている限り何も保障がない。

時がきたら 願わくば 透き通るように何もなくなっていくように命をおえたいと思った。




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by totoatsuko | 2016-06-04 10:44 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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