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あたりまえなこと

あたりまえなこと_d0065558_1635516.jpg世の中にはいろんな人がいて、色んな考え方、生き方の人がいる、

というのは、文部省が“個性”重視の教育を、実行しているかどうかは別にして、スオーガンとして掲げ始めてから、いや、それとは関係なく、もっともっと前から、みんなが知っている。
そう、知識として知っていること。

でも、そのコトバの意味を自分なりに考え、理解し、行動に反映させている人は少ない。
ひとりひとり違う、と口ではいいつつ、自分の基準で他人の行動や考え方を評価して、"良い” “悪い"のレッテルを貼る。

ひとつの社会、グループとしてまとまりを持つには、そのグループとしての柱となる理念やルールは不可欠なことだけど、

音楽療法士とクライアントの間では、それは大して意味をなさない。

クライアントにとって、何が大事で、本人にとってどういう意味があるのか、
そこを理解しようとしなければ、話が始まらないのだ。

例えば:
30分のセッションの内、ほんの10秒だけ、私と目をあわせながら音楽を共に作ることが、ある日突然できた自閉症の女の子。よく知らないセッションルームによく知らない人(私)と二人きりにさせられたために泣き叫ぶセッションの繰り返しの中から生まれた、その瞬間。

この女の子にとって何があたりまえで、何が大事なことなのか知らなかったら、この10秒の出来事に、何も意味を見出さないだろう。というよりは、簡単に見逃してしまうだろう。

自閉症の人にとって何が当たり前で、何が難しいことなのか。
自閉症の特徴のひとつに、他人という概念があまりない、ひいては、誰かと話したりコミュニケーションをとったり、自分を表現する、という概念がない、というのがあげられる。

そういう人の、この10秒の意味は?

短くいってみれば、
他人がいる、という理解
自分が置かれている状況、環境への興味と理解 
ひいては、自分はこういう声のトーンで泣き叫んでいるんだ、という自分自身に対する理解 
見ず知らずの人とかかわるにあたって克服する“恐怖”“不安”
コミュニケーションをとることへの興味が内面から生まれること

そして、彼女が10秒の奇跡に出会うにあたって、どんな心の旅を必要としたのか?
途方もないプロセスだったかもしれない。

これは、自閉症の子供とのケースだけではなく、どのクライアントと接するときにも当てはまる。

多くの人にとっては些細な、あたりまえなことでも、本人にとっては努力の結晶だったり、
内面の奥深くにひめられたものが、ふっと私と音楽との関係の中で出てきたものだったり、
そういうものを、見逃さず、聞き逃さず、反応し、引き伸ばす手助けをするために
私は全身全霊を傾けてセッションをしている。

また、セッションを録画し、繰り返し見返すことによって、セッションの瞬間逃した貴重な瞬間や、自分自身の言葉、音、行動をより客観的に判断することもできる。  

クライアントの変化の過程を促すのに、社会や私にとって“当たり前”なことを押し付けることは、まったく意味をなさない。
クライアントが、何を感じ、どういうたたずまいをしているか、そしてそれが本人にとってどういう意味を持っているのか、どの方向に向かっているのか。この内面の旅を共にする私は、自分自身の中心を失わず、クライアントの世界にどこまで近づけるか、彼らの視点で世界を見ることができるか、ということが、とても大切になってくる。

言葉の無い発達傷害の子供が泣き叫べば、一緒に泣き叫んでみる。
″泣き叫んでいる”というのは、“私”の解釈であって、その子供にとってみれば、自分自身が使える言語、あるいはコミュニケーションをするための道具であるかもしれないのだ。
ならば、自分がコミュニケーションの道具として使っているニホンゴやエイゴを使ってなだめるよりは、その子供が使っている言語を使ってその子供と接してみればいい。

そうすると、その子供の気持ちや、体が感じる疲労感など、より理解できるし、
子供も、自分の使えるゲンゴを否定するのではなく、むしろ真似しようとしている人の存在を、新鮮に体験するだろうし、それは、その子供が私とかかわってみよう、とおもう強い動機となる。

誰しも、自分自身を理解し、共感し、肯定してくれる人を必要とするし、
そういう人といると、心地よい

あたりまえなこと_d0065558_243868.jpgあたりまえなことー
それは人それぞれちがう。
分かっていても、その違いに対して自分がどう受け止めているか
その違いにどう接するか、というのは別問題である。

クライアントにとって、それがどういう意味を持つのか、
音楽療法士が、自分の基準に惑わされず、セッションで起こったことを客観的に判断してくことは、意味あるセッションをするために、とても大切なことなのだ。

P.S ブログに掲載しているセッション例は、本人が特定されないよう、事実から差し支えない程度に変化させていることをお断りします。
by totoatsuko | 2005-11-29 04:16 | Comments(3)
Commented by mokomoko at 2005-11-29 23:44 x
ほんの一瞬の出来事、ほんの些細な出来事が
クライアントそれぞれの一歩なんですよね。
特に日本は”ものさし”で見てしまうところがありますよね。
いろいろな人がいて、いろいろなことがあって当たり前なのに。
「みんなちがって みんないい」という金子みすヾの言葉をいつも思っています。
そしてそれぞれの一歩を一緒に感じられるようにしたいと思っています。
私は、現在本格的に音楽療法の道に進んでいません。
専門的に学びましたが、まだまだ至らずにいます。
これからの道を 音楽療法も年頭に入れながら歩いて行きたいと思っています。
大好きなBOSTONの話や写真、音楽療法のこと
沢山の興味深い内容をこれからも見させていただきたいと思います。
Commented at 2005-12-11 19:59
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2005-12-11 20:14
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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