Q&A 6.どうしてセラピーにいくの?
言葉だけを使ったセラピーにいっていらっしゃる何人かの方に尋ねられた。
「セラピーに行って、自分が気づいていなかった感情に気付くのは分かるけど、それって、とても辛い事。知ってどうするんだ、って思う。
知らなかったほうが楽だったのに。」
「自分の中の怒りを知って、どうやったらそれをコントロール出来るか、ってセラピストと一緒に考えても、腹が立つものは腹がたつ。実際日常で、かーっと来た時は、セラピーのセッション中に発見した怒りの原因なんかふっとんで、怒りを抑えられない。抑えるべきだってわかっていても。」
確かに、自分が気付いていなかった気持ちに気付き、それを意識して生きていくのは楽な事じゃない。
そもそも、向かい合わなくていいように、無意識のうちに、無意識の層の奥底に押しやっていたわけだから。
では、何故わざわざセラピーに行って、そんな見たくもないものを探しに行くのか?
人それぞれ理由はあると思うけど、一ついえることは、
セラピストとならその感情からoverwhelm (圧倒)されることなく、向かい合っていけるから。
そして、自分のみたくもない自分を抱擁できるようになったら、より、人生をゆたかに生きていけると思うから。
見たくもない自分に無意識のうちに翻弄されず、様々な側面を持つ自分とよりポジティブに、積極的になれるから。
私は、Guided Imagery and Music (GIM) セッション中にクライアントの方の”怒り”が出てきた時、対応する方法の2つを紹介する。
もし、その人がそれに向き合うだけの強さとエネルギーを持っている、機が熟している、と思うと、その怒りをイメージの中で直接扱えるような音楽を選ぶ。その怒りがどんな色をしているのか、触ったらどんな感じなのか・
例えば、ある人は、赤と黄色が激しく交わる煮沸している液体で、どこにも収まりきらない状態だ、と言った。私は、言う、何処にも収めなくていい、そのままどうなるか観察して、と。
言葉だけのセラピーでは、なかなか体験しにくいのだけれど、
音楽とイメージの中だったら、その怒りがどんなものか、頭でどうして?と理由をさがすのではなく、また、その存在をいけないものだと認識して、その原因を共に分析するのではなく、
あるものは、あるのだと肯定し、感情レベルで感じ、怒りに対しての自分の気持ちを探ることが出来る。
人間なんだから、怒りがあって当然。それは、喜びの感情と同じくらい大事な感情。
怒っちゃだめ、って自分に叩き込んだって、怒りの理由を認識したって、腹が立つものは腹が立つのだ。それなら、怒りがどれだけ深いか、怒りの中にはいって、さぐってみればいい。
もし、その人が今その怒りと向かい合うには早すぎる、と感じたら、その怒りは何から来ているかさぐる方向をとる。
例えば、傷ついて、だらだら血を流している幼い頃の自分が、もう体力もなくへとへとなのに、これ以上傷つかないように外界に対して過激反応をしているのかもしれない。イメージの中で、それに気付くと、エネルギーを相当ついやす怒りの行動は、自虐的行為だ、という事に気付くかもしれない。
幼い自分が感じている痛みを体験すると、自然とヒステリックな怒りが日常から消えてくる事がある。
何故なら、痛みにこらえている傷ついた自分が認識されだからだ。もう、怒りという強い感情を突き上げなくても、その存在を分かってもらえたから。
セラピーを続けていると、じゃぁ、その傷ついた自分にどうしてあげたらいいか見つかってくる。勿論、そんなだらだら血を流しているグロテスクな自分と向かい合うのは楽な事ではないので、そう簡単に、”どうして欲しい?”と問いかける事は出来ないかもしれない。それならそれでいい、そう私は言うだろう。なぜなら、その小さな自分をオトナの自分はそんなに恐れていたんだ、と気付いただけでも、意味のあることだから。
じゃぁ、何故怖いと感じているのかさぐってみる。
それは、表面の血みどろなところだけを見て恐怖を感じているけれど、その小さな傷ついた子供に共感を持つことができれば、同じ弱い人間として、いたわりの気持ちも出てくる。
徐々に、その恐怖もなくなってくれば、お互いがコミュニケーションをとり始められる。
何が嫌なのか、何が血みどろになるまで傷つけたのか。
セラピーは、塗ったり、飲んだりしたらすぐその症状を治す、というくすりとは違う。
セラピーのプロセスは、自分の中にあるヒーリングパワーを見つけ、生かしていくものだ。
だから、時間がかかるけれど、それによって起きた自分の中の変化は絶対だ。
自分の色んなパーツが、自分自身の事を、他のパーツの事をどう感じていて、ゆっくりとさぐっていく。
傷を癒すのに、時間がかかるかもしれない。
誰にでもきく特効薬なんてない。こころは、そんなにシンプルじゃない。
私はとことんそのプロセスに付き合う。
どんなに大変な道のりであろうと、クライアントを支え、励まし、たまには冗談も言い合い、何処へでもいく覚悟はある。
それは、家族や友達には出来ないことだ。
私も、自分の家族や友人には出来ない。
プロフェッショナルとして肝をすえて関わっているからこそ出来ることなのだ。