葛藤と爆発を受け止め 見守る 1

2歳児のイヤイヤ期 - それは自我の芽生えであり、自分でやりたい、やりたくない、でも、イヤイヤ という表現で表される、全てを拒否したり、泣き叫んだりすることでしか自分の思いを相手に伝えたり、自分の気持ちを落ち着かせることができない時期です。
先日、保育園に2人の子どもを自転車に乗せていっているお父さんが坂の上の方を走ってる。
前に乗っている子が、ぎゃぁ~~~~ っと絶叫する声が坂の下にいる私にも届いてくる。
はぁ~、わかるわかる あの感じ、
親的には、全力で一日のエネルギーが吸い取られていく感じ
と思いながら坂道をのぼっていくと赤信号で足止めされているところに追いつく。
泣いている子が、自転車の前の座席から脱出しようとしていて、危ないから、お父さんが抱っこ。
「TVが見たいって 泣いてるんですよ・・・」
なんでそんな事でそこまで騒がないといけないかな、っていう理由でも、
その子にとっては、世界の終わりのような状況なのだ。
あるいは、口で言ってる理由は ただ言っているだけで、
裏には、 構ってほしかったり、場をコントロールしたい欲求があったりするのだけれど。。。
そんな、一日も何回もある爆発を、あの手この手でなだめたりすかしたり、あるいはスルーしたり、
受け止める、見守る、など、いろんな形で親として向かい合う。
下の子を抱っこしたままでは、自転車はこげない、、、後ろの座席にはもう一人の子どもが座っている。
こんなこともいっぱいあったなぁ、じゃぁ、じゃぁ、私 どうしたらいいのよ、泣きたくなる、、、って状況。
シンパシー と エンパシー。
沢山のシーンが デジャブ。
結局、後ろに乗っていた子は、歩ける年齢なので自転車から降り、
お父さんは、こどもを抱っこしながら自転車を押してあるいて保育園へ。
大人とだったり、聞き分けができる年齢の子どもとだったり、、、
保育園までの距離を移動するだけなら、こんな一大事にはならない。
乳幼児を育ててみないと、あの理不尽な状況のすざましさは分かりにくい。
子どもを育てる中で かけがえのない幸せや喜びの時間を過ごさせてもらうが
大変な時間も それ相応にある。
それは、ある意味 当然 だとおもう。
ひとりの 人間 を 人 を 育てているのだから。
今、私の子ども達は その年齢を通りすぎようとしていて、新たな局面を迎えている。
この場面から今日の投稿を書こうと思っていたのに、
ふと、子ども達の小さいころの出来事が、保育園の送迎時で出会ったシーンで思い出され、結構なスペースをさいてしまった。・・・ので、続きはまた次回に!
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