音楽療法と自己肯定感
未就学児向けの療育施設、
発達わんぱく会
- こころとことばの教室
で、音楽療法を行っています。
小学校入学によりこっこの利用を終了したり、利用されるプログラムに変更があったり、とかで
今週で私のクラスが最後のお子さんたちもいます。
毎年、この時期は、
さよなら、が沢山あります。
そんな中で、保護者の方たちが音楽療法 という、まだ日本では沢山ないプログラムを子どもに体験させたことについて、色んな言葉で思いを伝えてくれます。
その中の一つは、
篤子さんからは、音楽の楽しさ、リズムにのって踊る楽しさ、
そして何より 人と心を通わせる楽しさを沢山感じさせてもらえた時間だったと思います。
子どもたちと一体となって音楽の世界を広げる篤子さんの教室は、見ている私も楽しかったです。
篤子さんが”私ってステキ!” と思えるる時間になれば、とお話されていたのを今でも思い出します。
私は最近(やっと?)
療育とは、
健常児に近づけるためにおこなうものではなく、
本人がハンディとうまく付き合いながら、そして社会参加しやすくするように心身を成長させるものではないかとおもうようになりました。
篤子さんのおっしゃっていた自己肯定感って、本当に大切なのではないかと思います。
私はこれから先も、迷いながら悩みながら子育てをやっていくと思います。
そんな時、 篤子さんの”私っていいな!” という言葉を思い出して、初心に戻りろうとおもいます。
素敵な音楽の時間をありがとうございました。
というお手紙。
おもわず ほろり ほろり と涙が落ちました。
スタッフと一緒に読んで、一緒に涙を流しました。
日々、子どもたちの事を思って一生懸命やっていることにたいして、
こんな風におもってくださる人がいる、というのは、本当にうれしいし、
そういう風に思うようになったお母さんの気持ちの変遷の過程では、ほんとうに様々な思いの経験をされたと思うからです。
発達がゆっくりな子どもだけでなく、
誰にとっても、”自分は自分でいい” と自分で思えること、
そして、ひいていえば、身近なひとが ”あなたらしい あたながステキ” と思ってくれている事
ほんとうに、生きていくうえで大切な気持ちだと思う。
自分で自分を芯のところで肯定できていたら、
何かあった時に、”無意識に” 相手を誹謗中傷したり否定することによって、自分を保つ、
ということもしなくて済むし
違う意見をもつ者同士も、意見が通らないからといって、人格否定に飛躍するような事もする必要も心理的にうまれないだろうと思う。
このお手紙や、保護者の方たちの言葉で、
音楽療法士としての私も、”それでいいよ” と肯定してもらえたような気持ちで、
とても嬉しかったし、これからも、難しいケースも、チャレンジしながらやっていこう、という気持ちにつながりました。
発達がゆっくりな子どもたちは、
自分の言動が否定されたり、訂正されたり、違和感をもって受け止められているのを肌で感じ取りながら
人と関わる事自体がストレスだったり、劣等感をもっていたりするから、
だからこそ、自分は自分でいいんだ、 って思える自信を自分から持てるような経験を積ませてあげたいし、そういう自信が芽生えてきたら、ちょっと難しいことにだって、苦手なことにだって、”自分から” ”がんばってやってみたい” と失敗を恐れずにやろうと思えるようになってくることがよくある。
今年度も、どんどん目が輝いてくる子どもたちの姿をみさせてもらえました。
音楽療法の時間は、楽しいだけじゃなくて、
時に、ものすごい怒りが吐き出され、音楽や療法師は、それを受け止める器だったりする。
相手と療法士の魂と魂がぶつかり合って、ぶつかり合って、でもその愛のあるぶつかり合いの中で化学反応が起きて、自然な変容が生まれたりもする。
これからも、目の前にいる人が、そしてその人を支えている人が、
より肩の力が抜け、自然体で、自分に自信をもって心豊かに過ごせるような手助けを、
音楽やアートをつかっておこなっていきたいと、改めて年度末に思いました。
発達わんぱく会
- こころとことばの教室
で、音楽療法を行っています。
小学校入学によりこっこの利用を終了したり、利用されるプログラムに変更があったり、とかで
今週で私のクラスが最後のお子さんたちもいます。
毎年、この時期は、
さよなら、が沢山あります。
そんな中で、保護者の方たちが音楽療法 という、まだ日本では沢山ないプログラムを子どもに体験させたことについて、色んな言葉で思いを伝えてくれます。
その中の一つは、
篤子さんからは、音楽の楽しさ、リズムにのって踊る楽しさ、
そして何より 人と心を通わせる楽しさを沢山感じさせてもらえた時間だったと思います。
子どもたちと一体となって音楽の世界を広げる篤子さんの教室は、見ている私も楽しかったです。
篤子さんが”私ってステキ!” と思えるる時間になれば、とお話されていたのを今でも思い出します。
私は最近(やっと?)
療育とは、
健常児に近づけるためにおこなうものではなく、
本人がハンディとうまく付き合いながら、そして社会参加しやすくするように心身を成長させるものではないかとおもうようになりました。
篤子さんのおっしゃっていた自己肯定感って、本当に大切なのではないかと思います。
私はこれから先も、迷いながら悩みながら子育てをやっていくと思います。
そんな時、 篤子さんの”私っていいな!” という言葉を思い出して、初心に戻りろうとおもいます。
素敵な音楽の時間をありがとうございました。
というお手紙。
おもわず ほろり ほろり と涙が落ちました。
スタッフと一緒に読んで、一緒に涙を流しました。
日々、子どもたちの事を思って一生懸命やっていることにたいして、
こんな風におもってくださる人がいる、というのは、本当にうれしいし、
そういう風に思うようになったお母さんの気持ちの変遷の過程では、ほんとうに様々な思いの経験をされたと思うからです。
発達がゆっくりな子どもだけでなく、
誰にとっても、”自分は自分でいい” と自分で思えること、
そして、ひいていえば、身近なひとが ”あなたらしい あたながステキ” と思ってくれている事
ほんとうに、生きていくうえで大切な気持ちだと思う。
自分で自分を芯のところで肯定できていたら、
何かあった時に、”無意識に” 相手を誹謗中傷したり否定することによって、自分を保つ、
ということもしなくて済むし
違う意見をもつ者同士も、意見が通らないからといって、人格否定に飛躍するような事もする必要も心理的にうまれないだろうと思う。
このお手紙や、保護者の方たちの言葉で、
音楽療法士としての私も、”それでいいよ” と肯定してもらえたような気持ちで、
とても嬉しかったし、これからも、難しいケースも、チャレンジしながらやっていこう、という気持ちにつながりました。
発達がゆっくりな子どもたちは、
自分の言動が否定されたり、訂正されたり、違和感をもって受け止められているのを肌で感じ取りながら
人と関わる事自体がストレスだったり、劣等感をもっていたりするから、
だからこそ、自分は自分でいいんだ、 って思える自信を自分から持てるような経験を積ませてあげたいし、そういう自信が芽生えてきたら、ちょっと難しいことにだって、苦手なことにだって、”自分から” ”がんばってやってみたい” と失敗を恐れずにやろうと思えるようになってくることがよくある。
今年度も、どんどん目が輝いてくる子どもたちの姿をみさせてもらえました。
音楽療法の時間は、楽しいだけじゃなくて、
時に、ものすごい怒りが吐き出され、音楽や療法師は、それを受け止める器だったりする。
相手と療法士の魂と魂がぶつかり合って、ぶつかり合って、でもその愛のあるぶつかり合いの中で化学反応が起きて、自然な変容が生まれたりもする。
これからも、目の前にいる人が、そしてその人を支えている人が、
より肩の力が抜け、自然体で、自分に自信をもって心豊かに過ごせるような手助けを、
音楽やアートをつかっておこなっていきたいと、改めて年度末に思いました。
by totoatsuko
| 2013-03-27 15:46
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