子どもによって、違う世界を学ばせてもらう
知的障害を持つ子どもの親が書いた、
子どものエピソードと、それに対するまなざしを下に引用します。
自分の育てられ方と違う、
これまでの価値観とは違うものを自分の中から生み出すことはとても大変な作業だけど、
逃げずに乗り越えたら、新しい視野が広がる、新しい世界が広がる。
心がじわじわあったかくなったし、
自分の価値観を変えるプロセスの苦悩を思うと涙も落ちてきました。
同時に、ここには書かれていない障害をもっていなくても受ける、
様々な世間からの辛い反応や、生きることの難しさ
(それも、またユニークに、温かく、おおきくとらえられていると思うけど) を思うと、ほんとうに、
保護者として、以下の文章のように捉えられることの貴重さ、
そして、お子さんがそのように親に見守られて生きている事の素晴らしさ、
そして重さを感じます。
以下の引用は、前後の文脈の中にある、本の一部です。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ニッコリ笑っていてくれるだけで、
まわりを温かくし、
光を発している知的障害児の長女。
ここに人間の価値がある。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
結婚して三年目にやっとできた長女は知的障害児で、
努力やがんばることができません。
二十七になりますが、知能でいうと七歳くらいです。
日常生活にはなんの問題もありませんが、
自分の名前を漢字で書いたり、足し算、引き算を
したりなどはできません。
しかし、この子は、自分より立場の弱い人、
怪我をしている人を見れば、
駆け寄って『大丈夫?』と手を貸すような子どもで、
教えられることがたくさんありました。
小学校四年生までは運動会の徒競走が
五十メートル、五年生と六年生は百メートルでした。
長女は小学校五年生まで、徒競走はずっとビリでした。
染色体の異状により、脳細胞や体の筋肉が普通の人の
三分の一くらいしか発達しないため、ものをもったり、
走ったり、歩いたりなど、なにかをする能力は
三分の一くらいしかありません。
そのため、走るというより速歩きという感じです。
小学校六年生のとき、
運動会に行く前、なぜか妻がとても楽しそうでした。
『今日はいつもより楽しそうだね』と言うと、
妻は『初めて徒競走でビリじゃない姿が
見られるかもしれない』という返事。
どういうことなのかと尋ねたところ、次のような話しでした。
同級生の女の子が、運動会の一週間前に捻挫をして、
包帯ぐるぐる巻いている状態だったそうです。
誰もが徒競走に出ないだろうと思っていたところ、
『どうしても走りたい』と言い、困った先生は、
最終組で長女と走らせることに。
健常児六人+捻挫した子と長女の
合計八人で走ることになりました。
捻挫して、包帯を巻いている子と走ることになり、
『長女が生まれて初めてビリではない姿を
見られるかもしれない』と言い、ニコニコ笑いながら
朝、二人で手をつないで出かけて行きました。
夕方、ニコニコして帰ってきたので、
『どうだった?』と尋ねると、満面の笑みで、
『それがまたビリだったのよね』という答え。
すいぶん楽しそうな顔だったので、
経緯を教えてもらいました。
健常児六人が五十メートルくらいのところを走っているとき、
長女は十五メートルくらいの場所を走っていた。
捻挫をした子は十メートルくらいの地点を走っていたそうです。
長女は、後ろを振り返り、気にしながら
前を走っていたところ、捻挫をした子が
『キャッ』と言って転んでしまいました。
それを見た長女は『大丈夫?』と言って逆走し、
その子を助け上げ、肩を支えながら、
一緒にトコトコと走ります。
ゴールする、前に捻挫をした子の肩をポンと押し、
その子が先にゴールしたと、妻は言いました。
九十メートルくらいのところで、係のお子さんが
ゴールテープを取り直して張ったそうです。
父兄が二千五百人くらい来ていたそうですが、
みんな立ち上がり、九十メートルあたりからは
拍手をして応援してくて、感動的な光景だったと。
長女は捻挫した子を助けながら走ったにもかかわらず
最後のところで、自分は先に行かず、彼女を先に
ゴールさせたということです。
妻が『それでまたビリだったのよねぇ。
そういう子どもだもんねぇ』と笑顔で言うのを、
私は苦笑いして聴いていました。
しかし、その苦笑いしていた顔が、だんだん真顔に。
私は、父親から『努力しないやつはバカだ、クズだ』と
何十万回と言われ続けて育ちました。
『どうもそうじゃないみたいだ』と思いながら生きてきた
ものの、長女の生き方が父親から教わったこととは
まったく違い、衝撃を受けました。
私にとって人生観を根底から覆すような出来事だった。
そのため、一週間考えました。
一週間考えて出た結論は『長女の生き方が正しい』
というものでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ただ、私の魂がどちらの生き方を喜んでいるかと
考えたときに、長女の生き方が本質だと思い、
喜んでいる自分がいることに気がつきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私たちは、小・中・高・大学・大学院、会社、社会、家庭
というすべてのところで、『努力しないやつはバカだ、クズだ』
『競いあい、比べあい、人より抜きん出ることが
立派な人間である』『負けてはいけない』『成功しなければ
ならない』と教えこまれてきました。
しかし、『人間の価値は、それらとは違うところにある』
この新しい価値観を長女が教えてくれたのです。
長女は、いつもニコニコしていて、私が家に帰ると、
眠い目をこすりながら『お帰り』と言って玄関先で
迎えてくれます。
いつもニコニコしていて、
楽しそうに、幸せそいうに暮らしています。
『努力しないやつはバカだ、クズだ』という
価値観とはまったく違い、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ただそこにいるだけで、まわりの人に幸せを
感じさせてくれる存在です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この子が笑顔でニコニコしているだけで、
まわりをとても温かくし、
和やかな空気にします。
小学校を卒業するとき、
校長先生が次のようなコメントを書いてくれました。
『笑顔とありがとうという言葉は、
学校の中で最高のものでした。これほど笑顔と
ありがとうの言葉が似合う子どもはいなかった』と。
私は父親から
『がんばらないヤツはバカだ、クズだ』と何十万回と言われて
育ってきました。長女が生まれてこなければ、
ずっとその価値観で過ごしていたでしょう。
しかし、わが家に知的障害児の子どもが生まれてくれた
おかげで、人間の価値は、努力すること、がんばることではない
と教えられました。
長女は、ニッコリ笑っていてくれているだけで、
まわりをとて温かくし、光を発しています。
ここに人間の価値があると教えに来てくれたのです。
ーーー
書籍『脱力のすすめ』
小林正観(著)より。
子どものエピソードと、それに対するまなざしを下に引用します。
自分の育てられ方と違う、
これまでの価値観とは違うものを自分の中から生み出すことはとても大変な作業だけど、
逃げずに乗り越えたら、新しい視野が広がる、新しい世界が広がる。
心がじわじわあったかくなったし、
自分の価値観を変えるプロセスの苦悩を思うと涙も落ちてきました。
同時に、ここには書かれていない障害をもっていなくても受ける、
様々な世間からの辛い反応や、生きることの難しさ
(それも、またユニークに、温かく、おおきくとらえられていると思うけど) を思うと、ほんとうに、
保護者として、以下の文章のように捉えられることの貴重さ、
そして、お子さんがそのように親に見守られて生きている事の素晴らしさ、
そして重さを感じます。
以下の引用は、前後の文脈の中にある、本の一部です。
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ニッコリ笑っていてくれるだけで、
まわりを温かくし、
光を発している知的障害児の長女。
ここに人間の価値がある。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
結婚して三年目にやっとできた長女は知的障害児で、
努力やがんばることができません。
二十七になりますが、知能でいうと七歳くらいです。
日常生活にはなんの問題もありませんが、
自分の名前を漢字で書いたり、足し算、引き算を
したりなどはできません。
しかし、この子は、自分より立場の弱い人、
怪我をしている人を見れば、
駆け寄って『大丈夫?』と手を貸すような子どもで、
教えられることがたくさんありました。
小学校四年生までは運動会の徒競走が
五十メートル、五年生と六年生は百メートルでした。
長女は小学校五年生まで、徒競走はずっとビリでした。
染色体の異状により、脳細胞や体の筋肉が普通の人の
三分の一くらいしか発達しないため、ものをもったり、
走ったり、歩いたりなど、なにかをする能力は
三分の一くらいしかありません。
そのため、走るというより速歩きという感じです。
小学校六年生のとき、
運動会に行く前、なぜか妻がとても楽しそうでした。
『今日はいつもより楽しそうだね』と言うと、
妻は『初めて徒競走でビリじゃない姿が
見られるかもしれない』という返事。
どういうことなのかと尋ねたところ、次のような話しでした。
同級生の女の子が、運動会の一週間前に捻挫をして、
包帯ぐるぐる巻いている状態だったそうです。
誰もが徒競走に出ないだろうと思っていたところ、
『どうしても走りたい』と言い、困った先生は、
最終組で長女と走らせることに。
健常児六人+捻挫した子と長女の
合計八人で走ることになりました。
捻挫して、包帯を巻いている子と走ることになり、
『長女が生まれて初めてビリではない姿を
見られるかもしれない』と言い、ニコニコ笑いながら
朝、二人で手をつないで出かけて行きました。
夕方、ニコニコして帰ってきたので、
『どうだった?』と尋ねると、満面の笑みで、
『それがまたビリだったのよね』という答え。
すいぶん楽しそうな顔だったので、
経緯を教えてもらいました。
健常児六人が五十メートルくらいのところを走っているとき、
長女は十五メートルくらいの場所を走っていた。
捻挫をした子は十メートルくらいの地点を走っていたそうです。
長女は、後ろを振り返り、気にしながら
前を走っていたところ、捻挫をした子が
『キャッ』と言って転んでしまいました。
それを見た長女は『大丈夫?』と言って逆走し、
その子を助け上げ、肩を支えながら、
一緒にトコトコと走ります。
ゴールする、前に捻挫をした子の肩をポンと押し、
その子が先にゴールしたと、妻は言いました。
九十メートルくらいのところで、係のお子さんが
ゴールテープを取り直して張ったそうです。
父兄が二千五百人くらい来ていたそうですが、
みんな立ち上がり、九十メートルあたりからは
拍手をして応援してくて、感動的な光景だったと。
長女は捻挫した子を助けながら走ったにもかかわらず
最後のところで、自分は先に行かず、彼女を先に
ゴールさせたということです。
妻が『それでまたビリだったのよねぇ。
そういう子どもだもんねぇ』と笑顔で言うのを、
私は苦笑いして聴いていました。
しかし、その苦笑いしていた顔が、だんだん真顔に。
私は、父親から『努力しないやつはバカだ、クズだ』と
何十万回と言われ続けて育ちました。
『どうもそうじゃないみたいだ』と思いながら生きてきた
ものの、長女の生き方が父親から教わったこととは
まったく違い、衝撃を受けました。
私にとって人生観を根底から覆すような出来事だった。
そのため、一週間考えました。
一週間考えて出た結論は『長女の生き方が正しい』
というものでした。
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ただ、私の魂がどちらの生き方を喜んでいるかと
考えたときに、長女の生き方が本質だと思い、
喜んでいる自分がいることに気がつきました。
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私たちは、小・中・高・大学・大学院、会社、社会、家庭
というすべてのところで、『努力しないやつはバカだ、クズだ』
『競いあい、比べあい、人より抜きん出ることが
立派な人間である』『負けてはいけない』『成功しなければ
ならない』と教えこまれてきました。
しかし、『人間の価値は、それらとは違うところにある』
この新しい価値観を長女が教えてくれたのです。
長女は、いつもニコニコしていて、私が家に帰ると、
眠い目をこすりながら『お帰り』と言って玄関先で
迎えてくれます。
いつもニコニコしていて、
楽しそうに、幸せそいうに暮らしています。
『努力しないやつはバカだ、クズだ』という
価値観とはまったく違い、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ただそこにいるだけで、まわりの人に幸せを
感じさせてくれる存在です。
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この子が笑顔でニコニコしているだけで、
まわりをとても温かくし、
和やかな空気にします。
小学校を卒業するとき、
校長先生が次のようなコメントを書いてくれました。
『笑顔とありがとうという言葉は、
学校の中で最高のものでした。これほど笑顔と
ありがとうの言葉が似合う子どもはいなかった』と。
私は父親から
『がんばらないヤツはバカだ、クズだ』と何十万回と言われて
育ってきました。長女が生まれてこなければ、
ずっとその価値観で過ごしていたでしょう。
しかし、わが家に知的障害児の子どもが生まれてくれた
おかげで、人間の価値は、努力すること、がんばることではない
と教えられました。
長女は、ニッコリ笑っていてくれているだけで、
まわりをとて温かくし、光を発しています。
ここに人間の価値があると教えに来てくれたのです。
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書籍『脱力のすすめ』
小林正観(著)より。
by totoatsuko
| 2013-03-04 20:11
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