苦しみをアートへ昇華する
フラメンコクラスの リサイタル。
本番前日に、
辛くてやるせない気持ちがあふれ出てくるような出来事があったおかげで、
その思い起こされた気持ちが処理しきれず当日の朝からリハーサルをやっている時もずっと感情が胸の中で渦をまいていて、、、 でも、それが本番の私のアイレ (フラメンコでいう、その人の雰囲気力とか、色気とか、醸し出されるオーラみたいなもののこと) につながることになったんだろうな、と思う。
目ジカラ というより、もう
顔ジカラ、
ってかんじだった、
それがすごくよかった、と何人かに言われる。
生きていると辛いことはいっぱいあるけど、
それが戦争とか、いじめとか、
負の行動につながるのではなく、
虐げられたジプシーたちがフラメンコという芸術、世界観をつくっていったように、
私も、クリエーティブな営みに痛みを転換していくことで、
私を支えてくれる仲間たちを、家族を幸せに、その人生をより豊かにしていきたいと思う。
平均年齢70歳の仲間たちと、舞台、という作品を作っていく過程に関わらせてもらうことができて感謝。
過去から続く 時折私を打ちのめすような出来事が起こる日々に寄り添ってくれたフラメンコの精神、金曜会の存在、そして色々 色々と出会っていった仲間たち、喜怒哀楽にあふれる子どもたちとの毎日、理不尽な出来事に枕を濡らした日々、 全部全部をひっくるめて今日がある。
打ち上げで飲みながら、リハーサルと本番、どちらも見ていたベテラン75歳の方が
「経験は浅いかもしれないけど、まだまだ学ぶ事はたくさんあるけど、
あなたの持つ思い切りのよさというか、強さというか、
そういうの 私はすごい好き。
それがフラメンコなのよ、自分をもつってことが。
私はバレエを昔やっていたんだけれど、
フラメンコはバレエのように、美しい絵空ごとじゃない。
うまい下手関係なく、その人の踊りは、その人の人生そのものなのよ。
あなた80代のおば様方と同じくらい輝いてた。」
と言ってくださって、
精神的にぎりぎりな部分を抱えていた自分を、
励まし認め、いとおしんでもらえたような気持がして、
ひとりで 感涙・号泣・・・・
なんだか、最近 ほんとうに涙もろくなってしまった。
個人的な悲しみややるせなさ、という感情が、もっと身近で仲良しなものになっているから
なんか、その感情につながるような出来事や映像やストーリーをみると、
涙が抑えられなくなることがおおい。
でも、まぁ、それは それでいいかな、と今は思っています。
無理に、あふれ出てくる涙を抑えることは、今はしなくていいんじゃないか、って。
そして、
客席から人を舞台にあげて踊る、という最後の演目。
見に来てくれた保育園のお友達も一緒に、私の子どもたちがわさわさ舞台にのぼり、
それなりに緊張してギターに合わせて手拍子とったり、手首をくるくる回したり。
その年齢で、日本で、
プロのフラメンコギターと歌と手拍子をバックにライトに照らされて舞台にたつ、
なんて経験、なかなかできないゾ!
すごい楽しそうだったし、お客さんもよろこんでくれてよかった!
そして、
初めてフラメンコをみる、という友達たちが舞台を見ていて涙がでた、と何人もが言っていた。
ギター、唄、手拍子、そして踊り手
ギターラ、カンテ、パルマ そして バイレ と バイラオーレ (男性と女性の踊り手)。
演劇のように、感動をさそうようなストーリーは明確に提示されない。
でも、先にも書いたけれど
きっと、友達たちは、舞台でにあらわれた、
人生の大先輩方の生きてきた、人生の大ストーリーや重みに感動したんだと思う。
そういうのが好き。
折り目正しく美しい、というのも素晴らしいフラメンコだけど
その人らしさ が出ていれば、それだけで見るひとの心をわしづかみにするフラメンコ。
テクニックがなくても、ステップが正確にふめなくても、
背中が、たたずまいが すべてを語ることができるフラメンコ。
ただ立っている、その姿でさえ、その人の人生がにじみ出る。
なんて、フラメンコ歴は浅いくせに、いろいろフラメンコについて語ってしまった・・・
一日たっても、まだ 昨日の経験が、感動が消化しきれず
何だか胸がいっぱいの私。
昨日という日を、
昨日のステージを、大事な大事な、私を支えてくれている仲間たちと家族に囲まれて過ごすことができ
そして、また日常の ”今日” が 当たり前のようにはじまり、
明日も続いていくことができる、
と思えることのありがたさ。
とはいえ、少しだらだら休みたいのだけど、
子育てと仕事に奔走する日常へ、気持ちとカラダに鞭うって、いやがおうにも踵返ししていきます。
支えてくださっているみなさん、
見守ってくださっている人や何かおおいなるもの、
i love you all and thank you so much !!!
本番前日に、
辛くてやるせない気持ちがあふれ出てくるような出来事があったおかげで、
その思い起こされた気持ちが処理しきれず当日の朝からリハーサルをやっている時もずっと感情が胸の中で渦をまいていて、、、 でも、それが本番の私のアイレ (フラメンコでいう、その人の雰囲気力とか、色気とか、醸し出されるオーラみたいなもののこと) につながることになったんだろうな、と思う。
目ジカラ というより、もう
顔ジカラ、
ってかんじだった、
それがすごくよかった、と何人かに言われる。
生きていると辛いことはいっぱいあるけど、
それが戦争とか、いじめとか、
負の行動につながるのではなく、
虐げられたジプシーたちがフラメンコという芸術、世界観をつくっていったように、
私も、クリエーティブな営みに痛みを転換していくことで、
私を支えてくれる仲間たちを、家族を幸せに、その人生をより豊かにしていきたいと思う。
平均年齢70歳の仲間たちと、舞台、という作品を作っていく過程に関わらせてもらうことができて感謝。
過去から続く 時折私を打ちのめすような出来事が起こる日々に寄り添ってくれたフラメンコの精神、金曜会の存在、そして色々 色々と出会っていった仲間たち、喜怒哀楽にあふれる子どもたちとの毎日、理不尽な出来事に枕を濡らした日々、 全部全部をひっくるめて今日がある。
打ち上げで飲みながら、リハーサルと本番、どちらも見ていたベテラン75歳の方が
「経験は浅いかもしれないけど、まだまだ学ぶ事はたくさんあるけど、
あなたの持つ思い切りのよさというか、強さというか、
そういうの 私はすごい好き。
それがフラメンコなのよ、自分をもつってことが。
私はバレエを昔やっていたんだけれど、
フラメンコはバレエのように、美しい絵空ごとじゃない。
うまい下手関係なく、その人の踊りは、その人の人生そのものなのよ。
あなた80代のおば様方と同じくらい輝いてた。」
と言ってくださって、
精神的にぎりぎりな部分を抱えていた自分を、
励まし認め、いとおしんでもらえたような気持がして、
ひとりで 感涙・号泣・・・・
なんだか、最近 ほんとうに涙もろくなってしまった。
個人的な悲しみややるせなさ、という感情が、もっと身近で仲良しなものになっているから
なんか、その感情につながるような出来事や映像やストーリーをみると、
涙が抑えられなくなることがおおい。
でも、まぁ、それは それでいいかな、と今は思っています。
無理に、あふれ出てくる涙を抑えることは、今はしなくていいんじゃないか、って。
そして、
客席から人を舞台にあげて踊る、という最後の演目。
見に来てくれた保育園のお友達も一緒に、私の子どもたちがわさわさ舞台にのぼり、
それなりに緊張してギターに合わせて手拍子とったり、手首をくるくる回したり。
その年齢で、日本で、
プロのフラメンコギターと歌と手拍子をバックにライトに照らされて舞台にたつ、
なんて経験、なかなかできないゾ!
すごい楽しそうだったし、お客さんもよろこんでくれてよかった!
そして、
初めてフラメンコをみる、という友達たちが舞台を見ていて涙がでた、と何人もが言っていた。
ギター、唄、手拍子、そして踊り手
ギターラ、カンテ、パルマ そして バイレ と バイラオーレ (男性と女性の踊り手)。
演劇のように、感動をさそうようなストーリーは明確に提示されない。
でも、先にも書いたけれど
きっと、友達たちは、舞台でにあらわれた、
人生の大先輩方の生きてきた、人生の大ストーリーや重みに感動したんだと思う。
そういうのが好き。
折り目正しく美しい、というのも素晴らしいフラメンコだけど
その人らしさ が出ていれば、それだけで見るひとの心をわしづかみにするフラメンコ。
テクニックがなくても、ステップが正確にふめなくても、
背中が、たたずまいが すべてを語ることができるフラメンコ。
ただ立っている、その姿でさえ、その人の人生がにじみ出る。
なんて、フラメンコ歴は浅いくせに、いろいろフラメンコについて語ってしまった・・・
一日たっても、まだ 昨日の経験が、感動が消化しきれず
何だか胸がいっぱいの私。
昨日という日を、
昨日のステージを、大事な大事な、私を支えてくれている仲間たちと家族に囲まれて過ごすことができ
そして、また日常の ”今日” が 当たり前のようにはじまり、
明日も続いていくことができる、
と思えることのありがたさ。
とはいえ、少しだらだら休みたいのだけど、
子育てと仕事に奔走する日常へ、気持ちとカラダに鞭うって、いやがおうにも踵返ししていきます。
支えてくださっているみなさん、
見守ってくださっている人や何かおおいなるもの、
i love you all and thank you so much !!!
by totoatsuko
| 2012-06-17 00:39
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