人気ブログランキング | 話題のタグを見る

カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

totoatsuko.exblog.jp ブログトップ

自分がそうしてしまうのは人のせいじゃない

DVの加害者も被害者も、別に当事者になりたくてなっているわけではないし、
そもそも、多くの当事者が、自分が当事者だ、という自覚をもっていません。

自覚してしまったら、自分のアイデンティティーを強くゆすぶられるし、
DVの加害者、被害者である、と自覚しながら、そのまま生きていくことはとても心理的に辛い状態になります。

DVを受けていても、行っていても、自覚がなければ、自分の行いはごくあたりまえのものだと無意識にでも思っている間は、その行為を、関係を、状態を続けていくことが出来ます。少しでも、その関係、行為がおかしいのではないか、と疑問を呈する相手には、とても攻撃的になったり、まともに取り合おうとしない場合も多いし、なにより、自分自身が認めたくないので、自分で自分の行為を ”軽く” うけとめたりもします。

自分自身の行為を ”軽く” うけとめる。
自己肯定感が低い。 low-selfesteem.
とても自信があるように見える人でも、本当の自分に自信がない場合もよくあります。
(からっぽな自分を隠すために、自信があるように振る舞っているのが成功しているだけ。)


殴っても、ひどい言葉を浴びせても、sexual abuseをしても、嫌がらせをしても、
それは、大したことではない、 我慢するべき範囲のもの、 と加害者も被害者も自分の感情のスイッチをオフにして、その劣悪な関係を続けることを無意識に選んでいます。


ある加害者の人が自分の行ってきたことの重さに気づきカウンセリングに行き始め、言った言葉。

「ミニスカートをはいて、いかにも痴漢してください、といっているような恰好をしている人が電車の中で自分の前に立っていたとしても、痴漢をするかどうかは、自分の判断。 
痴漢をしやすい人がいたから痴漢をした、とい理論は通らないと同じで、 
DVする人を選びがちな幼少時代を送ってきた人が自分のパートナーになったからといって、
自分がDVをしていい訳ではない。
本当に家族には申し訳ない事をしてきてしまった。」


私たちの価値観や生き方や信念は、
子どもの頃の家族との関係や、育った環境や文化などから大きな影響を受けています。
人間は親にかわいがってもらわないと食べていけないから、生きていけないから、親に愛してもらうために親を喜ばせようと本能的にするし、親に受け入れ認めてもらうのは、大きな喜びであり、大きなインパクトを与えます。

たとえ親が虐待する人であろうと、どんな価値観をもっていようと、どんな育て方をしようと、です。
だから、Domestic Violence が行われている家庭に育った人は、そういう家庭を築きやすい。イギリスの研究で、ちょっとDVと違いますが、、、鬱の親に育てられた子どもの80%が鬱を経験している、という数字をだしていました。DVにも、その連鎖性はあてはめることが出来ます。


人間が大人になっていき、親がいなくても生きていくことが出来るようになっても、
子どもの頃に埋め込まれた、自分を苦しめる加害者、被害者の思考と行動のパターンを捨てることがなかなかできません。それは、もう無意識の深いところに組み込まれてしまっているので、もういちど、そのくみこまれている場所に降りて行って、組み込まれたものを掘りだし、自分の手で除去していく、痛みを伴う心の大手術をしないと、違う価値観をもった生き方をするようには 生まれ変わることが出来ない。

自分の無意識に生きてきた生き方を全否定したくなるような気持ちにもなるし、
自分の存在意味が分からなくなる時もあるし、
それはもう大変な心の作業。

DVの関係に気づこうとしない人、本当にそれを断ち切ろうと決心が出来ない人は、

この生まれ変わるプロセスがいかに大変か、無意識にでも知ってるから怖くてあえて気づこうとしないのか、
それが、代々受け継がれるものであることを知らないからか、自分ややっていることの重さ、相手をどれだけ気づつけ、そしてひいては自分をも本当の心の平穏から遠ざけているか、しらないからか、、、きっと色んな要素がミックスされた理由なのだと思います。


自分の行為を正当化する文句、一見 まっとうに聞こえる理由
「痴漢をしてほしそうだったから、痴漢をした」
「君が~してくれないから 自分は~せざるを得なかった」
「世の中の常識は ~だから、自分もそうした」

そうじゃないと思う。
大人になれば、これまで与えられた価値観が何なのか、
そして自分の生き方とそれは共鳴しているか、それとも共感出来ないものか、
与えられた世界から飛び出して、いろんな価値観に触れ、いろんな価値観を自分の中で生み出し、
自分で自分の毎日を将来をつくっていくのだと思う。

痴漢することを誘われても、痴漢をしたい、と思わなければ、やらない。
痴漢することが常識な国だったとしても、その常識が自分に当てはまらなければ、やらない。
相手が自分の気にいらないことをしても、殴ったり罵倒するだけが、それに対する反応のチョイスではない。

でも、なかなか、そう気づかない。
”自分の知ってる常識” に、疑問をもったことがなかったら。
自分が思っている常識にのっかって生きていていたら。


DV被害者も、自分がない場合が多く、せっかく家を飛び出してシェルターに入っても自ら加害者の元にもどっていくことが多いです。自分に自信がないから、self-esteem がとても低い場合が多いので、本当にこの時分の決断が間違っていないか。後から後悔したら嫌、取り返しのつかないことをしているんじゃないか、世間的には、すごくやさしいパートナーですね、と言われてる。それに、私がいないとあの人やっていけないかもしれない、そんな人を捨てる(離れる)のは、よくないことだ(そうやって、自分で不幸で病的な関係を続けることを選んでしまう)。そうやって、周りの意見や価値観に重心をおいてしまって、自分の感情の声を自分で無視しようとするパターンがよくある。


ある被害者の方が言いました、
自分で決断するのが怖いんです、やったことがないから。間違えておこられたらどうしよう、とか。
そしたら、人に決めてもらった方がいい、自分の感情を無にしていれば、何をされようと、何をしなくてはいけなくても、その決断に責任をもたなくていい方がいい。

そういう人が、やっぱりその人の無意識深くに組み込まれた、自己否定をする心のメカニズムを崩し、自分で自分の決断に責任をもって、”自分らしく生きること” を 自分で”いい” と肯定し、その感覚を ”楽しむ” ことが出来るようになるには、大変なプロセスが必要なのです。セラピストやカウンセラーは、その人が、違う価値観を得ていく間、ものすごくぐらぐら迷ったりパニックになったり、昔のパターンに戻ろうとしていくところを、どっしりと構えて、適切なサポートをしながら、そのプロセスを 帆走していきます。

ひとつひとつ、自分で決めていくこと、Noということ、与えられたもの、提供されるものをうのみにせず、立ち止まって自分の気持ちと照らし合わせて、相手の投げたボールをどう受け取るのか、受け取らないのかかんがえる。


自分の心に即した決断や行動を、将来後悔しないだろうか・・・ 
自分がないと、自分で決断したことがないと、そんな風にすごく不安になって自分らしい選択や生き方をさまたげる。

しかし、将来は 自分がつくるもの。
この決断をしてよかった、 と思うような将来をつくる努力をしていくしかない。

そういう将来にむかって道をさがし、その道を生き、
環境や文化や人のせいにしない生き方を毎日重ねていく。

時には運命に翻弄される。
自然現象や、人の悪意という嵐の海に投げ出されることもあるだろう。

それでも、その状況をどう生きるか、について、唯一の答えはない。
そんな非常事態に、常識は意味をなさない。
状況を責めてもいいが、自然を恨んでもいいが、
それは自分の足を再び地につけるための何の助けにもならない。

これは、DV関係を経験した人だけが、そこから抜けるために頑張らなければいけないことではなくて、
誰にとっても当てはまることだとおもう。


人のせいだけじゃない、自分が可哀そうなのは、不幸なのは。
そこに自分で自分をとどまらせている、無意識にだけれど、
自分で同じ視点でしか感じようとしないで。

自分でアクションを起こして、違う薬品を一滴、自分の心や、その関係にたらして自分から変化を始める。
かならず、負のループから抜け出せ、将来の色合いは変わる。




P.S
音楽心理療法では、必ずしもアートを使うわけではなく、
その人が必要ならば言葉のみのカウンセリングで、渦中の人のプロセスを支えていきます。
by totoatsuko | 2012-02-14 13:22 | Comments(0)
line

音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite