感謝

ほとんど毎週
一番下の子どもが生まれて数か月後からはじめたからもうじき3年。
自分のこどもたちが、今のマイナス3歳だったなんて、、、
振り返れば生活も、子育ても、子どもの様子もあの頃とは随分かわってきました。
今夜は何人 人がくるのか分からなくても
人がくる様子をみながら作り足したり、
多めにつくっといて余ったらみんなに持って帰ってもらったり。
最近はほとんど事前に料理の準備をすることなく、集まってくる中でお喋りしながらざっと料理。
食材も買いだめしてなかったら、それはそれで、乾物中心になんとかなるし、
そういうアバウトな感じを受け入れてくれる気心の知れた仲間、その時 その時違う集まった仲間が作るカラーとダイナミックスの金曜夜の時間から沢山のエネルギーをもらっています!
自分のこどもが他のこどもと 大人がはいらない世界でどう振る舞っているのかを垣間見ることができるのも、すごく嬉しいし、こどもたちも、親がいるけど親に色々いわれない、というバランスの中で、わっさ~~っ と遊びまくるのは楽しそうです。
明日は大晦日。
ほんとうに、私なりに頑張って道を歩いてきたんだ
と振り返ることが出来る地点に今立っていられること
いま、仲間と子どもたちと家族とこうあれることに、ほんとうに ほんとうに心から感謝です!
精神的に・心理的に死ぬ、
というのは ほんとうに経験しないと分からないくらい深い ふかい体験ですね。
自分から好んで奈落の底に落ちること、
あるいは自分を自ら刺し殺す事は、怖くて出来ない。
自分で自分を殺せない。
その事実は、私が必要な成長を妨げることだってあると思う。
脱皮が必要な時期が来たときに、古い考えの自分や 不必要な自己像?なんかに無意識に固執することしか出来なかったら、限界をきたしている自分の世界観や、価値観を柔軟に広げたり更新していくことができない。
「いやがおうにも突き落とされる」、
無にたちかえってみる、
死の痛みと闇の中から自分なりに再生の道を見つけていこうとする道を歩む。
そこ過程を通していろんな人の助けを借り、人とつながり、
生きていること、命があること、人の、人の心のありがたさを改めて学ぶという経験をさせてもらうことが出来るとおもう。
振り返れば、昨年は、いかに死んでいくのか、がテーマだったと言えるかもしれません。
今、やっと、そう肯定できるくらい、内的な死から距離ができてきたのでしょうね。
今年は、再生への足掛かりをつくっていった、
まだ弱いけれどすこし明るい色合いの感じがする一年でした。
まだ、私はどう生きていきたいのか以前持っていた将来像のようなものに相応するような価値観や自己像が見出せていません。生まれたばかりだから、まだ。 それでいいと思っています。ゆっくり、ゆっくり、日々 自分が何をどう感じているのか、できるだけ深く味わいながら、新しい自分を、自分像?を見つけていきたい、あるいは構築していきたい、と思っています。
全ての人に 心から感謝します。
そして、生かされていること にも感謝します。
明日、どうなるか分からない命 家族との、大切な人との日々、大事に だいじに生きて生きたいです。
そして、世界がより平和で 人々がより心穏やかに暮らせることを心から祈っています。