ヒーリング (回復?) って?
インタネットサイト英辞郎で Healing を検索したら、
healing 【名】 治療{ちりょう}、回復{かいふく}、治癒{ちゆ}、癒やし
と出てきました。
ここ数年日本では 「ヒーリング」 または 「癒し」ブームで、これに関連した香り、音楽、生活用品、その他アイデアグッズのマーケットが盛況のようですが、実際 ヒーリングってなんなんだろう? 気持ちよくなること? 疲れが取れること? それだったら、 リラックス とどう違うの?と思ってしまう。
「ヒーリングミュージック」 と名づけられたCDは 巷にたくさん出回っているし、実際 音楽療法士です、と自己紹介したら、「何か気持ちいい音楽を演奏してくれる人」に思われることが少ないくない。
私の音楽療法士としての役目は、何かを与えるのではなく、音楽を色んな使い方をして、その人の持っているエネルギー、パワーを最大限発揮することなのだけど。
心と肉体と魂
例えば、死が遠くない 肉体的な病にかかっている人。癌、エイズ、その他色々。
その人にとって、回復・ヒーリングってどういうものなんだろう?
延命治療をして 少し死の瞬間が遠ざかること? そこには、本人や家族の一瞬の喜びがあるだろう。でも、それは、魂の声を無視していることにならないだろうか?
ましてや、多くの場合、延命治療は肉体的、心理的にとても過酷なものである。
人はいつしか死ななければならず、その”時”は、永遠に遅らせることはできないのだ。
もし、本人が「死」を忌み嫌い、避けつづけているのだったら、本質的には何も変わっていない。1次的な病状の回復とは裏腹に、あ肉体の死は間違いなく近づいてきて、魂と心を刻々と追い詰めているのだから。
私達の魂はしっている、いつその"肉体”から離れなければならないかを。
あるお医者さんがおっしゃったこと : 病で苦しんでいる人を助けたくて医者になったけど、医療だけでは患者さんの苦しみを救ってあげることはできないんだ、ということに医者になって気づきました。
私は ヒーリング というのは心と肉体と魂のバランスが取れたときのことを言うのだと思っています。体が健康でも心や魂が病んでいる人は一杯いる。肉体的な痛みに苦しんでいても、心や魂が浄化されていて、その痛みといい関係を持っている人もいる。
ヒーリングミュージックでリラックスしても、それが苦しんでいる自分からの逃避ならば、根本的な解決にはなっていない。
薬で鬱などの症状や、体の痛みが解消されても、”こころ”を無視しつづけていたら、本当のヒーリングは得られない。
ある癌患者さんが言った言葉: 病が私の人間としてのヒーリングを可能にしてくれました。
この人は、いつも健康で、仕事も成功していたのだけれど、病にかかり、自分一人では何も出来ない状態になってしまい、ものすごい怒りや悲しみを爆発させていました。でも、音楽療法セッションを通して、病によってたくさんのものを失い怒っている自分をなぐさめ、少し落ち着いて自分の人生を振り返り向かい合ったとき、あんなに多くの物を失ったにもかかわらず、素晴らしい家族や、かけがえのない人生経験など、自分がまだ持っている失なわれることのない物に気づいたのでした。
彼は、病になるまで、社会的な成功以外に、自分にとって何が本当に大切なのか気づかなかったのです。
私は音楽療法士として、対峙したくない感情や自分の側面と向かい合うこと、心、体、魂のバランスを見出す過程が、ヒーリングと言えるのではないかと思っています。
healing 【名】 治療{ちりょう}、回復{かいふく}、治癒{ちゆ}、癒やし
と出てきました。
ここ数年日本では 「ヒーリング」 または 「癒し」ブームで、これに関連した香り、音楽、生活用品、その他アイデアグッズのマーケットが盛況のようですが、実際 ヒーリングってなんなんだろう? 気持ちよくなること? 疲れが取れること? それだったら、 リラックス とどう違うの?と思ってしまう。
「ヒーリングミュージック」 と名づけられたCDは 巷にたくさん出回っているし、実際 音楽療法士です、と自己紹介したら、「何か気持ちいい音楽を演奏してくれる人」に思われることが少ないくない。
私の音楽療法士としての役目は、何かを与えるのではなく、音楽を色んな使い方をして、その人の持っているエネルギー、パワーを最大限発揮することなのだけど。
心と肉体と魂
例えば、死が遠くない 肉体的な病にかかっている人。癌、エイズ、その他色々。
その人にとって、回復・ヒーリングってどういうものなんだろう?
延命治療をして 少し死の瞬間が遠ざかること? そこには、本人や家族の一瞬の喜びがあるだろう。でも、それは、魂の声を無視していることにならないだろうか?
ましてや、多くの場合、延命治療は肉体的、心理的にとても過酷なものである。
人はいつしか死ななければならず、その”時”は、永遠に遅らせることはできないのだ。
もし、本人が「死」を忌み嫌い、避けつづけているのだったら、本質的には何も変わっていない。1次的な病状の回復とは裏腹に、あ肉体の死は間違いなく近づいてきて、魂と心を刻々と追い詰めているのだから。
私達の魂はしっている、いつその"肉体”から離れなければならないかを。
あるお医者さんがおっしゃったこと : 病で苦しんでいる人を助けたくて医者になったけど、医療だけでは患者さんの苦しみを救ってあげることはできないんだ、ということに医者になって気づきました。
私は ヒーリング というのは心と肉体と魂のバランスが取れたときのことを言うのだと思っています。体が健康でも心や魂が病んでいる人は一杯いる。肉体的な痛みに苦しんでいても、心や魂が浄化されていて、その痛みといい関係を持っている人もいる。
ヒーリングミュージックでリラックスしても、それが苦しんでいる自分からの逃避ならば、根本的な解決にはなっていない。
薬で鬱などの症状や、体の痛みが解消されても、”こころ”を無視しつづけていたら、本当のヒーリングは得られない。
ある癌患者さんが言った言葉: 病が私の人間としてのヒーリングを可能にしてくれました。
この人は、いつも健康で、仕事も成功していたのだけれど、病にかかり、自分一人では何も出来ない状態になってしまい、ものすごい怒りや悲しみを爆発させていました。でも、音楽療法セッションを通して、病によってたくさんのものを失い怒っている自分をなぐさめ、少し落ち着いて自分の人生を振り返り向かい合ったとき、あんなに多くの物を失ったにもかかわらず、素晴らしい家族や、かけがえのない人生経験など、自分がまだ持っている失なわれることのない物に気づいたのでした。
彼は、病になるまで、社会的な成功以外に、自分にとって何が本当に大切なのか気づかなかったのです。
私は音楽療法士として、対峙したくない感情や自分の側面と向かい合うこと、心、体、魂のバランスを見出す過程が、ヒーリングと言えるのではないかと思っています。
by totoatsuko
| 2005-07-06 04:31
| 日々感じたこと
|
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