マットレスの可能性

布団、といってもいわゆる典型的な敷布団ではなく、マットレスを使っているのだけど、アメリカでもずっとそうだった。移動できるから、ベッドを設置するのと比べて、日中スペースがクリエーティブに使える。
子供がマットレスを組み合わせて遊んでいて、そのクリエーティビティーに驚いた。
いくつか組み合わせて、上にシーツをかけて、洞窟風にしたり、
トンネルにしたり、
その空間をマットの組み合わせによって、ちっちゃくしたり、中で部屋が別れている感じの家にしたり、
崖っぽくマットレスを壁に立てかけて、そこからジャンプしたり、
いくつかマットを重ねて、トランボリンにしたり、
斜めにして、角度をかえて、いろんな斜面、長さの滑り台にしたり、
レーシングカーになったり、ファミリーカーになったり、
美容院の洗髪台にみたてて、美容院ごっこ
診察台にみたてて、お医者さんごっこ。
ベッドは形も位置もあるていど固定されているから、ここまで七変化できない。
家を作れば、そこから七匹のこやぎごっこがはじまり、
トランボリンからは、ピーターパンのフック船長と戦っていて、下にはワニが待ち構えている空間が広がる。
美容院ごっこは、最初くしで髪をといたり、髪をすこししめらせてスタイリングしていたのが、エスカレートしてきて、バケツに水をくんできて、タオルに水を浸して、マットに横たわっている子の髪にかけようとしたので、お水を使いたいならお風呂場に行って、とお願いするはめに
しかし、彼らのその信じる力がすごい。
素材はマットレス以外の何物でもないのだけど、遊んでる本人たちは、その遊びをしているときは、完全に心の中で、マットレスが家であったり、トランボリンになっている。マットレスをマットレスとしかみれなかったら、ちっとも面白いものではないけれど、だれもがもっていた子供の想像力によって、こんなにも楽しいものになるなんて、なんて楽しいんだろう、と思う。
大人になったって失うとは限らないその想像力、信じる力、クリエーティビティー。
コロンブスの卵的発想の豊かさは、子供の特権ではない。
それをもってすれば、日常のつまんないこと、嫌なこと、気になること、行き詰ってること、それらを全く違った側面から、それらが持つ異なる側面を発見し、別物として捉え、新たな関係が築けるのだとおもう。
そう、そういえばセラピーのプロセスでは、そんなこともやってます・そんな現象、自然と発生してきます。
by totoatsuko
| 2010-06-08 10:23
|
Comments(0)