一貫性
取り組んでいることに対して、取り組まないことに対して、個人や団体から”常識的ではない”という理由で批判されたり、疑問をなげかけられても、自分の中でこれは自分にとって大事なのだ、と直感的に分かっていれば、批判はつらいし、傷はついても、ちゃんと自分を守りながら続けていくエネルギーを自分の中で生み続けることができるだろう。
マクロビオティックのクラスをとり始め、勉強し始めたとき、
陰陽に極度に振れずに中庸に近い食事バランスを心がけ、体の状態を中庸に保つのがいい、と教えられた。
そうすると、女らしさ〔中国の陰陽五行、で考えれば女が陰で男が陽という考え方〕というのは、マクロビオティックな食事に変換する中で失われていくんじゃないか?
人からぬきんでた個性やエッジ、クリエーティブな発想が出来なくなるんじゃないか? と思いました。
そんなの嫌だなぁ、と。
先生の言ったことを鵜呑みに出来ないのが私の性分で、
とりあえず聞いて。それから自分で実験してみて自分なりの体験や見解が内から生まれてくるまで、いやその後もずっと保留にしておいて、人生のいろんな場面で思い出して光の当てる角度を変えて捉えなおしたりします。失敗もいっぱい重ねながら。そこから又、学びながら。
あれから数年、
自分の生活にマクロビオティックなスタイルがなじんできた今思っているのは、
自分が持っているエッジは、自分らしさ、は
食・体・精神が中庸で安定していることによって、
例えば口にするものの影響によって、体調や精神状態が無駄にふりまわされるのをおさえ、
他の事 プラス、食事スタイルも加えて 心と体をいい状態に保つことを強化できる事により、
より主体的に自分の思うように自分の持っているエッジを使えるのではないか?
自分の個性というのは、お肉や乳製品やお砂糖や人口添加物を食べないことによって失われるものではない、と考えるようになってきました。
健康なときは感じませんが、体や心に痛みがない状態、というのは本当にありがたいことです。
自分の食べたい食べ物を食べて、それが心や体にとっても害のないものであるに越したことはない。
それと、やっぱり私は地球に”生かされてる”と思うので、
地球にやさしい食べ方をなるべくしたいから、
マクロビオティックを取り入れた生活は、自分の理念とライフスタイルが繋がって、きもちいい。
一般的に何が正解か、というのは私にとってはそんなに大事じゃない。
自分が正解、と思えれば、自分にとっては正解。
しかし、全ての人にとっての正解、というのは決して見つからないし、
正解を見つけることが人生の目的なら、人生はつまらないものになってしまいそう。
だって、正解が見つかるまでの道のり、ずっと耐えてずっとつらいだけなのでしょう?
私にとっては正解を見つけることが人生においてそんなに重要ではなくて
迷いながらもその過程で迷いのプロセスを味わい、
迷いのプロセスの中で、自分を見失わず、
迷いで生じる人生の苦味も味わいつつ、
主体的に人生を積み重ねていけたらいいなぁ、と思っています。
そういう意味では、私の中では、マクロビオティックも、職業の音楽心理療法も、ドラミングも、霊気も、グリーフカウンセリングワークも、フラメンコも、ヨガも、友達も、家族も、他にも沢山、なにか芯のようなもので全てが繋がっているように感じてします。それらを深めていく過程が、私をホリスティック〔全体的〕に深く広くしていってくれるような感じです。
私はこの4月からマクロビオティックの料理教室に通い始めました。
私も友人たちと食の嗜好が合わなくなるのが怖かったり、自分らしさが失われるのが怖くて、お肉を食べたり、お酒を飲んだりしています。
何だか自分だけ違う世界に行ってしまうような怖さもあり・・・。
女性はマクロビオティックを比較的理解してくれますが、男性と話がどんどん噛み合わなくなるのも怖くて・・・。そんな中このブログを見つけました。
>自分が持っているエッジは、自分らしさ、は
食・体・精神が中庸で安定していることによって、
例えば口にするものの影響によって、体調や精神状態が無駄にふりまわされるのをおさえ、
他の事 プラス、食事スタイルも加えて 心と体をいい状態に保つことを強化できる事により、
より主体的に自分の思うように自分の持っているエッジを使えるのではないか?
特にこの部分が印象に残りました。私もこうなりたいなぁと思いました。
ありがとうございました。