想像力の病
想像している内容を心理的に実体験できない場合、
自分の攻撃を受ける相手の心の傷つきや、相手の痛みを想像することができない。
相手が「痛い。もうやめて。死にそう」 と言っているのを聞いても、
泣き叫んでいるのを聞いても
(正常心で以下を読んでもその感覚が理解できないかもしれないが、)
相手が生死の境をさまようほどまでに傷ついているのだ、という認識は出来ず
まぁちょっと痛がってる、あるいは痛いフリをしている、くらいにしか受け止められなくて
相手の痛みを、自分の過去経験した痛みと重ね合わせて想像する、ということも出来なくて
ーそもそも、自分の心で自分の五感が痛みで悲痛な叫び声をあげている、という自分の危機的状態に向かい合ったことがなかったら、痛みの概念すら分からないからしょうがない
何気なく、相手を痛めつけ続けられる。
相手が死んでしまっても、相手を殺してしまった、という認識がしっかりできず、自分がやったことに罪悪感も感じられなかったりする。
境界性人格障害と診断された人にかぎらず、、、どの人もかかりうる想像力の病のせいだ。
自分の無意識・意識層に存在している怒りを心理的に体験することを通して認識する、ということが出来ないまま、その怒りを行動化してしまう。しかし、そもそも想像力を使うことをしらないので、負傷したり地面に崩れ落ちている相手に対して何の感情もいだかない。
だからこそ、執拗に相手を攻撃できる。どんなに残酷なことも出来る。
ごめんね、と誤れば相手の傷は癒える、と勘違いできる。
この心理説明は、戦争という大きな現象から、いじめ、虐待、など個人の人間関係の説明にも当てはめられるとおもう。本当の自分は相手と友達になりたかったり、子供や親といい関係を築きたい、と思っているのに、リアル感情想像力欠如の「病」によって、本当の自分は望まない行動を自分が犯してしまい、本当の自分は望んでいない人生へと曲がっていってしまうのはやるせなさすぎる。
相手を思いやりなさい、という教育はされたけど
自分の気持ちをおもいやりなさい、という教育は私の子供のころはなかったな。