料理から感じたエネルギー
広島の大学で講義するのに、広島の実家に数日間滞在。
久しぶりに母親の手料理を口にしたら、すごくやさしいエネルギーだった。
いままでそんなこと感じたことがなかったのだけど。
自分がつくったお味噌汁とくらべて、なにかやわらかな感じのするお味噌汁だった。
材料は同じなのに。
不思議。
でも、こういうのは不思議でもなんでもなくって、調味料で味が変わるように、作り手によって、作り手の気持ちや体調によって、風味がかわる、というのは当然なのだろうな、とこうもはっきりとエネルギーの違いを感じさせられたら、そう確信せざるをえなかった。
だから、紙に書き落とせるレシピは秘密にしなくても、自分にしか出せない味は自分にしか出せない。
同じレシピを見てつくっても、作り手が違えば、作る季節が違えば、「明らか」に別物のお料理が出来る。
まぁ、そんなことに注意を払っていなければ、違いも気づかないだろう。
事実、私もこのたび母のお味噌汁をいただくまで、こんなにくっきり感じたことはなかったから。
ミュージックセラピーも同じ。
同じテクニックを用い、同じ理論をもっていても、セラピストによって、クライアントによって、内容は全くちがうものになる。
久しぶりに母親の手料理を口にしたら、すごくやさしいエネルギーだった。
いままでそんなこと感じたことがなかったのだけど。
自分がつくったお味噌汁とくらべて、なにかやわらかな感じのするお味噌汁だった。
材料は同じなのに。
不思議。
でも、こういうのは不思議でもなんでもなくって、調味料で味が変わるように、作り手によって、作り手の気持ちや体調によって、風味がかわる、というのは当然なのだろうな、とこうもはっきりとエネルギーの違いを感じさせられたら、そう確信せざるをえなかった。
だから、紙に書き落とせるレシピは秘密にしなくても、自分にしか出せない味は自分にしか出せない。
同じレシピを見てつくっても、作り手が違えば、作る季節が違えば、「明らか」に別物のお料理が出来る。
まぁ、そんなことに注意を払っていなければ、違いも気づかないだろう。
事実、私もこのたび母のお味噌汁をいただくまで、こんなにくっきり感じたことはなかったから。
ミュージックセラピーも同じ。
同じテクニックを用い、同じ理論をもっていても、セラピストによって、クライアントによって、内容は全くちがうものになる。
by totoatsuko
| 2010-02-15 21:41
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