兄としてのプライド
保育園でおままごとをやると、率先して赤ちゃん役になって、あぶー、と甘えたり、おっぱい飲ませて、と言ったりしてます。 と言われたので
えー、そうなんですか?家で次男がおっぱいだぁーと興味深々にしてるときでもそ知らぬ顔してるので意外です。
と言うと、
あー、それは兄としてのプライドがあるから、弟の前では出来ないんですよ、きっと。
と言われハッ、とした。
そこに兄弟がいる限り ライバルリー(兄弟間のライバル意識)は常に存在する。アドラーが唱えたsibling rivalryは知識として知っているし、音楽心理療法のクライアントの家族関係を分析し仮定を考えるときは使うけれど、自分自身の長男と次男の関係を見る時、この知識を反映させたことは無かった。
いかに知識と実生活の場が簡単に分離してしまい、それに気づかないでいられるか、というのを痛感。
そして、いかに彼の弟に対するプライドとも言われるが実は「見栄」が、彼自身の素直な心のニーズ=甘えたい、を満たそうとする本能的な行動を妨げているか、ボク甘えたいんだ、と弟の前では素直に言えなくさせているか、というのに気づかされた。