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理想化

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誰かを理想化する
誰かに理想化されてる

ちょっと危険なサインかも もしそれが自分の日常を占める”人間関係”の中で起こっていることなら。

キャーキャー言われて ちやほやされてて 喜んでる場合ではないかも
相手に 自分のニーズを満たすだけのために使われてるだけかもしれないから。

言葉通り 自分の ”理想” を 相手が持ってる要素を利用して 投影して
理想に出会えた と錯覚しているだけだから
ほんとうにあなたの事をよく よく よく知って 好き! 素晴らしい! と言っているわけではないかもしれない。

ありのままの相手と リアルなつながりを築いていく場合 
相手を ”理想化” しているスタンスでは うまくいかない。

相手の本質をみることに目をそむけているから。
自分の本質をオープンにせず、自分の心理的ニーズが編み出す ”自分の理想” と触れてるだけだから。

深いつながりは紡がれていない。

理想化した相手とは 大体のところ 
理想の人は自分の上に置き、自分はその人の下である という無意識が働いている。

対等ではない関係性には 必ず歪みや苦しさが生まれてくる。

アイドルグループにキャーキャー言ってる
アイドルに自分の理想を投影して楽しんでる分には害はないかもしれない。




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# by totoatsuko | 2016-11-18 10:30 | Comments(0)

自分に対する支配力を持たせない

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あの人がこう言った

自分はなんてダメな人間なんだろう
あんなひどい言い方して あの人のせいで 凄く傷ついて立ち直れない

そんな風に ”自分で” ”他者に投げかけられた言葉や価値観や態度を使って” 
自分をダメにしたり、自分の行動を制限しているのは ”自分” なのだ。


例えば
自分が深く信仰する神様が 言った言葉
親が言う言葉
小学生が 大人の自分に言う言葉では
自分の心の受け止めかたが全く違う。

全能の神がおっしゃられていること 親(その人の親との関係が反映されますが)が言う事・・・ と受け取るのと
まだ成長過程で他人の言葉を借りて言っている小学生の言葉 では 自分にとっての重みが違って当然だ。

それは、自分がその言葉に重みを与えているからなのだ。
自分が、どのくらいその人物から影響をうける状態に 自分がしているか、なのだ。

神は絶対だ、親のいう事は正しいものだ、等 無意識に相手を 自分の上においていて、
その上の立場の人が言う言葉は 自分を潰すような内容でも 真摯に受け取っている場合があり
結果 心が蝕まれたりしている。

同時に、みずしらずの小学生の言葉には、自分の中で何も重みを感じないから
単なる子どものつぶやき としてパーソナルには受け取らないでいられる。
無知が故に、未熟さがゆえに、そんなことが言えるんだね、と。

発言者が 神であろうが、小学生であろうが、上司であろうが、教師であろうが、親であろうが
その言葉を ”自分が病んでしまうような受け取り方をしない” 選択ができたら
心は少し楽になるかもしれない。

”その言葉が ”絶対” であるように その言葉に力を与えているのは 自分自身なのだときづけば
そんな受け止め方をする自分 を変える一歩を踏み出せるかもしれない。
自分の無意識の受け止め方のパターンを本質的に変えるのは大変な作業だが、
少なくとも セラピーの場では可能だ。

神の言葉であろうが、親の評価であろうが、上司のコメントであろうが、自分を病ませる方向で受け止めるべきではない。

その人はそのように受け止め、そういう言い方を自分にした。ピリオド。
その言葉を自分の中で反芻して、自分のムードをコントロールさせてるのは紛れもない自分である、ということ。

自分がとても大事に思っている相手からひどい言葉や評価を浴びせられたら
それはそれはものすごい打撃を受ける。当然だ。

自分の中で、相手の存在が大きければ大きいほど。
自分がそれまで 相手の言葉に価値を見出していればこそ。

だからといって、その人のすべての言葉に自分の心を翻弄させなくてもよいのではないか?
翻弄されたら、もしかしたらその言葉の内容に有益なものが含まれていたとしても
それらを抽出し自分なりに消化することなんてできないし、
よりよい自分になるためのチャンスだって失われてしまう。


無意識に 誰かの支配力を自分の中で増幅させてることがある。
自分を苦しめて張本人は、自分であること。自分で、他者に自分を支配させていること。
そういう事にきづいて、やめる事ができたら、自分の人生を自分の手に取り戻せるかもしれない
その変化の過程を完遂するのは とても大変なプロセスではあるけれど。



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# by totoatsuko | 2016-11-16 09:01 | Comments(0)

Music together 2017年 冬学期 代々木上原クラス

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Music together 2017年 冬学期 代々木上原クラスの日程詳細が決まりました。

場所:代々木上原駅付近
日時:日曜日 9時半~・ 10時半~ 各回45分セッション 
(日程の詳細は以下)計12回

1学期 参加費:29000円 
8か月以上のご兄弟 25000円 
(秋学期の教材1家庭1セット、マクロビ スナック付き)

ご両親、祖父母様の一緒の参加、歓迎です!

初日:1月8日
最終日:3月26日

今学期は、上記の期間でクラスがお休みの日曜日はありません。 

お問い合わせ・無料体験 お申込みは letsmusicingATgmail.com 灘田 まで。
(ATを@に置き換えてください)

Music together について過去の記事
単発ではなく学期を通して参加する理由

私が娘と参加したmusic together体験感想文

music together がいい! と思う理由

Music Together本部のHP



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# by totoatsuko | 2016-11-14 14:17 | Comments(0)

そよ風 か 突風 か

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ある出来事があったとき、
自分は突風に吹き飛ばされ、居た場所から離れざるをえず、風に翻弄されてる紙屑のように感じるか
同じ出来事を そよ風 程度に感じ、自分の在り様が大きく風に影響されな岩のような安定感を感じるか

それは自分の心の在り様が

紙屑のような軽くて薄くてもろいのか 
大きな岩のように 頑丈で重みがあって質感があるものか 

という風に例えることができる。

それを困難 と感じるか ちっぽけなもの と感じるか。

それは、自分の心の在り様しだいなのだ。

ある事で、大慌てしたり、自分や相手をひどくせめて取り乱したりしているときは
当然 その出来事が自分に手におえないスケールのものだから。紙屑にとっては おおごとだ。

でも、同じことが起きても、自分に本当の意味での自信があったり、自分の器が十分なおおきさだったら
おおらかに 自分の世界をかき乱されることなく 対処することができる。
岩はちょっとやそっとの自然災害では壊れないし動かされない。

同じ処理能力や経験値や知識があっても
心が不安定だったら 自分が持っているものを十分に利用できず 実力を発揮できないだけでなく
自ら嵐に巻き込まれていく選択をしていく場合もある。

自己肯定感 self- affirmation 
自尊心 self-esteem

そういう要素が自分の中で成熟しつづけることは、
自分を生きやすくしてくれる。

生きていると、次々と新たな困難がふりかかってくる。

自分のそれまで培ってきた自己肯定感や 自尊心 は、その都度 挑戦を受け、試される。

初めてのタイプの風は嵐のように感じ 翻弄されるかもしれない、持ちこたえる事ができるかもしれない・
様々な心の揺れ を”経験”し そこから ”自分の今の状態” を学び、心を成熟させ続ける事ができたら
大抵の事は そよ風 に感じられる心への成熟させる事ができるのではないだろうか。


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# by totoatsuko | 2016-11-14 14:09 | Comments(0)

大事なものは ”所有しない”

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When you like a flower, you just pluck it.
When you love a flower, you water it daily. ~ Buddha

あなたが 花が好きな時 あなたは その花を摘む
あなたが 花を愛する時 あなたは その花に毎日水をやる ~仏陀


なるほど、
道を歩いていて、あ、この花きれい~ と思って
その花が生きている、根を張っている場所から摘みとって ”自分の手元に少しの間でも置こうとする” とき
その花がそこにあり続けられることで、その花が摘み取るよりもより長く生き続け、
花が枯れてからも、その花の種が土に落ち、次の芽に繋がってい事や
その花がそこにあり続けることで、蜜を虫たちに与え、自分以外の道行く人達の心を和ませる事が出来る
という風には考えていない。

その花が、”美しく咲いているその瞬間” が好きなだけ。

本当にその花を愛するのであれば、
その花を ”自分の所有物” にするのではなく
自分がその花の所に行き、日々水を与え、その成長をはぐくみ、
その変化を追っていく事に喜びを感じることが出来るかもしれない。


無意識に、自分の子どもを 自分の”所有物” のように扱い 
無意識に、子どもの成長や 変化 自分から離れていく ”自立” を妨げているケースがある。

親子関係だけでなく、夫婦や、同僚、友好関係でも そういう現象は起きている。

花(人)を摘み取っても、本質的にその花の美しさを ”所有” することは出来ない。
花(人)は、ずっと同じ状態にはいられず、変化する。
一瞬の刹那でもいいから 花(人)を自分のものにしてそばにおくことで 自分をいい気分にさせよう
そんな風に花(人)に対して思っていたら
次から次へと、咲いた花(自分にとって美しいひと、都合のいい人)を とっかえひきかえしないと
自分はいい気分を保てない。 

なんて、周りの状況に振り回される不安定で壊れやすい心の状態なんだろう。
そして、もう美しくなくなった花(人)には用はなくて、捨てる、ゴミ箱に。
なんて、残酷なんだろう。 
そういう事に心が痛まない というのは 無意識の内に、どこかの感情のスウィッチがoff になっているからこそ可能なのかもしれない。そうなっているかどうかは、無意識だったら気づくすべもないけれど。

対象を愛しているならば、自分にとってとても大事な存在なら
”所有しようとせず” 対象物のboundary (境界線や領域)を侵略せず、
尊重し、見守り、育み、寄り添うことで その大事な対象と長く深く豊かな関係を築くことを楽しんでいけるはずだ。



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# by totoatsuko | 2016-11-08 14:33 | Comments(0)

広島東洋カープ

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少し前の1週間は、広島東洋カープのリーグ優勝、最後の決勝戦について、
子ども達と、広島にいる家族、親族、友人と一喜一憂しました。
いつもと比べ物にならないくらい電話を頻繁にしてた、試合状況とか、カープのこれまでの話、とか。

私は別に、そんなに熱烈なカープファンでも野球ファンでもないのに愛着はあります、カープに。
他の球団とは全く違う歴史を持っているんだ、カープは私の祖父母世代からの人々と共に歩んだんだ、という誇りのようなものがなんとなくありました、なんにも知らないくせに、その戦後の時代を生きたわけでもないのに。 子どもの頃は、祖父の家にいけば、いつもカープの試合がTVに映っていました。

自分の子どもが野球をするようになって初めてのカープの盛り上がり。
いまさらながら カープ物語、という漫画や、カープの初期の裏話を集めた本を子どもと一緒に読んで、
本当に文字通り胸が痛くなりました、泣きました。戦後、広島の人達がどんな思いでカープを育ててきたか、カープと共に歩んできたか、というのを知って。

一つ一つのエピソードに胸がいっぱいになりました。
なにがカープたらしめているか、何が決定的に残りの他の球団と違うのか
それを知ることで、カープについてもっともっと見えてくるものがあったし
日本の野球という歴史を、その視点で見る事もできました。

あの時代にお金もない、主要スポンサー企業もないカープという市民球団で野球をする、
という悲哀と喜び。
人々の悲しみや辛さを思うと涙がとまらないし
そんな怒りや苦しみが沢山あるなかで経験する 
一種の光のような希望や歓喜には 涙が止まらないほどの喜びで胸がいっぱいになる

一生懸命がんばって 結果がだせてよかった
いびられても 意地悪されても 理不尽な事がいっぱいあっても 負けなかった 潰れなかった

漫画の中で、カープが設立して30年目にして初優勝して、広島市内の大通りをパレードしているシーンがあるのだけど、沿道の人達が遺影を掲げてる。 ほんとうに、見せてあげたかったんだよな、カープの苦節をしっている、もう一足先に逝った人と一緒に喜びたかったよね、そう思うと涙が止まりませんでした。 遺影なんか掲げたって、その人が見える訳じゃないんだけれど、でも、一緒に観てる喜んでる気持ちになれる、それが重要なんだ、って。カープありがとう、カープおめでとう、 そういう気持ちが、とても深い所に入ってきました。

ものすごく頑張って、ものすごく頑張って ものすごく耐えて
やっと やっと欲しいものに近づいていった 手に入った その喜びは
自分がそれに対して心底から本気にとりくんだ その過程があるからこそ 
感動的特別なもので、はかりしれないもの。 

原爆が落とされ、風評被害があり、焼け野原になったあの地で、人々が復興にがむしゃらになり、未来の平和な日々を願って生きていた時代。その過程が一つの球団を通した視点で知ることができます。

Life is sometimes deadly tough,
but that's why the happiness is felt so beautiful and touching.

読み終えてそう思いました。


本当は私はもう80歳後半で、どうやって人生を閉じるかを感じて生きているはずなんだけど
なぜか奇跡的に神様が数十年若返らせてくれて この年齢の体と時間をくれている、
今 この時が そんな自分にとって奇跡のような時間である、という設定で ”今” を捉えたら
自分が本当に大事にしたいことを本当に大事にしながら大事な人達と共に生きたていきたいし、大事な事を守っていきたい、と思うのです。


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# by totoatsuko | 2016-11-03 15:52 | Comments(0)

過去は変えられる

d0065558_1331064.jpg例えば
高校生くらいの時に、すっごい好きな人がいてその人への自分の思いとか、その人が言った言葉とか、色々心に残る。自分の感覚のほとんどがそこに向かっているような経験。

その後、年月がたち、ずっと”あの時”の自分や相手にまつわる記憶を
甘い気持ちで時々思いおこしているとして

仮に、相手がある日犯罪者としてTVに映っていて
自分が彼と交流があった時の余罪もあることを知ってしまったら
その思い出の自分にとっての意味や存在は一変してしまうだろう。

ただ、高校生の時に大好きだった人、という美しい所だけを思い出す事はもう出来ない。
その人のそういう現在の出来事を知った以上、
どんなにその部分だけ排除して思い出そうとしたって
大好きだった今は犯罪者の人、という風に色づいたことには変わりない
とても悲しいことだけど。

何があったのだろう、その後。
あの頃には、すでに心をやんでいたんだろうか?
私にとってはスペシャルな時間だったけれど、彼には別の思惑があったのだろうか?



逆に
最悪な経験をして
それは、例えば 戦場に行ってPTSDを患うような破壊的な経験とか、
パートナーや家族からのDVやアビュースとか

そういうことによる悪夢にうなされ続けるような日々を過ごしていても
”その後の生き方” や、その経験について ”新たな解釈や”理解” が生まれたとき
ただ辛かった という経験にその後の未来に起こった何かが付着して思い出される時、
あるいは、ただただ辛かった経験にその後の経験が”ブレンド”されて思い出されるようになった時

自分の中でのその過去の経験の意味は一変し
今の自分、これからの未来の自分 の生きる感覚は変わる。


未来は、現在は、”自分の中に保存されている過去” を変える力を持っている、よくもわるくも。

過去に戻って過去を操作する、というのは、とりあえず 今の人間の力ではできない。
だけど ”自分の中に保存している過去” を変えられる ということに気づいて実行できたら
いま苦しんでる自分 から 抜けられる。

”自分の中に保存している過去” が変わる
って、愕然とするほど、自分に大きなインパクトをもたらす。

現実に過去を操作できなくても、
自分の中で、過去の出来事の意味が変わるのだから
もう、同じ過去として思いだされることはないし
もう今までと同じように自分の状態に影響力を及し続けることはない。


自分の中の保存している過去にたいする解釈や理解が変わる
というのは、音楽心理療法、GIM(Guided imagery and music) のプロセスでも
よく経験されることだ、より healthy に 穏やかに生きれる自分になっていく変容のプロセスの中で。



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# by totoatsuko | 2016-11-01 09:47 | Comments(0)

ベジタリアンに対する人々の印象の変化

d0065558_1321735.jpg先日、ある集まりで ベジタリアン、というか、ヴィーガン、というか マクロビなんです
と自分の事を言うと、意外な反応をされました。

因みに、何故3回も言いかえたかというと、
今の所、私個人の日本での経験では、
ベジタリアン という単語が あ~お肉食べない人ね と瞬時に思う人の数が一番多くて
割と一般に浸透している単語

ヴィーガン という単語は それよりちょっと知ってる人が少ない単語で 
その単語の意味を知ってる人だと、ベジタリアン + 乳製品も取らない人ね と理解する。

マクロビ という単語を正しく理解して反応する人は、
実際マクロビな生活をしている人以外ではどとんど出会った事なくて、

マクロビってヴィーガン + 白砂糖、化学添加物等もとらない人ね 
と理解する人もいれば(厳密にマクロビは、その哲学を理解している、というのが重要なのですが)

なんかよくわからないけど オーガニックで健康的な食事してるんだよね あるいは
雑誌でよく特集してるやつだよね ベジタリアンと違いわかんないけど 

という感じの反応受ける事が多いです。


なので、相手との関係の種類や反応をみながら、
必要に応じて自分が嫌な気持ちにならない程度に食のスタイルについて開示します。



今回、マクロビなの、と言うと、(ポジティブな感じで)「じゃ、玄米なんですか?」 という感じで、そこにいた人の8割くらいがマクロという言葉に食いついてきて、日本も変わってきたんだなぁ、とすごく感じました。人によっては雑誌とかで取り上げられてオシャレなイメージが付着していたり、食についての本が売れてるからなんでしょうか?より多くの人が、食の安全性や食と病気への関連性に対して意識がたかまってきているからなのでしょうか・・・ 

10年前、ベジ、ビーガン、マクロビ、なんて言葉、私の周りで知らない人多かったし、
そのことについて何も知らない+何等かの思い込みがゆえに、すっごいネガティブな反応や攻撃的な反応をする人が多かったです。それは不健康な食事だ、と思ってる人が食や栄養学の専門職の人の間でもいたので、先日、一般の人のグループの中で世間話ついでに出た食の話で、総じてポジティブな反応をされたとき、時代の変化を感じました。


食生活は、ライフスタイルやその人の生き方や価値観を反映してる、と私は思っているから
短絡的に、どういうカテゴリーの食生活をしてるから いい 悪い なんて そもそも軽薄に他人がコメントできるものではないし、そのスタイルを冒涜するようなことは、人権侵害や女性蔑視、と同じような感覚だと思っている。何を食べていようと、同じ人間であることに変わりはないのだけれど。

ベジ、ヴィーガン、マクロビ、という言葉に対して ”アレルギー反応” が少なくなり、
それによって ”攻撃” されたり、”別人種” として悪い印象を持たれる風潮が薄れていっているのか、雑誌などによって”つくられたイメージ”のよる、単に表層の現象なのか・・・

それは実際のところ分からないけれど
相手が自分の主義や信念と違う、というだけで、
相手のことを”知らない” というだけで、
自分の中の恐れや、刺激された無意識い持っている劣等感や罪悪感を刺激されたからといって
自分の心の問題を相手に投影して
相手を攻撃したり批判したりするような現象がおきなければいいのに、
と心から思います。

少なくとも、そういう人達の心理的ニーズとして選ばれる攻撃対象が ベジタリアン などの方にはあまりいかなくなってきたのでしょうけれど、何かの理由をつけて人を卑下したり攻撃することをやめられない心理構造の人だと、どのみち、別の攻撃対象や攻撃理由をいとも簡単にみつけて、まことしやかに騒ぐのですけれど。。。


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# by totoatsuko | 2016-11-01 08:36 | Comments(0)

近しい関係の捉え方

d0065558_1342629.jpg例えば「夫婦」って、
同じ家に住んでることが多くて、
多くの事を共有してることが多くて、
何年もずっと一緒にいたりする。

それで、相手に対して、あるいは相手に接する自分に対して
知らないうちに ものすごく視野が狭くなってることってあるんじゃないかな、とふと思いました。

そして、印象派の画家たちの中でも スーレやシスレーの点描画のいくつかを思い浮かべました。
初めて彼らの絵を見たときうけた衝撃は忘れられません。

点描画は、誤解を恐れずざっくり言えば、筆で塗る、というより、筆の先をつかって無数の点を重ねて色合い風合いを出しています。

遠くからみたら、例えば、絵から10歩下がってみたらその小さな点をほとんど感じず、
絵全体の風合いや構図の印象をまず感じるのだけれど、
絵から2歩下がったところでは、無数の点がくっきりみえるけれど、全体像は見えにくい。

青空、青い空、に見えていたのが、
近づいてい見たら、青以外の、黄緑とか、オレンジに近い色のドットですらキャンバスにのせられていることに気づきます。青空の構成物の一部が、暖色のドットだなんて。いいかえれば、あの青空のテクスチャーを作るには、あの暖色のドットが必要だなんて、、、近くに行ってみないと知りえないことでした。

言い方を変えれば、
近くだけでその絵を見ていたら、いろんな色のドットに目がいって、全体像をとらえられないから
遠くからその絵を見て感じる 「きれいな青空だな」 という印象は 持てない、という事になります。

近くからも遠くからも見たうえで、
ああ、この青空は、実はあんなふうな構成色なんだ、と分かって上でみると、
絵の感じ方が 全く変わります。


夫婦でいると、そんな感じで、
この家族の中の夫と妻、という なんていうか 自分で勝手に決めた距離感からしか相手も自分の事も捉えてなくて、でも、その事自体にも気づいていない事によって、自ら苦しさや誤解を生んでいる場合もあるんじゃないかな、と感じたのでした。

結婚している2人 といえど
その2人をとりまく状況は刻々と変わっているし 
(例えば、子どもが生まれる、とか、両親との距離の変化とか)
個々人の状況もかわってる (仕事が変わる、とか、体調や年齢、感性の変化とか)

必要に応じて、絵を鑑賞するように
自由に自分で”視点”を変えて、時に遠くからビックピクチャーで、
時に近くから細部を、
時に異なる角度から異なる光を当てて

相手の事や、自分たちの事や、その関係の中にいる自分自身のことを捉える事をしながら、いろんな距離感をなかで自由に動きながらその関係を生きる事ができたら、今とは違う風に相手を、相手との関係をとらえたり、新に作っていく事ができるんじゃないか、と思いました。

夫婦、と例として利用して書いてみましたが、
どんな関係にも応用して捉えてみることができると思います。



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# by totoatsuko | 2016-10-31 14:58 | Comments(0)

日常からちょっとスピンオフした過ごし方をする

d0065558_14200706.jpg
フラメンコの本番が終わった。
なんだかいい夜の過ごし方をした。

夕方5時前に場所入りし、リハーサルをへて、本番が1部2部。
夜10時半ころショーが終わり、急いで汗にまみれた衣装をスーツケースに押し込み
そのままお店でショーを見に来てくれたお客さんと飲んで喋って
時計の針が真夜中をすぎて半周したころで家の最寄駅についた。

本番の高揚感と、その特別な時間が終わった感覚を まだベットに入って眠ることで終わらせたくなかった。
疲労感を感じなかった、当日を迎えるまでいつもやらない量の練習をしてヘトヘトになっていたのに。

そのままガラガラとスーツケースをひきづって近くのカフェバーに入ると
お店の人が、スーツケースお預かりします、と自然に転がしていった先には、大小5つくらいスーツケースがおいてある。私以外にも沢山の荷物を抱えて出かけた人達がこの場にこの時間に集っている、という事にすこし驚く。

禁煙の席を案内してもらい、
お店の人がフード、ドリンク、デザート、三冊のメニューを持ってきて説明しているときには
すでに赤ワインをグラスで頼むことはすでに決まっていたのだけど
今日のリハーサルの時から家から持って出ればよかった、と少し後悔していた小説をはやく読み始めたくなって
イタリアワインを注文してから、「ちょっと荷物をおいてきます」とお店の人に伝えて、
並べられたスーツケースの中から自分の小さな青いケースをひっぱり、ゴロゴロと転がして横断歩道を渡る。

帰宅したら
玄関だけ電気がついていて、子ども達からメッセージが書かれているホワイトボードが真ん中においてあった。

”おかえり。 フラメンコたのしかった? お風呂にお湯入ってるよ。
はやくあいたいね!
ママが帰ってくるころ たぶん起きてるよ。いっかい部屋にきてみてみて寝てたら
またあしたおきてたらこえかけてね!!
大大大大大大好き!”

子どもたち・・・ 
彼らがぺちゃくちゃと喋りながら寝支度をする風景が思い浮かぶ。

ありがとう。
私を応援してくれて、気遣ってくれて、思ってくれて、愛してくれて。
ほんとうにありがとう。

心がじわっと熱をもっていくのを感じながら
汗臭いしめった衣装を無造作に椅子の背もたれにかけ、
数か月前に図書館で予約していて、数日前にやっと届いた小説を机からとり上げる。
本番が終わったら読もう、と心にきめていた。

真夜中なのに意外に暖かったので着ていた皮ジャンを脱いで、
斜めまえについているジャガード織のバルーンスカートのポケットに携帯と財布をつっこんで
本を小脇にかかえて ゆっくりとカフェバーにむかう。

一端帰宅したらもう出たくなくなるかな、というのは杞憂だった。

オフホワイトのハイネックの薄いニット 
半袖から出ている腕に気持ちよい風があたる
少し高めのヒールの靴がなだらかな下り坂のアスファルトの上できゅっきゅっ となる。

ふたたびもともと案内されていた薄暗い店内のソファーに腰を下ろしたと同時にボーイがきて、
すでにテーブルに用意してあったワイングラスに赤ワインを注ぐ。

天井の高い店内
左隣には パソコンをパチパチ叩いて仕事しながら 本格的に食事をしている人
右ふたつテーブル向こうには T-シャツのサンプルをお店の人に見せながら熱心に話をしてる人
会話がはずんでいる華やかな女性たち
昼間にはない空気がお店に漂っている。

そして、私も今夜は その風景の一部であるのだ。

ほぼ毎日通り過ぎてるお店
まだ日が明るい時に入ったことがあるお店
ものすごく日常に近い場所なんだけど 日常からすごく遠い時間の過ごし方。
時間が真夜中をすぎると 街も、交差点も、お店も全然ちがう匂いだし 
”この時間にこのお店で読書している私”も 私が初めて体験する ”私” だった。

すぐそこには、私を思って眠りについた子ども達がすやすやと眠っていて
少し前には、アーティスト達の”瞬間”に繰り出されるエネルギーの刹那の中で踊っていた私がいて
その中間に真夜中にテーブルのろうそくがゆれるお店で読書している私がいる。
もう少ししたら、私は日常に帰る。

あと数時間したら、空が白みはじめ、子ども達が起きてきて、朝ごはんを作るという日常があたりまえに始まる。

そんなことをぼんやり考えながら、本を読み始めると引き込まれていき、
改めて この異空間、異時間に、小説という異次元に身をゆだねられることを甘受する。

小説にはアーティストなど、自分の体験を重ねられる人物が複数おり、なつかしい土地がでてくる。
彼らの心の細かいひだや揺れ、街の風景に、自分自身を放りだす。

ストーリーに自分をただ浸透させる、その無力感、その感覚は好き。

お店の閉店時間が近づいてきたけれど小説はどんどん展開していく。
区切りのいいところでお店をでて、また夜風にあたりながら短い距離を歩く。
そして、子ども達の寝顔をみてから、もう随分ぬるくなっている子どもたちが私のためにいれておいてくれた湯船に熱いお湯を足して体を沈める。

私の将来に こんな夜の数時間があるなんて 想像したことなかった。
フラメンコの本番、子ども達からの心があったまるメッセージ、小説とワイン、真夜中の空気 
全部ひっくるめて私の感情をゆさぶったもの。

過去のいろんな事の出来事の重なりが 重なって重なって重なって起きた
偶然であり必然でもある 今日の陽が落ちてから朝になるまでの出来事と時間。

日常から ほんの数ミリ外に出る事は なかなか難しい
子どもを育てていると 私は自分できめた優先順位は 基本変えない。
だけど、本番、 とか、そういう外的きっかけがあって、それに合わせなければならない時
友人たちの協力を得て 自分が日常やらない自分を生きられるような段取りをする。

海外に旅行に行く、という感じの、ガツン と日常から離れるのではなく
すぐそこ に日常を感じながら 確実に日常ではない自分を生きている時間は
なんとも甘美で贅沢にかんじられた。

小説の続きが早く読みたくて
ソファーにふわふわの掛布団を持ち込んで、あったかい紅茶を淹れて、続きに没頭する。
布団と自分の体のまわりの空気があったまって、やさしい空気に包まれて心地いい。
しばらくすると眠気と心地よい疲労をかんじて、朝までの数時間を寝る事にする。

朝ごはんを作って子ども達を送り出したら、夕方までは何も予定を入れていない。
昼前には小説を読み終えることができるだろう。
残りのページが少なくなっているのが残念でならない。

本を読み終え、衣装など諸々を片づけたりしていたら、すぐ夕方になる。
このふわふわとした時間の過ごし方と あやふやな自分のアイデンティティーの感覚ともまたしばらくさよならだ。

そうしたら、当たり前に同じことが繰り返される日常をまた積み重ねていく。
このかけがえのない満たされた日常があるからこそ 
すこしそこからスピンアウトした時間の過ごし方をきらめきに感じ 
こんな風に人生が歩めていることに心から感謝する。




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# by totoatsuko | 2016-10-18 09:27 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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