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大いなるもの と 現実 のはざまで

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霊感がある人にしか見えないもの 聞こえないものがあるらしい
凡人には分からない何かがあるらしい

それは何だか神聖で、汚したり、疑ったりしてはいけないもの
そうしたくなる気持ちすら その神聖さ、その絶対性が理解できない未熟さゆえ
と切り捨てられるような気持ちになる人もいる

確かに ”おおいなるもの” の力や叡智は 
私たちの ”認知している現実” をはるかに超えるもののようだ。

しかし、だからと言って、それが理解できなかったり 繋がれないからといって 
霊感のある人の言葉に 責められてるように 感じる必要はない。

人によって、
霊感のある人は あなたは天から授けられた使命をまだ分かっていない、精進がたりない
というような言い方をする (そしてお布施を請求したり・・・)その人が ”精進”するための手助けなどせず、大いなるものの声とやらのメッセージだけを伝えてくる。

しかし、それだけでは、日々を懸命に生きている人の助けにはならない。

この話を聞いたとき、音楽心理療法であつかう ”無意識” と ”意識” の距離の遠さに重ねた。
音楽やアートを通して、自分の ”無意識” の声を
紙という平面や、粘土という立体や、音という形にならないものにしてとらえる。

その作業体験は、
神の声をきいたような印象だったり
まったく無知だった事へのきづきだったりする

ははぁ とひれ伏したくなるような体験だったり
拒絶したくなるようなおぞましい真実だったりする

これは、理性にとっては  
毎日 毎日 目覚めて、ごはんをたべて、排せつをして、着替えて、掃除をして、人間関係に苦しみ、くだらないことで大笑いをし、歯磨きをして、床に就く、そんな現実を生きている理性にとっては なにか遠くのこと、神聖なる領域で起こっている事 触れられない 近づけない 自分とは遠いところで起こっているもの 自分との関連性をかんじられないもの
であったりする。

だから、専門家である音楽心理療法士が、その溝をギャップを埋め、無意識と意識をつなげるルートづくりを促す事で、その無意識の領域、おおいなるもの が 自分の一部であることを実感できるようになるプロセスを手伝い、その人の”感じられる範囲” を広げる。

疲れてるとき
悲しいとき
辛いとき

なにか大いなるものの声を聴きとってくれる人の所に行って
将来はどうなる と予言してもらったり 
この先に起こる これよりひどくならない何か確実なものを約束されたい 
誰かに守られ 導いてもらいたい 寄りかかりたいと感じるかもしれない。

それは、とても助けになる。

しかし 誰かが言う”お告げ”は、お告げでしかない。
どんなに 美しくパワフルな言葉で語られていても。

リアルに今感じている痛みを 実際の所どう扱うのか、どう溶かしていき 変容させていくのか
その ”プロセス” を手助けはしてくれない場合がある。

ただ お告げを信じて 今の痛みから目をそらして 気を紛らわして では
根本の所の変容には向かない。

心理療法で自分の無意識と対話するプロセスでは自分のなかに実は存在している。 
おおいなるもの との繋がりを感じる力をはぐくみ
自らその声に耳をかたむけ ききとり
自分で自分を導いていくことができるようなプロセス起こりうる。 




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# by totoatsuko | 2017-03-07 17:22 | Comments(0)

Music together 2017年 春学期 代々木上原クラス

d0065558_14115646.jpgMusic together 2017年 春学期 代々木上原クラスの日程詳細が決まりました。

場所:代々木上原駅付近
日時:日曜日 10時半~ 各回45分セッション 
(日程の詳細は以下)計12回

1学期 参加費:29000円 
8か月以上のご兄弟 25000円 
(秋学期の教材1家庭1セット、マクロビ スナック付き)

初日:4月2日
最終日:6月25日

注)今期は少しイレギュラーな日にちと時間があります。
上記の期間でお休みの日曜日 5月7日、14日。
5月7日の代替日として5月4日(金)9時半~ 
5月21日(日)、6月11日(日)の時間は16時~ 



お問い合わせ・無料体験 お申込みは letsmusicingATgmail.com 灘田 まで。
(ATを@に置き換えてください)

Music together について過去の記事
単発ではなく学期を通して参加する理由

私が娘と参加したmusic together体験感想文

music together がいい! と思う理由

Music Together本部のHP



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# by totoatsuko | 2017-03-07 16:58 | Comments(0)

黙ることで生き残れた

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口をとざして、自分の感情を感じる事に封をすることによって
子供時代をサバイヴすることを学んだ人にとっては、
自分のオリジナルな声をつかって ”自由に歌う” ということは、とても困難な場合が多い。

自分の意見を言うと自分より強いものは上の立場の人から攻撃され、脅される環境で
自分を持たない
自分を押し殺す 
ことを学ぶ。

そして、その学習した おかしな世界、いびつな関係を ”生き抜く方法” を
もう使わなくなくても ”普通に生きられる” ほど年齢的に成長しても
わざわざ おかしな関係を再現できる人を ”自ら選び”
過去に修得した ”自分を押し殺して生きぬく方法” をつかって生きる事に 
無意識に固執している。

そして、心の血は流れ続けている。

ただ、慣れているから それしか 生き方 人との関わり方 を知らないから
という理由だけで 自分が傷つく生き方を続ける。


音楽心理療法の過程では 声をだす、すきなようにうたうことがある。

内なる声 自分の意見 を押し殺したり
感じる事 考える事 をやめた人にとって
”自分の声” を見つける というプロジェクトに取り組むこと それ自体 避けたい気持ちになる。

自分の声を発する = 死ぬ (殺される)~恐怖・不安・絶望

という概念が 心の向かい所に植え付けられ、大木となって心をおおっているからだ。

だからこそ、音楽心理療法の声をつかうアプローチがその傷を見出す過程を可能にし、
その傷を癒していくプロセスを可能にするのだ。

言葉だけのカウンセリングでは なかなか到達できない 深い変容
死と再生 のプロセスだ。

毎日死んでいくように生きる のではなく
”新しい生き方をするために” ”ちゃんと死ぬ” プロセスが必要なのだ。

それは ものすごく痛い ものすごく辛い
生きてるフリが出来ないほど 自分の中の大事にしていたものが死んでいくプロセスを感じるから。
だからこそ、ちゃんと 自分を悩ます部分が ”ちゃんと死んでいき” ”新しいものに生まれ変わる”プロセスを歩き、見届ける事ができるのだ。




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# by totoatsuko | 2017-02-26 13:55 | Comments(0)

寝込んで改めて思ったこと

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少し前の久々の体調絶不調で改めて

ある日体調崩して寝込んで、
自分は辛い、
パートナーが自分の世話をしてくれず子供の世話ばっかりしてる、
と怒っている 病人の言いぐさがいかにナンセンスか、というのを感じた。

日ごろから家事育児にほとんど参加してない人が
病気になって家にずっといて重い空気を発している。
その存在を感じながら、パートナーはワンオペで子どもの相手をし世話をしながら
ゆっくり寝てられる環境つくってくれている。
この事が、物凄くありがたいことだとは思えないようだ。

子どもたちが私を気遣って、できるだけ自分たちでやってくれてる様子
子供たちが自分たちだけでおさまらず、寝てる近くで大ゲンカが始まり発狂しそうになったとき
病人にとって 静かに寝させてもらえる環境をシンプルに提供してもらえるだけで
本当にありがたいことだと思った。

子どもたちの、彼らができる限りの思いやりの行動(とりあえず、自分たちで全てやってみる)、
気遣いを感じて感謝した。

高熱でフラフラしてても、水や薬くらい自分で取りに行って飲めるし
何か食べるものが必要なら、冷蔵庫にあるものや、フルーツなど、自分でできる範囲で摂取するくらい、体調悪い中で子どもの世話をするのと比べたら、大したタスクじゃない。なにも、手の込んだ病人食を誰かに作ってもらわなくっても、療養でき回復できる。

おおきな大人がそんなことに思いをはせられないのは 
体調不良のせいではなく 生きてきた中で
パートナーや家族とのかかわり方について、
愛 について、何か勘違いして誤学習してしまっているからか。

小さい子供を育ててるときは、
夫婦の片方が病気になるのは大きな痛手で、
それを、どう家族として夫婦として子育てチームとして乗り切るか、
という協力体制を考えるのが効率的であり必然的。

体調が悪くて辛い思いをしている自分をパートナーが構ってくれない
と文句を言うのは、自分が家族の一員で、幼児を育てているチームの一員である、
という自覚がないから言えるのだろうし、
チームメンバーとして振る舞うつもりもないんだな、と思う。

体調が悪い時だけ家族の元に帰ってきて、
赤ちゃんがえりして、世話や思いやりの気持ちを要求するのはお門違いで、
(家族ってそんなものじゃない)
もしそういう時だけ優しくしてほしいのなら
そういう種類の関係や関わりが専門の所や人の所に行けばいい

都合のいい時だけ自分もチームメンバーだ、という風にアピールする姿には
背中がぞっとするような不気味さを感じる。

困難に立ち向かうとき、チームは一丸とならないと切り抜けられない。

この家族のチームメンバーであること が自分にとって大事で、
自分にとって家族が、チームメンバーが大事な存在なら、
その気持ちと矛盾がない言動ができる自分になるために 自分の心と向かい合う必要がある。




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# by totoatsuko | 2017-02-25 13:38 | Comments(0)

家事はマルチタスク

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最後に発熱したのはいつだったか・・・
友人によると、5年くらい前だそうだけど、自分は覚えていない。

とにかく、久しぶりにダウンして、風邪のもろもろの症状が苦しくて辛くて
薬を飲んで布団にくるまってすごした20時間くらい。

子どもたちが台所のほうで大ゲンカをしながら食事のことをやっていたりするのがきこえてきて
うんざりしながらも何かひとこと言うエネルギーもなく。

それから熱もさがり、かろうじて食事をつくる事はできるようになっても
なんだかフラフラ ぼーっとしていて 本調子でない自分のからだだったのがその数日間
結構ながかった。

やっと9割がた調子が戻り、
何かと無理してやらなきゃいけない事をやっていた過去数日を振り返り
今日は ”家のこと” を時間を気にせずやる日にしてみた。

子どもの新学期に向けて記入するものとか、もろもろ もろもろ
何か一つやってると 次のことが思い浮かび 同時進行で料理をしていたり
つくづく家事はマルチタスクだ と思う。
一つ一つを終わらせてから次に取り掛かっていてはすごく効率が悪い業務だ。

時間を気にせず、流れるままに、とりあえず気にかかっていた”緊急ではない”要件を片付けていき
家の中がすっきりしていくのは なんだかとても気持ちよかった。

家の事をしながら 子どもとの日々の出来事で感じている事を 
時間をかけてその感情とも向かいあう時間にもなった。

毎日時間はすぎていって
子どもは日々成長していって
いま という時間は二度ともどらない。

こうして すこし立ち止まって家の中で一人で家のためにいろいろやりながら過ごせた時間が
今回の体調不良から得ることができた、ということか。



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# by totoatsuko | 2017-02-10 13:08 | Comments(0)

心理療法で起こることのたとえ話

d0065558_15185984.jpg音楽心理療法では、意識の上で把握している 
なにかもやもやした感じ 
うまくいってない感じ
生きづらさ
本当はやりたくないのにそれをやめられない自分

そういう ”言語化された” 問題意識について
セラピストの助けを借りて
色にしてみたり 音にしてみたり ストーリーのあるイメージに転換してみたりします。

描いたもの 出した音 見たイメージ は
自分の意識で把握してなかった事実 (感情、認めたくない自分の側面、複雑にこんがらがったもの、等)
の宝庫です。

「わ、それって凄い怖い。それを見るのって凄い勇気がいる。」

そうなんです。
見ないようにしてきた自分の側面をみて、それを乗り越えて 新しい自分をうみだすには 
痛みを伴うことが多々あります。

しかも、見たからって 知ったからって、どうなるっていうの? という質問に
今日はこう応えていました。

夜はカレーじゃなきゃダメだ。
子どもやパートナーもカレーが食べたいって言ってたし。
そうやって、”あるべき夫婦の姿” ”あるべき家族の在り方” というのを料理しようと頑張っているのかもしれません。

そして、一生懸命毎日料理してるのに、自分はなんだかうまく料理が出来てないように感じています。
家族も自分がつくったカレーをおいしいと言って食べてくれてるようには自分は感じてない気がします。
それでも、カレーが食べたいと言われているので、毎日頑張ってつくっています。

そこで、例え、ですが、心理療法で、自分の冷蔵庫や貯蔵庫にはいっている食材や
カレーを作っているときに使っている食材について ”絵をかいて” みます。

そして、何も考えず、手持ちの食材の絵をとにかくイメージしてかいてみたら
結果的に、描かれた絵は、ゴボウと糸こんにゃくとシイタケだった。

自分は カレーを作ってるとき 玉ねぎとジャガイモと人参を使ってるとおもったのに
それは単なる”思い込み” で、ゴボウと糸こんにゃくとシイタケを煮てカレールーを足していた
というのが、毎日自分がやっていたことだ、という事に気づきます。

そうやって、意識ではうまくやってるつもりになっていることが
そもそも論から違ってた という事に気づけたら、どうなると思いますか?

きっとびっくりしますよね。
自分の描いた絵を否定したくなるかもしれません
「あ、描いたのはウチの貯蔵庫ではなく、ほかの家のでした。ウチにはジャガイモとか絶対あるはずです。」
って。 でも、何度かいても、ジャガイモが出てこなかったら、自分がそこまで本当の自分を受け入れる事に抵抗があるんだ、ってことに気づけます。

そして、次のアクションが取れるんです、自分で。
ないものをあるものとして信じるために自分が目で見て聞いて感じたことをOFFにして生きるやり方
苦しくて、もやもやしてそのままにして、そこに留まり続ける生き方をやめれるんです。

だって、ゴボウと糸こんにゃくとシイタケ で
ジャガイモと玉ねぎと人参のカレー を作るのはどう考えても無理でしょう。

そこで、
家を出てジャガイモと玉ねぎと人参を買いに行くのか
そもそも カレー を作らないとみんながハッピーでいられないのか と家族と対話するのか
(対話してみたら自分の思い込みで カレーが食べたいなんて誰も言ってないという事が判明する場合も有)
持っている ゴボウと糸こんにゃくとシイタケで たとえば最高においしい甘辛い佃煮をつくるのか
その食材にあう 誰も作ったことがない新世代のカレー を開発するのか

などなど
自分なりの選択肢が開けてくる。

選択肢を浮かび上がらせるのも一苦労だったりします。
だって、今まで思考停止して ただただ 私は頑張ってる あるべき姿 やるべきところをやってる
と、自分の感性を無意識のうちにOFF にして生きてきていたら、自分の感覚をONにするのは大変。

それに、自分の感覚を自分で”信じて” (ONにしたことを他者に批判されても、OFFにして元の自分に戻らず) 新しい行動と思考と感性を再構築するのは、大変です。
 
だから、この変容のプロセスを支え促す役割を行うためのトレーニングを受けたセラピストが役立つのです、あなたの心の深いところの変容を、脱皮のプロセスを、途中で死んでしまわないように、成功させるために。

ゴボウと糸こんにゃくとシイタケしか持っていない自分が悪いはずがないですよね。
それ以上でもそれ以下でもない。
ただ事実なだけです。

自分の深層心理をみるのが怖い、と感じるのは、たとえば、そういう自分はよくない、と思っている、
という事を象徴しているともいえます。

自分はジャガイモと玉ねぎと人参を持っているはずなのに、そうじゃない、
あのカレーは作れないし、今までも作ってなかったんだ、ということを知ることが怖い、
と思っているようなものなのです。

こういう例えだと、深層心理に気づくことって、大したことないと思いませんか?
それぐらい気づいたってどうってことないじゃない?
というか、もっと早く気づけたら もっとたのしい食卓がかこめたのにね、もっと楽にいきられたのにね、
無駄な苦労を続けなくてよかったのにね、と思いません?


実際、自分の無意識に追いやっているものをみる作業は、
家にある食材についての思い込みに気づく、という程度の衝撃では片付けられませんが
例えるなら こんな感じです。

自分についての真実をしって
自分を誇張して疲弊することなく 幻想の中でもがかず
等身大で 無理なく 心おだやかに 大事な人を大事にできる自分を生きるために
人生の中の今、このステージで音楽心理療法に集中して10回くらい通ってみる、というのも 
明日からの人生をよりよく生きるための選択肢の中の一つとしていかがでしょう?






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# by totoatsuko | 2017-02-01 15:54 | Comments(0)

いま ここにある自分

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夜 家族の寝息を聞きながら静かにひとり横たわっていたら不思議な気分になった。

自分の体の存在を感じ、それが呼吸し、私 というものが ここ に存在していることがくっきりと感じられた。それと同時に、この体と存在の脆さ儚さも感じた。

静かな夜だから なにもその存在の危機を感じずに ここにいられる。
爆弾の音も聞こえないし 私を攻撃する人はこの家にはいない。

だけど、ひとたび ひどい言葉やフィジカルな暴力が加えられれば 
私はこのように おだやかに横たわってはいられないし
病を抱えてしまえば
しずかな家族の寝息もきくことができなくなる。

生きていることが不思議なくらい
世界では戦争が続いているし、他者や属しているコミュニティー、家族からの攻撃や悪意にまつわる話がそこかしらに転がっている話をきくことがある。

大事なものは壊れやすかったりする。

自分で優先順位がわからなくなって
あれも もれも、とそこまで大事じゃないものをキープしようとして、
大事なものを取りこぼしてしまったり、失ってしまう、奪われることを呆然とみてるだけ、
なんてことは 絶対したくない。

シンプル イズ ベスト



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# by totoatsuko | 2017-01-21 18:19 | Comments(0)

自分の妄想で災害をつくりださない

d0065558_8521581.jpg 以前 そよ風か突風か の投稿で書いたこと 
- いろんな出来事に自分が翻弄されないために必要な自己肯定感について

を自分の中で反芻していて

じゃぁ、自己肯定力があれば、
大嵐の中でもその場にステイし続け、自分を失わず、自分をいい状態に保ち続けられるのか
というとそうでもない、と思った。

心がヘルシーな状態だったら、
自分がいい状態でいられず、自分でも手におえない状況だと判断したら
何の迷いもなく、病み始めるずっと前にその場を離れる判断するはずだ。


自分が人生のオオゴトに直面したとき
仕事や人との関係でなにかトラブルが起きた時

平常心を失わずに、自分を失わずに、その出来事に取り組めるかどうかは、
自分の妄想に翻弄されず、今何が起きていて自分はどういう状態なのかを見極める力が関係する。

何かが起きた時に、人の心は、いろいろ妄想しがちだ。

まわりにどう見られてるか・どう評価されてるか
あの人はこう言っていた・この人もあぁ言っていた
こういう対処の仕方をしたらみんなから非難されるんじゃないか? 
常識から外れてるんじゃないか?
仲間外れにされて今後このコミュニティーでは生きていられなくなって、、、
そうなたらは自分は生きていけない 

自分で嵐を創造し、自分でつくった嵐の渦中から抜け出せず苦しんでいるだけなのに
あたかも、その ”出来事自体” のせいで自分が大変なことになっている、と思い込む。

起こっていることは、もっとシンプルな事かもしれないのに。

何かが起きた時、
自分が、人の評価や自分の思いこみ、から自由であって
自分はその問題をどのように ”心で感じていて” 
その出来事に ”どう取り組みたい”のか をしがらみなし、ミエなしに判断できたら
過大なエネルギーを消費せずに そのオオゴト にとりくめるのではないだろうか?

あるいは、そのオオゴト は”今の自分が向かい合えるサイズを超えた” ”大嵐”・”大地震” で
このままここにいると自分の存在が危ない、
自分が生きている基盤が 自分の手には及ばない力で破壊されている、
この状況下では自分をヘルシーに保てない、と ”妄想抜き” で判断したなら、

自分を守るためにその場を離れる、(妄想抜きだから、人の目なんか気にしない)
その問題から手を引く、
追いかけられても、情に訴えられても ”逃げ切ること” と 
それは大変な苦労を伴うことだけど、新たに生きるための場所を見つける事 に全力を使うことで

限られた人生の時間を よりヘルシーな状態で生きる時間を確保できるのではないか。

自分の妄想で事を大きくせず、自分がつくり大きくした災害で自分を落としいれ
自分の可能性、チャンスと自由を 自分で奪い 自分で自分をくるしませないで。



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# by totoatsuko | 2017-01-17 17:33 | Comments(0)

時間の感じ方

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もし自分が余命2週間だと知ってベットの上に横たわっていたら
もし自分の大事な人の余命が1か月だったら、、、

今過ごしている過ごし方がもう少しで出来なくなる、と知った時
大事なものがもうすぐ失われる、と知った時

今 こうやって生きていられることの重みを ありがたさを
今まで感じたことがない感覚で感じる。

嬉しいことを待ち遠ししているときの感覚もまた格別だ。
大事な人がやっと帰郷する、かえってくる日が決まった時
大舞台で緊張感をもってperformanceをしている間


同じ時間が流れているのに
すごく短く感じたり、すごく長く感じたりする。

自分のかんじ方次第で 今 この瞬間を生きる丁寧さが変わってくる。
残り時間を知っていようが知るまいが、人間は不死ではないので、
”残り時間”が限られていることには変わりない。

限られた時間を 大事に生きたいものだ。



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# by totoatsuko | 2017-01-14 08:48 | Comments(0)

この世界の片隅に

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私が生まれ育った広島県呉市が舞台のアニメ映画 この世界の片隅に を見ました。
第二次世界大戦中の どこにでもある人々の暮らしが淡々と描かれています。

絵が好きでシャイであんまり物事を深くかんがえないある意味ぼーっとしている天然な女の子が
当時よくあったように あったこともない人に見染められて その親が自分の親に結婚を申し込み
親たちが決めた日にその人の家に行き 祝言をあげ 結婚し その家のやり方を学び 嫁姑 嫁小姑 との関係の中で生き抜く道を見出す。(今でも家によっては残っている価値観だけれど、、、嫁入りした女性が夫の母親や女兄弟の下に位置づけられ、彼らのやり方を学び、彼らに従うことを求められる中で結婚生活(夫や子供との関係を築く)を送る、というのは、ものすごく大変な事です。なにせ姑が嫁を気に入らなかったら姑によって離縁させられることも正当化されるような価値観です。)

そこに 戦争の要素が加わる。
大事なものが 当たり前だったことが 糸がほころんでいくように だんだんと失われていく。
みんなの感覚がおかしくなっていく
一見 当たり前の日常がなんのかわりもなく続いていくのに
続いているのは 当たり前なんかじゃない日常

お国のため 海軍さんのため
そう思って我慢してきたこと それが正しいのだ と言い聞かせたことが
終戦とともに その前提が崩れる。

なんのために あの人は死ななくてはならなかったんだろう?
なんのために あんな苦労して あんな辛くて苦しい思いをしなくてはならなかったのか?
大事な人を失ってもなお 生き続けなくてはならない苦しさ。

呉の美しい風景と
どこにでもある人々の生活
その土地ならではの風習や言葉、当時のあたりまえ

そういう日常が淡々と描かれていることによって 
今 どこにでもある日常を生き
食べる事に困らず、戦争によって家族を失う恐れなんか感じずにいる私自身と重ね
より、身近に当時の人々のリアルな気持ちを、戦争の残酷さを感じました。


今 このときも 戦火の中で生きている人たちがたくさんいる事に胸がいたみます。
どんなに悲惨な戦争を繰り返しても 武器を作ることをやめられない人間の愚かさを感じます。

よくある戦争映画でフォーカスされている、戦場で戦い、戦場で亡くなっていく壮絶なシーンを生きている人たちではなく、日常を生きている人たちの心がどれだけ痛めつけられ 嬲り殺されていくのか・・・世界の中の片隅の小さな町の隅っこで生きた人々の個人的な心の体験は だれでも体験しうる普遍的なものだと思います。

アメリカを始めフランス、イギリス、ドイツ、メキシコ、台湾、香港、タイなど全世界で18か国でも上映が決定したそうです。




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# by totoatsuko | 2017-01-10 09:40 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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