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通勤とピクニック

d0065558_8333811.jpg”セラピーのプロセスは、目的地に着く事が目的である通勤ではなくて、歩く事に意味を見出すピクニックだ。”

NYUのある授業でKeneth Aganが言って、納得した一言。

私たちは、結果を出す事、何か目に見える変化を生み出すこと、計算をして正しい答えを出す事、目的地に時間通りに到着する事が大事だという概念をもって、日々生きている。テストでいい点をとること、人と比べて優れている事が、よいことだと、教えられる。

間違っている事は、直すように努力をするように教えられる。
でも、誰がそれを”まちがい”と決めたのか?
社会、親、先生、家族、友達にとってまちがっていても、自分にとっては正しいことは沢山ある。
あるいは、自分にとって正しいかどうか考える・感じる時間を持たないまま、外部に言われるとおり、外部の"正しい”という概念にあわせるよう、大部分で生きている。

だから、Q&A 6 で紹介した疑問がわいてくるのも理解できる。
自分の状態を知って、どうなるの? 何が変わるの?自分を知ることにより、周りの期待とのギャップをより感じて、辛いだけじゃないか?


私も似たような問いをまさぐっていたので、Kennethが、セラピーをピクニックに例えた時は、”なるほど!”とやっと合点がいったのを覚えている。


通勤する時は、いかにその目的地に予定通りの時間に到着する事が大事だと思っている。
満員電車に揺られたり、タクシーに飛び乗る事に、なにも意味を見出さない。出来る事なら、そのプロセスをかっとばして、どこでもドアで一瞬にして、目的地に着ければ、と思う。


かたやピクニックは、何処かに行く事が目的ではない。
お弁当を持って、その道のりをたのしむものだ。
足元に咲いている草花、その道で行きかう人々との交流、時間によってかわる風や太陽、汗ばむ体、乾いた喉を潤す冷たい水。疲労感。

ピクニックにいったからって、”よくやったね”というような外界からのいたわりや、奨励はもらえない。遅刻しなかったから罰則を逃れる、というものではない。
周りに認めてもらうためや、周りの規範に合わせるためのプロセスではないのだ。

でも、人はピクニックに行く。d0065558_8341050.jpg
それは、人生を潤す。
ピクニックに何度か行ったからって、お給料が上がるわけでもなく、誰かから褒められる事もない。
それでも、ピクニックの経験は、心に残っている。
心の安らぎ。新しい人との出会い。普段かがない、草花のかおり。自分の足がやわらかい土をふむ感触。それは、長期的に、人生に影響してくる。

もしかしたら、道端でみつけたキノコに魅せられて、その道を歩む事になるかもしれない。
出会った人々との暖かいふれあいが、今まで感じていた人間不信に変化をもたらすかもしれない。
日常いらいらした時に、ピクニックできいた小川のせせらぎを思い浮かべれば、心に静けさを取り戻す事ができるかもしれない。


セラピーは、そういうピクニックに例えられる、と私は思う。

人生が、”死”という目的地をめざして通勤しているのではなく、その瞬間瞬間をいつくしむものであるのと同じように、セラピーは、そのプロセスで自分が感じていることをめいっぱい感じ、それを探っていゆき、自分の人生をより豊かにするものだ。

勿論、人生をいつくしむどころか、辛くてもうこんな人生はやめて”死”に早くたどり着きたい、と思っている人も沢山いるだろう。

d0065558_8335310.jpgそういう人こそ、セラピーに行ってみて欲しい。歩くプロセスを楽しむヒントが見つかるかもしれない。見落としていた、美しい風景や心休まる人との出会い、自分自身がもっている、美しいものに、きっと出会える。


障害を持った人も、同じことがいえる。
障害がない人が作る社会の決まり、文化の中で生きていくのは、いろいろ大変だ。でも、セラピーの中では、それがない。通勤する会社もなければ、到着しないといけない決まった時間もない。ピクニックを、自分の人生を思う存分楽しめばいいのだから!
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# by totoatsuko | 2005-11-07 07:59 | Comments(0)

Q&A 6.どうしてセラピーにいくの?

6.どうしてセラピーにいくのでしょうか?

言葉だけを使ったセラピーにいっていらっしゃる何人かの方に尋ねられた。

「セラピーに行って、自分が気づいていなかった感情に気付くのは分かるけど、それって、とても辛い事。知ってどうするんだ、って思う。
知らなかったほうが楽だったのに。」

「自分の中の怒りを知って、どうやったらそれをコントロール出来るか、ってセラピストと一緒に考えても、腹が立つものは腹がたつ。実際日常で、かーっと来た時は、セラピーのセッション中に発見した怒りの原因なんかふっとんで、怒りを抑えられない。抑えるべきだってわかっていても。」

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# by totoatsuko | 2005-11-06 06:48 | Q&A | Comments(0)

Meditation to one gentleman's death II

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帰りの車の中でフォーレのレクイエムをかける。
私なりのジャックとのお別れの儀式の一つだ。

11月上旬のボストンにしては暖かい、やわらかい日差しの午後、
彼のこの人生は閉じた。

(私は、魂は何度も違う体をもって生を歩む事を信じているので、あえてこういう書き方をする。)

やわらかいソプラノの声が車を満たす。

何故か永遠の別れと感じない。
前方に広がる秋のそらにジャックの魂がいるような気がする。


その夜、ジャックを思い、メディテーションする。
彼と笑った瞬間を思い出す。

私の体がバイブレーションで満たされていくのを感じる。
私は、もっともっとその中に入っていく。
体がどのようにバイブレーションを感じているのか、そのバイブレートしている体は、胡坐をかいているこの部屋とどう関わっているか。


もう、会えないね。でも、魂のレベルでは会える。

死は、悲しい。もっともっと激しい感情だって呼び起こす。
でも、私は知っている、それが私たちの関係の終わりを意味していない事を。

とぎすませば、ほら、いつでも会える。
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# by totoatsuko | 2005-11-06 02:14 | Comments(0)

Meditation to one gentleman's death I

今日、施設にいったら、ジャック (仮名)がいつもいる場所にいない。
おかしいな、と思いつつ、他のクライアントに会いに行き、セッションをする。

それを終えて、看護婦さんに聞く、
ジャックは何処?
>え?ジャック? 彼は死んだわよ。

え?なくなった?いつ?
>ほんの10分前。

会いにいってもいい?
>勿論。Please.


初めて彼の部屋に入る。何故なら、彼は、自分の6人部屋にいるのが嫌いだったからだ。
彼は、窓際の日が差し込むベッドに横たわっていた。ひとりで。
白いシーツにすっぽりと頭まで覆いかぶされている。

ジャック、名前をよびながら私はゆっくりとシーツを腰の辺りまでめくる。
ひかりをあびて、白い顔が、よけい白くみえる。

彼の目はうっすらとあいていた。
口も、何かを訴えているように大きく開いていた。

私は、まだ彼の魂がその体からぬけきっていないように感じた。
まだジャックはそこにいるような気がした。


10分前にいってしまったなんて。。。
そのとき私は、もうこの施設について、いつもと空気が違うことを感じていたのに。
最初に探せばよかったね、ジャックの事を。
それとも、一人で逝きたくて、私を先に他の人の所に送ったの?

家族は呼ばなかったんだね。
先週あったときは、そういえば家族の話をしたよね。

これは私のエゴだけど、
出来る事ならあなたの、この肉体と共に歩いた85年の人生の最後の瞬間を共にしたかった。

でも、ありがとう、こうしてお別れを言うチャンスを私に与えてくれて。
もっと時間がずれていたら、私たちはすれ違っていただろうから。

もしかしたら、私たちは無意識にこうする事を知っていたのかもしれない。
ジャックは私が今日この時間に来る事を知っていて、私の魂も、この事を知っていた。

ジャック、またあなたの魂はここにいるのを知っている。
目には何も見えないけれど、私は、感じている。

お別れを言うね。まだ、少し手はあたたかいね。
本当に短い間だったけど、あなたと出会えてよかった。
口数はすくないあなただったけど、一つ一つの言葉から、色んな事を感じ取った。

あなたの微笑み。話し方。私の頬をいとおしそうになでるやわらかい手。

さようなら for now.
またいつか、どこかで出会うかも。

さようなら.
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# by totoatsuko | 2005-11-06 01:27 | Comments(0)

Peak experience - 難聴の子供たちと

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難聴、ときいて皆さんはどういうイメージを持つだろうか?

私が人生で初めてきちんと難聴の人と触れ合ったのは、ニューヨーク大学時代、難聴の子供のための幼稚園に音楽療法士のアシスタントとして入ったときだった。

勉強していくうちに、難聴の子供・大人が使っている補聴器の種類は色々あって、それぞれ聞こえ方が違ってくる事がわかる。音が全く聞こえないわけではないのだ。

手術をして頭の中の音をフプロセスする神経にチップを埋め込むコクリア インプラント (=人口内耳)。耳に装着する、音を拡大する補聴器や、FMの受信機のような補聴器で、マイクを通して話された音をピックアップするもの。

それぞれの難聴のレベルや、補聴器の種類によって、聞こえ方が違う。

総じて共通する事は、雑音(バックグラウンドミュージックとか、他の人の話し声だとか)が多いと、ききとりたい人の声が聞こえにくい、という事。

だから、様々な音がいっしょくたんになって拡大されて耳に入ってくるなかから、ききたい音、その雑音のなかから探し出し、ピックアップすることを学ばなくてはならないのだ。

一方で、楽器の音は格段に大きく、彼らにとって聞き取りやすい。

難聴の人の特殊なニーズについて書き始めるときりがないので、今日はここらへんで切り上げて、その子供たちのセッション中のある印象的なシーンをご紹介したいと思う。


1グループ5人の、言葉がない子供たち。
基本的なセッションの流れは、最初にセラピストがキーボードで伴奏しながら、ハローソングを歌う。一人一人の名前を歌に盛り込み、歌を通じて”こんにちわ”と歌いかける。
中間は、グループのニーズに合わせたアクティビティーをやって、
終わりの歌、となる。


一人の子供が、ギャザリングドラム (数人でたたける大きなドラム)を、ポン ポンと何気なくたたき始めた。
すると、他の打楽器で遊んでいた子供が、そのドラムの音に気づき、そのドラムに近寄り、たたき始めた。最初にたたいていた子は、自分のたたき方と違う友達のドラムの音に気づき、自分のたたき方を変えてみた。
そうこうしているうちに、他の子供もドラムのまわりに集まってきて、みんなドラムをたたき始めた。

ひとりひとり、たたき方が違う、出す音が違う。
人数が加わる事によって、結果的にドラムが出す音はだんだん大きくなって、教室中ドラムの音、リズム、旋律と振動で満たされた。最初一人が何気なく叩いていたときとは大違いだ。

子供のドラムを叩く態度も音が大きくなるにつれて変わっていく。
なにげなく手をドラムに当てているのではなく、自分の手がドラムの皮に当たる感触、それに反映して毎回創られる音が違う事への気づき、耳が受け取る情報と、体が感じる感覚と、目から入ってくる情報が、統合される。

いま、自分の手が皮にあたって、ドーンという音を発して、音の振動を手だけではなく体でも感じる。

このようにあっさり一文で書いたけれど、
目と耳と体が得る情報を統合し、理解する、ということは、障害を持っている人にとってはとても大変なことなのだ。

部屋いっぱいの振動と音を作り出していた瞬間の子供たちには、
日常常に感じている、音と関わる事への難しさはなかった。

自分が作っている音は全て聞こえている。
友達が作る音も聞こえていて、音どおして会話が成り立つ。
そして、自分が出したい音を作り出せている。
グループ一人一人が、他のグループメンバーの音に音を足して、自分一人で出来る限界以上の"音の世界”が創られている。

ここには、”間違い”"正しい”という概念がない。
日常スピーチセラピストや作業療法士、先生などから世の中を生き抜くために色々教えてもらう世界とはずいぶん違う。

どんな音をだしても、それはグループの音に何か付加価値をつけていることになるのだ。
それに、何より、子供達は、音の世界で楽しんでいる!

ドラミング中の子供たちの表情は真剣そのもので、
一つの事に1分以上集中できないのに、しばらく”合奏”は続いた。

教室をその時偶然とおりすがった人からみれば、
単なる無秩序なドラム叩きにしか見えないだろう。

でも、神経をとぎすまして、その瞬間瞬間、子供たちの表情、体の動きが教えてくれるサイン、目に見えないエネルギーを注意深く観察しているセラピストには、言えることがある。

それは、無秩序に野放しにやらせているドラムたたきではなかった。
信頼できるセラピストが見守り、”もっとやってもいいよ”という無言の許可を与えてくれる事 (日常生活で、こんなドラム叩きをやったら、すぐさま止められるに決まってる)。彼らの自然に生まれてきた音への興味を刺激し、広がりをもたせていくこと。

この、ドラミングの瞬間は、子供たちが、いままで人生で経験した事がない種類の音との出会い、音を自由に操れる喜び、音を耳だけではなく、体や、目をつかって関わる事を体験。 こどもたちが、これ程音の世界を自由に感じ、自己表現の手段として操ることが出来たのは、これが、人生ではじめてだったはずだ。
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# by totoatsuko | 2005-10-30 22:58 | Comments(2)

お勧めのワークショップ

デイビッド・オルドリッジ氏 (精神科医・音楽療法士)による講演会が近日東京であります。
都合が付く方は、是非参加してみてください!

私はニューヨーク大学時代、なんどか直接話す機会がありましたが、とても造詣の深い、素晴らしい方です。彼の本もお勧めです。

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時:2005年(平成17年) 11月5日(土)・6日(日)
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター 国際交流棟
詳しくは、以下のページをご参照ください。

ワークショップ案内
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# by totoatsuko | 2005-10-29 02:45 | Comments(0)

わたし、この歌 覚えてる!

メラニー(仮名)は、意識はハッキリしているし、会話もできるけれど、自分で体が動かせなくて、寝たきりの状態。老人ホームに入って、もう1年がたとうとしている。

いつも、庭に面している光の入る窓を背中にして、右肩を下にベットに横たわっている。
d0065558_9363993.jpgその体勢からは、部屋の入り口がよく見える。
誰もいないがらんどうの部屋をみわたせる。

どんな思いで横たわっているのか、、、
私には想像する事しか出来ない。


ある日、メラニーに家族の事を尋ねたら、
”家族?何も思い出せないわ。彼らが私を洗脳してしまったから。
何も思い出せない。
ほんとうに何も思い出せない。”

と力よわく言った。
洗脳?随分つよい言葉だ。
彼らって誰?スタッフ?家族?
信用できない人に囲まれて過ごす事ほど、辛い事はないだろう。

でも、彼女の主観的な経験は、"洗脳”という言葉がしっくりくる、という事は事実なのだ。

”そんなことないじゃない、看護士のボブは優しいし、アシスタントのキャッシーは、ちょくちょく様子見に来てくれて、大事にされてると思うわよ”

なんて言葉かけは、家族や友人が言いがちだけれど、
セラピストが言うのは、まったく意味の無いこと・仮に、それが本人以外の大勢にとって真実であるにしてもだ。
セラピストは、いかに本人が感じていることを汲み取り、
本人が立っている状況に一緒に寄り添えるか、というのが大事なのだ。


私は、メラニーに提案する。
”ねぇ、今歌を聞く気分?もしかしたら、歌だったら、思い出せるかも?”

”思い出せたら本当にうれしいけど、そんなことありえない。ありえないわ。”

”そっか。でも、トライする価値はあると思わない?これから私が歌う歌、ちょっときいてみて。”

メラニーの年齢を考えて、彼女が若い頃よくきいたであろう、ケ セラ セラ を選び、ギターを弾きながら歌う。

とたんに、メラニーの頬が高揚した。
歌のメロディーを覚えていたからだ。
さびの ケ セラ セラ のところは、私と一緒に歌詞を口ずさむ。
メラニーの顔から、満面の笑みがほころぶ。
少しは動かせる左腕が音楽にあわせて動く、まるで踊っているように。

私たちは、何度も、何度も繰り返し歌った。

歌いおわったところで、メラニーが言う。
”私、おぼえてた、歌詞を!わたし、覚えてた。なんて素敵な事なのかしら。
覚えてる、覚えてる。”

歌う前と比べて、明らかに輝いている瞳、頬のつや、体の発するエネルギー、彼女の喜びが伝わってくる。

私たちは、その後もう2曲歌ったのだけど、
サビの歌詞は歌えたし、小さなシェーカーを振ることによって、音楽のテンポも彼女が決めた。


メラニーが私の手を握って、目を見つめて言う。
”わたし、今泣きそう。ああ、なんて音楽ってすてきなの。あなたも、本当にいい人ね。”

”泣いてもいいよ。私はぜんぜん構わない。だって、人間だもの、感情があってあたりまえ。”

音楽が、私との関係が、素直に、恐れず、”泣きたい気持ち”にさせた。
そして、私と音楽との空間と時間のなかで"泣く”ことは、こころの浄化作用があったのかもしれない。

そろそろ、行かないと。
又来週ね、といった時には、洗脳されたと思い込んで、薄暗い部屋で気落ちしているメラニーは、もういなかった。
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# by totoatsuko | 2005-10-25 05:32 | 音楽療法セッション例 | Comments(3)

くすり

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先日癌をわずらっている年配の男性と音楽療法セッションをすることになったのでNursing homeへ向った。

まずソーシャルワーカー、看護婦さんから彼や彼を取り巻く家族の状態をきく。
そして、ソーシャルワーカーが私を彼に紹介してくれた。

彼は、4人部屋の自分の部屋にいるのがすきではないらしく、
車椅子で廊下の真ん中、ナースステーションとレクリエーションルームが見渡せる場所に陣取って、車椅子をゆすっていた、あたかも自分を慰めているように。

ソーシャルワーカーが話しかけると、かれはとてもSweetな笑顔を見せ、
音楽が聴けるなんて、ナイスだよ、
とゆっくりと柔らかい声で私の目を見ながらぼそっと言った。

じゃぁ、まってて、ギターを車から出してくるから。
私はそう言って、彼のもとをいったん離れた。

そして10分後、戻ってくると、まだ同じ場所にいる。

初めてのセッションだし、彼を嫌いな部屋に戻すよりは、彼の心地よいこの廊下の真ん中で(人の流れの邪魔になるし、Privacyもないけれど)やろう、と私は決め、彼のそばに椅子をぴっぱって来る。

何を歌おうか、と彼の表情、体のありかた、目に見えないけど彼が発しているエナジーに集中する。ふと目をふせると、普通の人の2倍以上むくれてしまっている足首が目に入る。

15分前には見なかった、手や腕の震えに気づく。

どうしたんだろう?気にしながら、ゆっくりとギターを弾きながら歌いかける。
彼は、遠い目で私を見る。ギターに目をおとす。

私は、彼のエナジーがどんどん中に引いていって、
Here and Now:この瞬間、この場からフェイドアウトしていくのを感じる。

少し大きい音で呼びかけてみる。

それには答えず、かれは肘をついて顔を支えて、眠ってしまった。
やっと腕の震えはとまった。


15分前までは、意識がはっきりしていたのに、あんなに音楽を楽しみにしていたのに、どうしたんだろう? 不思議に思って、セッションを終えた後看護婦さんにききに行く。

「ああ、ほんのちょっと前 XXX (くすりの名前)をあげたの。腕の震えや眠くなるのはそのせいよ。2時からビンゴが始まって、施設のお年寄りがみんな集まるのだけど、人ごみのなかで不安な気持ちが高まってしまう彼を落ち着かせるために、いつも朝と昼に処方するの。」


くすり。

治療には不可欠なものだけど、
その人本来のすがたを変容してしまう、本人の意思とはうらはらに。

私の訪れた時間がもうすこし早かったら、くすり抜きの彼と、人と人としてのコミュニケーションがとれたかもしれない。くすり前の一瞬のやり取りから感じた彼の暖かいハートに触れる事が出来たかもしれない。

そうおもったら、とても残念な気持ちだった。


もうすこし親しくなったら、提案してみようか、音楽が彼の不安感を下げる事ができるかもしれない、って。
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# by totoatsuko | 2005-10-20 03:50 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

音楽療法ワークショップ@ボストン

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近日、深層心理と対話を促す、Guided Imagery and Music (以下GIM)というイメージと音楽と色を使う、体験型の音楽療法ワークショップ (2時間)を行ないます。

このワークショップは、音楽療法のひとつ、GIMの紹介を目的とするものです。

対象者:
1.セラピー行くってなんだか自分に問題があるみたいで、抵抗を感じている方。
あるいは、自分は、なにも問題がないから、関係ないと思っていらっしゃる方。
(問題はなくてもいいんです、自分の深層心理に触れてみませんか?)

2.音楽療法って、聞いたことや読んだ事があるけど、
実際どういうものなの?と思っていらっしゃる方。

3.慣れない海外生活、子育て、留学生活を営むなか、
自分の心と向かい合うきっかけを探していらっしゃる方。

4.音楽療法、アートセラピーを勉強していらっしゃる方。

東京でのGIMグループセッションの体験談を書いてくださった方のページは以下です。
http://chou.jugem.cc/?day=20040627


日時:
10月13日(木)午後3時ー5時(満席)
10月15日(土)午前10-午後12時 (満席)
10月17日(月)午前10-午後12時(空きあり)/ 午後6-8時(満席)
10月21日(金)午後5時40分ー7時40分 (満席)
10月22日(土)午前9時半ー11時半(空きあり)

場所:Boston、 Allston

1グループ4名限定、一人$10.

興味がある方はメールでお知らせください。
letsmusicing@gmail.com

4人お集まりになって申し込まれる場合、ご都合のよろしい日時を調整いたしますので、お知らせください。

参加された方、後日感想を送ってくれた方、どうもありがとうございました。
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# by totoatsuko | 2005-10-04 05:13 | Comments(0)

What is Music Therapy?ー音楽療法ってどんなもの?

d0065558_16101961.jpg1.自分探しのためにセラピーって誰でもいくものなんですよ!別に自分に問題があるから、という理由ではなく。

私たちは、学校で先生について勉強したり、書物を読んで知識をふやしたりするけれど、
自分について知る、自分の心を探ろうということをなかなかしない。

自分のことなんて、分かってる、って言われるかもしれませんが、
自分って、もっともっと深くて広がりがある、
そう簡単に把握できるものではないと思いませんか?

セラピーは、そういう自分を知るための場でもあるのです。

例えばジムにいって体のエクササイズをす。ちょっと肩がこったから走りに行こうかとか、カラダがむくんでいるから運動しよう、とか。

それと同じで、心がもやもやしたり、悲しかったりと、バランスを崩すこともありますよね。
でも多くの場合その気持ちと向き合うのではなく気晴らしにショッピングとか、友達と話をしてすっきりする、そんな対応する人が多いです。

セラピーでは、そうやってどこかにおいやられた気持ち、心、記憶ときちんと向かい合う場です。

どんなに忘れても、腹が立った自分は消え去らず、無意識のうちにその怒りに、行動をコントロールされてしまう。

たとえば、つい意識しないうちにいらいらしていて人にあたっている自分に気づくことはありませんか?ふと何もないのに、涙がこぼれてくることはありませんか?それは、どこかの片隅に無視しつつけられ、追いやられてしまった心が、あなたに何かを伝えているのです。もっと注意を払って!と。

もうひとつ、あまりにも耐え難い体験を過去にし、記憶から抹消してしまう人もいます。でも、その体験はその人のどこかにのこっていて、例えば”鬱”っぽい状態から抜けられなくなっている人もいます。そんな人の中で、自分ではどうして欝っぽいのか理由がわからないので、精神科に行って鬱の薬をもらってたのですが、治りません。

ですが、セラピーにきて、そのつらい記憶を思い出し、その体験がどれだけつらいことだったか自分で認識したとき、その自分に今できることはなんだろうか、と前向き考え始められるようになります。

このプロセスは、セラピストと、音楽とクライアントの真剣な対話です。なぜなら、その記憶を呼び覚ますことはとても怖いことですし、とてもエネルギーを要するものだからです。でもセラピストは、クライアントがバーンアウトしないよう、ペースをつくり、支え、注意深く音楽を使い、深い愛情を持って、クライアントと一緒にこのプロセスを歩んでいくのです。


ミュージックセラピーを体験した人の話

東京でやったGIMグループセッションの体験談を書いてくださった方がいますので、ご覧になってみてください。
Guided Imagery and Music Therapy Group Session Experience

Woody Allen の映画のように…

GIMセッションは、音楽を通じて自分との会話をしていくプロセス、いわば音楽を使った心理療法(サイコセラピー)です。

心理セラピーは、Woody Allen の映画などで見たことがある方もいらっしゃると思います。最近では Analyze me, Anger Management という映画でもありましたね。短くいうと、音楽心理療法では、通常言葉を主なツールとして行われる心理セラピーと比べて、音楽も主なテクニックとして使っていきます。

また、私のセッションでは、絵を使うこともあります。言葉では表しきれないもやもやした気持ち、不安感を、音というものに転換して表現してみると、自分の気持ちに対してもう少し理解が深まるでしょう。もう少し詳しいことや、実際にセラピーのセッションを体験した方の体験談については、Therapy Sessionsのページを参照してください。


最後に「こころ」とちゃんと会話したのは、いつでしたか?

悲しかったり、腹が立った 「こころ」に味方になってあげたり、慰めてあげたことはあったでしょうか?

不安で心配でしょうがなかった時、そんな気持ちを否定しないで、例えば≪楽しい≫と思う気持ちと同じ位その存在を認めて向かい合えないでしょうか?向かい合うのが辛い気持ちも、私たちの「こころ」が同じように体験している大事なことの一つなのです。

誰しも日々ふと疑問に思ったり強い感情体験をする事があっても忙しさの中で素通りしてしまいがちですが、このセッションを通じて、少し自分自身と向かい合う時をもってみませんか?

私はどこを歩いてきて、今どんな所を歩いているのだろうか?そして私は何処に向って歩いているのだろうか?

そんな問いに答え探しをセラピストと一緒に行なっていく事が、ミュージックセラピーセッションでの過程で起こります。
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# by totoatsuko | 2005-10-04 03:42 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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