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Q&A 3: いい音楽療法士になるためには?

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3.いい音楽療法士になるための努力というのはどういったことだと思いますか?

私は、”セラピー”(心理療法)に行くこと、が大事だと思っています。
自分の深い部分を知らなくて、どうして他人の深い部分を扱えるでしょうか?
セラピーを体験したことがなくて、どうやって他人にセラピーを施すことができるのでしょう?

それは、言ってみれば海に行ったことがことがないのに、
”海って楽しいから一緒に行こう。海での体験はキミにとって有益だよ”
といっているようなものです。

海は、穏やかな日もあれば、しけてるときもある。
無知な人間にとっては、とても危険な場所。

人から聞いたり、読んだりして分かったつもりになっているなんて、とんでもない。
そんな無責任な事をするべきではないと思っています。

人間の心・体・魂は、計り知れない海と同じくらい深くて広い未知な領域が沢山。
自分の中でどんなことが起こっているか、どんなことが起こりうるのか、完全に把握するのは不可能だけど(私たちは瞬間瞬間変化しているから)、その深層心理の層と対話を続けていくことにより、クライアントの心の深さを推し量れるようになる。

そして、クライアントと深い部分でコミュニケーションをとることが可能になると思っています。


もうひとつは、常に学び続けることでしょうか。
音楽療法はまだまだ未熟な学問で、新しい考え方、理論が出続けています。
スーパービジョン(第3者の意見を聞くこと)を受け、ひとりよがりにはならないことも大切です。

常に視点を広く、柔軟であることが必要だと思います。
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# by totoatsuko | 2005-10-04 02:36 | Q&A | Comments(3)

Q&A 2: 音楽療法の実態とは?

2. 効果が上がっているという意見や体験談のようなものがほとんど無くて実体がまったくつかめません。これは、日本ではまだ実際に治療を現場で生かせるレベルに達さないということでしょうか?

なかなか表には出てきていないようですが、様々な分野(子供から年配の方まで)で結果を出している療法士の方は沢山いらっしゃいます。

日本の音楽療法学会の会員になれば、学会誌が購読でき、学会や勉強会の情報も得る事が出来ます。日本での音楽療法活動については、新聞やテレビで特集されてもいるようです。

海外の実際の音楽療法セッションについての情報は、以下の方法で得る事できます。

アメリカの音楽療法協会
の会員になれば、英語の学会誌が届き、論文を読むことが出来ます。

ノルウェージャーナル(英語)も、かなり内容の濃いものを出しています。


そのほか、本屋さんにいけば、音楽療法に関する本(翻訳を含む)が沢山出ています。
Case Studies in Music Therapy (Barcelona出版)は、私のNYU時代の友人が今翻訳中のようですが、色々な音楽療法のスタイルが紹介されているので、お勧めです。


日本では、音楽療法は保険でカバーされていないので、音楽療法士を正規で雇用する病院は限られています。音楽療法を受けたい人は、自己負担になってしまう。その結果、音楽療法がとてもいい結果を生むであろう人に、サービスを提供する事が出来ていないのが現状のようです。

また、音楽療法セッションを提供する事によって国からの補助が出るので、老人施設が音楽療法という名の、音楽タイムを設けているところが沢山あります。しかし、利用者さん主体で雇用してはいないので、2人のセラピストが20人を相手に1時間のセッション週一回をやる、というとても音楽療法をやっているとはいえない事態が起こっています。
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# by totoatsuko | 2005-10-04 02:19 | Q&A | Comments(0)

Q&A 1:音楽療法士の適正とは?

d0065558_5221661.jpg読者の方からの質問に、私なりの考えをかいてみたいと思います。

これらは、あくまでも私見であることをここでお断りします。

***

1.音楽療法士の適正とは何ですか?

こういう人でないと駄目だ、というのはないと思います。
しかし、人間的に成熟していないと自分自身が精神的に疲れてしまうし、深い内容のセッションが出来ません。


例えば、ある人が海辺で丸く固くうずくまってお腹を抱えて痛みをこらえている所を想像してみてください。何がどう痛いのか喋れないほど痛がっている。
そして、あなたはその人のセラピスト。

質問をして、何が痛いのか説明してもらう?
それとも、一緒にその人が望む限り横にずっと座っている?

私は、まず、自分Empathy (共感、自己移入)出来る事がとても大切だと思います。
他人の痛みを同じように感じる事は出来ませんが、それを汲み取る事はできます。
ちなみによくある落とし穴は、自己移入の過程で、なにがクライアントの痛みで、何が自分が抱えている痛みか分からなくなり、自分も心と体のバランスを崩してしまう事。

同じ目線になって感じるために、同じように丸く固くうずくまってお腹を抱えて、体の圧迫感を感じてみるのも、一つの方法。また、自分の個人的な経験の記憶から、その人の痛みを想像するのもひとつ。

でも、ずーっと長い間その人がうずくまったままで、自分の足がしびれてきたら?
いつまでもぐずぐず言っているその人にいいかげん嫌気がさしたら?
海の波が高くなって、そのままいては、自分の身の危険を感じたら?


一方で、その人は、足なんか痺れていないかもしれない、もっともっと泣き続ける事が必要かもしれない、荒波にのまれることなんて、今の痛みにくらべると、全然たいした事じゃないかもしれない。

自分のエゴ、欲求を認識すると同時に、
その人にとってもっとも大切な事を把握し、それにとことん付き合えますか?

それを可能にするには、海の怖さ (例えていうなら、恐ろしいほどの感情のうねり)を知りつつ、その海との付き合い方を知っており、どっしりと構えていられなくてはならない。

その人が、自分なりの道筋、答えを見つける旅に、
たとえその道なりが荒波のなかであろうと、不気味な音につつまれた暗闇の森であろうと、共にその場を共有できる・それが、責任ある療法士であるための条件の一つだと思っています。


それと、もう一つは、音楽が使える事。

アメリカの大学院音楽療法科の入試では、何らかの形で演奏の技術を問われます。音大レベルのものを求めるところもあれば、趣味で楽器(あるいは声)を使えるものでよいところと、様々です。

大学によって、音楽療法の教え方、流派みたいなのが違いますから、詳しい事は、それぞれの大学に問い合わせることをお勧めします。

音楽を道具としてつかって他人とかかわるのですから、なんらかの形で音楽が使えることが必要です。
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# by totoatsuko | 2005-10-04 00:45 | Q&A | Comments(0)

1リットルの涙

d0065558_12135976.jpgこの夏、日本に帰ったときいただいた本の一冊が「1リットルの涙」。

難病と闘い続けた女の子の発病から6年間の日記をまとめたもの。

彼女の"生きたい” ”発病する前の元気な状態にもどりたい”、という思いが切なく胸に響いた。

そこには、生きている喜びとは別に、どこにもいけない堂々巡りの怒り、悲しみ、諦めの気持ちが何度も何度も記されていて、涙を誘った。

それと同時に、自分自身を責めている文章が、とても多いと感じる。

責める必要なんかないのに。。。

薔薇が薔薇であることに何の罪が無いように、
(たとえ、その棘が人を傷つけようと)
彼女が彼女らしく生きる事に罪は無い。

おしっこが間に合わなくてもらしてしまい、余計な手間を作ってしまうこと、
家族の期待にそぐわず、病状が進行していくこと、
めんどくさくて、やらなくてはならないこと事をさぼること
怒ったり泣いたりする自分。

全然悪いことじゃない。
全然自分自身を攻め立てるようなことじゃない。

怒りがあって当然、
悲しくて悲しくて泣き叫びたいなんて、あたりまえだよ、そんな難病と何年も付き合っていたら。

でも、誰もそうは言ってくれなかったのだろうか?

みんな、
”元気になるよう、がんばろうね。”と、
"元気になること””それにむかって努力する事”のみを評価している様だった。

それでは、人生の一大イベントの"病”や”死”とちゃんとむきあえるはずがない。
病と闘い続けている限り(闘病)、どこかで、自分自身を無視していることになる。
なぜなら、病も、自分自身の一部、死も人生の一部だから。

一介の音楽療法士として、
言葉でも筆談でもコミュニケーションをとれなくなった彼女とその家族に、この分野が専門の音楽療法士がいたならば、と思わずにはいられなかった。

心と体と魂はつながっている。
体の変調(病)が何をつたえようとしているのか、
耳をかたむけてみれはしないだろうか。


余談:
アメリカの病院には病や死に関わる諸問題を専門的に扱うGrief Therapistという専門家が必ずいるが、日本にはそういう資格さえない。

せいぜい精神科医から抗鬱剤などを処方してもらったり、カウンセラーに話をきいてもらうくらいなのだろうか?

それでは、本質の解決にはならない。
心の怒り、悲しみ、苦しみは、化学品で治されるとは思えないから。
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# by totoatsuko | 2005-09-29 11:37 | 日々感じたこと | Comments(0)

個性

d0065558_10592322.jpgオトナになると、いい大学を出たり、要領がよいことが とてもいいことのように話されるのをよくきく。

たぶん、給料がよかったりして、買いたいものがなんなく買えたり、社会的に尊敬される地位につけたりして、人生のチョイスが広がってるようにみえるからかな?

幼稚園、小、中学校では、アタマがいい子より、走るのがはやかったりするほうが、少なくとも私の周りでは、みんなの羨望のまとだった。

人は、ひとりひとり違うんだから、得意な事がちがって、当然。それによって、生き方が違ってくるのは、必然。


アタマがいいのも、個性。足が速いのも個性。同等だ。

ただ、いいアタマを使う場所がビジネスの場において沢山用意されている (お金や社会・家族あるいは地域からの評価に繋がる)が、足が早い人がその特技を生かす場が社会ではあまりない。

プロや、オリンピックの選手になれば、社会からの評価もそれなりに得られるかもしれないけど。


社会で生きていくということは、そういうことなのかもしれない。
社会の価値観・枠に自分を照らし合わせながら、枠の中で生きていく。

いいかえれば、社会的に成功する事や、社会・友人・家族に評価されることが、個人の幸せのバロメーターになっているというところか?

危うい。

社会の価値観とは別の自分だけの価値観ってあるはずだ。
人にみとめられなくても、自分自身の内面において満たされること。

それに気づいている人って、どのくらいいるだろう?
どのくらい、自分と社会の価値観が交じり合ってるのか考えた事ある人はすくない。

人が羨む職を持っていても、パートナーを持っていても、
どこか満たされない人はいっぱいいる。

自分次第では、例えば、
足が速くてアタマが悪い人生を最高のものにすることが出来ると思う。



それは、社会の価値観をベースに世界を感じていてはムリで、
きっと、自分の価値観・世界観を持つことによって、可能になる。
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# by totoatsuko | 2005-09-26 10:44 | 日々感じたこと | Comments(0)

アイデンティティーII 〔写真:夏の終わり〕

d0065558_145786.jpgじゃぁ、どうやってその叫びと向かい合えばいいの?

それって、簡単な事じゃない。

ある人が、受験を終え、大学生になって喪失感を感じ始め、鬱な状態から、摂食障害になってしまいました。どうやら、これまで無視してきた ”一体自分はなにをやっているのか?何のためにやっているのか?”という質問が抑えきれなくなって、心ががらがらと音を立ててバランスを崩してしまっている。

何年もかけてゆっくりと、着実に培ってきた親、学校の先生、友達、そして自分自身との関係(それが、どういうものであれ)が、ある日突然バランスを崩してしまった。

その結果、生きている意味さえ、分からなくなってしまった。

この人は、そうなる前に、体に異変がきたすまで、なぜ心の問いかけに立ち止まらなかったのか?

親、先生、友達に対する見栄?
世間の価値観(A大学はよい)を自分の価値観と勘違いしていた?


いや、たちどまったかもしれない、何かがおかしい、と。

でも、セラピーが、何をやってくれるのかも分からなかったし、
セラピーに行くのは病気だとレッテルを貼られそうだから、と抵抗感があったかもしれない。

でも、私は自分自身の経験から、自信を持って言える。
いいセラピストとのセッションは人生を変える。

私達は、一人で、何役も持っていて、さらに、それぞれに感情がある。 日々追われてすごし、なかなか深層心理に注意を払う事が出来ない。私達の人生は、学芸会とちがって、やりたい役に立候補して、役を獲得するのではなく、さまざまな役割が責任が好む好まざるにかかわらず、意識しないうちにまとわりついて来る。

とても、一人で扱えるほど、私達の心は単純じゃない。
薬でコントロールしきれない、魂の叫びが存在する。

Who am I? (私は誰?)
●●会社のXXです。
灘田(という家の者)です。
●●大卒業生です。

かんたんな答えは一杯あるし、世間はそれで納得する。

でも、自分はしっているだろうか?体外的な代名詞では説明できない、
宇宙のように広く深く入り組んだ自己(Self)があることを。
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# by totoatsuko | 2005-09-20 21:59 | 日々感じたこと | Comments(0)

小雨のボストン 〔写真:チャールズ川)

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夏の間離れていたボストンの我が家に帰ってきて数日が過ぎました。

友人によると、この夏ボストンはまったく雨が降らず晴天続きだったのに、ここ2,3日台風の影響で雨続きなのだそうです。

日本での大地震、南アジアでの津波、異常気象、台風カトリーヌの被害。
地球が悲鳴をあげている。人間と共生していくことを諦め、人間を見捨てて、自分を守ろうとしているのか?

戦争。テロ。
少しでも、"感情”があれば、戦争を始めよう、なんて言えないはずだと私は思うんだけど

医学の進歩、便利な生活、e.t.cを手に入れたはずの私達ですけれど、反面、自然な生き方をする事が難しくなってきています。

土に触れることなく、風のそよめきに気付くことなく、心の痛みに共鳴することなく生きていくのは、人間にとってとても不自然な気がしてなりません。

人間は、気づかないうちに自分達を傷つけ、破滅にむかっているように感じてなりません。


9月、たまっていた事、新しい事を始めるための事務的な作業におわれて、なかなか書く時間がとれないでいます。

近いうちに、アイデンティティーIの続き、日本に久しぶりに帰って、いろんな人に会って感じた事をぼちぼちアップしたいと思っています。

音楽療法や霊気、私の活動などについて、質問があったら伝えてくださいね。一人の方が思っていることは、結構他の大勢の方も思っていることがよくありますから。大事に答えていこうと思っています。
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# by totoatsuko | 2005-09-17 13:52 | 日々感じたこと | Comments(0)

アイデンティティー I

d0065558_11434266.jpgWho am I? / 私って誰なんだろう?

セラピストである以上、この質問は常に、自分の内側から、またクライアントから問われ続けます。いかに自分の足でしっかり立っていながら、クライアントの立場に寄り添えるか、というのは口で言う以上奥が深いです。


ユング臨床心理士の河合隼雄が彼の本の中で書いていました。
日本人は、まず社会があって、自分があると考えるのに対して、
欧米人は、まず自分があって、それが社会を形成している、という概念をもっているのだとか。

全く逆ですね。

日本人の感覚についてもっというと、
日本人は、自分が属する社会や組織のなかに自己のアイデンティティを見出す。ユニークな自分であることよりも、自分が属している組織がうまく回るために、自分を調整することの方が大事。仕事外でも、自己紹介をするときに、「●●会社の・・・です」とまずは社名を述べるというのは、その表れの一つ。

また、夫婦の間での呼び名が、その人の名前ではなく、”お父さん”"お母さん” という、家族の中での役割の代名詞だったりもする。会社で言えば、"課長さん” ってよんでるかんじ。

もっとも、「会社」 という自分のアイデンティティーを永遠に与えてくれているかに見える組織に、人生のほとんどをささげ、自己を見出している人には、家族という組織のなかの、"お父さん” "夫”という役割に自分のアイデンティティーを見出さず、その結果、その役割を実行しない人もいるけれど。

そういう人は、会社をやめたとき、大きな喪失感を感じることになるだろう。
なぜなら、会社=自分の存在意義 (アイデンティティー)だったから、辞めたとき自分の存在意義がなくなってしまうのだ。

折角家族がいても、その組織の中の自分の存在はなんなのか、知らず、問わず、生きてきたならば、退職したあといきなり、家族という組織に、自分のアイデンティティーを見つけるのは難しいだろう。

いや、退職したあとだけじゃない。若くても、じぶんってなんなんだろう、って思ったことがある人は結構いる。

また、いつまでもお母さんの”ムスコ”"ムスメ”としてしか自分をアイデンティファイできないでいると、マザコンとか、一卵性母娘となる。結婚して自分の家庭を持っていても、自分のパートナーときちんとむかえ合えず、二人の間に問題が持ち上がったときは、ムスメ、ムスコという側面が母親を夫婦関係に持ち込まれ、子供の頃から自分たちの救済者=母親 に問題解決の一端を担ってもらおうとするだろう。

母親、という役だけに自分をアイデンティファイしている女性は、"母親”というアイデンティティーを失わないために、子離れに抵抗する。子供たちからのSOSをいつでも喜んで受け入れ、よけいに、彼らの成長をさまたげる。

ここまで読んでいただいて気づいた方もいるだろうが、そう、一人の人間のアイデンティティーは一つではないのだ。

同時に、会社員であり、父親・母親であり、誰かの子供であり、夫・妻 あるいは愛人であることはごく当たり前のこと。

ただ、それらの役割が自分の中で調和が取れているかが問いのひとつだ。

例えば、会社員としての自分は、母親であるがために果たさなければならない仕事があることを、キャリアの妨げであると感じ、否定する。その結果、子供が人生の足手まといに思えたりもする。

しかし、どんなに社会的に成功して満たされていても、その社会には属さない自分 (例えば、一人の女性として、だったり、家族の一員としての自分)がおざなりにされていたら、様々なアイデンティティーをかかえる一つのおおきな「自分」は、究極的には幸せといえないだろう。


「和」 が重要な日本。
自分を押し殺すことも、あたりまえ。

日本と比べ、強調性がないアメリカ社会でくらしていると、そんな日本の体質の美しさもよくわかる。

キケンだと感じるのは、押し殺していることに気づかずずっと生きてきて、ある日突然切れてしまい、登校拒否、欝や過食・拒食などになってしまうこと。

それは、無視された、あるいは押し殺されたおおくの「自分」の一人(だけじゃないかも?)からの、魂からの叫びなのだ。


(II に続く)
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# by totoatsuko | 2005-08-13 01:52 | 日々感じたこと | Comments(0)

GIM個人セッション体験@東京

区民会館が5時半から使えるので、グループはちょっと、という方のために、個人セッションを企画しました。

時:2005年9月1日(木)
時間:午後5時40分ー7時10分
場所: 笹塚区民会館出張所。和室
会費:3500円
定員:1人 (先着順)

興味がある方,質問等は、メールをこちらまで→totoatsuko@hotmail.com


Guided Imagery and musicのより詳しい内容は、以下を参照してみてください。

http://totoatsuko.exblog.jp/1223376
http://totoatsuko.exblog.jp/818606
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# by totoatsuko | 2005-08-05 04:26 | Comments(0)

GIMワークショップ @東京 & 広島

d0065558_13521022.jpgガイデッド イメジェリー & ミュージック セッションを体験する、ワークショップのお知らせです。

東京
時:2005年9月1日(木)
時間:午後7時半ー9時半
場所: 笹塚区民会館出張所。和室
会費:1500円 (部屋代とセッションで使う材料費カバーのため)
持ってくるもの:自分自身のほかは、特になし。
定員:6人 (先着順)


都内から少し不便な場所なのですが、建物が新しくて綺麗だし、和室があるので、ここにしました。セッションは、床にすわって行ないます。

8月28日から3日の間で、参加者と場所 (東京)を確保してくだされば、私の都合が合い次第、出張ワークショップも行ないますので、ご連絡ください。

広島
時:2005年9月8日(木)
時間:午後7時ー9時
場所:デイケアセンター ゆたか (永田医院2階)
広島県安芸郡府中町桃山1-13-15
会費:500円
定員:6人 (先着順)


興味がある方,質問等は、メールをこちらまで→totoatsuko@hotmail.com

過去のGIMワークショップ体験者の体験談はこちら
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# by totoatsuko | 2005-08-02 13:51 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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