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It's all right...really?

d0065558_1341693.jpg集団登校中に2人の子供を殺してしまったお母さん。
まわりは、相談を受けたりして、彼女が悩んでいた事に気付いていたみたいだけれど、誰も彼女が専門家と話しをしにいくことを薦めなかったのか、専門家がその地域にはいなかったのか。

専門家に話をしに行くほどではない、と本人も周りも思っていたのか。真実は分からない。

でも、案外そういう人が多いのだと言う事を経験上知っているから、声を大にして言いたい。
ほんとうに、たくさんの たくさんの人がいるのだ。

セラピーに来てみて、初めて自分がどれだけ沢山のものを抱え込んでいたか、ぜんぜんit's all right (大丈夫、耐えられる)というレベルではない自分の心の状態に気付く人が多い。

友達などに聞いてもらったり、アドバイスをもらったり、飲みにいって鬱憤をはらしてるから、自分は大丈夫だと、専門家に話しに行くほどのことではない、、、
と思っていても、ある日取り返しのつかない事が起こってしまうのだから。

あまりに心を頭でコントロールし、心の訴えをおざなりにしていると、
いつか心が反逆を起こし、頭ではどうしようも出来なくなってしまう。

先程の投稿にも書いたけれど、日本でセラピーに行くには色んなハードルがありすぎる。
スポーツジムのように何処にでもあるものではないから、いい人を見つけるのは一苦労、見つけても場所や時間帯、値段で都合がつかなかったり。

それでも、それでも、自分で「ちょっと辛いな」「何かおかしいな」と思ったら、なんとかその人がいい専門家を見つけ出すこと、あるいは出会う事を願ってやまない。

人生は一度きりなのだから、辛い状態を永遠にひとりでひっさげて生きていくのではなくて、人生のある一定期間、専門家の力をかりて、なにか道をみつけだすのは、priceless。

死んでしまったり、誰かを殺してしまったり、落ち込んだり、悩んだり、迷ったり、自分らしくない自分で自分の人生を生きていくのを考えたら、セラピーに行って、心をケアすることは、お金に変えられないほど価値があることだと思う。

セラピーに行くのは汚名でも何でもない。
ただコロロの健康をバランスをとろうとしているだけ。
より自分らしい人生を、より豊かに生きていこうとするだけ。
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# by totoatsuko | 2006-02-24 13:12 | 日々感じたこと | Comments(0)

Scalable?

d0065558_1303550.jpg心理療法はビジネスとして成り立つか?
あるいは、スポーツジムのように誰でも手軽に利用できる存在になりうるか?

私の直感的な反応はNo.
何故なら、
1.沢山の場所にオフィスを構え、フランチャイズ化して同じクオリティーのものを提供するのは不可能に近い。
セッションの質や内容は個々のセラピストによって異なるからだ。
たとえ、雇うセラピストを「資格」という基準で選別しても、だ。
医師のように、ボトムラインがある程度保障されているものであればよいけれど、(それでも色んな事故がおきている)、今の日本の音楽療法士や、臨床心理士の教育、資格では、なかなかクオリティーの安定が計れない、と感じる。

2.質の悪いセラピーはお金のムダ、と私は個人的に思っている。
例えば、下手なマッサージを受けてもみ返しが起こるのと少し似ている。
実際、私自身のためのセッションなのに、自分のセラピストのことを知らないうちに分析し始めていた事があり、これでは、なんのためにお金を払っているのか分からないんじゃないか、という経験をしたことがあるからだ。


3.セラピストの絶対数が少ない。

4.誰でも払えるようなリーズナブルな値段を提示できない。
いいセラピストを雇うには、それなりの報酬が必要になってくる。ジムのように、大量生産されている器械を卸値で買うのとはわけが違う。それに、便利な立地にオフィスを構えるには、家賃もかかるし、組織を大きくすれば、バックオフィスの人の人件費もかかる。

こちらの心理療法の相場は、1時間$100がボトムライン。$200という人もいる。ただ、セラピストが保険を採用していれば、クライアントが入っている保険の種類にもよるけど、年に12回のセッションまで、50-70%保険でカバーされる。が、12回のセッションである程度のプロセスを成し遂げる事は難しいので、正規の料金を払うことが多くなってくる。

ただ、東京では、1時間7,8千円のマッサージや、ちょっとしたカウンセリングがはやっているし、高価なブランドものも飛ぶように売れているようだから、一概にリーズナブルの値段がいくらか、とはいえないかもしれない。

5.セラピーというと抵抗がある人が多い。
この点は、宣伝の仕方や今後の世間の教育で大きく変わってくると思うけど。一昔前は、ジムなんて誰も行っていなかったし、今だって、田舎に行けば、そんなものに縁なく暮らしている人は沢山いる。


これらの点について、
「少々質が劣っても、多くの人が利用出来る組織を作るのは、今の日本でとても必要とされていると思う。何でも最高級じゃなくてもいい。」

そう言った人がいて、なるほど、と思ったのでした。
例えれば、お米。こしひかりが美味しいのは皆分かっているけど、買えない人がいる。
それに、チャーハンを作るのが目的だったら、こしひかりじゃない方がいい。

だから、買えないんだったらしょうがないよね、代わりに芋でも食べないと、というのではなく、
色んなお米を用意し、消費者が選べるようにすればいい。

こう書いていて、なんだかピアノバーや美容院の指名システムみたいだな。と思ってしまった。セラピストによって値段が違って、利用者が指名する。。。

あるいは、田舎に携帯サービスをつくる。電波は凄く悪いけど、ないよりは全然いい。というのにも例えられるだろうか?


みなさん、どう思われますか?


何故こんな事を考えたかというと、今、日本は本当に悲しい事件がおきすぎていて、
それを聞くだびに、「ああ、もしその人がいいセラピストに出会っていたらならば、状況は変わっていたかもしれない。殺さずにすんだかもしれない、自殺しなくてもすんだかもしれない。」と思うからです。

もっと気軽に、より多くの人がセラピーに行く環境を作れないだろうか?

習い事や趣味、お化粧品や衣類、外食にお金と時間を費やすのと同じくらい、自分の内面のケアに投資する事に意味があることをより多くの人が気付いたら、と思ってしまうのでした。
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# by totoatsuko | 2006-02-24 13:00 | 日々感じたこと | Comments(0)

音楽療法 意見交換の場

d0065558_10482181.jpg日本をベースに活動しているわたしの尊敬する音楽療法士の友人達がはじめた音楽療法のページです。

毎月、どなたかに音楽療法について語っていただき、それについて意見交換をしていく場を目ざしているようです。
http://musictherapy-online.com/
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# by totoatsuko | 2006-02-22 10:47 | 日々感じたこと | Comments(1)

べてるの家の当事者研究

d0065558_937499.jpg精神科にかかる当事者たちの、自分の病気との取り組みについて当事者によってかかれています。

べてるの家を統括する川村敏明医師は、その本のあとがきに
”札幌の民間の精神病院にアルコール専門病棟があって、そこで四年働きました。(略)そこでのわたしの役割は、わたしがそれまでやっていたよりもかなり限定的な役割だったんです。ほんとに、こんなに一線をひいていいのかな?と思うほど何もしていませんでしたが、現実にはそれでどんどん酒をやめていく人がいたんです。(略)「あんなに一生懸命やっていたのに、酒をやめた人はゼロだった。それがどうして何もしていないのにやめていくんだろう」と悩みましたね。

そのときはじめて、医者は何をすべきで、何をしちゃいけないのかという、「自分の役割のつかいどころ」を考えるようになりました。”

当事者研究をよんでみると、例えば
幻聴がきこえる人は、それを薬で抑えるだけではなく、幻聴と対話をしようと試みる。「いま疲れてるから、くどうくどきさん(幻聴につけた名前)、今日はこの辺で勘弁してください、おねがいします」と対応してみる。幻聴を否定するのではなく、そこと関係を形成し、コミュニケーションをとろうとする。

突発的に、暴力的になってしまう人には、暴力的になってしまう自分の背景には何があるのか?それは子供の頃虐待されていた時耐え忍んでいた頃の自分がやっているのではないか?さぐってみる。

精神病は、遺伝の要素“種”はあるけれど、それをはぐくむ“土壌”もある。

かれらが書いている、べてるの家にくる以前の状態は、
例えば、、、精神科に入退院する。そうすれば、薬や注射を打たれる=それらに心理的に依存していた。奇怪な行動をとり現実からのがれることで、不安感などから一時的に逃れていた。拒食になり、やせほそった姿見た人に優しい言葉をかけてもらうのが心から嬉しかった。

でも、べてるの家にきたら、簡単に注射してくれない。それよりも、どうしてそういう気持ちになるんだろうか、という会話になってくる。家出してみても、誰も探しにきてくれない。でも、自分を温かくみまもり、自分と向き合うためのサポートをしてくれる。

この本には、当事者達の心の葛藤と、べてるの家での心のプロセスがよく書かれているので、当事者の方だけでなく、その家族の方、またこういう方達と触れ合うことがある人は、一読の価値ありです。
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# by totoatsuko | 2006-02-12 09:37 | Comments(0)

RILKE

To Music

Music: breath of statues. Perhaps:
silence of images. You: speech,
where all speech ends. You: time,
standing vertically parallel to our
vanishing hearts.

Feelings for whom? Oh, you transformer
of feeling into what? : audible landscapes!
You stranger: music. You who have outgrown
surge away from us.... in holy farewell:
d0065558_3575070.jpgwhere our deepest center surrounds us
as the most distant horizon,
as the other side of air:
pure,
immense,
no longer habitable.

RILKE
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# by totoatsuko | 2006-02-10 03:57 | Comments(0)

PLATO

d0065558_442225.jpgMusic is a moral law.

It gives a soul to the universe,

wings to the mind,

flight to the imagination,

a charm to sadness, and life to everything.

PLATO
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# by totoatsuko | 2006-02-10 03:47 | Comments(0)

The Notebook

d0065558_3285989.jpg週末みたDVD 「The Notebook」

老人ホームに、きちんとした身なりをした品のいいおばあさんAllieを訪ねてくるボランティアがのおじいさんNoahがいる。お話、を読んであげるのだ。
Allieは、痴呆のため、何も思い出せない。
自分が誰で、どういう人生を歩んできたかも分からない。

毎回数ページずつ読み聞かせる内容は、
いろんな困難をのりこえて結婚する、深く愛し合っている若い二人の話・

実は、それは、Allieが呆けてしまう前に書きとどめ、最後に
「Noah,私が呆けてしまったら、これを読み聞かせて。きっとあなたの事を思い出すから」
と結んであるNotebookだった。

Allieは、たまに、ほんの5分だけ、そのボランティのおじいさんが、彼女の最愛の夫、Noahであることに気付く。Noahは、その5分のために、ひたすらAllieの書き残した彼らのHistoryを読み聞かせる。ほんとは強く抱きしめたいのに、Allieを怖がらせないようにするために、他人のふりをしなくてはならない。深く愛し合っていたがゆえに、繋がれないもどかしさ、悲しみ。
痴呆になって、最愛の人を自分の人生をこれっぽっちも思い出せない心の痛み。



翌日 ハンバーグの具をこねながらふと、ひらめいた。

「結婚はProcessだ。」

まぁ、厳密には法的に結婚してる関係に限定して言っているわけではないけれど、、、


結婚にあこがれている人の中には、結婚という ・ (点)を体験する事が目的になっている人もいる。
結婚という心の中に作ったオブジェに、夢や希望が溢れていて、それに見合うものを探している。
でも、結婚は ・ なんかじゃない。
だって、止まってない。
だって、変化する。
自分でコントロールできるものじゃない。

そういうひとは、永遠に 理想を手に入れられない、きっと。

あれこれ理想をえがいてあこがれ努力をしても、結婚に限っては、その通りのものを創れるとは思わない。
だって、違う人間が深く関わっていて、そのひとを駒のよう自分の理想の構築のために利用することは出来ないし、第一、人生を重ねるごとに、理想や幸福感なんて変わっていくのだから。

創っていくプロセス、その日々のあゆみそのものが、結婚なんだと思う。

毎秒 毎秒 それぞれの人間は変化していて、それがMargeしたり火花を散らしたりして、結婚の色合いが変わってくる。
二人の人間が、共存し、深くかかわる事によってのみ、創造されるものがある。
いつもいつも楽しいものではないかもしれない。
強くならなくては耐えられなくなるときもあるかもしれない。
でも、理想の・ を追い求めて生きているよりは、はるかに充実していると思うし、
姿勢次第で、そのプロセスは、楽しく感じられるものだ。


試験管に異なる物質を入れて、それが時間と共に、ゆっくりと混ざり合い、異なる匂い、texture、色合い、tasteをつくっていく。最後には、最初別々だったものとは、似ても似つかないようなものになっている。

d0065558_627194.jpgその変化のプロセスが、結婚のうまみなんだと思う。
深く関わって生きてきた二人の、
個人として、そしてカップルとしての変化のプロセス。
本物のうまみは、
しょっぱい岩塩や、
香り高いスパイス類
こくのあるバター、
涙と鼻水が同時に出てくるくらい辛いチリ、
舌がとろけそうなくらい甘ったるい蜂蜜、

そんな色んなものから、構成されていると思う・

ここで使った「結婚」という言葉は、「人生」という言葉にも置き換えられるかもしれない。
幸せは夢見るものではなく、はぐくみ、感じ、分かち合うものだ。

そして、セラピーも、プロセスである点については、おなじことがいえる。
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# by totoatsuko | 2006-02-07 03:31 | 日々感じたこと | Comments(0)

ちょっといい話

d0065558_13525637.jpg発達障害のあるお子さんとの10分間のセッションの翌日、お母さんからお電話をいただきました。

「昨日なにか特別な事をなさいましたか?」

お話をきいたところ、
いつも帰宅後はおもちゃを部屋じゅうに散らかして、TVをつけて遊ぶのに
その日は、お母さんが夕飯の準備をしている間じゅう横にいて、お話をしてくれたのだそうです。まさに静 と動。

それから、夕食では、嫌いでいつも食べない野菜を、文句も言わずパクパクと食べ、
いつもは電話で話したがらない相手に、電話をかけてくれるようお母さんに頼み、電話口では、先日品ものを送ってくれたお礼を、丁寧に伝えたのだそうです。

話は、ここで終わらず、いつもは下の兄弟とケンカを始めるところ、
その晩は、ケンカをふっかけられると、口に人差し指をあてて「シーッ」となだめたとか。


セッションでは特に、何か魔法をかけたわけでもなんでもないのだけど、、、
ただ、彼女のたたくドラムのリズム、テンポ、ダイナミックスに全身全霊をかけて注意を払い、
音に転換された彼女のコトバに耳をそばだて、彼女のみせてくれた“世界”に入って、
おなじ言語を使うことを試みをしただけ。

もしかしたら、
彼女がイニシアティブをとるまで待ったり、
彼女のやり方を尊重して、彼女のやり方でコミュニケーションをとろうと、
こういう形で試みた人は、彼女のこれまでの人生でいなかったのかもしれません。

発達障害があると、人生のうち、いつも物事を教えられて、その通りできるように努力をしないといけない状況が、多々あります。

そんな中で、あの10分間は、他人が、彼女のやり方を学び、より沿おうとした、
彼女にとって新鮮な体験だったのかもしれません。
ああ、自分のやりかたでも、人にわかってもらえるんだ、分かろうとしてくれる人がいるんだ、
自分のやり方で自分を表現していいんだ、って。

どんな人だって、自分の事をわかって欲しいひとに分かってもらえなかったら、
すごくフラストレーションがたまるでしょう?怒りっぽくもなるでしょう?
何で分かってくれないの!って声を荒げてしまうでしょう?

こんな信じられないような変化が、セッション毎に起こるわけではないのですが、
こういう時間を繰り返し持つことによって、
長期的に見たら、その子の世界観や、自分の中の自信に、大きな影響を与えていくのだと思います。
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# by totoatsuko | 2006-01-31 14:20 | 音楽療法セッション例 | Comments(2)

数字

d0065558_1553323.jpg今回 日本に帰っていた時同僚達と話していたこと、
昨日の ボストン日本人交流会でのプレゼン後 ききに来てくださった方々と話して 改めて 考えさせられたこと、
[前半の講演者、岩瀬さんのブログは こちら ]

数字

音楽療法を効果を第三者に理解・納得してもらうためには
数字がないと、なかなか難しい。

かたや、「こころ」を 計るなんて、出来ないんじゃないか、
という意見も。

日本の音楽療法学会の学術大会では、数字を出した研究発表が沢山あったようですが、
数字を出す方法論がクライアントに音楽療法として効果をもたらしているのかはっきりしない、
出てきた数字も、何を証明したいのかよく分からない、そんな未熟な状態のようです。

アメリカでは、例えば 今私がすぐ思い出せるものは
音楽療法を受けた入院患者さんと、そうでない患者さんを比べたら、音楽療法を受けた患者さんの方が入院日数が減った

未熟児で生まれた赤ちゃんに、子守唄を使った音楽療法を実施したら、それを体験したグループの方が体重増加が早かった

という数字があります。


私も、意味のあるリサーチの実施と発表の重要性を痛感しているところ。
これからの課題です。
リサーチ、一緒にやってくださる方、メンター、募集中です。


本当にリサーチについて何も知らない人のためにお勧めの一冊だと、友人が教えてくれました。
「統計解析なんかこわくない データ整理から学会発表まで」
出版社 : 医学書院 著者名 : 著 田久 浩志 

参考までに。
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# by totoatsuko | 2006-01-30 15:05 | 日々感じたこと | Comments(1)

お見通し?

d0065558_13325231.jpg
ガイデッド イマジェリー アンド ミュージックのワークショップでは、
大抵の場合、音楽体験のあと、絵を描き、参加者の間でそれぞれの体験を話してもらいます。

描いた絵をご本人に説明してもらったあと、
私や、グループメンバーが、その絵で気付いた事とか、絵に対する質問を投げかけます。

例えば:
「その鳥居は、その真ん中にいるご自分を世間のざわめきから守ってる、とおっしゃったけれど、では、日常の世界で、その鳥居が象徴しているもの、自分を世間のざわめきから守ってくれるているもの、って何なんでしょうねぇ?」

「真ん中にいる人は、顔が見えないのですが、後ろを向いているのですか?この人は、鳥居に守られて、誰もいない場所で、どんな気持ちでいるのでしょうか?」


そんな時、よく、「先生はどう思われますか (分析されますか)?」 ときかれるし、
「絵をみたら、先生には私の内面が全てお見通しなのでしょう?」なんて言われますが、
正直、何も分からないんです。

だって、私の知らない、最低でも20年近くのその人の人生を、
初めて会って、数時間で、絵をみたからって、分かるはずがないのです。

おなじ「青」でも、人によって、それは深い悲しみを表している事もあるし、静かな平和な状態を表しているかもしれない、それとも全てを許し包み込んでくれる太母のイメージかもしれない。

だから、ご安心を。何も、勘ぐったりしていません。

夢判断の本などのように、
簡単に人の心を読み解いたり、判断を下したりできるとは思っていないのです。

だって、たとえそれが、心の底の底に埋葬されていて、一人では解読できないにしても、
本当の答えを導き出せるのは、ご自身なのですから。

私は、そのひも解きのお手伝いができるだけです。


P.S. ワークショップでは、自分について、なにか気付くきっかけになりました、参加してよかったです、等のフィードバックをいただいて、嬉しかったです。

ワークショップの体験は、たとえそれが気付きの場であったとしても、実際のセラピーのプロセスとは異なります。しかし、GIMがどんなものか、擬似セッション体験を通じて、皆さんの学びの場になれればと、思っています。
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# by totoatsuko | 2006-01-27 13:33 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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