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映画 The wife




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The wife

映画の最後のあたりの会話。

Why did you marry me? I don’t know ….


意識してはいなかったはず、お互い、お互いを使った、自分自身のNeedsを満たすために、自分の向かい合えない闇を相手が生きてくれた。

真の自分は子供に対しても社会に対しても見せない。

成功した作家と従順な妻を演じる二人。

卓越した才能を発揮する女性とベビーシッターと浮気をする男性。


真の自分を表に出すと自分は認められない、と信じる女性。

自分の無能を明かすと、名声、妻、全てを失う、と信じている男性。

社会が求める、女性像、男性像を無意識に生きる夫婦。

夫婦で常識や社会に抗う事は考えられなかった。


お互いに気持ちを伝え合ったら守ってきたものが崩壊するのを知っているから

そして、その痛みが恐ろしすぎるから

自分の気持ちや思いを抑圧し、その感情は二人の間で共有されない。


その間、無意識にはずっと痛みを感じ続け、

二人のみの関係ではなく、その周りの人たちとの関係にも影響を与え続け、

傷口は大きくなっていっているのだが、、、


唯一、二人の娘にまつわることは喜怒哀楽を共有しているが、

息子に対する関わりは複雑で

まるで両親の闇を息子が背負って生きているかのよう。


役者さんたちの表現も素晴らしかったです。


お問い合わせ、セッション予約 は letsmusicingATgmail.com まで。


# by totoatsuko | 2024-01-15 01:31 | Comments(0)

何を体験すべきだったのでしょうか? @ Tea celemony

何を体験すべきだったのでしょうか? @ Tea celemony_d0065558_03393990.png
新年に参加した New Year Tea Ceremony (Western style) にて。

20人くらいが話になって座り、ティーセレモニーの全てが無言の中進んでいく。
聞こえるのは、風、波、鳥の声と、遠くからの人声。
約1時間半ほどの行いが終わり、
マイクが回され、
著名なビジネススクールの名前がかいてあるフーディーを着た人が質問をした。

とても美しいセレモニーでした。インストラクションも明確だったし、素晴らしかったです。どうもありがとうございます。ところで、私は、このサイレンスの中、何を体験すべきだったのでしょう?何を体験して欲しいと思っていたのですか?

この人は自分の感情や感覚を感じ観察する代わりに、
この時間ずっとそう自分に問いながらこの時間を過ごしたのだな、と思った。

ガイド(この場合、自分より上の立場の人)が自分に求めているものは何なのか?
正しい?あるいはそうあるべき?体験の仕方は何なのか?
それが分かれば、自分がそれを感じるように自分を持っていけるのに。

あたかも、そんなふうに思っているようだった。

この人はガイドに過去の人間関係の誰を投影し、自分の立場を無意識にどう設定していたのだろうか?
従わないと機嫌が悪くなる父?母?兄弟?先生?上司?

ガイドが自分がどういうふうに体験するかを定義づける役割だ、という期待はどこからきていたのだろうか?

その人は、又、不意に何らかの美しさに”感動しながら”
その意識されていない感動が、ガイドの仕草の写真を撮る、という行動を起こさせていた。
その行為がグループダイナミックスにノイズをうんでいたことにはもちろん気づいていないようだ。

ガイドは、セレモニーを始める前に
自分の体がどう感じているか、周りの音や風をどう感じているか、自分自身に注意を払ってみて
と言っていたのだが、無意識に投影しているものが先立ち、この人にはわかりにくかったのかもしれない。

自分がどう感じているか、感じ方を知らなかったのかもしれないし
自分が感じてる事が、正しいのか間違ってるのか、自分自身で無意識にJudgeしようとしていたのかもしれないし
何を感じてもいい、というコンセプト自体がよくわからなかったのかもしれない。

答えや正解がないことが不安だったのかもしれない。
本当のところは、わからないけれど。

別の私の隣に座っていた人は、つまらなそうで、足を組み替えたり、そわそわして、器をPass onしているときに、目で何かを訴えてきていた。
いつ終わるのかしら、この単純作業の繰り返し、という声が聞こえてきそうな感じ。

今自分がこの瞬間 この瞬間 何を感じてるか というスタンス
- 例えばお茶の香りをどう感じてるか?香りがどんなふうに体の中に入っていっているか?喉元を通るお茶に体がどう反応しているか?器の形に自分の手や指がどのように触れて、温度や手触りをどう感じているか、お茶を淹れる音と自然の音の交わりがどんな風に聞こえてくるか、等々

自分の外で発生する言葉やダイナミックな動きを介した交流もなく 
正解やタスクの指示もない けれど それを探し続けモヤモヤし続ける
それは自分の感性から自分を解離させ、その場からも乖離させる。

Judgeしないで、答えを見つけようとしないで、ただそこにいる 自分自身を感じる というありよう

そういうことは 学校で教えてくれないかもしれない
目的に向かって成果を出す職場 では求められることは少ないかもしれない。



# by totoatsuko | 2024-01-08 11:58 | Comments(0)

2024 迎春

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目に見えていること、言葉通りのこと
それとともに

シンボリック(象徴的)に自分に問いかけて来る周りで起きている現象
自分の中から生まれるシンボリックなイメージ 
自分の中の感覚 (言葉になる以前のもの、意識にまだ上がってきていないもの)

無限の可能性を持つそれらに耳を傾け、くみとり、意味を見出す、シンボルが伝えようとしていることを紐解く。

自分自身にとって その時その時の真実は何?
私は何を感じていて、どこに向かいたいと思っている?

Living a symbolic life : その感覚は 目に見えて、文字通り書いてあるものを生きているのとは違う感覚。

わからないものをわからないものとして抱きしめ、感じ続ける、対話を続ける。
そうしているうちに それが変容していき 自分自身の感覚が変わる。

ユングも注視していた宇宙で起きている動き。惑星自体にも異なるエネルギーがあり、動き続ける惑星間で常に変化するエネルギーを生み出し続けている。惑星の一つである地球に住んでいる私たちも、もちろんその影響を受けている、意識的に感じていようが、いまいが。

2020年12月にAquerious(水瓶座,風の要素)で起きたJupiter(天王星)とSaturn(土星)のGreat conjunction が風の時代の到来を示唆し
They were the closest since 1623 and eighth closest of the first three millennia AD).
2023年3月Plute(冥王星)がAqueriousに一時的に入り
2024年2月にPluteがCapriorn(山羊座、土の要素)での旅を終え、11月辺りから本格的にAqueriousでの15−20年の旅を始める。

写真のSeagull(カモメ)を見た時、かもめのジョナサン、という短い小説を思い出した。
この小説のイメージが 今 私に再び届けられたことによって
物語を再び読み、小説を読みながら自分自身の中のジョナサン的なものをジョナサンに投影することで再発見する。

どこまでも青い空。どこまでも青い海。
2024年の世界が、地球にとってあるいは個々人にとってより良い年になるかはわからない。
私たちの生活は続いていく。
良いか悪いか、楽しいか苦しいか、という軸に加えて、
自分自身と自分がより繋がり、自分を解放し、周りと繋がりたい形で繋がっていけたら、と思う。


# by totoatsuko | 2024-01-07 02:51 | Comments(0)

曼荼羅と自己内省 無料オンライン 参加申し込み受付中

NY時間9月13日19時ー20時半 (日本時間9月14日午前8時ー9時半)
曼荼羅と自己内省 というタイトルで、オンライン ワークショップ (無料)を行います。

このワークショップでは、ドイツの精神科医・精神分析家のユングがどのようにイメージを使ってSelf-reflectionを促していたかご紹介した後、参加者の方が実際に体験する場を設けます。
お申し込みは、info@jaany.org まで。
ご質問等は 私の連絡先letsmusicingATgmail.comまで (ATを@に置き換えてください)。
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# by totoatsuko | 2023-09-12 00:11 | Comments(0)

全体主義の中で生きるため ー 凡庸悪

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イエルサレムのアイヒマン という映画。

アイヒマンはゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、
ハンナ アーレント、ドイツ出身の哲学者が、彼についての研究を通して”悪の凡庸さ(Benalty of Evil)の概念を提唱したことで知られています。アイヒマンは裁判の中で、自分は選択余地がなかった、命令されたことをやっただけだ、自分には責任がない、と繰り返したそうです。
アーレントは、この思考停止状態、全く内省を行わない状態 (No Selfreflection)が、権力も何もない人でも悪魔のような恐ろしいことを無責任に実行させる、と主張しています。

アーレントの主張には様々な反応を引き起こしたようですが、

全体主義の中で、凡庸な私、が生き残るために
自分がやっていることはどういうことなのか、
自分がやていることで今何が起きているかということから目を必死に背ける

というのは、その人が内側から崩壊していくのを促しています。
他人や家族に気づかれないような症状(不眠、鬱、アディクション、強迫観念、DV)
あるいは、専門家から見たら明らかな症状でも、本人や家族は、何かそれが当たり前の風景になっていて、本当は当事者も周りも不利益を被っているのに深刻さに気づかない、というケースがよくあります。

アイヒマンは、ヒトラーの君臨する世界で生き延びるために、内的な死(感情と思考の停止)を自分に無意識に課してヒトラーの元では生きていたけれど(かといって行為が評価されたり、地位が与えられたわけでもない)状況が変わり、戦後死刑になった。刑が執行される時まで本人は自分には罪も責任もない、ただ命令に従っただけだ、と主張していた、と書かれています。

そこまで自分の感情をスウィッチオフにし、数百万人の虐殺を指揮した、という自分を生きた。

アイヒマンテスト、という、擬似的に作った権力者と服従者、という関係性の中で人はどれだけ指示に従うか、という心理テストがあるようです。

凡庸悪の恐ろしさよ。
内省せずに、ひたすら目を閉じて生きることの生きづらさよ。



# by totoatsuko | 2023-08-21 22:37 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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