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近しい関係の捉え方

d0065558_1342629.jpg例えば「夫婦」って、
同じ家に住んでることが多くて、
多くの事を共有してることが多くて、
何年もずっと一緒にいたりする。

それで、相手に対して、あるいは相手に接する自分に対して
知らないうちに ものすごく視野が狭くなってることってあるんじゃないかな、とふと思いました。

そして、印象派の画家たちの中でも スーレやシスレーの点描画のいくつかを思い浮かべました。
初めて彼らの絵を見たときうけた衝撃は忘れられません。

点描画は、誤解を恐れずざっくり言えば、筆で塗る、というより、筆の先をつかって無数の点を重ねて色合い風合いを出しています。

遠くからみたら、例えば、絵から10歩下がってみたらその小さな点をほとんど感じず、
絵全体の風合いや構図の印象をまず感じるのだけれど、
絵から2歩下がったところでは、無数の点がくっきりみえるけれど、全体像は見えにくい。

青空、青い空、に見えていたのが、
近づいてい見たら、青以外の、黄緑とか、オレンジに近い色のドットですらキャンバスにのせられていることに気づきます。青空の構成物の一部が、暖色のドットだなんて。いいかえれば、あの青空のテクスチャーを作るには、あの暖色のドットが必要だなんて、、、近くに行ってみないと知りえないことでした。

言い方を変えれば、
近くだけでその絵を見ていたら、いろんな色のドットに目がいって、全体像をとらえられないから
遠くからその絵を見て感じる 「きれいな青空だな」 という印象は 持てない、という事になります。

近くからも遠くからも見たうえで、
ああ、この青空は、実はあんなふうな構成色なんだ、と分かって上でみると、
絵の感じ方が 全く変わります。


夫婦でいると、そんな感じで、
この家族の中の夫と妻、という なんていうか 自分で勝手に決めた距離感からしか相手も自分の事も捉えてなくて、でも、その事自体にも気づいていない事によって、自ら苦しさや誤解を生んでいる場合もあるんじゃないかな、と感じたのでした。

結婚している2人 といえど
その2人をとりまく状況は刻々と変わっているし 
(例えば、子どもが生まれる、とか、両親との距離の変化とか)
個々人の状況もかわってる (仕事が変わる、とか、体調や年齢、感性の変化とか)

必要に応じて、絵を鑑賞するように
自由に自分で”視点”を変えて、時に遠くからビックピクチャーで、
時に近くから細部を、
時に異なる角度から異なる光を当てて

相手の事や、自分たちの事や、その関係の中にいる自分自身のことを捉える事をしながら、いろんな距離感をなかで自由に動きながらその関係を生きる事ができたら、今とは違う風に相手を、相手との関係をとらえたり、新に作っていく事ができるんじゃないか、と思いました。

夫婦、と例として利用して書いてみましたが、
どんな関係にも応用して捉えてみることができると思います。



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by totoatsuko | 2016-10-31 14:58 | Comments(0)

日常からちょっとスピンオフした過ごし方をする

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フラメンコの本番が終わった。
なんだかいい夜の過ごし方をした。

夕方5時前に場所入りし、リハーサルをへて、本番が1部2部。
夜10時半ころショーが終わり、急いで汗にまみれた衣装をスーツケースに押し込み
そのままお店でショーを見に来てくれたお客さんと飲んで喋って
時計の針が真夜中をすぎて半周したころで家の最寄駅についた。

本番の高揚感と、その特別な時間が終わった感覚を まだベットに入って眠ることで終わらせたくなかった。
疲労感を感じなかった、当日を迎えるまでいつもやらない量の練習をしてヘトヘトになっていたのに。

そのままガラガラとスーツケースをひきづって近くのカフェバーに入ると
お店の人が、スーツケースお預かりします、と自然に転がしていった先には、大小5つくらいスーツケースがおいてある。私以外にも沢山の荷物を抱えて出かけた人達がこの場にこの時間に集っている、という事にすこし驚く。

禁煙の席を案内してもらい、
お店の人がフード、ドリンク、デザート、三冊のメニューを持ってきて説明しているときには
すでに赤ワインをグラスで頼むことはすでに決まっていたのだけど
今日のリハーサルの時から家から持って出ればよかった、と少し後悔していた小説をはやく読み始めたくなって
イタリアワインを注文してから、「ちょっと荷物をおいてきます」とお店の人に伝えて、
並べられたスーツケースの中から自分の小さな青いケースをひっぱり、ゴロゴロと転がして横断歩道を渡る。

帰宅したら
玄関だけ電気がついていて、子ども達からメッセージが書かれているホワイトボードが真ん中においてあった。

”おかえり。 フラメンコたのしかった? お風呂にお湯入ってるよ。
はやくあいたいね!
ママが帰ってくるころ たぶん起きてるよ。いっかい部屋にきてみてみて寝てたら
またあしたおきてたらこえかけてね!!
大大大大大大好き!”

子どもたち・・・ 
彼らがぺちゃくちゃと喋りながら寝支度をする風景が思い浮かぶ。

ありがとう。
私を応援してくれて、気遣ってくれて、思ってくれて、愛してくれて。
ほんとうにありがとう。

心がじわっと熱をもっていくのを感じながら
汗臭いしめった衣装を無造作に椅子の背もたれにかけ、
数か月前に図書館で予約していて、数日前にやっと届いた小説を机からとり上げる。
本番が終わったら読もう、と心にきめていた。

真夜中なのに意外に暖かったので着ていた皮ジャンを脱いで、
斜めまえについているジャガード織のバルーンスカートのポケットに携帯と財布をつっこんで
本を小脇にかかえて ゆっくりとカフェバーにむかう。

一端帰宅したらもう出たくなくなるかな、というのは杞憂だった。

オフホワイトのハイネックの薄いニット 
半袖から出ている腕に気持ちよい風があたる
少し高めのヒールの靴がなだらかな下り坂のアスファルトの上できゅっきゅっ となる。

ふたたびもともと案内されていた薄暗い店内のソファーに腰を下ろしたと同時にボーイがきて、
すでにテーブルに用意してあったワイングラスに赤ワインを注ぐ。

天井の高い店内
左隣には パソコンをパチパチ叩いて仕事しながら 本格的に食事をしている人
右ふたつテーブル向こうには T-シャツのサンプルをお店の人に見せながら熱心に話をしてる人
会話がはずんでいる華やかな女性たち
昼間にはない空気がお店に漂っている。

そして、私も今夜は その風景の一部であるのだ。

ほぼ毎日通り過ぎてるお店
まだ日が明るい時に入ったことがあるお店
ものすごく日常に近い場所なんだけど 日常からすごく遠い時間の過ごし方。
時間が真夜中をすぎると 街も、交差点も、お店も全然ちがう匂いだし 
”この時間にこのお店で読書している私”も 私が初めて体験する ”私” だった。

すぐそこには、私を思って眠りについた子ども達がすやすやと眠っていて
少し前には、アーティスト達の”瞬間”に繰り出されるエネルギーの刹那の中で踊っていた私がいて
その中間に真夜中にテーブルのろうそくがゆれるお店で読書している私がいる。
もう少ししたら、私は日常に帰る。

あと数時間したら、空が白みはじめ、子ども達が起きてきて、朝ごはんを作るという日常があたりまえに始まる。

そんなことをぼんやり考えながら、本を読み始めると引き込まれていき、
改めて この異空間、異時間に、小説という異次元に身をゆだねられることを甘受する。

小説にはアーティストなど、自分の体験を重ねられる人物が複数おり、なつかしい土地がでてくる。
彼らの心の細かいひだや揺れ、街の風景に、自分自身を放りだす。

ストーリーに自分をただ浸透させる、その無力感、その感覚は好き。

お店の閉店時間が近づいてきたけれど小説はどんどん展開していく。
区切りのいいところでお店をでて、また夜風にあたりながら短い距離を歩く。
そして、子ども達の寝顔をみてから、もう随分ぬるくなっている子どもたちが私のためにいれておいてくれた湯船に熱いお湯を足して体を沈める。

私の将来に こんな夜の数時間があるなんて 想像したことなかった。
フラメンコの本番、子ども達からの心があったまるメッセージ、小説とワイン、真夜中の空気 
全部ひっくるめて私の感情をゆさぶったもの。

過去のいろんな事の出来事の重なりが 重なって重なって重なって起きた
偶然であり必然でもある 今日の陽が落ちてから朝になるまでの出来事と時間。

日常から ほんの数ミリ外に出る事は なかなか難しい
子どもを育てていると 私は自分できめた優先順位は 基本変えない。
だけど、本番、 とか、そういう外的きっかけがあって、それに合わせなければならない時
友人たちの協力を得て 自分が日常やらない自分を生きられるような段取りをする。

海外に旅行に行く、という感じの、ガツン と日常から離れるのではなく
すぐそこ に日常を感じながら 確実に日常ではない自分を生きている時間は
なんとも甘美で贅沢にかんじられた。

小説の続きが早く読みたくて
ソファーにふわふわの掛布団を持ち込んで、あったかい紅茶を淹れて、続きに没頭する。
布団と自分の体のまわりの空気があったまって、やさしい空気に包まれて心地いい。
しばらくすると眠気と心地よい疲労をかんじて、朝までの数時間を寝る事にする。

朝ごはんを作って子ども達を送り出したら、夕方までは何も予定を入れていない。
昼前には小説を読み終えることができるだろう。
残りのページが少なくなっているのが残念でならない。

本を読み終え、衣装など諸々を片づけたりしていたら、すぐ夕方になる。
このふわふわとした時間の過ごし方と あやふやな自分のアイデンティティーの感覚ともまたしばらくさよならだ。

そうしたら、当たり前に同じことが繰り返される日常をまた積み重ねていく。
このかけがえのない満たされた日常があるからこそ 
すこしそこからスピンアウトした時間の過ごし方をきらめきに感じ 
こんな風に人生が歩めていることに心から感謝する。




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by totoatsuko | 2016-10-18 09:27 | Comments(0)

これはあたりまえの風景ではない

アメリカ大統領選も終盤

ミシェル オバマ氏が、「性的暴行を自慢気に話すなんて信じられない」 そう公のスピーチで断言しています。
人権とか、女性蔑視とか、そういう問題にはもう長いとりくんでききました。
しかし、現実には、2016年現在も、このような価値観で生きられる社会が存在し(勿論日本も)、
この問題に向かい合うことを避けてスルーし続ける社会は本当に変えたいと思う。

そのために私が等身大で出来ることは
自分の子ども達に、その価値観は間違っており、許されるものではない
誰かを蔑視する、モノや従属物のように扱う、ということは、自分を軽視し自分を愚かに扱うことである
ということを、言葉をちりばめるのだけではなく(そんな事加害者にも出来る)、背中で教えていく事だと思う。


言葉上や公の行動では 女性蔑視 性的暴行を非難することが”正しい”ことだと学習して、そう振る舞える人達も
プライベートでは、その間違った価値観が深いところにインプリントされており 
人権無視、女性蔑視、性的暴行 はどこかで ”あたりまえ” だと、
2~30年 あるいは4~50年前の価値観を そのまま継承して、その価値観で生きてる人が沢山いるのが現実なのだ。

そして、ミシェル オバマもスピーチで言っているけど
女性もまた その蔑視され、モノのように扱われる事を自ら甘んじている場合もある
事を荒立てたくないから 戦うのは疲れるから そんな低俗な問題と向かい合いたくないから

女性も、男性も、変わらなきゃダメだ。

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by totoatsuko | 2016-10-17 13:39 | Comments(0)

ピラティス - 自分の体を内観する方法の一つ

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今年に入ってから、近所にできたピラティス スタジオ に行きはじめました。
より深くピラティスの理論を学び実践していく中で、ピラティスは心理療法とよく似ている、と思いました。

音楽心理療法は、無意識、という 自分では意識できない領域にある自分の感情とか、思考パターン、行動パターンに気づき
気付くことで、今の自分を苦しめてる、不都合を生み出しているパターンや 過去や現在の世界の捉え方を ”変える” ことが可能になります。

ピラティスは、自分の骨や筋肉について 解剖学的な知識を得て、その視点から自分の体をみて、
不健全な形になっている骨の配列の状態を変えたり、
何層にも入り組んで絡み合っている筋肉の連携が効率的に働くよう促し、
関節まわりの体の部位の可動域を広げる、
呼吸と動きを連動させる、
等のピラティスの動きを日々エクササイズすることで、自分の体の内部を”内観”する力が養われて
体の状態をよりよいものへ変えていきます。

心理療法でも、ピラティスでも、
心の状態を変える
今までの姿勢や体の使い方の癖を変える
というのは、いずれも、誰かにやってもらうのではなく

自分で変わるための努力を自分の心や体をつかって実践する、
自分主体で 生まれ変わっていく
のは、とても大変な作業で、時にとても苦しく辛い状況を自分で乗り越える自己責任の覚悟と努力が必要
という意味で、共通している、と感じています。

例えば、ピラティスの中で、ペルビックカール という基本的な動きがあるのだけど
骨盤を前傾させたり後傾させたりするもの。
骨盤をそういう風に動かそうと意識したことなんかないし、
それをやるにも、腹筋群と股関節の屈曲筋群が発達してないし、連携していないから最初は全くできない。出来ないのだけど、理想的な動きとポジションにむかって、意識を集中させて、動かないものを動かそうとする過程は、結構苦しい。けれど、続けていると、それが出来るようになる。 これが出来るようになると、普段の基本的な姿勢のありかた、体の在り方が根本から変わってくる。

自分の心理構造を変えるプロセスで、時にとても苦しく、自分の中で大きな葛藤を抱えながら辛く、自分の中でバトルしながら気が狂いそうになりながら、これを乗り越えていく、そんな”過程”があります。

薬を処方してもらったり
マッサージしてもらったり
”誰か”に当面の症状を ”鎮めてもらう” という
自分の症状の治療にたいする受動的な要素とは本質的に異なる。

自分が苦しくなる状態を ”自分で” 作らない心の構造になる 
骨や筋肉の状態、体の使い方 が出来る自分になる。

体験して、しばらく”本質的”に”本格的”にある一定期間実践し続けないと 
これを実践することでどういう変化が起こり、
自分にとってどんなにいい状態になれるのか、
本質的に何をやるものなのか、
というのが分からない、という所もピラティスと心理療法は似ている。


フラメンコを習い始めて そろそろ8年目くらい。
体の軸 内側の筋肉?がしっかりしていないことで、動きにキレがないとか、バランスを崩しやすいとか 
そういう事は 自分の中でずっと課題としてあったのだけど

結果的に、
長年抱えてきた、自分の体に対する課題が少しずつ改善されて自分の踊りにもプラスになっただけではなく
体形が変化しただけでなく、
体の使い方も、
根本的に自分の体の内部に対する意識にも変化が起こっています。
(今週末本番が控えているのですが、以前のように最後の追い込み練習をかけているとき体のあちこちが痛くなってスポーツマッサージ に行かないと体が持たなかったのが、今回は痛みが生じないことに驚いています。)

ピラティスは、ジョセフ ピラティス という人が第二次世界大戦中辺りの時代から施術していたのですが彼の存命中は 医療従事者になるための資格を彼が持っていなかったために、なかなか広く正当に評価されませんでした。
現代では、欧米でアスリートから、高齢者のリハビリの領域まで扱える、専門性が高い領域になっています。

音楽心理療法、マクロビオティック、気学、に加えて、
今 ピラティス という新たな軸を自分に融合させ始めていくことが出来て、とても感謝です。


アメリカ発 幼児のための音楽教育 Music together @ 代々木上原クラス 無料体験 受付中。
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by totoatsuko | 2016-10-10 17:41 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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