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ベジタリアン は 我慢食なのか?

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ときどき見聞きします

ベジタリアンに切り替えてみたけど、
逆に体調が悪くなった
体力が落ちて元気がでなくなった
イライラするようになった
顔色が悪くなった

健康に気を付けて食事をして 医師などの指示に従ってサプリをのんで、運動も適度に続ける事を心掛けてきたのに そうじゃない人よりも若い段階でたくさんの病気を患っている。人生は長くない、好きな物を食べ、好きなように生きてきたらよかった

こんなコメント。
辛かったんだろうなぁ、と思います。

ただ、ベジタリアンの食事は心と体に悪影響 と結論付けるような言い回しだと、
その人の ベジタリアン食についての無知ぶりをさらしてしまっているだけだし、
その食事のスタイルをとっている人や、その文化に対して失礼じゃないかな、と思う。

ちゃんとベジタリアンの食事のことを体系的に勉強し、いろんな事が分かったうえで ベジ食してたのかな?
と思う。雑誌に書いてあったこととか、誰かが言ってたことをかじって ベジ食をやってたつもり になってなかったのかな?

栄養士 とか 医師 とか、特定の領域で専門知識と経験と肩書きを持っている人ですら
ベジ食についてしっかり知識がなかったりする ”のにもかかわらず”
分かってるふりをして 何かを発言する人がいるのも
与えられた情報を 自分で考えて受け止めるのが困難な人にとっては悪影響だと思う。

医師や栄養士だったら、食事とか栄養の事とかは自分たちより分かってる人、と勘違いしがちですよね。
肩書きもってるから真実を言っているとは限らなくて、
自分にとっての真実は 自分が真実だと感じるものがそうである、と私は思っています。

菜食にしたから体調が悪くなったかどうか その関連性は実際のところ分からない。
野菜・穀物をどう食べるか スイーツやアルコールはどうしてたのか 等 
それらの食べ方 が悪かっただけかもしれない。


そして、健康のために、と 自分を ”律しながら” 食べるものを ”制限” するのが 
ベジタリアン食ではないのだけど、 ベジタリアン というと、なんだかストイックな食事 というイメージを持っている人の声って 物事を表面的に捉えている類の媒体 でよく取り上げられているな、と思う。

これが、多数の人が潜在的に持っている印象を代弁している という事なのかもしれない とも思う。

ベジタリアン ヴィーガン マクロビ の人は カーニヴァー(肉食)? の人と同じように
食べたいものを食べ 食べたくないものを食べないでいるだけ で
自分に何かを課していたり 耐えながら食べてるわけでは全くない人も大多数いるのだけど
(耐えながら 頑張ってます!いい事やってます! って感じで実践してる人もいるけど)

なんだか 密かに憐れまれたり レッテル貼られたりしがちなんですよね。

人間、無知な領域にたいしては そうやって segregation .....
ん~何ていうんだろう 分断 かな 
そういう人を 分断したり 排除したりしたがる傾向を持っている人が多いかもしれない。

民族問題と同じですね。

日本人やってます スゴイでしょ 他の民族より優れてます! 
って思いながら日本人をやってるんじゃないのと同じ。

あるいは、
日本の事大して知らなくて なんか日本文化 よさげだから
色々日本人風にやってみて、その社会に溶け込んでみたけど
あんな息苦しい文化なんてありえないよ。

と、日本文化の全体や本質を知らずに ”日本文化” は息苦しい、と総括するは、
日本人に対して失礼なのと同じ。

日本文化についてほとんどなにも分かってい事が丸出しな薄っぺらい発言をしているのと同じ。

ただ 自然体で 自分の生き方・好みにしっくりくるから 菜食をしている、という人もいる。
だから 菜食が 何かの問題の源だ と言うのは 
とても乱暴であるという事実に気づけたらいいな と思います。



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by totoatsuko | 2015-12-20 12:51 | Comments(0)

チームワーク -ラグビーコーチからの手紙

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先日 家族はチーム というテーマで投稿しましたが 家族 というものにたいしてそういうイメージを持ちはじめたのは、ここ数年のような気がします。

もっと早く もっと子どもの頃からそういう概念を持っていて、結婚、や、家族、について その視点で自分なりに考える 行動する機会が過去にあったらよかったのにな  と思いました。

結婚する とか 誰かと一緒に暮らして人生をシェアする という状況のとき
自分たちが チームメイトである  自分はチームメイトとしてどのように家族に貢献できるか常に考えて動く という意識がそれぞれのメンバーにあるのと無いのとでは
家族の時間の持ち方、家族の関係の発展のさせ方が違ってこないでしょうか。。。


私の子どもたちがスポーツチームに所属していて、
さっくり括れば チームメイトであること についての話題がよく出てきたり
子ども達が成長してきて 生活面で彼らも大分自分の事が自分で出来るようになり、
精神的にも 生活をまわしていく面でも 私も助けられる部分がより増え、 
家族はチームメイト という感覚が私にとっては明確に感じられるようになってきたからかもしれません。


子ども達のラグビーのコーチから毎週ニュースレターが届きます。
読みながら、感動の涙がほろり。

家族である、とか、チームメイトである、とは名ばかりで
そんな括りを逆手にとって
信頼関係も何もない、相手をさげすむような関係だったり、誰かをパシリのように使ったり、
相手を尊重・リスペクトしない関係が横行しているなかで

チームメイトを信頼し、チームワークを構築させ、
本当のチーム として時間を過ごせる事ができるなんて、
なんてすばらしい経験なんだろう、と思います。

偽の友達関係とか、偽の家族関係とか、偽のなんとか とかいらない。
そういうのって、私にとっては、ただ消耗させられるだけのもの。

そんなのにかまってる時間があったら 
自分の大事な人達との関係を深めるために人生を使いたいとおもう。

それは、一筋縄ではいかない。
チームメイトであろうと、ハプニングが起きたり、誰かがミスを続けたら、相手に対する信頼だって揺らいだり、自分が自身喪失してチームのために貢献できなくなる状況だってある。だけど、そういう状況とみんなが向かい合い続けて、壊れかけたチームワークを再構築し、また壊れそうになって、苦しくて、辛くて、でも、みんなで乗り切って、チームワームを再構築し続ける。みんなが、よりよいチームになりたい、という共通意識があるから、あきらめずに自分たちのチームワークに対してチャレンジを続けられる。そのチャレンジを重ね続ける事で、だんだん、ちょっとのことではお互いの信頼関係は壊れない 柔軟でいてしなやかに強い仲間になれる。

子ども達の母であり、女性である事の意味を考えながら、
私の家族と 心の深いところで繋がっているチームを作りたいと思う。

わたしたちは一人じゃない
ミスしたっていいんだ
うまくできなくたっていいんだよ 
だって チームとして戦ってるんだから
仲間がカバーしてくれる 
カバーしてくれたことに対して 心から感謝する
そして 自分だって仲間のために何か貢献する事ができる

what a beautiful thing!!

仲間から学び、仲間の成長を支え お互いをたたえ合う
上っ面なお世辞じゃなくて こころからの言葉が自然にかわされる
感動の瞬間を分かち合う

what a stunning moment!

一人だけでやろうとするな
心をこめて相手と接し 必要なときは仲間に頼り 仲間を助ける

私たちは一人じゃない

what a wonderful thing to know!


###
以下、ラグビーコーチのメール 一部抜粋。

1対1の抜き合いの勝負ならば、小学生が大学生にも時々勝つ時があります、
だから、生徒達には、大学生に勝てるかも!という淡い期待があったのでしょう。

本気の大学生がその淡い期待を粉々に打ち砕いてくれました。

独りで抜けないのなら、仲間と協力するしかないのです。

大学生は最後まで本気でした。
一瞬でも気を抜いたらやられてしまう
相手だと彼らもわかっているからです。

一本、また一本、トライを取られるたびに
生徒達の動きは、焦りと自信喪失で重くなっていきました。

後半、点差が開いてズタズタのバラバラになってしまったチームを集めて
私は、もう一度団結させました。

いいか。ラグビーには仲間がいるんだ。ひとりでやろうとするな。タグはとられてもいいんだ。
 タグとられたら、仲間にパスして仲間を活かせ。
 みんなで心をこめてパスをつないで前に進むんだよ。

 まずは一本!トライをとろう。」

それからは目が覚めたように集中してくれました。
本当にみんなでつないで、一本トライを奪い返しました。

そして、タイラ(仮名)がずっと練習してきたプレースキックでコンバージョンのゴールを決めました。

本気の大学生から小学生が奪った貴重な7点でした。

試合後、キャプテンのタイラは、大学生に負けて、とても悔しそうな顔をしていました。
「勝てる!」と思って挑戦した生徒達を讃えたいです。

ナイスチャレンジだ!よくやった。負けたけど伸びしろがたくさんみつかってよかったな!
大学生には、手を抜かないように最後まで真剣にやってくれと頼んでおいたんだ。

その相手から7点とれたんだから君達すごいぜ。
あの一本とりきった集中力を1試合ずっと継続できたら勝てるんだよ。

それから大学生のディフェンスすごかったよね。
パスもうまかった。大学生のいいところを見習ってこれからどんどん練習していこうな!

と生徒達に伝えました。

タグラグビーの全国大会で優勝した小学生のチームがトップリーグの選手と試合して勝った例もあります。
そのチームでキャプテンだった女の子が今の女子日本代表選手のひとりです。

おかげさまで私達には「真剣勝負で大学生に勝つ」という、とてもいい目標ができました。

大学生に勝つためにどうすればいいか?

明日から生徒達と一緒に考えながら
目標に向かって努力と協力を重ねていきたいと思います。


###


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by totoatsuko | 2015-12-19 11:18 | Comments(0)

ファラフェル ・ フムス のレシピ

d0065558_11453694.jpgNYに住んでいた時大好きだったファラフェル (ひよこ豆のサンドウィッチみたいなもの)
なぜか今まで作り方を研究したことがありませんでしたが イスラエル人の友人が教えてくれて 一緒につくってくれてとってもおいしかったので
忘備録がてら 材料・レシピをご紹介。

ひよこ豆のドウの材料
ひよこ豆を12時間以上浸水する
ミキサーに ひよこ豆(乾いた状態で600g)・塩・玉ねぎ 大きいサイズの半分 塩1ティースプーン ガーリック2片 コリアンダー 半カップ  クミン 1/4カップ 小麦粉 1カップ

を入れてガーする。 
(スパイス、塩 は目分量でテキトーに入れてましたが、大体これくらいな感じです)


ガーしてできたドウを素揚げして ミートボールならぬ ビーンズボールを作って
レタス・トマトと一緒にピタパンにはさんでタヒニソースをかけたら出来上がり!


素揚げするのがめんどくさい時は、食感・味 は同じにはなりませんが
ドゥに油を混ぜ込んで、オーブンで10分200度で焼く、という手抜き方法もあります。


タヒニソース
タヒニ(胡麻ペースト)・水・塩・レモン汁

フムス は ひよこ豆ベースのペースト。
パンにぼてっと載せて食べたり、クラッカーにつけて食べたらおいしいです。


フムス材料
煮たひよこ豆 (煮るのがめんどくさければ ひよこ豆の水煮缶づめ 日本でも売ってます)
タヒニ 400gの乾燥ひよこ豆に対して 大スプーン山森2杯くらい、
塩 ・ レモン汁 適当

をミキサーでガーして出来上がり。(ミキサーの歯の動きが止まってしまわないくらいの水を適せん足す)

  クラッカーは、
  小麦粉・植物油・水・塩・ベーキングパウダーを混ぜ合わせたドウを薄く延ばし、
  200度で15分焼くとすぐ出来上がります。添加物、砂糖フリーの体に優しいクラッカー


ひよこ豆やスパイスはスーパーで買うとかなり割高だし 年単位で保存が可能なので、
私はネットで業務用を買っています。

Yam yam yam yam.
お試しあれ~



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by totoatsuko | 2015-12-15 11:46 | Comments(0)

チームメイトとして何が貢献できるか?

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家族はチームメイトだと思う。
それぞれの個人的なアクティビティー (仕事や習い事など)は、自分で頑張るしかないけれど
家族としての時間 -例えば 一緒に食事をするとか、出かけるとか、家を整った状態に近づけるとか
に対しては、家族チームとしての事柄だから、みんなで それぞれが出来る事を協力してやっていきたい、と思う。

先日、私が料理をしていたら、子どもがソファーに寝っころがってマンガを読んでいたので、
話し合いをすることに。

家族なんだから、私が食事の準備をしている時に何もしていないのはおかしいんじゃないかな。
家族はチームだから、それぞれのチームメイトが、
家族として時間を過ごすために自分は何が貢献できるか考えて動いてほしい、という話をしました。

そしたら、机の片づけとか料理とか 自分はうまくできないからやらないんだ、疲れてるんだよ

なんて事をいうので

その考えには賛成できない。
みんな それぞれ自分の事をやって それなりに疲れてるし
うまくできない から チームのアクティビティー(食事を準備して食事をみんなでとる)に参加しない、
というのは私は理由にならないと思う。 
下手でも、なんでも、自分が出来る事を一生懸命やればいいし、
やり方が分からなければ誰かにきいて教えてもらえばいい。

うまくできないからやらない、というのはおかしい。
それに、やらなかったら永遠に上手に出来るようにならないし、仲間と一緒に料理するのは楽しいよ。自分で気軽に料理をすることが出来るようになったら、チームメイトのために何かを作って喜んでもらう事だって出来るんだよ。

誰かのために自分が何か貢献できる というのは 誰かのためなのではなくて
自分の喜び 自分を満たす行為でもあるのだから。


チームメイトの事を思って、チームとして楽しい食事をしようとおもってチームに貢献している人の横で
よそ者のような顔をして まったく異なるアクティビティーをしていて
それでもって 食べるときだけ仲間の顔してはいってこられるって なんか嫌な感じ。

でも、お母さんって料理する人でしょ? と子どもがいうから
誰もそんなこと決めてないよね? 料理は子どもがやったって別にいいじゃない 
実際 あなな達、時々 自分たちで食べたいものを食べたい時につくって食べてるじゃない  
というと

でも、友達の家 みんなそうやってるもん と言うから
友達の家がそうだからって ウチもそうだ ってことはないでしょう? 
あなたの一部の行った事がある友達の家と、私たちが違う所っていっぱいあるから、
料理のところだけ 一部の友達の家のルールをあてはめるのは変じゃない? 
と私は答える。


サッカーやってて そう思わない?
チーム練習には参加しないくせに、試合になったら正規メンバーのような顔して出場してきたって
その人はチームの事をちゃんと理解出来てるわけないし
一緒にワークする経験の積み重ねがないから チームワークうまく働かないし、信頼関係ゼロでしょ。
というか、そもそも ”一緒に練習しない”チームメイトなんて 存在しない
それは チームメイト っていわない。

チームとしての目標を それぞれが”共有” し ”理解” し
よりよいチームになるために一緒に取り組む 
必要なときは、 ”チームとして” 戦い 難しい局面を協力して乗り越えていく。

チームの一員として何が貢献できるか、という意識がない限り チーム(家族)としての成熟 はない
そう思う。





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by totoatsuko | 2015-12-12 16:25 | Comments(0)

ピノキオ -助言があっても気づけないshadow への道

d0065558_10455952.jpg私のブログ記事の中でもよく閲覧されているこの記事を改めて読み返し、少し手を加えたものを再投稿します。(オリジナルは2010年8月22日uploaded)

ピノキオのディズニーアニメDVDを最初から最後までみる。
詳細を覚えていなかったので、へぇー、と思いながら見る。


操り人形としてつくられ、ピノキオとなづけられて、おとうさん(おじいちゃんの年齢だけど)にとても大切にしてもらう。夜中に女神がきて、自分で動けるように魔法をかけてくれる、心をくれる。ちゃんと学校に行って、おとうさんのいうことをきいたら、本当の人間になれるわよ、と言って。

バッタのジミニーには「良心」を与えてくれて、ピノキオと一緒に行動するように女神はいう。

喜ぶおとうさんとピノキオとジミニー。
翌朝、さっそく、ピノキオとジミニーは学校へ向かう。
が、
君なら、スターになれるよ!お金持ちになれるよ!
とそそのかされ、ジミニー/良心が、学校に行かなきゃ!
と必死にとめるも無視。

移動式芝居小屋で芝居をすると、拍手喝采、チップもいっぱい。
じゃ、かえります、と芝居小屋の主にいうと、
ピノキオを使ってもっと稼ぎたいので、鳥小屋にピノキオを閉じ込める。
ジミニーがどんなに必死に鍵をこわそうとしてもダメ。
二人が泣いていると、
女神が現れ、今日 どういうことがあったか質問する。

ピノキオは、うそをついて、
芝居小屋には無理やりつれてこられた、
と、自分の選択に責任をもたず、人のせいにする。
嘘をかさねるたびに、鼻がのび、にっちもさっちもいかなくなる。

嘘をつきました、ごめんなさい、
と誤ると、女神が一度だけ許してあげましょう、と鼻を元通りにしてくれる。

しかし、次は、学校に行きたくない子供をあつめて
ひたすら遊ばせて、タバコすわせて、お酒のませてくれる、
やりたい放題させてくれる世界に誘惑されて入り浸ってしまう。

良心の象徴であるジミニーがどんなに
ここに居続けてはダメだ ダメな人間になってしまう
と言っても 耳にはいっていない。

そこは、最終的には、子供たちは知らないうちにロバになって、
人間の言葉もしゃべられなくなって、
人間とマトモにコミュニケーションできない立派なロバになると、
ロバとして売り飛ばす、というビジネスモデル。

前回の失敗から何も学んでいないピノキオ。。。

もうすでに酒によっぱらって 自分が存在していない先輩から色んな遊びを教えてもらい
堕落の一途。

隔離された場で、子供たちがどんどんロバになっていき、売り飛ばされていく場をうっかり覗き見してびっくりしたジミニーが、必死の思いでピノキオにこの場から脱出することを説得しても、目で見た真実を話しても、

「オレの親友はコイツ(先輩 堕落者)だ。お前(ジミニー)の言ってることはたわごとだ」 
と全く聞き耳をもたない。


と、そのうち堕落が満期になり、心身ともに染まりきったところで「にわか親友」が、目の前で、耳がはえ、尻尾が生え、みるみるロバになる。ピノキオは、はっ と目がさめる。 ジミニーが言っていたことは本当だったんだ! でも、時すでに遅し。 自分にも耳と尻尾が生えてきた。


ジミニー(良心)の手引きで、命からがら 「なんでも出来る楽しい街」 を脱出し、
おとうさんの家に向かう。
しかし、お父さんはいない。家にも、くもの巣がかかっている。

絶望していると、鳥が手紙を届けてくれる。
おとうさんは、帰ってこないピノキオを探しに出かけ、海にまで行きました。
ところが、巨大くじらにのみこまれてしまい、今 そのお腹の中に閉じ込められている、と。


ピノキオは祈る気持ちで海底へおとうさんを助けに行く。
なかなか見つからない。。
海の生き物に、「くじらの居場所知っている?」ときこうものなら、
みな恐れおののき、逃げていく。

孤独なみちのり。


そこへ、マグロの大群を感じたくじらが目をさまし、
ぐぁぁぁぁ、とおおぐちをあけると、ピノキオも吸い込まれていき、おとうさんと再会する。
抱き合って喜ぶ二人。
脱出しよう! とピノキオがいうと、
クジラが口をあけるのは、魚を吸い込むときだけだから、
その流れに逆流して外にでるのは不可能だ、
という。

それなら、とくじらのお腹で焚き火をし、クジラにくしゃみをさせる、というアイデアをピノキオが提案し、脱出に成功する。気がついたら、みな浜にうちあげられており、まだ気を失ったままのピノキオはおとうさんに家に連れて帰られてベッドに寝かされる。

おとうさんは、ピノキオが死んだと思って泣いているのだけど、
ピノキオはめざめ、しかも ほんとうの人間になっていた。

おとうさんを必死で助けようと、
shadowの象徴であるくじらのお腹へ入り込み、立ち向かい、自分の弱いところと向かいあい、克服した?ということで、
「操り人形」から、
「主体性のある心をもった人間に生まれ変わる」 ことができた。


いやはや、すごいストーリーだと思った。
Joseph Campbell の Hero's Journey そのものが当てはまる。
主人公が、今いる場を離れてアドベンチャーに出る。
女神に与えてもらった人間としての命は、人に与えられたものであって
彼が自分で育み勝ち取ったものではない。
だから、その命の重みやありがたさを彼は実感していない。

闇の世界の誘惑に負け、我を失い、女神に与えてもらったもののほとんど全てを失ったところから出直す。

それは とてもつらい経験だけど、でも、そういうチャンスを与えられたこと、そのチャンスを受け止める事ができたピノキオは、命の重みや有難さ・自分自身の価値を 自分自身の経験に基づいて真に気づいていき心がより幸福で穏やかな状態を見つけていく事ができて ラッキーだったんじゃないかと思う。


自分のシャドウのようなものと立ち向かう体験
(スターウォーズなら、ダースベーダーとの対決)
自分の弱さや、恐怖とちゃんと向かい合い、よりよく知ることで、
自分の弱さに、気づかないうちにコントロールされる自分 を解放し、
真に生きたい生き方を手に入れていくことが可能となる。


芝居小屋でスターになって、ちやほやされて、お金沢山もらって舞い上がる
子供の国でやりたいほうだいやって、マトモな本来の自分の暮らしを忘れる、

いずれも、自分自身の良心の象徴・ジミニーが、
まずいよ、まずよ、尋常じゃないよ、と必死に止めてくれるのだけど、
その渦中にいる自分は、楽しくて、のめりこんでいて、
しかも、自分のやっていることは正しい、って信じ込んでるし、
悪の友達は、それを強力にサポート・増長してくれるから、
ぜんっぜん助言が耳に入らない。

自分の良心 なのに 自分で自分の良心を拒絶する。
他者のアドバイスだけにすがる。

自分で自分を認める事ができなかったら
コロコロ変わる 最終的には自分の人生に責任をとってくれるわけでもない他者の声にすがるしかない。


自分が気づくしか、自分が救われる道、
まっとうな道へもどり、誘惑されず生きていくすべはないのに
それが分からない。

人が 自分を幸せにしてくれる と信じたくなるのは
自分が 自分で自分の幸せを感じる 作っていく という感覚がよく分からないからなのか。

バレエ・白鳥の湖でも、
王子様は、捉えられた白鳥のお姫様が離れたところから必死に訴えかけているのに、
黒鳥の誘惑にのってしまい、
黒鳥が白鳥だと信じて、ずんずん黒の世界へいく。
舞台は黒一色になる。
 
だけど、これまたスンデのところで、王子様は気づく、
自分が信じてついていったものは、本当の白鳥ではない、というのを。


ピノキオのアドベンチャーが 私たちに示唆してくれるものは とても深かった。
童話や 神話 で象徴的に語られている人間心理のパターンは とても豊かだと思う。




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by totoatsuko | 2015-12-11 10:47 | Comments(0)

ユニバーサリズム

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アルゼンチン生まれの ダニエル・バレンボイム という指揮者でありピアニストでもある彼の演奏は、音楽学生の頃 よくCDで聞いていました。彼の来日公演に合わせて乗っていたインタヴューが素晴らしかったので、転載します。

とくに、

 「多くの国がいま、過去との向き合い方に関して問題を抱えていますね。イタリアもフランスもスペインも、そして日本も。多くの原因は、『愛国』と『国粋』を混同していること。自分たちがやっていることに誇りを持つということと、自分たちが他より優れていると思いこむことは大きく異なる。本物の自信と誇りは、他者との比較からは決して育ちません

 「同じように、グローバリズムとユニバーサリズムとの間にも、本質的な違いがあります。ユニバーサリズムは互いの違いを認めるということ。グローバリズムはみんな一緒を求めるということ。どちらを私が支持するかはもう言うまでもないですよね。私はスパゲティもおすしも刺し身も天ぷらもインド料理もフランス料理も、すべて好きです。人生を豊かにするのはグローバリズムではなく、ユニバーサリズムなのです

 「『敵』である人の隣で、同じ曲を1日練習したとしましょう。終わるころには『敵』という感情はなくなっています。政治には不可能なことが、音楽では可能になるのです。私はまず、相手の言葉をリスペクトすることを求めます。自分の考えと違い、納得できなかったとしても、相手の正当性を否定せず、まずは受け入れなさい、と」

という部分が 特に好きです。

さらに付け加えるなら
 「音楽史、楽器法、音楽理論などに加え、週2回、哲学の授業を入れました。若い時は技術を磨くことより、音楽について思考する習慣をつけることが何より重要だからです。それは、音楽家として存在することの意味を考えさせるということです」
というところも共感しました。

音楽家として存在することの意味を考える、 というのは、本当に大切なことだとおもいます。
それは、音楽家のみならず、音楽療法士であれ、医師であれ、政治家であれ、なんの専門家であっても、
知識とか技術の前提のところで、その専門性と存在意義についてとことん考える、哲学的な思想まで深めようとする。そういう機会が 学術の場で提供されるのは、 本人が専門家として独り立ちしていきていくときに不可欠なものだと アメリカで音楽療法の教育を受け、音楽療法士としての哲学を考える機会を与えられた後に思いました。

仕事に対して哲学を持っている人は 仕事をするときの姿勢や思考の深さが異次元です。

専門家として だけではなくて
娘として、妻として、母として、コミュニティーの一員として 
働くことに対して 生きることに対して 自分なりの哲学があったら
自分がぶれずに 自分と相手を尊重し 真摯にかかわることを手助けしてくれると感じます。



以下、朝日新聞の記事を転載
音楽は敵を超える 指揮者・ピアニストのバレンボイム氏
編集委員・吉田純子2015年12月8日18時58分

指揮者でピアニストのダニエル・バレンボイム氏が来月、7年ぶりに来日する。初来日から来年で50年。音楽の力を異なる価値観を結ぶ糧に変え、臆さず挑戦を続ける。現在73歳。拠点のベルリンで、世界情勢や音楽への思いを聞いた。

 10月、ベルリン国立歌劇場でワーグナーの大作「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を率いた。ドイツ芸術の優位性を高らかに称賛し、ヒトラーを舞い上がらせたことで知られるが、今回は終幕、羊やヤギが草を食(は)むかのような牧歌的な風景が突然現れ、観客を驚かせた。40代の女性演出家のアイデア。国や制度に絡めとられる以前のこの地を、いま一度素朴な気持ちで見つめ直そうとする新鮮な視点に「共感を覚えた」とバレンボイム氏は語る。

 「第2次大戦後に、ナチスの脈絡から外して『マイスタージンガー』を演出したのはこれが初めてではないでしょうか。ナチスがこの作品を自分たちの存在証明にしようとしたのは確かです。ワーグナー自身も反ユダヤ的な人間でした。ただ、1883年に亡くなったワーグナーに、ナチスの野蛮性、残虐性の責任をかぶせるのは間違っている」

 「ワーグナーに限らず、大戦中、さまざまな政治的メッセージをまぶされてしまった不幸な芸術は、どの国にもある。そうした思惑から解放し、純粋に新しい耳で聴き直す動きを若い世代に導いてもらいたい」

 壁崩壊後の1992年、同歌劇場の音楽監督に。

 「素晴らしく価値のあるアンティーク家具を修理する、職人のような気持ちでした。伝統を礎に、モダンなスタイルをつくりあげてゆく。日本公演にはベートーベンやワーグナーを持っていきましたが、ドビュッシーなどフランス音楽を含む幅広いレパートリーも育ててきました」

 この地に居も構えた。

 「ドイツほど、自分たちの過去と真剣に向き合ってきた国はない。そうでなければ私は、ユダヤ人としてこの街に住むことなど考えなかった」という。

 「多くの国がいま、過去との向き合い方に関して問題を抱えていますね。イタリアもフランスもスペインも、そして日本も。多くの原因は、『愛国』と『国粋』を混同していること。自分たちがやっていることに誇りを持つということと、自分たちが他より優れていると思いこむことは大きく異なる。本物の自信と誇りは、他者との比較からは決して育ちません」

 「同じように、グローバリズムとユニバーサリズムとの間にも、本質的な違いがあります。ユニバーサリズムは互いの違いを認めるということ。グローバリズムはみんな一緒を求めるということ。どちらを私が支持するかはもう言うまでもないですよね。私はスパゲティもおすしも刺し身も天ぷらもインド料理もフランス料理も、すべて好きです。人生を豊かにするのはグローバリズムではなく、ユニバーサリズムなのです」

 「大切なのは、自虐からではなく、誇りを礎に再起すること。ドイツはあまりに過去が凄惨(せいさん)すぎるものだから、愛国的なにおいがするものを即座に『危険』と排除する傾向が今もある。楽器ひとつとっても、オーボエやトランペットで、ドイツらしさを感じさせるものが減りつつある。ナチスは『最も偉大なドイツ人だけが真の芸術を理解できる』と主張したが、これがファシズムの権化であるとすれば、ドイツらしい重厚さを排除し、機能的な響きばかりを歓迎するのも、これもまた逆の意味でファシズムとなりかねません。時代は流転する。そのつど過去を受け止め、克服してゆく。この継続なくして、先に進むことはできません」

 「大切なのは、国という集団としても個人としても、誰もが過去と向き合う必要があるということです。いま、世界でたくさんの紛争、対立が起こっています。それは、ある種の過去への憧憬(しょうけい)から生まれているものです。今のロシアはいつも過去を振り返っているし、アメリカも世界を統べる権威ある国として威容を誇っていた時代を懐かしんでいる。しかし、今はどちらもすでに、唯一無二の覇権国家などではない。繰り返しますが。過去を新しい状況のなかで受け入れ、克服しないことにはどの国にも未来はないのです」

 「ドイツでも、過去に対する取り組みをちゃんと感じられるようになったのはせいぜい80年代のことでした。こういうことには時間がかかります。例えば、私があなたに何か良くないことをしたとしましょう。私はあなたに謝らなければなりません。それは道徳的な行為であり、また、対立を終わらせるための戦略的な行為ともいえます。ごめんなさい、私が悪かったです、と。私は悪くない、と言い張れば言い張るほど、対立は根深いものになってしまう。人対人なら、手をとりあおうという姿勢を共有することができます。しかし、国対国となると、なぜそれができなくなるのか。そこを私はまだ理解できないのです」

 「今したことに対して謝ることより、100年前に犯した過ちを謝るということが、なぜこんなに難しいのか。思うに、現代の私たちに欠けているのは勇気です。そうした時に音楽は、政治的な理由での対立を人間同士のものに戻すことができます。紛争や対立から、一瞬離れることができるのです。ドイツとフランスの相克の歴史はご存じかと思いますが、ドビュッシーやボードレール、ベートーベンやバッハを通じ、彼らは人間として出会うことができるのです」

 思想家のエドワード・サイード(1935~2003)とともに、イスラエルとパレスチナの若者を集めたオーケストラ「ウェスト・アンド・イースト・ディバン」を創設して15年。思想や民族の対立を超え、心を通わせる幸福な感情を若い時期に体験することが、無為な争いの芽を摘む。そんな信念をゲーテの「西東詩集」にちなんだ名称に託した。卒業生の多くがベルリン・フィルやシュターツカペレ、バイエルン放送交響楽団などの名門へと翼を広げた。

 「ディバンは平和の象徴のようにしばしば語られますが、それは違う。正義や安全は、音楽にはもたらすことができないものです。ディバンの目的は政治的な合意ではなく、たとえばベートーベンの交響曲について、同じ考えを持つようなことを求めるわけです」

 「『敵』である人の隣で、同じ曲を1日練習したとしましょう。終わるころには『敵』という感情はなくなっています。政治には不可能なことが、音楽では可能になるのです。私はまず、相手の言葉をリスペクトすることを求めます。自分の考えと違い、納得できなかったとしても、相手の正当性を否定せず、まずは受け入れなさい、と」

 ログイン前の続き「サイードが生きていたら何ていうか? そうですね、私は今も、サイードを誰より尊敬し続けています。私もかなり長生きしてきましたが、彼ほどの人には会ったことがない。文学、絵画、音楽、社会、政治、美学、とにかく森羅万象に通じ、それらをひとつのつながりとして思考することができる人でした」

 「ディバンの発展は、きっと喜んでいると思います。ただ、このオケが世界中で『神話』のような存在になりつつある一方で、イスラエルなどの肝心の地域だけにおいてそうではないことには、私と同じように失望していることでしょう。イスラエルでは私は一部の人に裏切り者呼ばわりされているし、パレスチナではイスラエル人が参加しているからと参加を拒否する人もいる。ただ、両方に賛同者も反対者もいるということは希望でもある。私たちがやっていることが、間違っていないということの証しだと考えている」

 ベルリンにも来年、中東の若手を軸に、欧州の人々にも開かれた新しいアカデミーを創設する。

 「音楽史、楽器法、音楽理論などに加え、週2回、哲学の授業を入れました。若い時は技術を磨くことより、音楽について思考する習慣をつけることが何より重要だからです。それは、音楽家として存在することの意味を考えさせるということです」

 01年、イスラエルで開いたベルリン国立歌劇場管弦楽団公演で、アンコールにワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲を演奏することを聴衆に提案した。波紋を呼んだ「事件」を今、こう振り返る。

 「私はタブーに挑んだわけでも、タブーを打ち砕きたいと思ったわけでもありません。ホロコーストを生き延びた人たちが、ワーグナーを受け入れがたいのは当然のことです。私はそれを尊重します。強制的に聴かせようなどとは思いません。でも、だからと言って、ナチスを想起させるという理由で、それを聴きたい人たちの権利まで奪ってよいものでしょうか。ワーグナーを過剰に避けることも、ナチスが音楽を政治利用した歴史をおのずと継承することになってしまうと考えます。私にとって大切なのは、好きな音楽に好きなように感動するという、人間として当然の権利を守り抜くことなのです。真に闘わなければいけないのは、人間がつくりあげてしまった様々な官僚制です」

 来日公演ではそのベルリン国立歌劇場の座付き、シュターツカペレ・ベルリンと、ブルックナーの九つの交響曲を全曲演奏する。来日オーケストラとしては史上初だ。

 「ブルックナーの交響曲には、数百年にわたる歴史がそのまま封じ込められている。あの重厚な響きはれっきとした20世紀のものだが、フォルムや構成は古典派やバロック的で、それでいて雰囲気は中世を感じさせる。壮大な音楽の歴史、いや人類の歴史そのものを想起させる力がある」

 「日本にも、すばらしいブルックナー指揮者がいましたよね。朝比奈隆。私が音楽監督を務めていたシカゴ交響楽団で、ブルックナーを振りました。私は残念ながらそこには立ち会えなかったのですが、録音などから多くを学びました。思うに彼は、ブルックナー演奏に不可欠な大きなラインというものをどう表現するべきか、独自につかんでいたのだと思います」

 組みあわせる格好で、モーツァルトの後期ピアノ協奏曲7曲を弾き振りする。天才少年時代から「並走」してくれた作曲家だ。

 「作曲家には四つの種類の人々がいます。面白くない作曲家。面白い作曲家。偉大な作曲家。そしてモーツァルト。モーツァルトは誰にも比すことができません。すべての音が当たり前のようにそこにある。いつ演奏しても、すべてのフレーズが、その瞬間に生まれたかのように響く。自分のいるべき場所へと常に連れ戻してくれる存在です」

 「カデンツァについては、モーツァルトが残しているものについてはすべてオリジナルを使います。例外がふたつあって、ひとつが第26番『戴冠(たいかん)式』。これはランドフスカの、宝石のようにすばらしいカデンツァがあるのでそれを。第20番ニ短調ではベートーベンのものを弾きます。それ以外は、自分でつくったのを弾かせてもらいます」

 日本に先駆けてウィーンで昨年、すでにこの大胆なチクルスを成功させている。「作曲家のなかには、作品ごとに異なる音楽言語で書く人がいる。ベートーベンしかり、マーラーしかり。ブルックナーはそうではない。曲を追うごとゆっくり、しかし、確実に成熟してゆくのが見てとれる。時系列で演奏することで、その過程がさらに詳細に見えてくる。ブルックナー自身の成熟や思考の発展を、私と一緒に追体験していただければと思います」

 「初来日から来年で50年ですが、あの頃から日本の聴衆の集中と静寂には感銘を受け続けています。チェリビダッケとも、よくそういう話をしましたよ。ブルックナーの交響曲のように、ものすごく長い集中を求める特別な楽曲に挑むときには聴衆の助けも必要です。日本側からブルックナー・チクルスのアイデアが出されたとき、私は迷わずイエスと言いました」

 「ほんとうは、もっと日本に行きたいと思っています。でも、時差ぼけが本当につらいのです。年をとると、さらにひどくなって。アメリカにもめったに行かないくらいです。でも、今回のようなプロジェクトをさせていただけるのなら、何が何でも、と。滞在も長いですから、体も楽だと思います。戻る時のことを思うと気が重いですけどね。みなさんは大丈夫なの? うらやましいなあ」

 ピアノと指揮は、自身にとって「音楽的成熟に不可欠な両輪」という。「指揮者は、響きという物理的な要素と直接接点を持たない唯一の音楽家です。だからこそ、自ら演奏することをやめたくない。指揮をしながら学んだことを、自ら演奏してみることによって改めて冷静に確認できる。練習していると、まるで自分自身を指揮しているような感じになってくる」

 アルゼンチン出身。ドイツ音楽やフランス音楽を、それぞれの国の出身者の牙城(がじょう)とする時代が終わったと実感させる音楽家のひとりだ。ピアニストのマルタ・アルゲリッチも同郷。

 「マルタのすばらしさはあの好奇心に尽きる。どんな音楽も自身の感性で咀嚼(そしゃく)する。ポーランド人のようにショパンを弾き、フランス人のようにラベルを弾き、ドイツ人のようにベートーベンを弾く。私にとって最大のドイツ的なピアニストは、チリ生まれのクラウディオ・アラウです」

 グローバル時代の到来により、世界のオーケストラの音色が均質化した、と指摘されることも。「オーケストラは、常に時代の波を受けつつ、自分たちにしかない音を守り続けなければいけない。自分たちならではのアクセントをもちつつ、複数の言葉を柔軟にしゃべれる楽団をつくること。それが今の時代の指揮者の仕事だと思います」

 「音楽は、あくまで精神的な営みです。響きを保存することはできない。常にゼロからのスタートであり、それが音楽のみが持ち得る力の源泉なのです。私にできるのは、オーケストラが望んでくれる限り、ともに演奏を続けてゆくことのみ。オケが私のことをまだ辛抱してくれているのが驚きではありますが」(編集委員・吉田純子)

     ◇

 1月31日の仙台公演を皮切りに、大阪、名古屋、東京、川崎、金沢、広島、福岡と2月25日まで巡演。問い合わせは0570・012・666(フジテレビ クラシック事務局)






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by totoatsuko | 2015-12-09 11:19 | Comments(0)

何故 自分を知らないといけないのですか?

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音楽心理療法 にいらっしゃる方の理由は 
その人その人で違います。

今の状況が辛いから どうにかしたくて

自分がどうしたいのか分からなくなって

自分の望ましくない言動を変えたくて

そんな中で、あるパターンをご紹介。

自分の置かれている状況があまりにもひどくて、つらい。
自分は(少しは原因に関与してるかもしれないけど、基本的に)悪くないのに、みんな頭がくるってる。
自分が属しているグループの人達(例えば、家族、パートナー、会社、習い事のクラス)は自分を分かってくれない。
あの人達に天罰がくだればいいのに。
あの人達に何か悪い事が起きればいいのに。


こんな感じの どうしようもない思考の吐露。
相手に対する怒りとか、妄想とかが頭の中でぐるぐる回って、こびりついてて、自分が消耗していく感じ。
そして、その人達のせいで自分が消耗している事に対して、さらに、その人達に対する怒りがわいてくる。
そして、もっと消耗する、という繰り返し。

ーーー ん~、何だか こういう心情を文章にしていると、
テロリストになった人達の 社会に対する憎しみのようなものに通じるものを感じますが、、、


切々と、その辛い状況を話した後、
では、その気持ち、その事を考えている時の感覚を 色にしてみてください 音にしてみてください 
と促して 実際 色で紙を埋めたり 即興で音を出してみても

さっきまで話していた 悶々とした ドロドロとした感じがない あっさりしたものが出てきて
だって 考えたってしょうがないんです あの人達は何も分かろうとしないから
あんな事を考えてる自分がおぞましい そんな風に考えちゃいけない
という ”理性” が 全面にでてきて

きっぱりと 自分の感情を切り捨てている。

ふつふつとした いま この瞬間はなしていた感覚を
非言語である 色 や 音 にしてみる という試みにシフトしたとき
話していて感情の渦が自分を飲み込んでいる状態が なかったことのようなリアクションをする。

私の主観ですが
自分の感情と 自分が detach (分離) してるみたいに感じられますけど、 と伝えると

感情って なんでしょう?
感情って 存在するんでしょうか?
感情を スイッチオフにしている って感覚がわからない。

それに、もし感情が別にあるとしても その感情を知って何になるのでしょう?
自分と対話したら なにか状況がよくなるんでしょうか?

という話になり、

以下の内容は、このブログでも何度も書いていますが

自分がどのくらいの傷を負っているか、というのを 自分できちんと把握できたら、
自分で 自分がよくなるために必要な次のアクションを選ぶ事ができます、という事を伝えます。


擦り傷だと思っていて、本当に擦り傷だったら、 
自分の足を引っ掛けて転ばせた相手を憎んでいるうちに 傷はほっといても 治るでしょう。

でも、自分の状況が 
実は心臓に届くくらいの深い刺し傷だったら
あるいは、末期の癌だったら

相手を憎んでいるうちに 相手をどう痛めつけようか考えてるうちに 仕返しをしている内に
どんどん自分の体は蝕まれ、毒され、血を失い、自分自身の存在が危うくなるでしょう
しかも 自分がそうなっていっている というのを最後まで気付かない内に。

自分の傷を放置しているのは 自分 なんです。
相手が聞いてくれないことに腹をたてているけれど、
そもそも自分の痛みを無視しているのは 自分自身。


しかも、相手のせいだ と思っている問題の本質は 実は相手ではなく
自分の食生活だったり ライフスタイルだったり 相手を無意識に挑発し続ける自分の言動、 
気付いていない自分自身の思考や言動のパターンが、
自分の苦しさを呼び込んでいるいるかもしれないのです。


だから、自分の感情を ”ちゃんと感じて” ちゃんと向かい合う事に とても意味があるんです。
だから、自分と対話することに 自分がより楽になり より幸せになる鍵があるのです。


東洋医学でも、西洋医学でも、仕事をしていく上でも
”アセスメント” や ”現状把握” をすることが 
適切で効率的な治療や取組をするうえで不可欠であることは 周知されています。

本当は慢性糖尿病なのに、ちゃんと診断しないで 例えば 風邪薬をのんだって
なんの 治療 にもなりません。治療にならない所か、状況は悪くなります。

それと 同じことなのです。
自分の気持ちを ちゃんと把握する 
自分の心の構造を よりよく知る
無意識の層に押しやっているものがある事を受け入れ 向かい合おうとする
そういう力を セラピーのプロセスで育むことで

人を憎み まわりを恨みながら その状況に飲まれて負の渦を広げていく言動の連鎖を止め
自分が自分の人生の舵をとっている感覚を とり戻していく方向に進んでいく事ができます。







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by totoatsuko | 2015-12-06 18:31 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

Music Together @代々木上原 冬学期 2016

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Music together 2016年 冬学期 代々木上原クラスの日程詳細が決まりました。

場所:代々木上原駅付近

日時:日曜日 10時半~ 11時15分 
(日程の詳細は以下)計12回

1学期 参加費:29000円 
8か月以上のご兄弟 25000円 
(冬学期の教材1家庭1セット、マクロビ スナック付き)

ご両親、祖父母様の一緒の参加、歓迎です!

初日:1月3日 (この日のみ 午後4時~4時45分) + 新年会
最終日:4月3日

上記の期間でクラスがお休みの日曜日
1月17 & 24日


お問い合わせ・無料体験 お申込みは letsmusicingATgmail.com 灘田 まで。
(ATを@に置き換えてください)

Music together について過去の記事
単発ではなく学期を通して参加する理由

私が娘と参加したmusic together体験感想文

music together がいい! と思う理由

Music Together本部のHP




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by totoatsuko | 2015-12-06 12:42 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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