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人類の歴史は争いの歴史!?

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歴史は繰り返す  とはよく言われる言葉。

だから、私たちは過去の過ちを 繰り返さないよう 歴史を学ぶのだと、どこかで誰かが言っていたのが耳に残っています。

でも、歴史を歴史として ”知って” いるだけでは、過ちの繰り返しは止められないのかもしれません。

先人たちに学び
書物に学んでも

その知識を 実践に移す事ができる 個々の人間としての成熟がなされないと 
知識は書物や先人たちの中にとどまり 
世界をよくするための知恵として活用は なされないのかもしれません。

人間は 戦争を繰り返してきました。
そうやって、爆発的な人口の増加が、劇的に低減され、均衡を保っていったという事実も否めません。

ただ 戦争 ではない形で 平和的な形で 世界の均衡が保つことができたらいいのに、と思います。

破壊的ではない DVではない 自傷行為ではない ズルではない形で、
日々の他の人との関係の問題や、自分の心の問題を変容させていくことは可能である、
と信じています。

そして、そうやって 信じて 辛抱強くとりくみつづける。

決して 怒りを相手や自分にぶつけ 傷つけ 破壊し 優位に立とうとしたり 逃避したりすることだけが 
解決を導きはしない。





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by totoatsuko | 2015-10-28 10:05 | Comments(0)

2枚目の絵

(前回の投稿の続き)
自分を一時的にでも完全に支配して、やらなければならないことにも手がつけられないようにしてしまう
深緑であらわされた自分の状態の絵。
中心の〇、自分という枠組み を超えて、
まわりの人達にも深緑、ネガティブな波動 は望んでいないのに手が付けられないほど拡散されていく。
自分の感情なのに、手に付けられなくなって暴走する感情とそれに振り回される自分、自分の人生。

その絵を描いていくプロセスについて
その過程を通して気づいたことをひとしきり会話したあと、
自分のいい状態を色にしてみませんか? と私が提案しました。

その人は、自分がいい状態であったことがないから、どんな感じか分からない
ずっと走ってきた感じ、、、
と呟いた後、すぐに黄色のクレヨンから色を紙に載せていくプロセスが始まりました。

いい状態であったことがない、ずっと走ってる
そんな生き方は 個人的には ほんとうにつらいだろうな、と思います。

でも、その辛さは、本人は”感じないようにしてきた” ので、
実感がなく辛い生き方を無意識に選び続けることができていました。

でも、この人は、
それが自分にとって とても辛い状態である という自分自身の感覚に気づき始めています。

これまでのパターンを踏襲しながら生きていく、そこに費やすエネルギーが 
本質的に自分がいい状態であるために使うことが出来たら
より気持ちいい 心穏やかな毎日がすごせるということに、気づき始めています。

この絵をかく作業も、曲の途中で描くプロセスが終わりそうになったのですが
曲が終わるまで、描くこと、その描いているイメージに留まる事を私は提案しました。

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描き終えて
中心がぶれないかんじ
自分の内側のいい状態から いいものが沢山まわりに広がっていって 周りの人に届いていく感じ
予定外に、緑がクレヨンについていたので、黄色のところに混じってしまっているけれど・・・ 
それも、黄色の中で浄化されていく事が出来る


自分がネガティブな感情に飲み込まれるような自分の気持ちの向かい合い方とか人との付き合い方を
ずーーーっと、もう何十年もやり続けてきた人が、
グリーンで塗りつくされているという というのが、よく体験する自分の状態 
それ以外の いい状態の自分 なんて体験したことがない と感じていた人が

全く自分自身が経験したことがない 新しい心のシステムをイメージできる

というのは、とても意味があるプロセスです。

例えるなら、日本の文化しか知らない、日本以外を経験したことがない人が
日本の文化にはない 何か異なる価値観を自分のものとして色にすることが出来る
というのは
自分の中に、与えられて生きてきた日本文化とは異なる自分の文化や価値観が生まれ、確実に自分の中でその感覚が育っていってきてるからだ、と言えます。
このような内的な変化がじわじわと、しかし確実に起こり、これまでの無意識に持っていて使い続けていたのとはちがう、自分が主体となって模索していく 自分の形、自分の生き方、というのは、とても個人的でクリエーティブなプロセスだと思います。

誰かに与えられた自分のイメージではなく
自分の内側が変容している過程で自然に生まれてきたものであることに、とても深い価値があります。

だからこそ、セラピーのプロセスを終了したあとも
セラピーの中で起きた変容は自分の中から消えず、自分を支えていってくれます。

いい状態の絵がかける状態になったから といって
次の瞬間から 過去のプログラミングされた自分から脱却して 
すぐに いい状態の自分を生きれるわけではありません。

しかし、その いい状態の自分 のイメージが 明確に心の中にあるか ないか で
この人が変わっていく方向性や 変化のテンポ に大きな影響を及ぼすでしょう。

以上、ネガティブな物に支配されている自分と、
自分の人生でいまだ経験したことはないけれど、見えてきた いい状態 の自分のイメージ の出現を通して、どのような対話をセラピストとクライアントは行い、どのような心の体験をするのか、ざっくりと書いてみました。

テニスについて”読んで知る”体験と、実際テニスをしてテニスを知る体験、は 全く異なるのと同様に
心理療法について”読む”のも、体験したことがあって読むのと、そうでないのでは、全く感じ方も理解の仕方も異なるとは思いますが、これらの投稿が、セッションの過程を垣間見る機会になれば、と思います。






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by totoatsuko | 2015-10-18 14:08 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

2つの絵

あるGIMセッションで、ある人が描いた二つの絵を描いていった過程について、
心理療法セッションのプロセスの一面をご紹介できたらと思い、
ご本人の了承を得て、また、ご本人と特定されない形で、似ている他のケースの要素も織り交ぜながら
2回に分けて投稿します。

####

うまくいかなかったり、人と違ったりすると、不安になったり、どうしよう!!という気持ちになって
そんな気持ちに自分が乗っ取られて、取り組む予定だったことに手が付けられなる。
関係ない人に、そういう自分のネガティブな気持ちをぶつけるような言動をしたり、
なんて自分はダメなんだ、と思ってしまう。

人に よく頑張ってるね もっと自分を認めてあげなよ
と言われても 
そうかな 自分頑張ってるかな そうだよな うん、頑張った...(ハズ)...
でも、もっと出来てもいいはず
そんな風に考えるパターンがある。

実際のところ、自分を認める、ってどんな感覚のものか 全然分からない。


そんな 最近の出来事の話をセッションのはじめの辺りでしていました。
(5~10回目のセッションでのある一コマ)

こんな風に、
自分の中にどんな感情が生まれていて、それが自分の行動にどうつながっているのか
というのを 自己観察できて 言語化できるようになったのは
セッションにきはじめた頃にはない現象で、 
この人にとって、ここ数回のセッションを通して大きな変化のプロセスが起きていると言えます。


そして、自分を支配するイライラについてクレヨンで絵をかきました、
この人が
その気持ちを色していくプロセスをサポートするであろうと思われる、私が選んだ音楽を聴きながら。
深緑で。

5分程度の1曲目の真ん中あたりで、
(自分の中のイライラは)もっと濃い色、もっと白い部分がないくらいなんですが、、、
と、言いながらクレヨンを置いてかく作業を終えようとしたので、
まだ音楽が続くので、思う存分、もっと濃く塗ってもいいですよ、と一言私が言い
結局、もう15分間くらい、グリグリグリグリ 自分をのっとっている腹立たしい気持ちを描きました。
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私の”許可” を得たことと、音楽がその人の 
気持ちを感じる、気持ちを色にする、その気持ちを感じる事に留まる
というプロセスに寄り添ったことで 紙からはみ出るくらいに塗る という作業に繋がりました。

自分がイライラしてる という事を 
その人一人では 音楽だけのサポートでは ”塗りたくり” きれませんでした。

気持ちをフルに、ありのままに色にすることが出来ない、という現象は
その人が、セッションの始めの辺りではなしていた ”自分を認める” という事が難しい、
という性質とシンクロしています。

本当は、紙面が足りないくらい自分はイライラに満たされているのに
そのイライラをすべて書き尽くすことを ”止めさせる” 自分がいること
自分で自分の感情を認めていない、受け止めていない、という事に 
すこし深い意識のレベルで、この人は気づき、その事実を ”受け入れる” 事が出来ました。 

そして さらに
子どもの頃、親の愚痴のはけ口となっていた。辛いだの、苦しいだのいつも言っていて、誰かの愚痴をいつも言ってくる親がかわいそうで、自分が話を聞いてあげないとこの親は壊れちゃうんじゃないか、と子どもながらの気遣いをすると同時に、
そんな愚痴を聞いて気分が重くなるのは嫌なんだけど、その親の元でサバイブするには、親のはけ口という存在であるのが一つの方法とだと学習し自分が身につけてきたもの

それは、現在の自分の、自分をイライラさせてる人との関わり方と同質ものである 
という事にも気づきました。

自分が嫌だな と感じる関わり方をしてくる人に
あえて声をかけたり 様子を目で追ってしまったり
ご機嫌をうかがったり 相手がどうして欲しいかな と気遣って 自分から関わっていた
まるで磁石のように そういう人を引き寄せたり 自分が無意識に引き寄せられていたのかも
無意識に 子どもの頃の自分と親との関係を 自分で再現していたのかもしれない

愚痴ってくる、構ってほしがっている人に対して ”自分が嫌だな” と思うのは悪い事だ、
自分を守るために関わらないようにすることに罪悪感さえ感じる事がある。

その罪悪感からその人と関わる結果、
自分が嫌な気持ちに満たされるような出来事がその人との間で繰り返し起こる。

という事を、この人は気づきました。

自分は もう親に庇護してもらわないと生きてはいけない小さな子どもではないけれど
子どもの頃に培った ”親や身近な大人との関わりかた” が ”どんなものであるか” というのを認識しないままでいる事で、”今の自分には害になる関わり方” を大人になっても無意識に続けてしまっていることはよくあります。

きづくと 変えられる。
その気づきが深いレベルであればあるほど、深い変化は可能になる。

嫌な人との関係で起こる嫌な気持ちに、どれだけ自分の人生が振り回されているか、汚染されているか
という気づきと
自分が気持ちよく付き合える人と付き合う事を選んでいいんだ、
という気づき。


セッションの中で、一枚の絵をかくプロセス は、
自分の一人では向かい合えなかった気持ちに向かい合い
その気持ちに しばらくの間ステイすることで より深くその気持ちを理解し
その気持ちを持つ自分との対話を可能にし
思ってもみなかった自発的な自分にたいする発見と
そこから自然に発生してくる内的な変化が導かれていきます。

(続く)





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by totoatsuko | 2015-10-17 19:53 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

聞きたくない話

d0065558_975733.jpg日本の戦時中の生活の辛さの話、戦場での出来事の話、日本だけじゃない、世界中にも、奴隷と連れてこられて、奴隷として扱われた人々の記録を展示する美術館やその出来事を風化させないためのメモリアルな場所が沢山ある。

それらの話を聞くことで とても絶望的な気持ちにさせられるから 
聞きたくない気持ちになる事もあると思う。
そんな記録は嘘だ と 目の前に提示されたものを否定する反応をするかもしれない。

それは、どうしてなのだろう?
自分の悲しみや怒りと向かい合ったことがないから、
そういう物に触れる事で自分が飲み込まれそうになって怖いのか?

向かい合いたくない、 という理由は、自分の中にある。

ただ、何が起こったか知らずにいたら 無関心でいたら 避け続けていたら
過去に起こった”重大な出来事” からは私たちは何も学べなくて
また同じ過ちを繰り返していしまうんじゃないかな。

事実、繰り返してる。

それでいいんだろうか?
自分の闇と向かい合わないことで、さらに自分で気づかづに闇を創造しつづけ、
悲しみや怒りを生み、自分で抱えきれない自分の闇を さらに大きくしていっても、いいんだろうか?

ワタリウム美術館で Don't follow the wind という展覧会が行われている。
サイトに埋め込まれているアーティストやキュレーターたちの映像は30分くらいあるけれど、考えさせられる。


色々と思う事があるけれど、その一つは
アート と 日常の思考の間には ものすごい解離があるのかもしれない、
という事だった。


感情とか、思考とかの構造、今社会で起きていることの現象
社会や国家、世界、という共同体?の中で決められていく全体的な方向性
そんな 目に見えないけれど確実に起こっている事を アートは確実にとらえ 表現している。

でも、日常、日々の生活の価値観の中に 
そういう物で表現されるような事を組み込ませて生きるのは 
アートを制作する時に主に使うような 研ぎ澄まされた感覚 当事者感覚と客観性の同居みたいな感覚は
いまの社会の感覚の中で生きぬくには、易しいことではない場合が多いのかもしれない。

どこかで いまこの瞬間も 爆弾の音を聞いて逃げ回っている人がいる感覚を身近に感じながら
自分の生活を送る感覚。自分はあちらの地域に生まれてくる赤ん坊だったかもしれないし、
心をなくした戦闘員になっていたかもしれないし、虐待の被害者や加害者だったかもしれない。

私は日本人として生まれて 今日本に住んでいて この命を生きているだけなのだ。
聞きたくない話を聞かなくて生きる選択もあるし、そうでない選択もある。






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by totoatsuko | 2015-10-15 09:31 | Comments(0)

食卓を準備する

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電車にのっていて、つり革などに、
秋の食欲、秋の味覚、秋の食卓 など
食にまつわる言葉や写真・イメージが目に入ってきて

食卓を整える って時にはエネルギーがいることなんだよな~ とぼんやりと思う。

それも、一日3回、あるいは2回。

一人なら、
適当に買って歩きながら済ませるとか、
作りながら、つまんで終わりにできて、
盛り付けとか、取り皿とか、あんまり考えなくていいけれど

誰かと食卓を囲むための準備って、エネルギーを使ってる。

その準備は、何を一緒に食べようかな、どんな風にしたら楽しく食べれるかな、とか
わくわくした気持ちにさせられることもあるけれど

いつもいつもお祭り的な楽しい食事ではなくて
義務だったり、孤独に感じたり、重圧に感じたり、疲労させるものの場合だってある。

毎日 毎日 毎日のことだから。

そして、その毎日の繰り返しが、
一緒に食事をする人との関係の積み重ねが行われる場でもあり
食事の準備から、食卓を囲む時間、そして片づけるまでの時間の過ごし方は
食事をする人との関係性が顕著に現わされるものであるとおもう。

食べる時間になったら、その時間だけ参加する人
買い出しから関わっている人 e.t.c.

どんなものをどんな所でどれだけ買って、どんな風に味付けして、どんな風に余ったものを処理するのか?

食事をしながら、どんな会話をする関係なのか。

美味しいそうなお弁当は”購入”することが出来るけど、
心が通じ合う人と一緒に食べて過ごす時間、そうやって”味わう”事は”購入”できない。

秋の味覚を魅力的に宣伝することはできても、
現実に おいしく食べる事って、そう簡単にいかない場合もある、 と電車にゆられながら思ったのでした。





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by totoatsuko | 2015-10-08 16:30 | Comments(0)

ドメスティックバイオレンス対策への予算

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最近、また再び、日本でパートナーや親による暴行によって亡くなるケースを立て続けにききました。
自ら被害届を出していても、自らその相手とコンタクトを取ってしまうケースはよくあります。

暴行する人に、口約束や、書面に書いて暴行しないことを約束することが抑止力になる、
と考えてしまう当事者たちや、周りの人の ドメスティックバイオレンスに対する理解不足も 深刻です。

先週、オーストラリア政府は、ドメスティックバイオレンス(以下DV)撲滅のために
向こう3年間に15~16億円の予算をつけました。

このお金を、子どもたちにDVとは何か、を教育し、将来、被害者にも加害者にもならないため、
自身が、そのような状況になったら、まわりに助けを求めるべきことなのだ、と知らせるため、
そして、警察、弁護士、検察官、地元の行政でDVに関わる職員たちを教育し、
正しくケースに対応できるようにさせるため

被害者が加害者から逃れて新たな生活を始めるための生活基盤を作るための資金援助、住宅の整備
などに予算を使う、との事です。

そう、行政の人達も、警察も、弁護士も、DV の事を知らないのです。
この人達に相談したら助けてもらえる、と藁をもすある思いで行っても、
DVを増幅させるような介入をされてしまう事もあるのです。

DVの事をよく分かっていない、 という事を分かっていないから
被害者を守るための介入や助言ができないし、
加害者を野放しにしてしまって、加害者が人を傷つける行動を続けさせることで、
加害者をも自身の心の問題の被害者でありつづけさせている、と思います。

加害者には、自分たちが病気だと気づいていない人がほとんどです。
だから、治療に行こう、と思わない。


関係者の間では、オーストラリア政府の決断を大いに評価し歓迎するする声が大きい中
The Australian of the Year に選ばれ
自身の息子をドメスティックバイオレンスで失った経験を持つ 
Rosie Batty は、その額は十分でない、と言っています。

彼女は、DVのことを、 Family terrorism だと言っています。
家族内で起こる テロ だと。

国のテロ対策に使われる予算と比べたら、家庭内テロにつけられた予算は不均衡すぎる、と。

テロなんだ、と
もう、ふつうの対話でどうにかなるものではないんだと、
とても残虐で、理不尽で、病的というのを超えたスケールのものなのだと。

当事者たちや、当事者に関わる異なる専門を持つ人達が そこまで危機感を持って取り組む事ができるか?


殴る、蹴る、などの肉体的なDVは死に至らしめ、ニュースになりますが、
言葉などによる精神的DVは、肉体的に死にいたらしめるには時間がかかるので、
状況の深刻さにたいして、さらに周りの理解が進んでいません。

しかし、心は確実に殺されていっています。
精神的におかしくなっていきます。
それが、言動に繋がっていき、生きていく事が困難に感じていく事もあるし
心にたまっていく膿を、他の相手に明確、あるいは、不明確な形で投げつけ、
友人や子どもとの関係を毒していく連鎖を始めていくかも知れません。


DVはテロである。
Rosie Batty の言葉が響きました。

我慢する、とか、
約束する、とか、
改善するように頑張る、とか、
お互いが歩み寄るよう努力する、とか

そういうレベルの話ではない、ということ。


加害者の心の構造と、
被害者であり続ける人の心の構造がドラスティックに変わらないと 

一般的にはとても人当りの良い人達だったりするけど、親密な関係の相手に対して自分の心の闇をぶつけ合い、相手を破壊しようとすることでしか自分を保てない、
痛めつけられることがしょうがない事で、つらくて嫌だけど自分は罵倒されても仕方がない人間なんだ、こういう事を我慢するのが人生なんだ、

そんな思考パターンが変わらないと、その人たちの行動は変わらない。
家庭内テロは終わらない。






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by totoatsuko | 2015-10-01 13:32 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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