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秋は色々と、、、

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私のフラメンコの本番が近付いており、子ども達の運動会やピアノの発表会もあり、
アメリカの音楽療法ジャーナルに投稿した論文の直しの締め切りも迫っており、
だけど、自分が持っている時間と体力と気力には限界があり、

あ”~ 今日も一日すぎてしまった という感じで寝床に入る日を重ねています。

色々と早く解放されたい、
けれど、私なりに頑張った、って納得しながら解放されるようにしたい、と思っています。


ピアノの発表会前だから、本番 本人たちが頭真っ白になったり、本番までに 間違えずに弾けるようにならなかったら、
発表会 として会の雰囲気も悪くなってしまうし、
折角 本番なんだから少しいつもより頑張る という感覚を学ぶいい経験にもなるし、

と思いながら、普段全くしないのに、子どものピアノの練習に口出ししているのですが

音楽療法的には、音楽ってどう弾いたっていいじゃない、
舞台の上で間違える事も 恥ずかしい思いをするのも とてもいい経験、 と思ってもいるので、
私の口出しスタンスは矛盾を抱えています。 (世の中、矛盾だらけですが・・・)

クラッシック音楽の世界では、発表会 というのはきっちりした演奏をする事、 が大事で評価される事だから、
そういう場では、そういう価値観に合わせて そういう音楽の楽しみ方ができる、

そして、自由にやっていい場では、自由にできる、

その どちらもの世界を行き来しながら音楽を楽しめると、楽しめる幅というか、深さって違うだろうな、と思います。




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by totoatsuko | 2014-09-24 00:14 | Comments(0)

過去への理解は現在の経験により変わる

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過去に関する経験は、現在の経験によって色合いや意味合いが 自分の中で変化していく事があります。

当時以降、自分が経験したこと、感じた事、の積み重ねで出来ているフィルターを通して 過去を異なる視点で捉えるからです。

レンブラントの絵だけをみていて、その光と影の絶妙なバランスや、厚みのあるタッチに心が動かされ、その技法を学ぶ。
その後、自分自身が、印象派の油絵具の使い方を学んだあと、もう一度 レンブラントの絵をみたら、
レンブラントの光の描き方、タッチ、構図、などなどを、全く違う視点でとらえる自分がいるはずです。

死に直面するような出来事を経験している最中、そして、その直後は、自分自身が暗闇に突き落とされていて、天から見放されたような、絶望を感じるでしょう。そこから少し抜け出したとき、思い出したくもない、口に出して語りたくもない、忌むべき出来事として自分の奥底へ葬りたい出来事のように思うでしょう。しかし、その辛さの先の将来=今、その辛さがあったからこそ切り開いていった自分の生活が満たされたものであれば、過去のこの出来事に対する色合いは、過去の自分の思いとは変化している事でしょう。

同時に、過去の出来事に囚われ、嫌なのに無意識にしがみついていると、前に進めず、苦しい状態が将来=現在 に続いていたなら、その状態もまた、過去の辛い出来事にさらに輪をかけて暗雲立ち込めたひどい出来事だったと塗り替えられることでしょう。

とてもとても楽しい過去の出来事も、今 その延長線上で起きている事が最悪な状態に繋がっていたら、
当時は 最高の経験をしている、と感じていても、なんで あんなバカな事をしていたのだろう、という忌むべき思い出として塗り替えられるかもしれません。

私たちは常に変化しています。

アートや音楽を即興で作っているとき、その展開は自分自身が主導しているようでもあり、予期せぬハプニングが起こり、自分の思い通りに行かない状態にもなります。そして、即興を続けているかぎり、それを 自分はどのように受け止め、自分の即興をつくっていくのか、が その自分の即興の音楽として反映されていきます。

生きている事も、即興音楽、即興制作に共通するところがあります。
ある一定のルールに従って生きていますが、どのルールに従うのか、どのくらいルールからはみ出すのか、全て 私たちは 無意識にいろんなことを決め、その瞬間 瞬間 人との関係も、仕事の仕方も、子育ても、介護も、 料理も、お掃除も行っています。


即興で自分らしく生きていい、という自由を与えられているのに、
自分を害するような価値観や感覚のパターンにしばられて、どうどう巡りの音楽を奏でているかもしれません。

音楽心理療法は、そんな自分の気づいていないパターンや、処理しきれていない感情の渦を、
言語をつかった会話だけではなく、音楽やアートを使って その人のペースでひも解いていく、その人らしい苦しくない生き方を自分でつくっていく そんな心のプロセスを促していきます。



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by totoatsuko | 2014-09-19 09:45 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

セラピーにおける評価されないアートや音楽 というツール

d0065558_2046514.jpg商品としてのアート、アーティストの仕事としてのアートは批判の対象になってしまいますが、

個人的な音楽活動、アート活動、しかも、自分のためのプロセス なら なおさら 誰かに何かを言われるものではないはずなのです。 が、日ごろから人の評価が気になっている人は (自分は人の評価を気にしていない、と自負している人でも、実はとても人の評価に振り回されて生きてきた、という人もいます)、自分が自分の感性や言動を批判する、という 日常でやっている事 を セッションルームの中で、”自ら” ”無意識に” 現することが多いのです。


絵なんてかけない、音楽なんて出来ない。
どうやって、私たちは そう自分の事を決めつけてしまうようになるのでしょうか? 
そもそも 絵が描ける 描けない ってどういうことでしょうか? アーティストのような作品が書けない=絵をかくに値しない人間 であるわけがありません。幼児がなんのためらいもなく 嬉々としてクレヨンで落書きしている、おもちゃの楽器をかき鳴らす、それだって、絵です 音楽です。

自分で自分をアート活動から遠ざけてしまうパターンは、これまでに自分の中に刷り込まれていった、刷り込んでいった 自分の環境ー家庭や社会 に自分を適応させるために作り上げていった価値観を象徴的にあらわしている事があります。

セッションルームの中で、療法士と話をしているとき、あるいは、閉じられたグループの中で 何等かのセラピューティックな目的で話しているとき、

そのサバイバルに必要だった価値観や感覚を発揮させなくても
自分の身に危険が迫らない 批判されない状況 でも、
その視点に無意識に囚われてその立場で自分を生きて 自分の本来もっと自由であった感覚や価値観を ある一定範囲でしか機能しないように制限していることが多いのです。


この事実に、心の奥底の感覚をつかって気づいていくことで、
その鎖から自由になっていく一歩一歩が重ねられていきます。

自分の無意識のパターンや思い込み、先入観が生まれざるを得なかった出来事など 深い深いところに追いやっているもの、言語化しきれない何かを 音楽やアートの療法的なプロセス - 療法士との関係を通して クライアント自ら気づいていく、それが 音楽やアートをつかったセラピーのとてもユニークなところです。




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by totoatsuko | 2014-09-17 20:45 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

いい 悪い とつい評価してしまう私たち

d0065558_8113930.jpg自分の状態を相手に言語化されて言われた時、
しかも、その状態に自分が気づいていなかったり、
言われたような意図をもって振る舞っていた訳ではなかったとき、

自分は 相手に対してどのような反応をするだろうか?
自分は、どんな風にその言葉を ”感じる” だろうか?


相手の受け止め方が、ある個人の見解 ととらえるか、
それとも、その相手に大多数の人を投影して、 ”みんな” がそう思っているように感じるか
自分が誤解されているように感じるか
評価されている気がして、嫌な気持ちになるか

相手はなぜそのように感じたかを知るために対話を始め、
自分が意図したとおりの事が伝わるためには、自分をどう改善すればいいのか、 と探るのか

e.t.c e.tc....


2つ前の投稿で、
音楽療法科での初めての即興演奏のクラスで、色々とまどった私の経験を書きました。

いかに これまでの自分と音楽の培ってきた関係や音楽に対する先入観が 今 の自分の音楽との関係を制限しているか という事を伝えるために、私の その個人的な体験の話を学生たちにしているときに、もう一つのエピソードも話しました。

   ***
詩を読んで感じた事 を音にする、という課題に対して私がとまどいながら即興を終え、先生や他の学生と対話したあと、次に ピアノで詩の印象を表現したのは、セミプロのジャズマンでした。私と違って、何も戸惑いがなく、流暢なジャズのフレージング、ヴォイシングで かっこいいサウンドを奏でました。

先生がきく、本人に
「どうだった?」 How was your experience?
「とても気分がよかったよ、こういう事を試みたのは初めてだったけど、面白いね」

「とてもジャズっぽいサウンドだったわね」
「Yes...」
「それは 自分にとってどういう事でしょうね?」

彼は、自分が感じた事を 自分にとってなじみ深い 使い慣れた ジャズ という音楽のフィルターを通して即興をしたのでした。それは、彼にとって無意識だったと思うのですが。

   ***

そういう風に話すと、学生が手を挙げました。

「その人の即興がジャズっぽかったのは いけなかったんですか? 
(さっき 先生は 音楽療法では、いい わるい という評価はない、と言っていたのに、このクラスの先生はジャズっぽい即興を いい わるい で判断しているんじゃないか というニュアンスを含めて)」 という趣旨の質問でした。


この学生さんは、私の話し方のニュアンスのせいで、
あるいは 本人の傾向があってか、それは分からないけれど、 

先生の個人的な ジャズっぽいサウンドだったわね、というコメントを 
ジャズ というサウンドに囚われた即興でよくなかった、 と
いい わるい という判断基準に照らし合わせて判断したのだな、と思いました。
頭では、 音楽療法における音楽活動は、他者に いい わるい と評価されるものではない、という話を聞いて頭で理解しているはずなのに。 

そこで私は答えました。

「いいえ、そういう事は言っていません。
先生は、先生が感じた事を伝えただけで、それがよかったか わるかったか という事を伝えたのではないのです。 

セミプロ ジャズマン が、 自由にどのように音をつかってもいい という場でさえ、
自分の馴染みのジャズサウンド というフィルターを通して音を作ったように聞こえた
それは あなたの何を象徴しているか考えみませんか?

という投げかけをしただけなのです。

このようなコメントを通して学生が自分と音楽の関係をより細やかに見ていく姿勢を促し、
気づいていなかった自分の音楽的なクセや習慣、傾向を受け入れていくプロセスを始めさせることで、
自分を囲っている音楽の概念からより自由に、より意図的に音楽を扱う事の出来る音楽療法士 を育てようとしていたのです。

仮にニュートラルなコメントなのに、それを 批判や非難されているようにとっている、というパターンに学生が気づいたなら、そのネガティブ思考は 自分のどういう所から発生しているのか、という事を知るために、壮大な心の旅が始まる、という訳です、よりよい音楽療法士になるために。

という様には、上手に説明できなかった感じがしているのですが。。。


自分の状態を相手に言語化されて言われた時、
しかも、その状態に自分が気づいていなかったり、
言われたような意図をもって振る舞っていた訳ではなかったとき、
あるいは、それが認めたくない自分の側面をドンピシャに言い当てていたり
コメントした相手が 自分より目上、あるいは目下の人だったり

無意識に、自動的に 自分は批判されているのではないか 何か間違っていたのだろうか
と思考・感情反応する場合がよくあります。相手としっかり対話すれば、そういう意図で言った訳ではないと気づくことが出来るかもしれないけれど、毎回 そういう会話がを起こすことも出来ないだろうし、自分の中で妄想が広がって、自分で自分の嫌な気持ちを引き起こしているのかもしれません。


巷には いい わるい という評価軸があふれています。
他者をそのように評価し、自分もそう評価される経験を積み重ねています。

しかし、その軸では測れない人間の営み、生きていくプロセスがたくさんあります。

その人のストーリー、考えてきた、感じてきた事の変容のプロセス 
その事自体に 当事者や、その人と深く関わる人にとって大きな意味があり、
自分にとっての方向性や答えが含まれている、と 私は捉えています。





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by totoatsuko | 2014-09-14 08:12 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

自分の心と対話するために音楽をやったことがあるだろうか?

d0065558_917387.jpg学校でいろんなことを教えてくれるけれど
自分の心と対話する ってことは 私は教えてもらった記憶がない。

その作業はとても個人的なものでもあり、
その方法を教える過程で 本人たちが自分の闇に飲まれそうにさせてしまう可能性もあるので、
教える側としたら、それなりのトレーニングを受けていないと危険だろう、と思う。

私は、音楽療法を勉強し始めるまでに 数えきれないほど音楽を奏で、音楽を学ぶ時間を過ごしたけれど
自分の心を表現したり、自分の心を見るためだったり、自分と対話するためだったりに 音楽を使ったことがなかった。

そういう事が出来るとも思ったことがなかったし、
楽譜に書かれた音楽を、いかに自分らしい音色と解釈で表現するか、という厳しい試みは、
ある意味 自分を表現している、と思っていた節もある。

そういう事では表現できない心が私にあるとは思っていなかった。


社会が近代化され アーティスト という職業が確立され、アートが商品として認識されるようになったと同時に、アーティストではない人が生まれ、商品として社会に認められないアートや創作活動は人々の日常から減っていった。

泣きたいときは泣き叫べばいいし、ドラムをかきならしてもいいだろうし、
仲間と繋がりを感じたいとき、仲間内でいつも歌っている歌を歌ってもいい。
その時に、勝手に ”自分の歌やメロディー” を作ってもいい。
アートは 商品づくり の為だけでも、アーティストの物だけでもない。

誰かに見せるためでも、何かを描写したもの、でもなく
自分が出したい音をだし、自分が書きたい色をかく。

そういう事になかなか意味を見いだせない、しいては つまらない事 と思ってしまう感覚、
というのはどうやって私たちの心の中に育まれてきたのか?
技術やセンス、あるいは楽譜がないと音楽が奏でられない という思い込みは、どこから刷り込まれたのか?
カラオケ とか 宴会の場 など 決まった場所でしか歌わなくなったのはどうしてか?


音楽とは、その人 その人の関わり方があっていい。

自分の音楽を取り戻す = 自分を取り戻す
そんなきっかけになるようなワークショップもしていきたい、と思う。



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by totoatsuko | 2014-09-11 09:14 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

自分にとって 音楽 ってなんだろう

d0065558_2371892.jpgクラッシックをやっている頃、音楽療法を学び始めるまで、自分にとって 音楽 ってなんだろう なんて考えたことありませんでした。

そして、それは 誰にも教えてもらえなかったし、誰にも教えてもらうものではない、という事も分かりました。自分の中でも まだまだ模索しているし たぶん ずっと自分と音楽の関係を感じながらやっていくんだと思います。


自分で学んでいく、というスタイルは、
クラッシックピアノを練習しているときも、学校の宿題とか試験勉強するときも活用していたと思います。
ある程度、どんな感じで調べたらいいか、パターンというか、道筋って教えてもらっていて、完成形 目指すべきものは教えてくれて貰っていました。

頑張る目的 は、先生にOK をもらう事、とか、テストでいい点をとるとか、そういう事で、自分の心と深く対話する必要なんてありませんでした。 勿論、弾けなかった曲が弾けるようになるのは楽しかったし、テストでいい点が取れたら嬉しかったし、試験の範囲を超えて、もっと深く歴史を掘り下げて関連事項をたどっていく過程は楽しんでやっていたと思い返すことが出来ます。

自分で調べて、試行錯誤して学んでいく、そういうのは分かっていたのですが、
音楽療法を学び始めて、”答えのない事” ”点数や評価が付けられない事” ”いわゆる 一般的に 知識 と言われるものでない事” を 自分を学んでいく、というのは、私にとっては、ある意味 大きな不安を起こすものでした。 

到達点も、道筋も示されていない場合があるのです。
今 自分がどんなところにいて、これからどうするか、どうもしないのか、”そういう事を心を研ぎ澄まして経験”する ”そういう自分を自覚していく” ことが目的だというのです。


最初の即興演奏のクラスで、

「この詩を読んで 自分が感じたことを音にしてみて。」 と先生がクラスの生徒に投げる。

私は、楽譜に書いてある音符しか演奏したことがなかったから、
そして、 自分の気持ち を 俯瞰して感じて 客観的に捉える、という事も したことがなかったから 
とまどって、ほんとうに どうしていいかわららなくて、

なにもピアノで音を出しなさい、と言われたわけでもないのに

とりあえず ただそえが自分になじみがある、という理由だけで (詩から得た感じをあらわるのに ピアノがベストな楽器かどうか、という判断喜寿運ではなく) 自分の専門のピアノの前に座って、あーだこーだ考えてると
先生が、「とりあえず 一本指 だけで音をだしてみたらどうかな」 と言って
私は、それが 自分が詩を感じた自分の心を反映してるかどうか分からないけれども
とにかく 人生で初めて 一本指でピアノを弾いてみる という行為 をやってみました。
ーおかしなものですよね、もう数えきれない時間をピアノを弾くことで過ごしてきたのに・・・

先生がどう思ってるか、他のクラスメイトがどう思うか、それも心配でした。

ある程度弾いて、指を鍵盤からおろし、みんなの方をみたら
先生が 「Good try! How do you feel about it?」 と 私に聞いてきました。

だから、「いいのか どうか分からないし、いま弾いた音が自分が出したい音だったかも分からない」
というようなことを言ったら、「なるほど、それが 今 あなたが感じている事なのね」 と返されました。

そう、それが私が感じたこと。
いいか わるいか という視点でとらえようとしていた ということ。
その演奏が誰かに いいか わるか評価されて自分がその評価を受け入れるのではなく、
絶対値で感じたこと。


課題である ”詩で感じたことを音にする” という事が出来たかどうか、が大事なのではなく
その作った音が、 なるほど、感じをよく表してる、と思ってもらえるような演奏するのが目的なのではなく
自分がどのようにその課題にたいして取組み、自分の音に 自分が何を感じたか、
そこが大事なのだ、と先生は言いました。

そういう風に受け止められた感覚も、新しかったです。
先生は、いろんなことをアドバイスしてくれて、もう少しよくなる方法を教えてくれて、よりよくなるためにはどういう方向性なのか教えてくれるもの、だと思っていました。

自分で自分を制限しているもの、自分の思い込みに気づいていかないと、
自分の心を使って 人の心と関わる音楽療法は決してできません。

音楽療法を学ぶ過程で学んだことは、

何がいいのか 
というのは、自分が自分と対話しなければ、どんなに知識を教えられたって、決して分からないし、
何かにトライしている そのとても個人的なプロセスー過程 を通して学ぶことがあるから、
その過程において、いい悪い と他者から評価されなくてもいいし、他者を評価しなくていい

という事でした。

とまどっている自分を自分でしっかり受け止めたら、その次に自分がやらねばならぬことが見えてきます。


おそらく、それ以前の自分だったら、
自分がやったこともない即興をやらせておいて、自分がトライしたことに対して、ここがいい、わるい、 と評価したりアドバイスをくれなかったら、腹を立てていたかもしれないです。あるいは、一本指で 貧相な音しか出せなかった自分を責めていたかもしれない、と思います。

自分の気持ちを見つける事、トライしてみる事に意味がある、 と説明されても、その事に意味を見いだせないし、自分と向かい合う事を求められている、という文脈に含まれた事実を受け入れる事が 無意識に できなくて。

自分と向かい合う。
それは、初めてやる私には とても勇気がいることでした。



音楽は、完璧でないといけない、と思っていました。
音楽は、美しくないといけない、と思っていました。
音楽は、人を感動させるもの、だと思っていました。
音楽は、鍛練を積んで、常に上を目指すもの、だと思っていました。


音楽療法の世界では、その価値観が使えませんでした。
音楽療法士たちは、そのような音楽だけが音楽だ、とは捉えていませんでした。

音楽は、とても個人的なもので、評価されるだけのものではないし、誰かのためだけに演奏しなくてもいい。
音楽は、ポジティブなものだけではなくネガティブなものも全て引き起こす。
音楽は、人をどん底に突き落としもするし、寄り添う事もできる。
音楽は、教えられなくても 練習しなくても出来る事で、誰しも どんな時も 好きな音楽を奏でていい。
音楽は、実際音がなっていない状態でも そこに流れているもの。
音楽は、他に何もなくても、体一つで奏でる事ができること。


音楽療法を学んで、私自身の音との関係の幅がぐんと広がり深まったこと、
それは、私が私の人生を生きていくうえで、とても大きなターニングポイントであり、
生きる感覚 そのものを変えたものでした。



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by totoatsuko | 2014-09-09 12:44 | Comments(0)

I no longer have patience

d0065558_18255534.jpgまだ メリル ストリープ 程には年齢を重ねていないので、しばらくは 自分のpatience を磨いて、対話し続け 相手を受け入れていく姿勢を磨いていきたいとおもいますが、 やはり、人に対して dishonest で、disrespectful で 言動が表面的で arrogant な人 とは、色々ふっかけてこられても、 出来るだけ関わらないようにしたい、と思う心情であります。 事実、そうするべき関係もあるでしょう。

ただただ意見が違う、価値観が違う という相手と対話するのと、
自分に対して対話をしようとする姿勢がなく rigid で inflexibleな上に 価値観が違う相手とコミュニケーションをとるのは 全く違いますよね。

相手がどんな人であれ、性善説をもってして、相手とtrusting な関係を作れると信じて どんなに消耗しようとも 相手の言葉に耳を傾け続け対話を続けることだけが 相手のため ひいては 自分と相手の関係の為にはなるとは限らないでしょう。

メリル ストリープくらいの歳になって、出来る努力はやりきって、
堂々と 今彼女が言ってることを言えるくらいの日々を今のうちに重ねたいと思います。


“I no longer have patience for certain things, not because I’ve become arrogant, but simply because I reached a point in my life where I do not want to waste more time with what displeases me or hurts me. I have no patience for cynicism, excessive criticism and demands of any nature. I lost the will to please those who do not like me, to love those who do not love me and to smile at those who do not want to smile at me. I no longer spend a single minute on those who lie or want to manipulate. I decided not to coexist anymore with pretense, hypocrisy, dishonesty and cheap praise. I do not tolerate selective erudition nor academic arrogance. I do not adjust either to popular gossiping. I hate conflict and comparisons. I believe in a world of opposites and that’s why I avoid people with rigid and inflexible personalities. In friendship I dislike the lack of loyalty and betrayal. I do not get along with those who do not know how to give a compliment or a word of encouragement. Exaggerations bore me and I have difficulty accepting those who do not like animals. And on top of everything I have no patience for anyone who does not deserve my patience.” _ Meryl Streep




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by totoatsuko | 2014-09-02 15:19 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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