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こどもたちと 御岳山 

d0065558_20365760.jpg4時に起きて、おにぎり 大量につくって、
五時半少し前に家をでて御岳山へ。

朝早く出たおかげで、人が少ないなか歩くことができ
山の音を 満喫。

ケーブルカーもあり、険しい登山という感じではなく、
初心者には親切な山。
登山なのに裸になって滝や沢で水遊びも満喫。
水は氷水みたいに冷たいのに・・・
子どもは、靴がずぶずぶになっても、
それで山道を歩くのが気にならないらしい。

沢のまわりを 1時間以上歩く道があり
その音と 涼しい空気と 木からのエナジーに
自分の気が浄化されていくようでした。

子どもには険しすぎる、と言われたルートも、
子どもの方が はしゃいで ふざけて とびまわって 先へ 先へと道案内してくれた。

~には難しすぎる、、、とか、物や人に対する先入観が、
いかに 物事の可能性を奪う 有難迷惑な物にもなりうることか!


子どもの分まで詰めこんだお握り箱と水3リットルがはいったリュック、むちゃくちゃ重かった。 
有無をいわさず一日中 背筋トレーニング。

とはいえ、30分毎におなかすいた、って言ってきたから、
道中前半で、食料を食べつくしてしまったので、早いうちに少し軽くなったけど。

山の中のインフォメーションセンターに寄ったら、山にいる動物とか、その動物が食べてるものとか、本物の鹿の角とかおいてあって、いろんな話を、子どもたちのたわいもない質問に答えながら教えてくれた。

ありじごく、がいる入れ物があって、蟻を外からとってきたら、蟻地獄がありをどうやって食べるかみれるよ、とおじさんが言って、子ども達は意気揚々と蟻をみつけてきて、、、
人生はじめて、蟻が蟻地獄にはまり、必死にもがいて脱出しようとするも、
蟻地獄に生気を吸われ、カラカラに乾いていく様をみました。

d0065558_20372447.jpg自然界の厳しさ、まのあたりにしました。

まさにはまったら抜けられない穴、蟻地獄。
でも、そのアリジゴク、トンボの幼虫だって、、、知らなかった。

帰りのケーブル乗り場まわりにお店。 
暑くて、疲れてて・・・ 
ところてん、って
こういう野外で食べるとホント美味しい! 
家でたべるところてんは、
どうして どうして 味気ない。

自然とは、おおいなるもの。

絶対持ち上げられない石があるし、天気は思うようにならない。
いま この瞬間 疲れたから 下山したい、と思っても、ごねても、騒いでも、
どういったって 自分の足で歩くしかない、降り口まで。

もうむりい~ と 急に電池切れして、機嫌も悪くなってきたのに、
おばあちゃん一行に後ろから追いつかれて、 「私たちを抜かせるかな~」 
って何気なく言われたら、背中に羽が生えたように、
ずっとずっと先まで、ケーブル乗り場まで駆けていった子ども達。

あんなに、もう 一歩も先に進めない、感じだったのに。

人とのやり取りを通して 自分の内側で起こる化学反応って、内側から生まれるエネルギーって、
ほんとうにすごい。

道徳の時間に大人に教えてもらわなくても、
ただ そこで遊んでいるだけで、 いろんなことを体感して 実感して 学ぶ 気づく。

一人で子ども達を連れて初めての登山は勇気がいったので、
一緒に行ってくれた山ガールの友人に感謝!





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by totoatsuko | 2014-07-31 20:38 | Comments(0)

Music together 秋学期 2014

d0065558_22571881.jpgMusic together クラス 秋学期 2014 @ 代々木上原の詳細が決まりました。

私の予定があり、出だし少々ランダムなスケジュールとなっています。

日時:日曜日 10時半~ 11時15分 (日程の詳細は以下)
計12回(振替日含む)
1学期 参加費:29000円、 8か月以上のご兄弟 25000円(秋学期の教材、マクロビ スナック付き)ご両親、祖父母様の一緒の参加、歓迎です!

日程
1.     8月31日
2.     9月14日
3~5.  10月5日、12日、26日
6~11. 11月2日、9日、16日、23日、30日, 12月7日、
振替日. 12月14日、


よくある質問に、単発での参加はできませんか、というのがあります。
Music Together では、組織として、単発の参加は原則ご遠慮していただいています。
理由は、Music together は ”イベント” ではなく、あくまで ”音楽教育” だからです。


クラス運営、内容にはマニュアルがありません。
毎週のクラスの内容が 子どもの中で積み重なっていっている
子どもの音楽的な成長の様子講師によってクラスが運営されている

そういう側面は 参加している側にはあまり実感しにくいだろうとは思います。

クラスは笑いと、即興性と、クリエーティビティーに満ちていて、
お勉強、 というよりは 楽しい時間 なので、習い事、という概念にははまりにくい。

気が向いたときにいつでも行ける 遊びにいくのに便利? な場所、 
のように感じられても当然だと思います。



いわゆる ”音楽教室” 的な習い事である 定期的で 保護者の方が自分の力で子どもの変化をみつめ 感じる事をしなくても、数字とか先生の評価を ”読む” 事で成長を知ることが出来るような ”試験” を Music Together では行いません。 

試験 で測れるような力 をつける事が メインの教育目標ではないからです。

子どもが、自分なりの感じ方の幅を広げる経験、
感じたものをさまざまなアプローチをつかって表現していく力
目と耳と体のコーディネーション
統治されていないランダムなグループダイナミックスの中で 自分がありのままでいる 流されない力、あえて流されてみる力
思い通りにいかない時に その気持ちをどう扱って どうアウトプットするか 試行錯誤する経験
指示されないなかで 自分の感性を頼りに 自分がいい と思う音やニュアンスを創り出していく力


こういう力は、たまに来るのでは、子どもと講師、子ども同士の信頼関係、何をやってみても安心してチャレンジしてみる環境が構築しにくく、学びの経験をなかなか積み重ねていきにくい。

失敗してもいい、、、 というか、ここは 失敗 って外的評価はないんだ
って、気づいて、心からそう思えるには時間がかかります。

言われた通り歌ったり楽器たたいたり、行動したりするのが大事 って日々教えられてる子ども達が
自分で感じて 考えて 自分のタイミングで 自分の表現をする というのを学ぶのには
そして、その力を深めるのには、やっぱり毎週積み重ねられる環境のほうが 伸ばしていく事が出来ます。


年齢で分けた教育マニュアル が決まっていないからこそ、
その瞬間の子どもの様子をみながら その時のクラス内容を作っていくクラス・プログラムだからこそ
親が想像もしない学びを子ども達は 空気を吸うように 自然と身に着けていきます。

時に、Music Together で身につけたクリエーティビティー、音楽を楽しむ力 は分かりにく場合もあるかもしれません。日本的な音楽教育でよしとされるような事を出来るようにする教育ではないから。 むしろ、先生の指示にもかかわらず、音楽を始めると楽しくなっちゃって、自分の表現のアイデアがどんどん出ていちゃって、先生の言うとおりにしてるだけではとどまれなくて、評価が下がってしまうかもしれない。

しかし、Music Together は、 もっと長い目でみて、子ども達にプログラムを提供しています。
学校の音楽でいい点を取れるための教育ではなく、生きているあいだじゅう、年をとっても 心底 音楽が好き! で、音楽表現が生活の当たり前のように一部になって、自分自身を自分の力でより楽しく、豊かに生きる土台を育んでいるのです。

音楽は、ダンスにも、スポーツにも、学問にも繋がっています。
好きなジャンルの音楽をたどっていって、ダンスがやりたくなるかもしれないし、そのジャンルがよく使われているスポーツに関連する分野に進みたくなるかもしれない。現場で即興的に起こっていく受動的な音楽の楽しみ方、能動的な音楽の楽しみ方、どちらもを自由に行き来できるちからは、人とのコミュニケーションに通じるものもあります。


夏学期は終わってしまいましたが、よかったら是非! 秋学期 無料体験 しにきてみてください。





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by totoatsuko | 2014-07-27 22:52 | Comments(0)

子どもの時に得る感動

d0065558_20581583.jpg子どもの野球のコーチと雑談していて

初めて 球場に連れて行ってもらった時、
その広さに感動して、TVで見てた選手が目の前にいて、永遠に帰りたくない、
延長戦 ずっと続いたらいいのに って思ってた

帰りのバスが 酔っ払いのガラの悪い大人たちで溢れてて
その中で、子どもの自分を見つけたおじさんが こっちこい って膝に乗せてくれて


それまで、仮面ライダーとか、戦隊ものが大好きでカードとかも集めまくってたけど、
お酒臭い混んだバスの中で、共通の話題と経験ーひいきのチームの話と試合の応援 を経験して
大人の仲間入りをしたような

何か自分の中で変わった気がした、あの感覚は今でも忘れない

という話をきいて、あぁ すごく いいなぁ~ ってすごく思いました。


人気投手の投げ方 や エースバッターの打ち方のマネ のしあいこしたり
各選手のデータ集めて、子どもながらにそれについてマジメな話したり
その子ども達にとっては、そのチームのファンであるとか、自分の所属してるチームを誇りに思うとか、コーチとか先輩を絶対的に信頼してるとか、ちっちゃな練習試合に命かけてるくらい一喜一憂するとか、、、

そんな事に興味ない人からみたら本当に たわいもない と言えば たわいもないんだけど 
そんな事に無邪気に夢中になって仲間と過ごす時間って かけがえのない子ども時代だな、と思います。

サッカーと違って、野球は団体競技であると同時に個人プレー。
バッターボックスに立った時、自分の方にボールが飛んできたとき、その瞬間は、仲間も相手も観客も、全員自分をいろんな思いをもって見ていて、チームの命運が自分ひとりにかかってるようなもの。

緊張感は 半端ないと思います。

同時に、子どもだから、チームがうまくいっていない時・・・
誰かがエラーする、とか、ストライクが入らなくてファーボールばっかり とか、盗塁に失敗するとか、
仲間なのに 自分の中のくやしさとか、不満とかを自分で処理しきれなくてヤジを飛ばすこともよくある。

本来なら仲間がうまくいっていなかったら、
あー、またボールだよ、とか あー、またミスだよ って思うんじゃなくて
ドンマイ ドンマイ 次は行けるよ 今のはよかったよ

って、誰かひとりでも、絶対大丈夫 って 
心では思えなくても、そう大きな声で口にすることで チームの雰囲気が変わり、プレイの質もあがる。

しかしそれは大人の理屈で

乳幼児の子育てしてても、そんな寛大なオトナ対応 いつもいつもは 大人でも出来ないので、

それを小学校低学年に求めるのは酷かもしれないけれど
でも、出来る と信じて、そういうマナー や 自分の気持ちの処理の仕方を教える
子ども達が自分が大好きなスポーツをやりながら学んでいけるのなら それは最高だな、と思います。

(勿論 スポーツ経験も 子どもに誤学習させてまがった人格を形成を助長させてしまう可能性もあるから、どういうチームに所属するか というのは、吟味する必要があると思う。人生や勉強と同じで、 勝てばなんでもいい 訳ではない、と私は考えるから。 その 過程 で何を経験するか、が大事。)

試合の高揚感、辛い練習など一緒に乗り越えた仲間っていうのは、生涯の宝になりうる。
そんな宝物に だれしもが恵まれるものではない。

子どもの時の経験って、本当に無意識の所まで 奥深く刻まれていて
大人になっても鮮明に思いだせる記憶ってある。


何十年、という人生の中で、子どもの時に経験したことは、育った自分の器の大きさに応じて、
1つのテーマ・記憶から、何度も何度も 異なるレベルの学び直しをさせられることが起こります。

どの出来事が 子どもの学びや気づきの動機づけ になるかは誰にも分からない。
些細なこと、大人は全く覚えていないような事も、子どもにとっては一生の記憶に残ることにもなりうる。
子どもの感じ方はコントロールも予測もできない。

今 この一瞬はもどらない。
日々を大事に重ねていきたいとおもう。


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by totoatsuko | 2014-07-12 20:58 | Comments(0)

賞賛と心の闇

d0065558_12461030.jpg世間でご立派な方だと尊敬されている方々でも、
公的な場で とても素晴らしい言動や活動をされていても、
人としてその人が ご立派であるか というのは、
本当の所 誰にも分からないのではないかと思います。

無意識ですが、心の闇が深ければ深いほど、社会で輝かしく賞賛されることで 自分の価値を確認し その闇が 束の間でもかきけされたかのような気持ちになれるのは救いでしょう。 自分の心の闇から アグレッションから目を背けることが出来る。

同時に、無数の人々に賞賛されて手に入れた栄光は、闇が深ければ深いほど輝かしいものに感じられます。闇からのネガティブでアグレッシブな行為は、賞賛する社会からは決して見えない所で続き、闇の世界は心のなかでうごめき続ける。



どこかで、見つけてほしい、闇から救われたい、と無意識に思っている場合もあります。
だから、アグレッシブな行動がやめられない、という見方もできます。これも、無意識ですけれど。
勿論、意識、理性 や 意思、は絶対に見つかりたくない、
そんな姿 自分をあがめてくれる人々にはみせられない、と思っています。

心理のパラドックスですね。

万引きする人が、本当はそのモノが欲しかったのではなく、
寂しい自分をみつけてほしかった、かまってほしかった
というような事を、見つかってから吐露することがあるように。

もうちょっと違うバランスのとり方をしたら、
自分の闇のコントロールから自由になり、
人数は多くないかもしれないけれど、自分と個人的なつながりのある 自分にとって大事な人と
幸せを分かち合いながら 自分も相手も大事にしながら生きていけるんじゃないかな、と思います。



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by totoatsuko | 2014-07-09 23:21 | Comments(0)

憎しみはどうやって溶けていくのか?

d0065558_1432101.jpg価値観や生き方、生きる目的が違う者同士が どうやったら 共に生きていくことが出来るのか・・・

辛い思いをし、相手にたいして募る憎しみを抱えて生きていると、
その憎しみの心が自分自身を蝕んでいく。

先日TVで もののけ姫 を放映していたので 久しぶりに見ました。 (以下 ネタバレです。)

憎しみ合う気持ちが変化し、お互いを尊重しながら生きていこう と思えるようになる展開からは
沢山学べることがあると思いました。


人間に鉄砲で撃たれ、森を守る 乙事主(おっことぬし)=イノシシ は、たたり神 となり、
他の国 (自分を撃った人間ではなく) の人間たちの村を襲った。
一人の人間がそのイノシシを撃ったことで、イノシシは、すべての人間を憎み呪った。
沢山の死者を生んだ。

襲われた村の若者は、村を守るために、その たたり神を 殺した。

すると、若者の腕に、たたり神の怒り のあざができ、
そのあざは やがて骨までとかして 時間をかけて苦しめながら死に至らしめる、という。

憎しみは 悲しみは 電波していき、多くの人々の心を蝕んでいく。
そして、その憎悪は、理屈や理性的な説得で消えることは とても難しいことだ とも知っている。


若者は、どうせ死ぬ身
ならば その オコトヌシ を たたり神にせしめた国を訪れ 出来る事をしてみよう、と旅立つ。

ようやくたどり着いた 生と死をつかさどる と言われているしし神 の森では
人間たちが より豊かな暮らしの為に 女主人を指導者として仰ぎ、町をつくっていた。

その女主人は、人々から深く慕われていた。
貧しい暮らしから救ってくれ、仕事と食べ物を与えてくれた素晴らしい人だと。

同時に、森を守る 犬神3匹 と その娘となった人間の少女、イノシシ達は、
その女主人を憎んで 殺そうとしていた。

人の表裏一体な栄光と闇。
一方であがめたてられ、一方で、殺したいほど憎まれている。

その若者だけが、憎しみを相手にぶつけあう事を止めようと お互いへ働きかけていた。
若者は知っていたから、憎しみは 殺し合いは 何も生まないことを 誰のためにもならない事を。
しかし、そのメッセージは なかなか伝わらない。

森・自分たちの生きる場を壊そうとする人間を憎む 森の神たち、森の住人達
自分たちが作ろうとする世界の邪魔をする森の生き物たちを 皆殺しにしようとする人間たち

相手への怨念に飲まれた復讐の鬼となったイノシシは、
神 という日常を超越する存在であったにもかかわらず、自分や仲間の命を投げ捨て、相手の命を奪おうとする。憎しみが、憎しみを飲み込んでも、その先に 憎しみしか生まれない事には もう気づくことが出来なくなってしまっていた。

ショウジョウたちも、人間が憎いから、人間を食べて 人間が持つ力を得て 人間をやっつけたい、
と考えるようになる。 そんな事をしたら、もう自分たちは ショウジョウ ではなくなり、人間の醜さ・憎しみをもつ化け物になってしまう、という説得にも 耳を貸すことが出来なくなっている。

感情に飲まれている状態 というのは
飲まれている事自体 本人が認める事が難しい状態である ともいえるので
聞く耳をもてないのだ。 (以前 投稿した ピノキオ 助言があっても気付けない の話にも通じるものがある)

あるいは、憎しみに飲まれている自分が友達だ、助言者だ、と信頼している人もまた
自分と同じような考えをもつ 憎悪を増幅させるような助言をする人なのかもしれない。
自分に同調してくれるから、 だから そのアドバイスを聞き入れることが出来、
憎しみを 自信をもって増幅させていく行動をとれるのかもしれない。

憎しみを行動化しても 負の気持ちを連鎖させるだけであること
自分自身を よりよいこれからの人生へ展開させないよう 
自分で自分の体に憎しみの鎖を巻きつけている、という事。

とても とても悲しい事だけど そういう事は 私たちの日常でも 多くみられる。

憎しみは 憎しみを呼ぶだけ、
そんな教えの言葉は いたるところで出会う事が出来るけれど、
いざとなったら、私たちはその言葉を忘れてしまっている事が多い。

あるいは、自分の憎悪に、自分が乗っ取られてしまって、
知っている事も これまでの経験も 無視してしまうのかもしれない。


人間は、恐れ多い事にも、シシ神 の首を狙う。
森をつかさどる神の首を取れば、森は自分たちの物になる と信じて疑わない。

なぜだろう? 
おごり だったのか?
武器を発明し、町をつくり、自分たちは、自然の大地の神々に守られながら生きている事を忘れてしまっていたのか? 神などいない、運命などない、全て自分たちの力でコントロールできる、と思ってしまったのか。

犬神の母は、人間である娘が たたり神 となるのを防ぐため、
人間をかみ殺すために取っておいた残りの命を使って 救い出す。

犬神の母は、誰かを憎むより、愛する者を救うために、最後の命を使う事を選んだ。

シシ神 は、もう一匹の 自分の憎しみに飲まれて たたり神となろうとしていたイノシシと その 犬神の母に
安らかな死 をもたらす、やさしい口づけで。


首を取られた シシ神 は、全ての物をのみこみ、死や破壊へ導いていく。
人間が、動物たちが、時間をかけて築いてきたすべての物を、いともたやすく、あっという間に。

若者と犬神の娘が、その首を取り戻し、 シシ神に差し出す。

すると、シシ神の姿は やがて消え、
破壊された野山は、美しい草木に覆われて戻ってきた。

シシ神は、生 を与えた。
少女と若者を蝕んでいた たたり神のあざも 消された。

神が、生きよ と決められたのだ。
同時に、人々の心の中から 違う世界に住む者、自分が持っていないものを持っている者に対するねたみや憎しみは消えた。

全てを壊された女主人と その仲間の人間は
自分たちが間違っていた、これからは もっと違う形で自分たちの町をつくりなおそう
と考える。

犬神達と少女は、人間たちとは一緒に暮らせないが、もう人間を襲うこともなさそうであった、
美しく生き返った森を守るために 森に帰っていった。

なぜ おのおのが抱えていた憎しみは 消えたのか?
なぜ 争う気持ちが 消えたのか?



動物も人間も、自分の存在を超えた大いなるものに生かされている、
 
憎しみ合いは 憎しみを生むだけでなく、

自分の憎しみを抱える自分の心は、
築いてきたもの 自分が大事にしているもの 
憎い相手から守ろうと多大なエネルギーを払ってきた人・物さえ 破壊してしまうのだ

という事を 心から気づかされるような深い体験をしたからではないかと思う。

相手を自分の都合のいいように変えようとしたり、服従させようとしたりする言動が
自分の目的を達成させることには繋がらない。

仮に攻撃してくる相手がいても、
その攻撃に乗っかって 相手を攻撃しても 相手の憎しみを攻撃を増長させるだけ、
自分の心を 狂気で満たすだけ。

攻撃するのではなく
攻撃されないような自分 攻撃されても傷つかないような状態 に自分を持っていくこと、
そのほうが よっぽど平和的だ。 (しかし、時間はかかるし、エネルギーも消耗するし、目に見える成果がすぐに感じられない事も多いから、気持ちが赴くままに応戦するほうが、気楽かもしれない。)

相手に対して対抗したり、相手を悪くとる そんな 自分の心の状態が変わらない事には
相手を服従させることで 本質的に得ようとしている 心安らかで楽しき日々は 永遠に訪れない

私たちは 地球に生かされている。
周りのいる人たちに 支えられ 学ばせてもらい 生かされている。
それが どれほどまでに素晴らしきことか そのありがたさを感じなが生きていく過程で
傷ついた心の手当がなされ 怨念は、なにか別の物へ昇華していくことができるかもしれない。

なかなか そんな感動的で 衝撃的な出来事は 日常では起こらない、と思うかもしれない。
しかし、ただ 自分が気づいていないだけかもしれない、自分の心が変わる事ができるきっかけを。

怨念や復讐心が愛と感謝の気持ちへ変わる
怒りに飲まれているときは、そんな事不可能な事のように思えるかもしれないけれど

自分が ほんとうに 怒りを手放したい と望むのならば
そのためのアクションを探し、
一人でできないのであれば、そのプロセスを可能にしてくれるための手助けを求め

自分に与えられた命をつかって 与え、支えてくれているまわりに還元しながら 
共に生きていく命をまっとうする というクリエーティブなプロセスは 可能だと思う。




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by totoatsuko | 2014-07-08 14:30 | Comments(0)

葛藤と爆発を受け止め 見守る 2

d0065558_22515820.jpg小学生になると、幼児とちがって、言葉で状況の説明や、自分の思いや考えを伝える事が,まだまだ語彙は限られているけれど、出来るようになる。しかし、相手の立場や、状況の特異性など総合的に考えて自分の言動を冷静に判断して行動する、というのは、小学生、と一言に言っても、1~6年生で能力は全然ちがうし、個人差もある、のだけど、低学年では、簡単ではないと思う。

私が見ていない状況で起きたことについて子どもがあーだ、こーだ、言っていて、時にはむちゃくちゃ腹を立てていたり、哀しんでいるのを訴えてきたとき、ただただ、その気持ちを受け止め、本人がその気持ちを消化していったり、同じ状況がまた起こったときは どうしたらいいか一緒に考える話をすることは出来る。

だけどその場にいた誰か の説明で
話し手の主観がはいった話から間接的に知る状況だし、
その人の説明をうのみにして、私自身が実際見ていない、関与していない状況についてジャッジを下すべきではないと思っている。いかにわが子が真実味を持って語る内容でも、本人にとっては真実でも、状況としては 真実ではない可能性は常にある。 
現場にいない人間が、又ぎきした話を元にジャッジをする、真偽のほどが確認されていないのに決めつける、一部の人の見解をもとにpro con どちらもの話を吟味せずに状況を理解した気になる、 そんな事をしたら、よけいに状況がややこしくなるし、その現場で様々な事を感じ、試行錯誤して人間関係を作っている人の 自分で考えて感じて言動する 力をつけいていく経験の 妨げになる。

一般論は言えるかもしれないけど、一般論なら、誰にだっていえる事で、
一般論をあてはめて起こったことを吟味するるような会話を親子ですることに、
私はあまり意味を見いだせない。


私が子どもと一緒に現場にいて、
誰かとトラブルが起きたり、その状況に対してや、私について怒りをぶつけてきたら、
それはもう、本当にものすごいエネルギーなので、私もかなり感情的に揺さぶられる事はよくあるのだけど、
その揺さぶられた不安的な心を子どもにぶつけ返すのではなく、出来るだけ辛抱強く、出来るだけ穏やかに (結構 難しいことなんですけどね) 対話を重ねる、沈黙を共有する、本人の言い分を聞き、本人が自分の言動を顧みるための質問をしたり、本人からの問いかけや欲求に、靡かないし媚びないけど、真摯に返していく。

言葉で言うほどたやすいことではなくて、
毎回 まいかい 状況や欲求は違うし、そもそも違う人間なんだから価値観が違うのは当然だし、
子どもは親に絶対従わないといけない訳ではなくて、自分で考えて自分の言動に責任が取れるように成長していけばいいのだけど、実際そういう風に生きていくのは親の庇護から離れる時で、まだまだ時間が必要だから、勝手にすれば、 と今の時点では野放しには出来ない。

自分の気持ちがコントロールできないのも当然だし、相手に分かるように辛抱強く説明したり説得するのが
今 この時点で上手に出来ないのも当然で、、、 だからといって、出来なくていい、と思っているのではなくて、まだまだ未熟だけど、本人が一生懸命 自分で考えて 感じて生きているのを見守りながら、その成長を促していく その成長を待つ というスタンスでありたいと思います。

色んな人とかかわり、いろんな事を言われ、話し、いろんな価値観にふれ、自分を試し、確認し、
いろんな状況を潜り抜け、本人が考え感じ学んでいく、考える、感じる力を磨いていく
道徳として、知識として していいこと・悪い事 を学ぶだけでなく
その人が生きている 現場 で、 いろんな人との関わりの中で さまざまな経験を通して、いろんな事を実感いていく、その結果、内側から 言動が変化していく、成熟していく、 そういう ”過程” が とても大事だと思っています。

大人になった私 ですら、当然 まだまだ未熟なところはあります。
自分で気づいていない、自分の事も 沢山あります。

子どもの頃、大人や学校の先生に ただ人と違う言動をする 大人の予測通りに動かない 事で 批判されたことも沢山ありました。大人になって思えば、そちらの立場の大人たちが腹を立てた理由もよく分かるのですが、そういう事が理解できるようになるには10年20年かかりました。

今 出来ないから だからどう、 とレッテルを貼るのではなく
人間 死ぬまで勉強、 成長しつづけますから、長い目で見て、子どもの成長を見守り、信じ続けたいと思います。

自分にとって大事な人から、信じられている、信頼されている、というのは、
ヒト が成長するための とても大きな力であると思っています。

逆に、自分が一目置いている人に、自分の成長をあきらめられていたり、素質を認めてもらえなかったら、
それだけで もうちょっと頑張ってみよう 工夫して辛抱してみよう という気持ちがそがれやすい。
(まぁ、四面楚歌・最悪な状況に陥ったとき どん底に落ちてひとりぼっちになったからこそ、それを跳ね飛ばす自分の底力に命が吹き込まれる事もありますが、、、そんな時でも、心の中にいる自分を大事に思ってくれている誰かの存在が支えになっている事が多くあります。)

上手に出来ない事、失敗する事、沢山あるけど、批判したりこうするべき、という私が個人的に思っている答えを簡単に与えるのではなく (私はこう考えるけど、というのを シェア することはあるし、絶対的にダメなことはダメだと ”教える” けれど、、、そういう絶対的にやってはいけない事、というのは、子どもは 言われる前から知っている事が多い。 フォーカスすべき点は、ダメだとわかってるけど、それをやっちゃう その過程で何が起こっているか を自覚する力をつけていくこと)、 自分で自分にとって正しいと思える選択を 自分で考えて、感性をつかって 自分で判断し、その判断に責任をもって生きていけるように (うまくいかなかったり、不満な状況に陥っても、誰かのせいにしたり 自暴自棄にならない) 時間はかかっても、その成長を支え、見守っていきたいと思うのです。



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by totoatsuko | 2014-07-02 23:13 | Comments(0)
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