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愚者に困難に見えるとき賢者に容易に見え~

d0065558_2225885.jpg電車の壁に貼ってあった広告にゲーテの言葉が。

人生は、愚者に困難に見えるとき賢者に容易に見え、
愚者に容易に見えるとき賢者に困難に見える



案外簡単に出来るようになってきたわ、楽しいわ、と思ってるうちが花で、

取り組んでいる事の奥深さが分かったら、
人にどんなに褒められたとしても、人に評価されたとしても、
自分の出来なさ加減とか、分かってなさとかに気づいてしまったら
もう、口が裂けても 楽勝 なんて言えない。

人の評価は、必ずしも自分の成熟度とは比例しない。


先人たちが積み重ねてきたこと、自分が積み重ねてきたことに対して謙虚であることで、周りと協力しながら知識と経験に基づいて、物事や人に対処していくことができるんだろうな、と
仕事帰りにつり革につかまり、電車と一緒にゆれながら思ったのでした。

趣味で習ってるフラメンコも奥が深い。
深いことが分かって、ますますぬかるみにはまっていくような感じ。
職業ではないので、気楽にたのしんでいますが、、、

レクリエーション的な音楽セッションだけが、音楽療法だと世間に認識されていかない事を心から願います。また、マクロビオティックやプラントベース ダイエットが、単なる健康食のスタイル の一つだと勘違いされないことを、間違った気学の教えがあたかも本当の気学として広まらない事を、心から願います。
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by totoatsuko | 2014-02-26 21:57 | Comments(0)

大切なもの

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小学生の子ども達が学校で歌っているらしく、ウチでも熱唱・合唱しています。
とってもいい歌。

大切なもの  作詞作曲:山崎 朋子

空にひかる星を 君とかぞえた夜
あの日も 今日のような風が吹いていた
あれから いくつもの季節こえて 時を過ごし
それでも あの想いを ずっと忘れることはない
大切なものに 気づかないぼくがいた
今 胸の中にある あたたかい この気持ち

くじけそうな時は 涙をこらえて
あの日 歌っていた歌を思い出す
がんばれ 負けないで そんな声が聞こえてくる
ほんとに 強い気持ち やさしさを教えてくれた
いつか会えたなら ありがとうって言いたい
遠く離れてる君に がんばる ぼくがいると

大切なものに 気づかないぼくがいた
ひとりきりじゃないことを 君が教えてくれた
大切なものを
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by totoatsuko | 2014-02-24 19:27 | Comments(0)

おわってみないと分からない

d0065558_12503117.jpg友人が、知人の話をしていて・・・

ある程度裕福なおうちで、小学生の頃、お子さんがとても優秀でいい私立学校に入学。だけど塾や学校でいじめにあって大変な時期に遭遇。最終的に転校して、大分おちついたのよ。

と聞いていたから安心していたら、久しぶりに連絡があって、家庭内暴力がスゴイと。
刃物を振り回したり、殴る蹴るは日常で、兄弟も両親も青あざだらけ、近所の人が虐待通報するも、大丈夫だ、と親が警察を返してしまうので、収拾がつかなくなってる。

優秀だともてはやされたこども時代があるのは素晴らしいことですが、親に刃物を振り回し、社会からひきこもるしかない人生の展開が、その輝かしい時代の先にあるとは、想像もしなかったでしょう。 人生、何がよくて、悪くて、というのは、終わるときにしか分かりませんね。いや、死後もその人に対する評価が変容するので、終わってからも分かりませんか・・・

少なくとも、自分が自分の人生がどうだったか、という自己評価は、
肉体の命が閉じるときに、何かを感じるでしょう。


そういえば、先日のある殺人事件。
被害者はストーカーにあっていて、警察に届け出をだし、
警察が勧めるまま転居をし、住民票の閲覧制限もつけたけれど
一方で、相手と連絡を取らない方がいい、という警察の勧告にもかかわらず、ストーカー相手からの電話をとったり、面会したりしていたらしい。

どちらのケースも、周囲に今現状が大変なんだ、って相談してるけど、
同時に、自分が辛い状態である現状を ”変えるため” に
決定的な決断と行動はとっていない、という事。


ちゃんとしたセラピーに行って、自分に向かい合って自分の気持ちが分かって、
自分に必要なアクションをとれるような自分に変わったら、
相手を変えることは出来ないけれど、
相手との関係を変えるための言動をすることが出来るようになると思う。


共依存関係のこわさ。
病的な関係であり、
お互いにとって悪い影響しか与え合っていないのに その関係性を”変える事もできず”、
相手と一緒にいることに恐怖や嫌悪を感じるのに、一緒に居続けることを ”消極的” にでも ”選ぶしかない” 心理構造。

自分がいないと、相手がダメになっちゃうんじゃないか、という思い込みとか、
無意識に、相手に愛されている、という錯覚や、かわいそうな自分を演出することで自分のidentity や存在意味を支えていたり、、、理由は様々だと思いますが。。。


私も、実体験から、病的な関係から抜け出すことの難しさは本当に理解できます。
まず、病的な関係だと気づいていないから。

何事にも言えることですが、事の深刻さに気づかないと、
それに対してアクションがとれないですよね。

辛いな~、と思っても、人生辛い事いっぱいありますし、いちいち辛いからって、辛い事をやめては、本当は自分が努力して乗り越えなくてはないらない事も乗り越えられないと思ったり・・・ それぞれの人は、それぞれの理由をつけて、共依存な、あるいは、虐待関係を続けてしまう。


親に暴力を振るってしまう事でしか自分の気持ちを表現できない子どもも、かわいそう・・・というか、残念というか。親は世界で唯一自分の味方になってくれる存在でもありうるのに。深層心理では 親に認めてもらいたくて、構ってほしくて、、、そんな気持ちがあるかもしれないのに。 

相手が大事なのに、”その気持ちが相手に伝わるように伝えられない”
自分の気持ちを 自分がまず理解して、そして、相手に分かるように伝えられない
ただ、自分のイライラや自分の心の問題を相手に押し付ける事でしか、その気持ちを抱える事ができない、消化できない、

というのは、みんなに支えられて生きている人間の一人としては、哀しいんじゃないかな、と思います。


心理療法家としては、セッションの中で、心の欲求に耳を傾けていく先に、心と頭と、霊的な感覚と、肉体のニーズ、それらが納得した方向性を、 本人が 見つけていくプロセスを大事にしています。

自分の心が自分で手に負えなくなって、自分の言動が翻弄されて、結果的に相手を傷つけたり、
無意識のエゴや怒りや悲しみのエネルギーによって操られて、本当は望んでいない決断をしながら生きていくのは、苦しいと思います。


幼少期の親子のかかわり方、周囲の大人とのかかわりは、
本当に子どもの将来に大きな影響を及ぼすと思う。

こどもは、親の 背中 から、無意識のようにいろいろなものを吸収し
そして、属している社会の価値観も吸収していく。

勿論、それだけが人生を決定はしませんが、
それが将来、一人の人間として自分が判断して色んな決断をして、成長し、発展してく為に必要な基準というか、踏み台というか土台というか、そんな部分に関わっている事は確かだと思います。


家族は何十年も家族だから (家族関係を解消したり、離脱する場合もありますが・・・)、お互いに対してその時、その時で思う気持ちは変わるし、関わり方だって変わるものだと思うけれど、根底に、通奏低音のように、揺るぎない相手を大事に思う気持ちや信頼感は持ち続けることができたらいいな、と思います。
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by totoatsuko | 2014-02-24 12:45 | Comments(0)

音楽療法 と 音楽遊び 

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音楽療法 あるいは、療育・セラピー など、
専門的な介入をするセッションだと名付けられて売られているサービスが、

本当に セラピーとしての機能を持っているのか・
セラピーとえる質のものなのか、は

何等かの”資格を持っている” という専門家の間でも議論が分かれる所だと思う。
そもそも、資格がある事だけでは、現実には質の保障にならない。


ましてや、音楽療法士 ではない人同士で、

音楽がセラピーの目的に沿って使われているか、
そのセッションが ”セラピー” といえるクオリティーなのか、
という議論をするのは、とても難しいことだと思う。

これはセラピーです、とシールが貼ってあるサービスを、
カレーパン とパッケージに書いてある中身を
そもそも、本当にそうだろうかか? とは疑わないと思う。
○○クリニック、って看板があったら、そこが病院だと疑わないのと同じように。

自分が知ってるカレーパンの味と違うけど、これもカレーパンて言うんだな、と思うとおもう。

音楽療法:セラピーや療育、と形容されるものと 音楽遊び:音楽教育 と形容されるものは、
決定的に違うのだけど・・・

その時間、楽しくすごせているように見えたら、あるいは、自分が楽しかった! と思ったら、
そのセッションに対してお金と時間を費やすことに満足・納得すると思う。

でも、それでは、何か別の習い事でもいいわけで、
今自分に必要な目的のために専門家とのやり取りによって行われる ”セラピー” は
習い事とは別物だと私は思っています。


かくいう私のSpecial needs の子ども達とのセッションも、
リトミックみたいで楽しそうですね~、
と言われる事がありますが、
そういう時は、リトミックのクラスの一般的なサービスの目的と、
音楽療法、という専門領域の音の使い方の違いを、
出来る限り分かりやすい言葉で説明するよう心がけています。


セラピーって、相手の現状を 専門家としての視点でしっかりとらえ、短期・長期的な視点でみて、
今 専門的に介入するにあたって目標とする事、大事にすること、
取り組むべきことは何か理解しながら、相手の変化に寄り添いながら、
よりよい変化に、自分の専門性 ~音楽という道具と、人間に対する知識と経験、を使いながら寄り添う事。

”音楽を楽しむ” のが一義目的ではなく、
発達を促す、心理的プロセスを深める、リハビリの効果を上げる、などのために
音楽、という道具をつかっておこなわれる、というスタンスなのが、私が行っている音楽療法の考え方。

勿論、音楽を楽しむ、という経験は付随してくるけれど、
時には、辛い気持ちだって喚起されるプロセスも、もちろん当然のように起こってくる。
でも、それは、全て、短期・長期的にみて必要なプロセスだから、きちんと向かい消化していくことで変化につなげていくのが、療育であり、セラピーである、と思っています。

相手の表現することや、共有された音楽に対する洞察は、
掘れば掘るほどくらでも深く分析していくことが出来、それが次のセッションの内容や質に繋がる。

専門家であることは、一生 勉強をつづけることでもあります。

専門家としての器を育てること、
マニアックな世界、アカデミックな世界を、一般的に分かりやすくより多くの人に伝えていく力、
音楽療法の本質についての理解者を増やす力。


でも、それがしんどい、そんな違い、分からないよ、そこまでやらなくても文句言う人いないでしょ、
っていうスタンスじゃないと、なかなか世間には広がってはいかないのかもしれない。


誰でもつくれる、パッケージ化されたそこそこ美味しいファミレスのほうが、店舗は全国に広がれる。
知識や経験が積まれてない人の働く場も増えるし、
とにかくお腹がすいていて何でもいいから食べたい、というお客さんのニーズに応える事もできる。

しかし、熟練の料理人の味にはマニュアルがないから、真似事で再現する事が出来ない。
当然、ピラミッドの先端のように、知識と経験を持つ人の数は、少ない。

いや、でも、世界には熟練の医師たち、法律家、ビジネスマンたち、音楽家など
それぞれの分野で職人芸ができる専門家達がたくさん たくさん活躍している。
少なくとも、決められたスタンダードが、ある一定の質を満たしていると思う。
(事情が分かっている人は、その中でもより”いい人”を選んでいく傾向にあるけれど)

医師並みの質の教育と実習があって医師としてのスタートラインに立つ、
それから一人前になるために研鑽を積んでいく、というような過程を
今の日本の音楽療法業界がおかれている状況の中で整備する、というのが難しいのは分かる。
なんとかしなければ、と思っている人たちはたくさんいるけど、
私自身、まだまだ動けていないです。

私の人生のこのステージで、今の私にできることは、
与えられた機会の中でよりよいセッションを重ね
音楽心理療法士としての知識と経験を周りの人と共有し、高めあい、
クライアントの方々のプロセスのために丁寧に貢献していく事だと思っています。
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by totoatsuko | 2014-02-19 20:20 | 音楽療法セッション例 | Comments(1)

音と色の療育 テキスト教育は可能か?

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こころと言葉の教室 こっこ という未就学児向けの療育施設で
音と色の療育 (保護者の方へのフィードバックも含む) という45分のプログラムを、この施設の立ち上げの時から開設させてもらい、3年間やってきました。

何度か、このプログラムのマニュアルが書けないか、という話がありました。が、人の心を相手に行われる療育は、少なくとも、コンピューター操作やファミレスのサービスマニュアルなどとはちがいますよね・・・

ノードフロビンズ音楽療法もGuided Imagery and Music も知らない音楽療法士の方々、他の専門領域の方々に ”読んだら理解できる” ひいては、 ”読んだら、ある程度実践できる” テキストを作るのは可能だろうか? とその都度自問してみました。

凄くかんがえて、考えてみました。

元になっている心理学の理論、音に対する意識や哲学、Special needs の子どもたちの受け止め方、相手に対する見立て方、グループダイナミックスのとらえ方、スタッフの教育、療法士としての自分の心の扱い方など等、、

即興的な音楽療法のセッションを体験された方ならお察し出来るかもしれませんが
あのセッションの感覚を テキストを ”読んだら理解できる” ように書くことは、至難の業だと感じました。

体の事が書いてある本をたくさん読んでも、医師と同等の仕事が出来ないのと同じ事ですよね。

もっともっと具体的に考えてみたけれど、至難の業、というよりは、不可能だと思いました。

音と色の療育は、私が受けてきた教育や経験の中で培われた引き出しの中身を使って、こっこ という45分の療育(個別・集団療育)を提供する施設に合わせて作ったもの。

今の私が出来る音楽療法は、大学院などで学問として体系的に教えられ学ぶだけでなく、臨床で知識と経験豊かな先輩や同僚たちによって鍛えられトレーニングされたからこそ、存在します。

だから、テキストやマニュアルを読んだだけでは、自分を顧みても、今の自分に近づけるとは到底思えない。
テキストを読んだだけで実践しようとすることで、書かれたことを間違って解釈している事に気づかない、我流でやる、というのは、とても罪・・・


読んだだけで書かれた内容が出来るのだったら、大学も、インターンとしての訓練も必要ない。


音楽の力は偉大。 
だからこそ、よくない方向に 療育家の無意識によって作用させてしまう場合は、本当に怖い。


こっこ で 私が やってきた 音と色の療育 は、その時 その時の子ども達やスタッフの空気感によって、即興で音が作られ、展開されていくプロセスだから、例え、様々な瞬間を網羅したタイプ別の対応マニュアルがあり、そのマニュアルを頭に叩き込んで ”生きた音” と ”生きた感情” をつかって 療育目的にそって実践していこうとしても、うまくいくようには思えないのです。その知識を、 ”どう自分の中で消化させて” ”消化したものを、生きた相手に対してどう使うか” というところまで、人の手によって教育していく過程がないと。

こんなセッションやってますよ、こんな事を考えながらやっていたんですよ、
とみなさん (音楽療法・アートセラピーについて、障がい児療育に興味がある方々) に紹介するのが目的の本を書く、というのはイメージ出来るのですが。。。 ←それをやるには、覚悟を決めて、文献をもう一度ひっくり返し掘り起し引用したり要約したり、言葉にならない音楽や心の動きを説明するための言語を見つけていく、など膨大な時間が必要だと、想像するだけで予測できるので、書く試みをしようとは、今の時点では思えませんが・・・ いつか、書けたらいいな、と思います。


音と色の療育では、ほんとうに子どもたちの変化、そして保護者の方々の子どもをみる目や気持ちの変化に音楽療法士として寄り添わされてもらいました。


もうすぐ年度末。 
小学校にあがっていく子ども達もいます。

共に、音楽を通じて深くつながる時間が持てたことに、子どもたちの成長と子どもの事を思う保護者の方々に寄り添う経験をさせていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。
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by totoatsuko | 2014-02-17 23:27 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

オペラを映画館で

d0065558_0453095.pngNYに住んでいるときは、冬になるとオペラハウスによく足を運んでいました。
日本では、ウン万円~ という価格帯ですが、
あちらでは舞台からは遠い席だけど数千円で見ることができます。

コートの襟を立てて、Broadway という大きな通りを小走りに走ってオペラハウスに向かう時のウキウキした気分。

学校帰りにred line の地下鉄に乗ってリンカーンセンター という駅で降りていくときもありました。
くねくねした地下道を通って、オペラハウスの地下へ入って、メインロビーにあがっていくと、ため息が出るようなシャンデリアが目に入る。

レッドカーペットがしきつめられたロビー。

おしゃれをした見るからに裕福そうな人たちと、
ジーンズにスニーカー な人たちが入り混じる入口。

日本に帰ってきてからは、オペラを見る機会はありませんが、映画館で見ることが出来るのを数年前に発見しました。生の舞台とはまた違う楽しみがあります。

遠くの席からは見ることが出来なかった衣装の細部、歌手の表情やしぐさが、大きな映画スクリーンに映し出され、休憩時間には、舞台裏の様子や歌手やディレクターたちなどのインタビューもあります。ちょっと、NYのオペラハウスに来たような気分が味わえます。音質も、とてもいいです。

そして、去年から、パリのオペラ座での公演も映画館で上映されるようになりました!
パリのエスプリを感じます。


メトロポリタンオペラ公演 映画上映スケジュール

パリのオペラ座公演 映画上映スケジュール
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by totoatsuko | 2014-02-16 00:44 | Comments(0)

籠るかんじ

d0065558_178659.jpg東京に住んでいる秋田出身の友人が、
しんしんと降ってくる雪景色の中で

秋田を思い出すわ
美しいねぇ
だから 北国で文学が生まれて、不倫が美化されて、美味しいものも沢山あるのよね

とため息まじりに言っていて


まぁ、理論的には、南国でも文学は生まれてるし、美味しいものもあるし、恋も生まれてると思うんですけれど


雪化粧して、すっかり日常が 非日常の世界になっている中に友人と立っていると、そのセリフにうんうん、とうなずいてしまった、、、というか

この白い世界できくそのセリフは、
雪景色の舞台を完成させるために必要な役者二人で交わされたワンシーンように感じたのでした。


スキー場にいって、がっつり雪と遊ぶのは好きだけど、
都会に住んでいるときは、家の中から降り続ける雪をみながら、
家のなかでぬくぬくとお布団にくるまって本を読んだり、
絵を描いたり、お菓子を作ったりしながら過ごすのが好きです。


外で遊びたい盛りの子どもがいると、なかなかそんな過ごし方はできないけれど・・・
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by totoatsuko | 2014-02-14 17:07 | Comments(0)

音楽家の心

d0065558_21532679.jpg今 巷で話題になっている 交響曲第一番 HIROSHIMA などの件について。

私の出身音楽大学で、在学中もいらした先生だったり、私のhome town である 広島 だったり、
なにかと 出てくるキーワードが慣れ親しんだものが多く、気になって記事を追いかけています。

音楽家の事を知らず、聞こえのいいストーリーが書きたい世間の表面的な記事ではなく、
常に自分に挑戦していく音楽家の真摯さが伝わる、とても共感した記事 第一稿 第二稿 をみつけました。 


読めてよかったです。

新垣氏の作品と演奏 のひとつ invention or inversionIII 、みつけました。 

really unique and creative!
という自分の言葉が陳腐に思えます・・・
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by totoatsuko | 2014-02-09 21:53 | Comments(0)

徹底的にやる

d0065558_1523247.jpg風の便りで、音楽療法士の友人が引っ越しする、というのを聞いたので、しばらく会えなくなる前に、と思って電話をしました。

最近どうしてるの?

という話から、

篤子さんって、始めたら徹底的にやるよね、
ピアノも、音楽療法もそうだけど、
マクロビにしても、九星気学にしても、、、

新しい事を学び始めたとき、
始めた瞬間から、勉強した知識をつかって、
日常で、臨床で徹底的に実践しながらモノにしようとするひとって、私の周りにはいないよ~

と言われました。
(”徹底的” という言葉は、話した人の主観によって選ばれた言葉であることを、お含みおきください)

そして、
たまに話すと、いつも興味深い事やってる、
とも。

私自身は、何か新しい展開を探してるつもりはなく、手広くやってるつもりもなく、
自分の取り組み方が ”徹底的” という言葉が持っている、
追い込まれたような感覚で取り組んでいるような感覚はなく

これまで積み重ねてきたことを、丁寧に積み重ね続けていく延長線上に、
これまで積み重ねてきたことと深い関連性をもった新たな何かに出会って、
出会ったものに対して、私なりに自分のペースで取り組んで行っている、
という感覚なのですが。

確かに、何かを学び始めたら、
自分なりの感覚で ”ちゃんと” それを理解できないと自分が気持ちが悪い・・・
質問とか疑問がどんどん出てきて、それを消化できずに、
自分的な ”なぁなぁな状態にしたまま” にする、
というのが難しい。

ちゃんと理解してない事に基づいて何かをやることで、
間違った解釈のもとに何かをやって、
結局 中途半端になってしまったり、周りの人に正しくない事を伝えてしまうのは避けたい。

中途半端な状態、
自分がやっている事の全体像が理解できてない状態に長くいるよりも、
生活に及ぼす影響力が大きい事であればあるだけ、
早く、一定の所までは学び、吸収し、実行できるようになりたい。

そして、自分で  ”何が分かっていないか”  が 分かるようになったら、
すこし歩みを緩めて、足りない所を埋めていくための勉強を自分なりのやり方で見つけて行ったり、必要な先生を探しに行ったりしながら、一生かけて深めるつもりで、長期的にじっくりと知識と経験を成熟させていく。


コツコツ 出来ていない自分と向かい合いながら、
コツコツ 地道に練習を、学びを、前に進んでるんだか、どうなのか分からなくても、
ひたすら自分にできることを重ねていく。



でも、この 初期の”スパークしてる時期” を持つことができたのは、
周りの理解があっての事だと心から思います。。

当時の私のレベルで行きたい大学に受かるためには、
一日中、学校を休んででも練習する必要があるんです、と言っても
「それは学校をサボる言い訳」 と言われたり、
「ろくな人間にならない」 と言われたこともあるし、

音楽療法を勉強したい! と言ったときも、
「なにそれ?何の意味あるの?」 と言った人もいるし

マクロビオティックの勉強と実践はじめました、
しばらくは、おいしいと思える味にするのは毎回成功出来ないけれど、努力するのでみまもってね、
と言っても、
「なにそれ?」 「栄養学的に大丈夫なの?」 と言われた事もあるし ←学びの初期のころは、栄養が足りるのか?という質問にたいして、”先生は大丈夫、って言ってたけど” とぼやくしかなかったけど、自分で自分で出来る限りの実践をやってみて 栄養が足りている実感、体調がいいことを自分で実証して、初めて、自分の言葉で、根拠を持って、質問される事に答えられるようになっていきました。

九星気学って、運勢の統計学なんだって、今、勉強してる途中なの、と言っても
「占いって好きじゃない」 って言われた事もあるし ←確かに、昔の私だったらそういってたと思う。でも本当に占いじゃないんですよ・・・宇宙の気の法則の学問であり、それが運勢と結びついているものなのです。

チャクラに対応した クリスタル クルーシブル (クリスタルボウル)の ヒーリングセッションも始めたよ
すごく奥が深いんだ、と言っても
「あやし~」 と言われたことあるし ←こちらも、確かに昔の私でも、そういってたと思う。でもアヤシイものでは全然ないのです。とても私たちの心と体とスピリチュアルに密接したもの。


でも、見守ってくれたり、話を聞いてくれたり、応援してくれた仲間がいたから、

どんなに懐疑的な意見を言われても

学び始めで、自分が理解している事も中途半端で、
自分でも、音楽療法が、グリーフワークが、霊気が、マクロビオティックが、ローフードが、九星気学が一体何なのか
まだまだ分かっていない段階でも、

今自分が興味があって一生懸命取り組んでいる事がどういうものなのか
まだまだ、自分の言葉で相手が納得するように説明できないレベルにいるときでも、

直感で、これは自分に必要なものだ、と確信があった事に対して、
時間をかけて学び続けてこれた 今の自分があるのではないかと思います。

だから、
突拍子もない事のようにみえても、篤子の中ではちゃんと筋が通っているのは分かっているよ
と見守ってくださっている周りの方々に、本当に感謝します。
どんなにか、私の心の安心と、よりどころになっていることか。


得た知識を使って実験・実践を重ねることで 
人として ホリスティックに より熟し続け、周りの人にお返ししていきたい、と思います。
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by totoatsuko | 2014-02-08 01:53 | Comments(0)

いのちの理由

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小学校の音楽会に行きました。

本番までの日々、
息子が家で口ずさんで、3兄弟みんなが口ずさんで、私もつい口づさんでいた歌。

生きている事に意味が見出せなかったり、
とても辛い思いをしている人の気持ちをおもいながらきいてました。




大きな出来事があっての辛さだけでなく、
日々の悲しい出来事をなんらかの形でうちがわに抱えながら、
心から血を流しながら、でも、それを隠して、笑顔で生きてる人もいっぱいいる。

そして、家族とともに生きることが出来ることに、
いのちをいただいたことに、心から感謝しました。


いのちの理由
こどもたちの合唱できいて、泣きました。

♪しあわせになるために、誰もが生きているんだよ

生きている中でよりたくさんの人が、こころから幸せ、と思えたらいいな。


#####

いのちの理由

曲:さだまさし
作詞︰さだまさし

私が生まれてきた訳は
父と母とに出会うため
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
春来れば 花自ずから咲くように
秋来れば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため
夜が来て 闇自ずから染みるよう
朝が来て 光自ずから照らすよう
しあわせになるために 誰もが生きているんだよ
悲しみの海の向こうから 喜びが満ちてくるように

私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため 愛しいあなたを護るため
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by totoatsuko | 2014-02-04 13:25 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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