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We are one

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ヨガのクラスを体験する機会がありました。

Om というseed mantra が
クラスのみんなで合唱された時の音の響きと、

Shanti shanti shanti.  
We are one, Namaste.
という言葉の余韻が心にまだ残っています。

生かされていることに、皆さんに支えられている事に心から感謝の気持ちを感じます。

To whom I've hurt in my past, please forgive me.
And I am willing to forgive those whom having hurt me.


私にとって、いろんな意味で、考え方や受け止め方が変わるプロセスが起こった半年でした。
その変化のプロセスは、これからずっと深まっていくことと思います。

いい気をエナジーを自分の中に育て、そのいい気をまず子ども達へ、
そして、私の大事な人たちに、
そしてプロフェッショナルな仕事で関わる人たちへtransferしていきたいです。


Happy New Year to all of you.

Loving and living in light.
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by totoatsuko | 2013-12-29 16:00 | Comments(0)

my personal art process ~ a container

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自分の大切なものを入れる入れ物を粘土でつくってみる。

粘土は、地球の土。
そして、私たちも死んだら土に帰る、地球の一部になる。
朽ちていく肉体は、地球の大地や海を豊にする糧になることができる。
私たちを生かしてくれた地球へ帰り、地球が地球上のものへ送るエナジーの一部になる。

その地球の一部である粘土で、
大事なものをいれる入れ物をつくってみる、

どんな形?どんな蓋?
私は、それになにを入れたい? 


私の子ども達を象徴するもの、私の両親を象徴するもの、もう亡くなった大事な人たち。
私の魂。世界の平和。世界中の愛。大事な人たちへの愛・その人たちからもらった愛。

子どもの自由なスピリットをこの入れ物に閉じ込めることはしたくない、
でも、その象徴するもの、子ども達をリマインドしてくれるもの、
子ども達の気は、大事な物入れにいれておきたい。

そして、いつも蓋をあけて、空気を通して、話しかけて、気の交換をする。

実際のこどもたちは、私から自由でいる、私に閉じ込められていない。
でも、このcontainerを通して、いつでも子ども達の魂と、気と出会え、繋がれる。
彼らも、私の気をうけとることができる。

私の魂は自由。でも、この箱にいつも帰ってくる、休みたくなったら。
loving なエネルギーに満ちた安全なこのスペースに。

大事なものたちと対話ができる、大事なもののエネルギーに繋がれる場所。

ちゃんと蓋がしてある大事な物入れが私の心にあるから、
私の大事なものは危険にさらされずちゃんと守られて、私の中にいつづけてくれる。
誰にも奪えないもの。
私にエネルギーを与えてくれるもの。



Art process は、いろんなことを気づかせてくれる。
自分と対話しながら、土と、地球と対話しながら過ごした時間。

いろんな思いがめぐり、記憶がよみがえり、まざりあい、こねられ、言葉がおりてくる。


Show me how valuable you are through your clay creation.
Tell me how much you are loving prescious being.
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by totoatsuko | 2013-12-26 01:12 | Comments(0)

個人のスタイルの重み

d0065558_20363238.jpg私が動物を食べなくなって数年がたちました。
子ども達とも、どうして食べないのか、どうして人工的なものをとらないのか、子ども達の年齢と成長と理解に合わせて少しづつ対話を重ねていけるようになってきました。

先日、学校の二者面談があり、栄養士さんとも話す機会があり、
よく食べる子なのに、お母さんが代わりのものを持ってこないときは食べれるものがすくなくて ”かわいそう” (お肉や卵が入っているメニューの代わりを持たせるのを私が時々忘れてしまうのです・・・)

お肉をよけて食べているから、いいでしょう、肉入りのものを食べても

という感じで言われまして、そういう感覚なんだなぁ、と思いました。

キリスト教の人に、都合がつかない時には、しょうがないからアラーの神に礼拝してもいいじゃない、
キリスト教に考え方がしばられてかわいそう

とはたぶん大半の日本人でも言わない感じがするけれど、

食べ方のスタイルとなると、日本では
ちょっとくらい沿わなくてもいいじゃない、
今日は特別だからいいじゃない 
という感覚になる。

食べ方は、命のいただき方は、宗教じゃないけど、個人の尊重されるべきライフスタイルで、
そういう感覚は、欧米ではとても自然に共有されている印象を私はもっています。

育てている人がベジタリアンの子どもに その人の主義ではないものを食べさそうとは他人はしない。
クリスチャンの親の子どもに、アラーの神もいいもんだよ、信仰してみなよ、と声掛けする人はいないですよね。

健康のために何かを食べるのを控えているなら、特別な時は無礼講、
好きなものをたべよう、という考え方になると思うけど、

自分たちを生かしてくれている地球を尊重するために、
地球と共存する生き方が大事だとおもったとき、
プラントベースな、マクロビオティックな食への考え方は私にとてもしっくりきました。
そして、それがとても美味しい、と思って食べているから、
特別な時は無礼講、と日ごろ食べない動物や人工的なものがはいているものを食べる、という感覚がない。

みんなが食べてるものを食べないかわいそうなわたし、かわいそうな子ども達、
とは全く思わないんですよね。

日本人のまわりの多くの人がかんがえてる ”みんな” は、自分のまわりの人のことだけで、
地球レベルでは、みんなが、みんなが、と言う人たちの ”みんな” という価値観と違う食べ方をしてる人はたくさんいるのに。


地球を尊重する食べ方を選ばせてもらえている事にむしろ感謝している。

そして、そういう考え方を、今子ども達と対話しながら伝えているところ。
だから、かわいそうな目で見ないでほしいと思ってしまう。
かわいそう、と彼らに言わないでほしいと思うってしまう。

ただ、そういう対応をされたら、また親子で対話する機会を与えていただいた、
ありがたい事だと心から思います。
なぜ、かわいそうと言われるのか? 本当に自分たちはかわいそうなのか?
ゆっくり対話をするきっかけをいただけるからです。


いろんな生き方があっていいとおもう。
いろんな食のスタイルがあっていいとおもう。

だからこそ、自分の生き方を大事にしながら、
相手の生き方も大切にしていきたいと思っています。
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by totoatsuko | 2013-12-24 20:33 | Comments(0)

そして父になる の小説を読む

d0065558_2233153.jpg他人の子どもだと知らず6年間育てた夫婦。
母たち、父たち。

子どもに対する思い。

血の繋がりか、かけたお金か、一緒に過ごした時間か?
子どもを持った親である一人ひとりは違う価値観を持つ。

血がつながっていない少年が、育ててくれた母を守るシーン。


出来そこないだったかもしれないけど、パパはパパだったと自分に言い聞かせるように言う、
あるいは、自分の弱いところを認めて謝罪しようとした?許して欲しかった? 一方の父親。
血なんか関係ない、育てた時間が大切、と涙を流す母たちと一方の父親。

赤ちゃん取り違えで生まれた、何も問題がなく毎日が回っているつもりだった日常に波紋を生み
特に主人公夫婦の関係や生き方を変えていく。

家族が家族として一緒に時間をすごせることのかけがえのなさ。

改めてこのことを思い散々泣きました。


主人公は、
子どもが取り違えられたことの痛みは一生抱えて生きていくと思うけど、
そのせいで、どん底に落ちたからこそ、自分と向かい合わざるを得ないくらい追い詰められたからこそ、

いや、追い詰められても、とことん人のせいにする人もいる、、、

でも、主人公は追い詰められて、狂気にはしるが、目を覚まさせられるような出来事があり、無意識に守ってきた自分の虚勢が、虚構がガラガラと崩れていったことで、
初めて家族のかたちを、
無意識に自分の親から学び取った形じゃないものを、自分でつくっていこうという気持ちになる。


取り返しがつかない線を越えてしまう前に、
今このときに大事なことに気づくことができて、これからの生き方を変えようとしているところに希望がある。
日々を一緒にすごしていく、子どもと人生を分かち合う父になっていく 
妻の夫として、家族の一員として日々を一緒にすごしていこうとする、という希望が。


どん底はつらいけど、そこから逃げずに自分と対話し、何か大切な見失っていたものに気づけば、その後の人生を、これまでよりももっと豊かにするための方向転換ができる。

それを思うとき、希望の光よりもシャープな刃物で時間をかけて深くえぐられていく鋭い痛みと、
ボディーブローを受けて鈍痛とともに足元から崩れ落ちていく無念さと救いのなさを感じ、
自然と涙が頬をつたう、とめどめもなく。


同時に、取り返しがつかないものにしてしまった人にも、光を見つけることが出来ると思う、
もしちゃんとどん底の自分と向かい合えたら。

壊したものを、壊れる前にしようとするのでもなく、取り返そうとするのでもなく、
自分がやったことに責任をもち、今自分にできることを積み重ねていくことで。

しかし、人格障害があったり、虐待関係であったりすると、
それは、人には表層では分からない、本人でも気づいていない病でもある場合もあるので、本人だけでは前に進むのは各段に難しいことなのだと思う。

だから、祈るしかない、その人たちが必要なヘルプを受けられることを。
病はなおりにくいけれど、人を病のせいで無意識に傷つけながら生きていくことで、自分を傷つけてしまわないことを、心から人とつながれる事の幸せを感じられることを。

I pray for the world peace and everyone's happiness.
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by totoatsuko | 2013-12-23 22:37 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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