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生活のすべてが遊び ~ 遊びの中でアツくなる

子どもが入っているサッカーチームのHPに、
教育方針 というページがあるのをみつけたので読んでみたら、

10歳くらいまでは、子どもにとって生活全てが遊び。
だから、サッカーも勝負をすることも、練習も、子どもたちが遊んでいる感覚で楽しくできるように教える。

というようなことが書いてあって、いい捉え方だなぁ、と思いました。


少年野球を観戦した時の事。

フォァボールで一塁に出て、盗塁して二塁にいって、
仲間が打ってくれて、ホームに全力で走って帰って来た子が、
ベンチに入ってきながら胸がいっぱいになって、
ベンチの一番後ろの席で顔が隠れるくらいの大きなヘルメットの中で、
メガネをこっそりあげて涙を流しているのをみて、
私も胸があつくなってもらい泣きをして、しばらく涙がとまりませんでした。


仲間のためになりたいとか、
仲間に感謝することとか、
仲間を誇りに思うとか、
仲間を必死で励ますとか、
勝ちたい気持ちとか、
そのために自分の責任や自分にかけられた仲間からの期待に必死にこたえようと思う気持ちとか、

学校という枠、年齢の枠を超えたコミュニティーを生きる体験を
”日常の一部として” この年齢で出来るのって凄くいいな、と思いました。

5歳6歳から、同年齢の仲間や監督やコーチという家族以外の大人とこんなに熱くなる、
自分で考えて行動して、その行動に責任を持たなきゃいけない。


もうちょっと成長すると、理性とか、他者に対するミエとか、不必要なプライドとか出てきて
なかなか純粋に好きなことをこんな風に楽しめなくなるのかもしれない。
感動も、チームメイトに対する思いもまた色合いが変わっていくのでしょう。


まだ生活すること自体が遊びの範疇である年齢のとき、
家族、学校をこえて、地域の人たちと関わりながらこんなに色んなことを経験でき、
それを自然と身につけることができるのって、ほんとうに有難い事だとおもいました。


無邪気であるからこそ、遊びの中で、喜んだり、悔しがったりしながら、
スポンジのように人との関わり方を学んでいける。

その喜びも、悔しさも、仲間と一緒に感じるから、
感じるものが
例えば個人的に何かやってて嬉しくてやったー! というのとはまた違う。


勉強ちっくな事も習い事も、
遊びで、遊んでいるつもりで、
たのしくて、やりたくて、熱中しすることで、
技術とか知識をこえたものを経験することができるのも
子ども時代の、その時にしかできないこと。


改めて ”遊び” の大切さを、 
教え込むことではなく、自由にやらせることの、
子どもが主体的に遊びを展開させる主体性を尊重することの大事さを感じています。
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by totoatsuko | 2013-04-29 09:12 | Comments(2)

切なくなるほど美しい

ふと聴いたメロディーが忘れられなくて、曲名を探して探して、分かったのが
マスカーニの カヴァレリア ルスティカーナ  こちらは、バーンスタインのものだけど、カラヤンもよかったです。


切なくなるほど美しい。
全てのものごとが、いとおしくなる。

思わず、この曲がはいったCDを購入して
以前どこかで聞いたことがある、美しいメロディーの数々に再会。

マスネの タイス 瞑想曲 の出だしが部屋に流れはじめた時、
目の前の花瓶にさしてある花と葉っぱが、窓からの風にそよいで、
なにげない風景が、とても特別なものに感じられた。

プロフェッショナルな音楽家たちの功績に感謝。
この世の中に、音楽が存在することに感謝。


素晴らしい作曲家たちと、日々研鑽をつむ演奏家たちによる名演の数々。



オーケストラが奏でる、時をへて愛され受け継がれてきたメロディーを目をとじてきいていると、
様々な映像や感情の海にはいっていく。
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by totoatsuko | 2013-04-15 00:28 | Comments(0)

アートベース、2月3月 にじみの研究 の様子

みなさま、お気遣いいただきどうもありがとうございました。

本当に、前回こうなったのはいつだったか思い出せないほど、体調絶不調の日が長く続きましたが、
やっと最後まで残っていた頭痛も消え、まだ体はだるいですが、ほぼいつもの状態に戻れました。



さて、表題の件、
月一回およそ1年半行ってきたアートベースですが、

その存在の在り方や、発信の仕方など、
いまいちど立ち止まって考えてみようとおもい、4月から休止します。

もっと多くの人に、自分たちなりのアートな時間を過ごしてもらえるために、
そして、その時間がその人の生き方につながっていくようにするためには、どのような提示の仕方ができるか、
考えたいと思っています。


2月3月のアートベースの様子は、パートナーの恭子さんがアップしてくれました!
コチラ→http://ameblo.jp/artbase/

写真がいっぱいで見ているだけでも綺麗でで、
こどものわくわく感がかんじられます。
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by totoatsuko | 2013-04-12 09:36 | Comments(0)

赤ちゃんの頃からの人間育て

d0065558_1394878.jpg娘と私、本当に珍しく熱で寝込んでいます。

病院には基本的にいかず、薬も基本的に飲まずに治したい、という考えなのですが、こういう状態では、病院に行きたいと仮に思ってもいけないですよね。

シングルマザーで体調崩すと大変。
それでも最低限の事は頑張ってやるけど
子どもの習い事も家事も仕事も、ほとんど一時停止かリスケ。
前回こうなったのは、いつだか思い出せないくらい、おそらく子どもたちがオムツしてたころ。

私が体調悪いの気づいてる長男は、
ガスに火をつけ、ご飯あっため、私と弟と自分の3人分のお弁当を、自分で弁当箱を選んで(彼なりに、私にはこの弁当箱、弟には、自分には、と理由がある)、作って (先日も忙しそうにしてたら、作ってくれましたが)、

d0065558_13101997.jpg

はー疲れた疲れた、
お母さんのには、お砂糖がはいってないゆかりのふりかけにしといたからね。
お砂糖で、もっと気分わるくなったらだめだからね。
あと、お魚ソーセージはこのパンに巻いて食べたらいいから。

等々。


そうやって私と会話しながらお弁当つくっているそばに、弟もいて、
ソーセージを包丁で切って
もっと、薄く切らなきゃダメだ、とか兄に言われながら、手伝っていました。

それから、兄弟でキャッチボールして遊んで、時間になったら、
よし、時間じゃないか、行くぞ、と弟にいって、
放課後クラブに出掛けて行きました。

(いつも、私に時間だよ! って追い立てられてから行ってるくせに・苦笑)

子ども達が赤ちゃんの頃は、
片付けては散らかされ、泣かれ、オシモと食事の世話に明け暮れ、
それでも、今、私は未来がある人間達の土台が作られる大事な時期にかかわらせてもらっているんだ、と自分を励ましていたけれど、


やってもらって当たり前、 

なスタンスから、

自分で考えて、自分なりにできる事を、見返りを求めず 
(母に喜んでもらいたい、喜んでもらえて嬉しい、という気持ちはありますが
やってやったんだぜ、という態度ではない)、

自分からやる姿
人のために自分を役立てることが出来る、
という事に自分で喜びや自信を持つようになった姿をみて、

人間の土台作りの頃、一生懸命やっていたことが報われたような気持ちで
とても とても嬉しかったのでした。



4月から、長男2年生、次男1年生、長女年中。
昨日から、子どもは子どもだけで寝る、というルールを子どもと話し合い復活させてみたら (子ども達が乳幼児の頃は、海外では当たり前な、親子の寝室は別にしていました。)、「オレたち、赤ちゃんの頃、自分たちで寝てたよね、」 と言い、実際その時間になっても意外と抵抗せずさっさと寝てました。

これで、夜の時間、もう少し自分のために使える、と思った矢先でしたが、、、
体調不良で別室で同時間に私も就寝。


鉄鍋でいつも私がするように息子がご飯をあっためながら、
「電子レンジつかってあっためる人もいるんでしょ」
「そうだね。でも、あんまりよくないよ」
「え、そうなの?じゃ、よくないのに、なんで使うの?」
「ん~、そうだね、便利だしね。実際お母さんも昔は使ってたよ。
いろんな考え方があるからね。まぁ、お鍋であっためてもおいしいでしょ。」
「そうだね。」


と、今回初めての長男との電子レンジネタの会話は、ここらへんで終了。

電子レンジ使うのが × という短絡的な視点でとらえるのではなく、
色んな考え方をする人が世の中にはいて、意見や生き方が違うのは当然であること、
人は、それぞれ自分の信念を大事にするべきであること、、
また、
人の信念を批判する必要もないこと、
ひとつの信念が違っても、喧嘩する必要はなく、
共通点だって見つけることが出来るかもしれないし、
いろんな関係を築いていけること
違う信念の人から学ぶことも沢山あることを学んでほしいと思っています。

どうして母親が、ひいては自分たちがマクロビオティックなのか、
自分なりに考えてみようとしたり、
疑問を言語化して私に伝えて、その対話から自分なりの考えをまとめよう、
という様子が、始まってきたように思います。

お母さんには、砂糖が入っていないゆかりのふりかけにしたよ、
とか、電子レンジの事とか、少しづつ、主体的に、理論的?に、物事を捉えようとしてきているようにも感じました。


子どもたちにお弁当作って貰って、
朝ごはんも夕飯も、野菜を切って炒めて盛り付けるところまで全部やってもらって
気遣ってもらって、、、

まだまだ、友達とトラブル起こしたりもするけど...

人間の土台をつくる時期から、
親が、種が育ちやすいように、土のふかふかのベッドを整えてあげている時期から、

子どもたちが、
茎を伸ばし、葉っぱをひろげ、土から離れた空間で空気を吸い、物事をみて、鳥や虫と交わり、雨にも打たれ、誰かに踏まれたりもしながら育っていく。

自分で経験を求め、自分なりのフィルターで物事を考えていく機会が少しづつ増えていくんだと思います。思春期になっていくと、親が口出すさじ加減が大事なんでしょうけれど。

そして、子どもたちは自立していき、
親子、という関係だけれども、一人の成熟した人間と人間、という関係性で、
お互いの生き方や考え方を尊重した関係に発展していくのだと思う。
私たちのその形がどんなものになるか・・・

どんなに、土台づくりのところで密に関わったからと言って、
大人になっていい関係であれるか、というのは約束されていない。

子どもたち、子どもたちを見守ってくれてる地域の人や、彼らの友達、お母さんたち、お父さんたちに対して
今は感謝の気持ちでいっぱいです。

と、衰弱してる布団の中で思ったことでした。
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by totoatsuko | 2013-04-02 13:14 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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