カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

totoatsuko.exblog.jp ブログトップ

<   2012年 12月 ( 2 )   > この月の画像一覧

発達障害と精神病と・・・

アメリカでまた銃の乱射事件が起きました。
母親の勤務先で、20歳の息子が母親がコレクションしていた銃で
母や、子どもたちや職員を殺し、自分を殺しました。
いくつかのリソースでは、銃を乱射した人の精神疾患について言及していました。

心臓をまもる、 という心臓病を持つ人とその家族が作っている会の冊子を読みました。
生まれながらの心臓病を持ち、手術を重ね、苦痛な医療介入を、本経験しながらも
その子どもたちに寄り添う家族がいて、
そのおかげで、命をつなぐことが出来ている人たち。
でも、激しい運動は心臓に負担をかけるからできなくて、悔しい思いをする中で
自分の生き方、自分の生きている意味を模索している、
”命がある” ”みんなが支えあって生きている” ことの重みを知っている人たち。


いつも思います、
多くの頑張ってる子どもたちとご両親のために、生きていることが辛いと思っている人たちのために、何か力になれたら、と。言葉とか表情とか、そんなものでは表しきれないくらいの辛い気持ちって、ともすれば、生きていてよかった、と感じられた光も飲み込んでしまって、暗闇にしてしまう力があります。


人は、一人で生きているのではない。

1人ひとりがみんなと関わり、みんなを笑わせたり、お互いを思いあえる存在同志になり、
みんなの心に自分が存在して、
自分の心にも沢山の人の存在が蓄積されていく。

一つひとつの命が、一つひとつの存在が、一つひとつの笑顔が繋がって、絡み合って、影響し合って、それぞれの魂が、命が存在しているのだと今年のいろんな出来事を通じて感じています。
[PR]
by totoatsuko | 2012-12-18 09:48 | Comments(0)

彼女が生きている、とおもって生きてみる

映画を見ました。

きらびやかなTVの世界イケイケに仕事をし、
きらきらと光りの中で色んな人と関係を持って生きている男性と、
地味にバイトをしながら作家の夢をあきらめず生きている女性。

この映画のスートーリーでは、折りあるごとに二人が連絡を取り合い、心の支えとなっていますが、
お互いがお互いの生き方は相いれないと思っています。

余命少ない自分を溺愛してくれていたお母さんに、もっとdecentな人になってほしい、と訴えられても、
成功の渦中にいると思っている彼には、
そのお母さんの心の訴えが届かないし理解しようという気持ちにもなれない。


彼の心理状態を考えたら、当然だと思うけど、
こういう両親から、こういう価値観の子ども、というか人間が育ってしまうのは、
映画の設定だからなのか、、、結局親がどうあれ、子どもは思うように育たない、ということなのか。

わが子が、例えば仕事の世界で人気者になり、人を人として扱わないような人になってしまったら、
私は本当に悲しいと思うけれど、

この人は、この人の生き方を一生懸命追っているのだ、と納得して、あきらめが出来る気持ちと 
(きっと応援はできない)
幼児期に持っていたいいところが大人になってもどこかに残っていると、信じ続ける気持ちも、自分の負担にならない程度にもっていたい、とも思う。


ある日、彼にも人気がおちぶれる日がやってきて、その時期を支えてくれた美女とデキ婚。
派手な世界からは身を引いて、父親になるんだし、まともな人間になろう、と決意したかにみえる。
が、妻は自分の親友と付き合っていて、離婚。

失意のどん底で、
作家として成功した、学生時代からの例の友達を訪れるが、彼女には付き合っている人が。。。

が、お互い自分たちにとって大事な人だった、と伝えあう巡り合わせになり、結婚。


しかし、まもなく、妻が自転車にのってDinnern待ち合わせへ急いでいるときトラックに轢かれて急死。

また、ボロボロになってヤケになってクラブで暴行事件おこし、傷だらけ別れた妻の家の前で倒れてるところを、娘が発見し、父親の家に運ばれる。これからどうやって生きていったらいいんだ、とぼそっという。

ここらへんのやりとり、やっぱり彼は本質的に変わってない、オンナがいなくなると自分が保てないボクちゃんになっちゃうんだけど、映画なので、そういう経緯があって、ラストがより感動的になるように作られる。

愛妻が病死してからひとりで大きな家に暮らしている父親は

彼女が生きてると思っていきてみる、というのはどうだい。 私は、もう10年もそうやっていきてきた

という。

これには涙。
自分が失ってきた(死別だけでなく、様々な別離)、けれど心の中で生きている人たちのことを思い出す。
あの人たちとの日々があったから、あの人たちの言葉や笑顔があったから、それが全部、今の自分につながっている。


映画では、彼はイートインできるお店を始める。
彼女の昔の同棲相手が、自分の家族を連れてお店にやってくる。

「彼女は、お前をまともな人間にし、お前は彼女に幸せにした。
オレには出来なかった。それを言いに来たよ。」


もっと、彼が派手な生活の空虚さとか自分の浅くて表面的なところに薄々と、に留まらず本質的に気づけば、本質的に自分を支えてくれる彼女ともっと長く過ごすことができただろうに、とも思うけれど、

やっぱり、自分の浅はかな所とかは、人に指摘されても反発心がでるだけで、
その人のペースで気持ちや価値観が発酵していくのを、周りは見守るしかないのだろうな、と思う。
それは、誰の心の変化にも言えることだと思う。

彼は、彼なりにTVの世界の世渡りに腐心し、そこに価値と居場所を見出し、悩み頑張っていたのだから。
そして、”一部のひと” には とても羨まがられるものを沢山手に入れた。

身近な人の言葉が何かを気付かせてくれることあれば、
取り返しのつかない出来事が起きて、初めて変わりたい自分が出現するかもしれない。



これまで起こったことが、その結果の今がとても辛いものであるながば、

もし、if、あの時 ~だったら、 もっとマシな今があったはず、と考えるよりは
今が悲しいなら、次の瞬間の今を作り変え続けるために、自分を見つめなおして、
行動を起こし、違う明日を、違う未来をつくろうという気持ちになれたらいいと思う。


映画で 大事な人が死ぬとき、いつも息が止まる。
これまで経験した別れを思い出すから。
そして、映画の 死んだ人を思う人たちの引き裂かれるような、
将来がシャットダウンされるような気持ちが想像できるから。

自分にとっては、あまりに心が痛む経験が多いので、
その ”涙が絞り出される気持ち” はある意味馴染みのある感情で、
例えは悪いけれど、”虐待を受けて育った人が自分を虐待するパートナーを選ぶ”、というように、
胸が引き裂かれるような感情を、私は無意識に求めているのかもしれない。


自分自身が痛い思いをするような関係は求めない。
そうならないように、気を付ける。

だけど、
自分を出来るだけヘルシーな状態を保ちながら、
本当に困っている人が安心して彼らの悲哀を、引き裂かれる思いを吐露できる存在でありながら、
その気持ちの近くにいつもいる、寄り添う役割を仕事で果たしていきたい、とおもう。

その人たちの今を、そして将来の色合いを変える手伝いが音楽療法士として出来たら、と思う。
[PR]
by totoatsuko | 2012-12-17 11:17 | Comments(0)
line

音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite