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栗の道

自然ってうつくしいですね
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by totoatsuko | 2012-10-31 11:18 | Comments(0)

TVとインターネットに費やす時間

BBCニュースで、最近の子どもたちは、TVを見ている時間よりも、ネットサーフィンや、Text message を送る時間が増えている、と書いてありました。

The survey found that 12 to 15 year olds spent equal amounts of time watching TV and going online - 17 hours a week on average for each medium.

平均値として、中学生は、週に17時間づつTVとネットに時間を費やしているんだとか。
一日5-6時間ずつ、ネットとTVに向かいあうには、をどんな時間配分をして過ごしているんだろう?

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(写真は、浜辺で落とし穴づくりの様子)


宿題やったり、好きなスポーツをやったり、楽器さわったり、編み物したり、音楽聴いたり、友達と喋ったり、興味があることについて書いてある本を読んだり、いろんな探し物したり、片づけしたり、家族に今日あった出来事とかを話したり、家事の手伝いしたり、ぼーっと空想にふけったりしていたら、時間ってあっという間にたってしまわないかなぁ。

ウチは、基本的には週末の朝1時間ずつ子どもだけが好きな番組をみて、
日曜夜の大河ドラマを家族で見る(←これは私が見たいから)というかんじで、
たまに、自分たちがやってるサッカーや野球のプロの試合中継があるという情報を仕入れてきたら、
私と交渉して、他にやることの段取りなどを話し合って、見る時間を決める、
という風なルールになっています。

時々、自分たちが起きるのが遅くて、サッカーの練習開始時間まで1時間なくて、週末の朝1時間見ることが出来なくて文句をいう事があるのだけど、それは、自分たちが起きなかったからしょうがないよね、という話になる。今のところ、このルールがおかしいんじゃないか、という議論は家族の中では起こっていないのだけど、、、

今後、もっとインターネットとかテクノロジーって生活に大きく入ってくるけれど、
子どもの頃にそういうモノに日常的に沢山ふれていなくても、
将来子どもたちがそれらを扱う事に困ることはないだろう、と思っています。

それよりも、幼少時にリアルに自分の体を動かして、リアルに自分の体の痛みや爽快感を感じ、
リアルに人と交わって、リアルな感情体験を自分の心をつかってやる、目の前にいる人の顔を見ながら対話をして、conflict が起これば、それにリアルに自分の体と心をつかって対処していく。

怪我や傷には、痛みが伴う事を自分の心や体が痛むことで学び、
その治癒には、時間がかかることも、対処の仕方も色々あることを、身を持って学ぶ。

今の自分を生きる。

仮想と現実の境目があやふやに、あるいはスムーズになっていっている状態だからこそ、
リアルとWebとの世界を幼少時にあやふやに行き来することの危うさを凄く感じる。

まず自分の土台、自分が根ざしているリアルな世界と自分の関係を確立させたり、リアルが自分にとってどういう事かをちゃんと吟味し自分のものとすることを促したい。
勿論、ネットやTVでしか得られない経験はあるだろうけれど、
人とのコミュニケーションの中から、今この現実を手足をつかって生きる経験の中には、とても豊かなものがちりばめられていると思う。


それは、将来テクノロジーの世界に子どもが身を置くようになっても、そのテクノロジーをもって良くするための、あるいは使いこなすための、枠や いわゆる ”常識” というものに囚われない、ユニークな発想や考え方の豊かな源となると思っています。
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by totoatsuko | 2012-10-30 14:38 | Comments(0)

ウイリアムテル序曲・アカペラ

有名なウイリアムテル序曲 第4章 スイス軍の行進を、イスラエルフィルがアカペラでやってるのが youtubeでみれます.

笑わせてもらえて、とってもHappyな気持ちにさせてもらいました。

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クラッシックの演奏って、
少なくとも私にとっては、いい演奏をするには相当な努力とか緊張とかあるんだけど、
こうやって、プロが遊んでふざけて、楽しそうに、でもある意味真剣! にやってる。

これも、音楽。


クラッシックピアノを大学までやって、
それまでは、その世界しか、そういう音楽しか知らなくて、
大学院で音楽療法をやって、自分と音楽との関係がガラリと変わった。

時々、自分が以前、数十年いたクラッシックの世界に住む人たちや
演奏会や、それら諸々の空気に触れることがあると、
とても懐かしく感じるし、
いい演奏には、自分がクラシックを弾いていたころよりも感動しやすくなっている。
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by totoatsuko | 2012-10-29 12:34 | Comments(0)

灰色の海で遊ぶ

小雨がすこし中断したので、電車をおりて海岸線をあるくことにした。

すると、子どもたちが海に降りていく階段をみつけて駆けおりていく。

そのまま一直線に、波打ち際で波とたわむれ始める。

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着替えを持っていなかったから、あわてて、はだしになりなよ、ズボンも脱いだら? と提案したら、
よっしゃー、 と張り切って、そのまま海の中にみんな突入していった・・・

波に向かって、叫んで、波に挑戦状をおくる。

大きな波がきても立っていられたら誇らしげ、
足をとられて水の中にたおされたら、可笑しくってきゃっきゃと笑って、
それを、曇り空のした、灰色の景色の中で永遠に続けてる。

私も、はだしになって走り回りたかったけど、
波に夢中になってどんどん深いところに行こうとする子どもたちに、
もうちょっと戻ってきて、と時折声をかけながら、気にかけていないといけない気持ちがあって、
浜辺の小さな山になっているところから、風景を眺める。

波の音と、子どもの声だけが聞こえる。
ときおり、雲が薄くなって、ぼにゃりと明るい光が沖合の水面を照らし、小さな無数の光の玉が水面を覆うが、
それも、また分厚い雲にさえぎられてしまう。

ふと、我にかえったのか、寒い~ と波打ち際から上がってきたので、濡れたシャツと下着を脱がせ
ハンドタオル(しか持ってない・苦笑)で水を拭き、砂を払い、唯一濡れていないジャンパーを素肌に着させる。
次男は、ズボンもびしょびしょにしてしまっていたので、ジャンパーと私のハンカチを腰に巻いて下半身を覆う。

服を着た子供たちは、今度は、穴を掘って落とし穴を作るプロジェクトを始める。
それぞれが、穴を隠すのに最適と思われる貝や木片などを集めてきて、穴を覆う。
たくらみ顔で、私の顔を時折みにくる、まだだよ、ちょっとまっててね。

本でも持ってくればよかったのだけど、
まさか、海であそぶことになるなんて思っていなかったから、、、
今度は、目をとじて、風と匂いと音を感じてみた。

できたよ~! きてきて、上を歩いてみて。
穴がみえみえな、スカスカな覆いなんだけど、そこを大人が歩いて、というか覆いの木を突き破って穴に足を落とすと、大喜び。

おなかが減った、というので、海に降りてくるための坂にお弁当箱を置いて、立って食べる。子どもは、遊びながら食べる。

ビーチでパラソルひらいて、って感じのステキな感じじゃなくって、
灰色の雲の下、灰色の海を見ながら、なんか面白いおにぎりをほおばる感じでした。

服を着てるのに、また波に向かっていく子どもたち、
でも、もう、それが濡れたらハダカで帰るしかなくなってしまうので、
折角の好奇心からの行動を止めるのは残念だったけど、やめてもらって、
ひとしきり食べ終わってその場を離れる。



波の前では、どっちが勝ちとか、上手とか、そういう話がなくなるんですね。
競っても、どうしようもない相手だもんね。
それより、一緒になって遊んだほうが楽しい。

波に話しかけてる子どもをみていたら、波が人格化されて見える。
大きくて、大きな波打ち際の白い跳ね返りをする波、
大きいのに、ソフトランディングする波、
おおきく来そうに遠目ではみえたけど、近くにくると、小さな波だったり。

話かけたくなる。

私たちが来る前も、去った後も、ずっとずっと波は浜にやってきて、去っていく。
私たちが生まれる前も、死んだあとも、
私が悲しいときも、うれしいときも。


季節外れの海あそび。
子どもにとっては、季節外れ、とか関係なく、
サッカーの試合に勝ったとか、何か達成物をつくった、という成果物の形はないんだけど
その時間そのものの感情体験が、一枚一枚ヒトの心には残っていって、その人の一部として吸収され、その人の生き方に、日常の小さな ”チョイス” に反映されていくのだろう、と思いました。
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by totoatsuko | 2012-10-29 11:40 | Comments(0)

ペトルチアーニ 再考

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ミシェル ペトルチアーニ

彼が、精神的に安定した人だったら・・・
もっと健康に気を付けて、もと自分を大事にすることができたら、
オカネや名声やオンナに頼らなくても、自己肯定感を本質的に持つことが出来ていたら、、、
長生きできたんではないかと思う。

たぶん、そういう風な生き方するのは、”あの”ペトルチアーニじゃないし、
彼のあのような音楽はうまれなかったのだろう。

彼は、彼の生きたいように生きたし、幸せだったと思う。

だから、こんな仮定は意味がないのは百も承知なのだけど、、、

ああいう生き方をしなければ彼がその才能をもって世を沸かせることが出来なかった、とは思わなくて、
もっと精神的にヘルシーで、もっと人に自分に正直であっても、
それは、それで他から抜きんでた音楽や、
もしかしたら音楽にとどまらない何かを、
もっとたくさんの人に、もっと長い年月をかけて影響を及ぼし続けることが出来たのではないか、

と思うのだ。

世の中には、人がうらやむ境遇や才能なんかを持っていても、
意識化されていない自信のなさや、物事にたいする偏見などが、
その人のいろんな言動を形成し、コントロールして、それが人や社会とのかかわり方に反映されて
その人とまわりの人の人生をつくっていく。

自分に対する自信を子どもの頃にはぐくませてあげる環境をつくってあげたいと思う。

そのためには、まず、親が 言葉で説教するんじゃなくて、背中をみせなくっちゃ、と思う。

人がどう、と人と比べて自分が出来るから自分に自信をもつ、
他者と比較して自分の存在を確かめる、

という方法ではなく

例えば、自分が頑張ってやったことに対して、その自分を自分で讃えることができる、
たとえ結果が伴わなくても、だ。

よくやった自分、頑張った自分、
それを、人は褒めてくれなくても、自分でちゃんと認めてあげることが出来る、
そして、それを土台に次も頑張ることができる、

そういう心を、子どもたちにがはぐくむ機会を持たせたい、と思う
そういう言葉がけや背中を提示していきたい、と思う。
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by totoatsuko | 2012-10-16 14:06 | Comments(0)

情熱のピアニズム(映画) - Michel Petrucciani の人生

1998年、Michel Petrucciani (ミシェル・ペトルチアーニ) がこの世を去りました。
すごいJazzピアニストがいる、それが彼だ、というのを知ったのは、
彼が亡くなるその数か月前だったような気がします。

彼の音楽は、とても個性的で、もちろん、ほんのひとフレーズ聞けば、
そのメロディーラインや音色から彼のものだとすぐわかるくらいでした。

このたび、彼の映画、情熱のピアニズムが出来たというので、見に行ってきました。

彼が、全身骨折した状態で生まれてきたこと、36歳! で亡くなったこと。
そんなに若かったとは知りませんでした。

長生きできないから急ぐんだ

そういう彼の言葉通り、駆け抜けるように、そしてものすごい生き抜く力で36年生きたんだな、
というのが分かって、その上でまた彼のCDを聞くと、以前とはまた違ったように音楽が語りかけてきます。

身長1mの天才ピアニスト。 
生き方も彼の奏でた音楽と同じ、全速力で良くも悪くもエネルギーに満ち溢れていたものだった。

その生き方は、彼が天才であったが故に可能だったのだろうとおもうので、
彼の言葉は、障害を持っている人の励みには、
そして、障害といわれるものを持っていない人にとってもならないだろうなぁ、
と思いながらみていつつも、 
彼の存在は、障害がどうとかを越えて、一人の世界を沸かせた天才として、
波乱万丈なストーリーとして、とても見応えがあった。

彼がインタビューで話している

障害をもってるから自分がかわいそうと思ったことはない。
障害がなくたって、ひとそれぞれ悩みはあるものだ。
自分は自分で、自分以外の人間にはなりたくない。
みんな違うんだから、障害があるなしにかかわらず。

そんな感じの内容のことを。


同時にドラッグや、女性問題を常に抱えていたという彼。

見栄っぱりな言動やオンナやオカネ というものによってでした、
自分で自分がスペシャルであることを感じられなかったのだろうか、
自分で 自分を 本質的に肯定できなかったのだろうか、、、

障害があることに対する意識化されていない劣等感や、
健常者に対する優位に立ちたい、という猛烈な気持ち、

そういうものを、セラピスト視点では感じる。

「鍵盤が怖かった、
ふたを開けると、オレを弾きこなしてみろよ、と言わんばかりに鍵盤が話しかけてきた」
という内容の彼のセリフも、

彼の中にある、自分に対する自信のなさが見え隠れする。


父親と同じ障害をもって生まれた息子も登場して話している。
彼は、父のような天才肌ではないがゆえに、
自分の状態について、
もっと多くの人に近い感じの心の揺れや悩みなどを持っているのだろうな、と察せられた。


映画のキャッチフレーズ

自信家でビックマウス
好奇心の塊
気まぐれで楽天的
孤独をきらい、
女にとっては裏切り者。


なにより、スクリーンから終始流れてくるペトルチアーニの音楽がまた、すごくいい。
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by totoatsuko | 2012-10-15 16:29 | Comments(0)

2012年10月のアートベース

月一回のアートベース・ 自由な創作・絵画クラス 
を始めて、1年がたちました。

もう、私たちが色んな事を話さなくても、3歳4歳の子どもたちでももくもくと取り組んでいます。
自分がこだわったところ、人の作品でいいな、と思うところ、
それはどういうディテイルか、言葉にしにくいアートを言語化していくことにも慣れてきたように思います。

今年もハロウィン特集の様子、こちらのアートベースのブログにのせました。

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by totoatsuko | 2012-10-15 09:29 | Comments(0)

肢体不自由な乳児との音楽療法セッション

今日は、子どもの普段の様子をしっている人には感動的だった、肢体不自由な女の子のセッションのお話。

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彼女は2歳ちょっと。
まだ自分でお座りできないし、体も1歳児くらいの大きさ。
目は開くけど、お医者さんからは見えているか・・・視力は不明と言われている。
食事も、初期の離乳食を飲む、という段階。

言語はまだ出ていなくて、泣き声のようなもの、あー、とか うーとか、そういう自己表現をする。
体も、緊張して固い状態が多く、自分の手足を思うように動かすことはできない。
おそらく、手足、指が、自分のものである、という感覚もまだ持っていないので、
だから、例えば手に何かがあたったりすると、 体を跳ねかえらせてビクっとする。

彼女は、2年数か月生きているけれど、ざっくりな発達段階は、生後数ヶ月。
言い換えれば、そういう状態で、そういう世界感を変わらず2年数か月生きてきた、ということになる。

それくらい、彼女の世界は閉じられてて、
また彼女にとって、世界は自分の心以外はまったく未知のもので、
コントロールも予測も不可能な、不安だらけの存在であるともいえる。

あんまり知らない人に抱かれるのが好きではなくて、
ー多分、慣れない抱かれ方、体の支えられ方がすごく不安なのだと思う
1回目も2回目のセッションも、お母さんから離れて私が彼女を支えたら、ふにゃぁ~ と泣き始めた。


泣き声だって、音楽。
そこにリズムがあり、フレーズがあり、イントネーションがあり、休符がある。

不安そうな表情になるお母さんと補助スタッフを横目に、
彼女の声 = 彼女の音楽 に合わせて、私も歌う。

一緒に、ふっとした休符 音の途切れる瞬間を共有したり
泣き声が全盛になって、涙もいっぱい出てきたら、こちらも本気で音楽的にぶつかっていったり
通奏低音みたいな音で、激しい泣きーエネルギー全開なメロディーラインを支える。

目を閉じて泣いていたのが、ふっと目が開く。

1回目のセッションは、私の口の方向を目で追っていた。
目が見えないはずだけど、きっと音源の方向を追っていたのだろう。

自分で何かを握る、という概念を持っていないけど
小さなマラカスを彼女の手のひらに乗せて一緒に握ったら、
勝手に動いてしまう彼女の体の動きによって、マラカスが揺さぶられ音が鳴る。
勿論、私の歌声は、常にそれらの音によりそう。

彼女が自分の手元を見る。
私が手を離しても、彼女はマラカスを握り続ける。

彼女の”主体的”な外界への興味を示す様子は、お母さんにとってもスタッフにとっても大きな驚きだった。

なぜなら、彼女は私たちに、いつも
目を閉じて眠っているか、そうでなければ泣いている、
というイメージだったから。


2回目のセッション。
前回と同じく、泣いている。
そしてふっと静かになって目をひらく。

そして、私の声を真似した!
むにゃむにゃ~ というと、同じような感じのフレーズを返してきて、そして私の声を ”待つ”
私が音を投げると、また返してくる、

そして、くくくっ と体を震わせながら 声を出して笑った!

この子にとって、人と自分の言葉をつかって”会話”したのは初めてじゃないかとおもう。
いつも、まわりが彼女がどうしてほしいか察するのに全力を挙げている、
おなかすいたの? オムツが濡れてる? なぁに? どうしたいの?

でも、音楽の中で、彼女は自由になった。
自分が ”相手に合わせて” 発信することを楽しみ、掛け合いを楽しむ。
ごきげんとりをしてもらって、ちがう~ とごねる関係ではなくて。

なんども、なんども、そのやりとりをやる。
彼女が何かを言って、歌って、
私が何かを言って、歌う。

なんだか可笑しくなって笑ったら、それにも呼応して声をたてて笑う。

楽しいね! っていう気持ちを、おんなじレベルで共感する。
共感できている感覚を、また楽しいと感じる。

1人で何かを面白がってるんじゃなくて、目の前の人と一緒に会話をしながらくくくっ って笑う。
誰も、この子がそんな事できる、って思ってなかった。

(余談ですが、声を意図的に使おうという気持ちが生まれたら、
頬や顎の筋肉も発達してきて、固形物を食べるための力も伸びて来るし、
発する音の種類の幅も広げることが可能になってきます。)

それから、ウインドチャイムを彼女の手にあてて音を鳴らしたら、
なんと! 自分の手を動かして音を鳴らしたい、という意思が生まれて
すごく不器用でゆっくりな動きなのだけど、だらんと背中の方に反れている腕を、ウインドチャイムのある自分の体の前に持ってくる。 

持ってきて音がなると、表情が変わる。
その腕を体の前にキープする能力はなくて、またはずれてしまうのだけど、
またゆっくりと腕を前にもってくる。


賞味30分くらいのセッションの最後は、2回ともだんだん眠くなって、熟睡して終了。
お昼寝した後だったみたいですが。
外界と、そんなに自発的に、そして主体的に関わる経験はそんなにないだろうから、
心地よい疲労感が生じるのも当然。


肢体不自由だと、自分では何もできない、というあきらめからいろんなことに消極的になりがちだし、
そういう受け身の生き方だと、発達に必要ないろんなことの習得に対して、意欲もあまり生まれない。

だけど、音楽療法のセッションでこういう外界との楽しい関わりを経験し、
もっとやりたい、もっと伝えたい、出来る!自分って、
そんな気持ちが育ったら、その人の人生観というか生きることの色合いが変わる。


The power of music, the power of music therapy!
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by totoatsuko | 2012-10-14 02:16 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

上質なファブリック

とても上質なスカートを貰いました。
黒のジョーゼットで、ハイウエストに共布のベルトがついていて、台形のデザイン。

たぶん、遠目には布の質なんてわからないし際立ったものがない。

でも、手に取って近くで見ると、なめらかで、でもしっかりした織で、
どこがどう、と言うわけではないのに品がある、品のいい匂いが漂ってくる感じ。

そして、体を通すと、なんだか背筋がのびて、顔がほころぶ。
音楽だけでなく、ファブリックやデザインも、人を幸せにする力がある。

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その数日後、イタリア映画を見たら、
そこでも、さりげないのに吐息が出るように美しいデザインや色、カッティングの洋服を
さらりと日常にまとっている登場人物たちがいました。

あるデザイナーの、
服は女性を美しくみせるためたけではなく、
身にまとったときその人を幸せにするものでありたい

という言葉を思い出しました。



面白いデザインや発想も好きだけど、
そこに佇んでいるだけで、そのモノ自体の高貴さというか質のよさが感じられるものの”よさ”、
というのが、20代のときよりもわかるようになってきたし、
その重みも実感できるようになってきました。


きっと今までだったらわからなかったこの黒のジョーゼットのスカート、
いいものだからこそ、大事に、でも、できるだけ頻繁にまといたい。

そういえば、祖母がいっていました。
いち髪、に足。 いいものを着ると、おのずと身振り素振り、品行もよくなるものです。

そうじゃない例の方が多いんじゃないか、って思ってしまいますが

私は、祖母がその言葉を言いながらえがいていた人柄に、
そして祖母の品のよさに常々触れ子どもながらに享受してきたので
表面的ではなく、本質的なところで近づいていきたい、と思いました。


その思いは、私の音楽療法のセッションにもつながる事でもあります。
何気ないのに、上質なセッション、だからこそ様々なものが吐露されプロセスされる場。

それは、クラッシックの曲をピアノを弾いていた時にも言えること。
どんな状態でも当たり前に本当に美しく弾く、ということが、いかに難しかったことか!

偽りがなくて本質的に本物であること、家族や人とのかかわりの中でもそうありたいと、
ある上質なスカートにふれて、あらためて思いました。
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by totoatsuko | 2012-10-09 14:47 | Comments(0)

10月のアートベース

めっきり、朝晩冷え込んできましたね。
今朝、娘の予防接種に町の病院に行ったら、待合室に人があふれかえっていました。
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さて、今週末、日曜午後はアートベースあります。

今月末は、ハロウィン。
去年は、布をつかってマントをつくりましたが、
1年たってやりたいことをドンドン自分でやるようになった子どもたちなので、
ハロウィンをテーマに自由制作してみたいと思います。

素材は、去年のオレンジ、黒、白の布他、ハロウィンっぽいものや、いつも見慣れたものなど。
モノづくり派は立体物つくってもいいし、縫い物っぽいことをしても楽しいかも。
小学生だと、簡単な刺繍みたいなの、できるかな。
自分自身、小学校高学年の家庭科の時間に刺繍のいろはを習って、はまって、
図案をかいて、夜中じゅう縫っていたことを思い出します。

OHPもあるので、気になれば、それで影でおばけを作ってみたりもいいですね。
OHPにも前回より慣れて、色々と発展するかも。

今回は、13時~ の部だけオープンしようかと思っています。

ご予約お問い合わせは、私宛か artbase.ka@gmail.com まで、ご連絡お待ちしています。
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by totoatsuko | 2012-10-09 14:04 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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