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カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

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卒園していくSpecial needs の子供たちへ

昨日の、未就学児向けの療育施設での音楽療法セッション。

昨日が最後、4月から小学校にあがる、発達に何等かの特徴がある子どもたち。 
最後のセッションは、お母さんも兄弟も一緒にはいってもらって、音楽を楽しんだ。
ことばにはできない、お別れの気持ち。
そういうのを、音楽は繋いでくれるし、気持ちを受け止める器にもなってくれる。

そんな昨日のセッションを思い出しながら、
音楽の中で子どもたちと沢山感情をシェアした思い出、
これから彼らやお母さん方がぶち当たるであろう壁や世間からの優しくない反応を考えたら、涙が出てくる。

祈るしかない、彼らが 心豊かに人生をおくっていけることを。

彼らの、人間の土台が作られていく時期、幼児期に、
こうやって音楽やアートを通して関わらせてもらえ、彼らの人生の一部に加えさせてもらったことに感謝。



それにしても、発達がゆっくりな子、自閉症など何らかの特徴的な性質をもっている人について知識をもっている人がほんとうに少ない。かくいう私も音楽療法を学ぶまで、何の知識もありませんでした。


学校教育でも、どこでも教えてもらえないし、
地域とのつながりも薄れてきているし、そういう子どもを保護者達が隠そうとしている場合もあるので、
触れ合う機会もなく、しょうがないといえばそれまでなのでしょうけれど。


そういう子どもの親だって、子どもの性質を認めようとしなくて、
ただ、聞き分けがない子だと、言葉の指示が入らない、とか
空気が読めない子だと決めつけて、怒る、という対応になってしまう場合もある。

でも、言葉の理解が難しい子に、どんなに怒ったって、
恐怖心から行動修正されることはあっても、
本質的に学ぶのは難しい。


我が子がSpecial needsである、と認めたくない
ちょっと 今だけ 発達がゆっくりなだけ、もうちょっとこのまま見守りたい、
そう思う気持ちだって、よくわかる。

だから、親のサポートもとても大事だと思っている。 
社会の認識を変えていく必要性だってあると思う。


その子に分かりやすい物事の提示の仕方とか、伝え方とか、
接し方さえ、地域の人や保護者、教師が分かれば、
お互いが嫌な思いをすることも減るのだろうけど、なかなか難しい。 

知識と実際触れ合う経験が少ないから、
アヤシイとか気持ち悪いとか妄想が膨らんで、
そういう人達に対する思い込みが激しくなる場合もあるだろうし、
その人が危ない行為、望ましくない行為をしようとしているときに、どう対処したらいいか分からなくて、
実際に怖い思いをすることもあると思う。


ほんとうはいいものを持っている子なのに、
失敗体験、怒られ体験を重ねることで、どんどん表情が暗くなって
萎縮して生きていかなくてはならなくなるのは、本当に残念。




個人的な経験で、
ゆっくり考えれば私が悪かったんだな、と分かったのだけど、
 
あるシチュエーションであまり親しくない人に注意されたのが、怒られたように感じられて、 
その時は、どうしてみんなの前でそんな風にいわれなきゃいけないのか分からなくて、
びっくりしたり、すごい悲しい気持ちになったし、
そのあと、少しの間、沈んだ、自暴自棄的な気持ちになりました。

でも、こっそり 私の気持ちを察して声をかけてくれた人がいて、とても救われました。
フォローしてくれたり、共感してくれる人がいることで、次の成長や改善や、場の理解ができる。


発達がゆっくりな子も同じだとおもう。

なんでいけないのか分からない、指示されていることが理解できない、
理解できていない、というのも分からないから、
わかりませんもう少し説明して下さい、とも上手にお願いできない。

本当は友達と仲良くしたいのに、自分の言動をからかわれたり、意味わかんない、って言われたり。

それって、ほんとうに悲しいことじゃない?


それに、例えば、なんで自分がじっとしてられないのか、自分でも分からない。
自分自身の行動が自分で調整できなくて、でもそれはその子が悪いんじゃなくて、
発達の脳の性質のせいなんなんだけど、
あなたはそういう特徴があるのだ、と教えてくれる人も、
そういう性質があるうえで、社会にどう適応していけばいいか、というのを教えてくれる人や
その学びのプロセスを暖かく見守ってくれたり、励ましてくれる人が少ない、、、、
どころか、批判され続ける。


毎日怒られてたら、Special needsでなくても、
どんな人だってやってられないし、生きるのが辛くなってしまうだろうな、
と、自分の体験を通じて思う。 

なんの悪気もないの、
ただありのままの自分でいただけなのに、怒られる、というのは、
辛すぎるよ。


だから祈るしかない。

セッションの中で、どんどん生き生きとした表情を見せるようになったこどもたち
どんどん 積極的に自分のことを伝えようとしたり、表現しようとしたり、仲間と共感しようとしたりするようになったこどもたちが、そのキラキラしたものを失わないことを。

学校や社会では辛いことがいっぱいあるかもしれない。
彼らにとっては、理不尽なことがいっぱいある、不安にさせられることがいっぱいある毎日だと思う。

でも、心から楽しい! って思える経験を仲間と共有したり
安心してありのままの自分でいられる、
かけがえのない時間が彼らの人生の中から失われない事を、祈る。


そして、保護者の方々も、世間のネガティブな反応や
些細だけど気遣いのない反応の積み重ねで、自分や子どもを責めてしまったり、
傷つきすぎて、こわれてしまわないことを、
そして、同じような悩みや経験をもつ仲間やコミュニティーにつながることで、
よりよく毎日を送っていけることを祈っています。
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by totoatsuko | 2012-03-30 17:26 | Comments(0)

過去に浸る午前3時

d0065558_1592568.jpg私の行った音楽療法セッションが、参加者の一部に人にとって、セッションが終わった後もなお余韻にひたりたくなるようなものであった、と言ってもらえたその夜。
色んなデスクワークがひと段落した 午前3時。

ふと私も過去に浸りたくなって
あのとき、このとき聴こえていた甘酸っぱいJazzをかけ 
記憶の中を漂う。

目を閉じる。

音楽がけむりのように、記憶にひたる私をつつみ、
現実から遠ざからせてくれる。

抱擁。
におい。
ことば。
風景。
風。


いつまでも漂っていたくなる。
戻られない過去。


今の私の一部の源でもある過去。


夜よ、更けないで。
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by totoatsuko | 2012-03-29 19:40 | Comments(0)

余韻に浸れる音楽療法セッション@高齢者施設

日本の高齢者施設でのセッションを始めて、8か月がたとうとしています。

1セッションの参加人数が20人~40人で、音楽療法をやっていると言えるセッションなのかどうか
そこは、何とも言えないのですが、

施設の要望が
1セッションにその人数を相手にしてほしい、
いいかえたら、その人数がセッションをやっている所に ”いる” という状態で
全ての人に対して密な関係を築くことは求めていない

ということなので、割り切って、私が出来ることをやってきています。

私は、心理療法系のアプローチがベースにあるので
参加者の方が子どもの頃や若いころに歌った歌や、当時の映像を道具として使いながら
当時の記憶にアクセスする、 だけでなく

思い出したことをみんなに話したくなるようなグループの場や私との関係をつくっていくなかで
そうだったね、ああだったね、 と仲間と共感したり、
くだらないような冗談をなげあって大いに笑いあったりすることで、コミュニティー感の育成し、

それによって、お互いの存在が、ただ施設で毎回会う人、というのを超えた
精神的な支えになったり、生きる楽しみになっていく。

戦争や老いによって失っていくものに対する悲しみなどの気持ちを吐露して受け止めてるグリーフプロセスを行うこともできる、 そんな場でもありたい、と思ってやってきました。


参加者の年齢は上は100歳下は60代と、親子以上に離れているから
時代や歌に対する感覚も気持ちも、記憶も随分違います。

ただ歌を歌って楽しい時間をすごす、というなら 20人でも、年齢幅があっても、認知や身体機能のばらつきがあっても何とかなりそうですが、 ”セラピー” をするとなると、、、、繰り返しになりますが、限界があります。


それでも、一部の積極的にセッションに参加される方がたと8ヶ月たてば少しづつ信頼関係も出来上がっていき、お互いがお互いの人となりを理解してきたように感じています。随分と気心がしれてきて、私に対して、セッション中はもとより、その前後でいろんな話を参加者の方がより積極的に、気軽に話されるようになってきました。

いつも思うことですが、音楽療法の場において、音楽はとても大事な道具だけれども、
クライアントと私がどのような関係をその場で築けるか、というのも、セラピーのプロセスを促すとても大事な要因です。


今日も、いつものように、これで今日のセッションを終わります、また来週~、 とご挨拶して
片づけをしていたら、最前列に座っていらっしゃった方数人がそのまま座っていらっしゃいました。
音楽療法の時間が終わったら、おやつの時間になるので、だいたい、いつもみんな さっさと自分のテーブルに移動されるのです。

少しして、
この時間が終わったって思うと残念な気持ちになっちゃうわね、 
といってゆっくり立ち上がっていった人ひとり。

もう一人は、いつもあまり表情を変えないし廊下ですれ違ってもあんまりやり取りをしない人なのに、
今日もたのしかったわ。どうもありがとう。ほんとうにいろんなことを思い出すわね。この会がないと思いださないようなことを沢山おもいだした。子どものころ遊んだ記憶とか。ほんと凄かったのよ、蓄音機で歌をきいたとき。

とおっしゃられ、じーんとくるやら、深い感情体験をしてもらえてよかった、と嬉しく思うやら。

余韻にひたってセッションがおわってもすぐ立ち上がれないほどの体験をしていただけて
この仕事をやっていてよかった、と改めておもったのでした。



ちなみに、今日のセッションのテーマは、春らしき歌、で 使った歌は
森の水車、春の小川、春が来た、春よこい、どこかで春が、どじょっこふなっこ、おぼろ月夜、荒城の月、美しき天然

びしょびしょになりながらドジョウすくいをして遊んだこと。
柳川煮(どじょう鍋)の話 ~ ごぼうを沢山いれて、タマゴでとじて。浅草に食べに行った話。かば焼きみたいにしてたべたら、ウナギみたいでおいしかったこと。

鮒は、どこでもいるけれど、ふるさと という歌にもうたわれているし、いろいろおもいださされること。

昔は、水車はどこでもあったこと。水車のところに臼があって、お米の脱穀の番をさせられていた思い出。
脱穀できたころあいに、米をだして、新しい玄米を臼にいれる作業。

朧月夜の唄の舞台の長野県、あざみ野を訪れた時のはなし。

サーカスの呼び込みで、いつも美しき天然のメロディーが蓄音機とか、サーカスの楽団によって演奏されていたこと。悪い事をしたら、いつも サーカスに売られていくよ、と怒られていたこと。



全部ぜんぶ、当事者の方たちにとって大事な思い出。

記憶をただ話すんじゃなくて、ただ聞いているんじゃなくて、
出来るだけ多くの参加者が当事者として、
感情的に共感をもちながら受け止められるように、
受け止めてもらった、共感してもらった、自己肯定された、と話している人が感じられるように
私が言葉を足したり、雰囲気づくりをする。

それが、施設でカラオケで歌を歌ったり、施設でのミニ演奏会とは、音楽療法が違う所でしょうか。

色々施設の環境面で制約があるなかで、これからも、参加者の人ひとりひとりと心を通わせることができる関係をつくっていきながら、よりよい内容のセッションを重ねていきたいです。
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by totoatsuko | 2012-03-27 00:15 | Comments(0)

3月のアートベースの様子

d0065558_16344334.jpgアートベースのブログにアップしました。

今回は、セッションの様子をとった沢山の写真をアップしているリンクをお知らせしています。写真から、アートに取り組む子供たちの様子をみていただけたら、と思います。

恭子さんのプロのコメントは読んでいてとても興味深いですよ。


次回は、4月の第二土曜日の午後。
13時~ と 15時15分~ のセッションがあります。

参加費2500円。

発色がとても美しいマッチ絵具をつかう予定です。
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by totoatsuko | 2012-03-22 16:34 | Comments(0)

鑑賞:カールじいさんの空飛ぶ家

d0065558_14483090.jpg地域の社教館で行われた文化祭で、映画上映があり カールじいさんの空飛ぶ家 という映画を見ました。

社教館をつかって教室を行っている団体(沖縄舞踏、日本舞踊、日本太鼓、三味線、長唄、オペラ、ブラスバンド、フラダンス、フラメンコ、等)が、一団体20分くらいの持ち時間で次から次へと舞台で成果を発表していったり、カレーとかコーヒーとか、軽食を売っていたり、書道などの作品が展示してあったり、風船などが無料でもらえたりして、地域の老若男女が自由に出入りするにぎやかな週末二日間です。

観客は一応静かに、という事になっているけれど、舞台の最中でもホールに気軽に出たり入ったり出来るから、子どもも負担なくいろんな文化に触れることができて、とてもいい企画だと思います。

いつもお世話になっている近所のおばあちゃんは、80歳近いのですが、その文化祭の司会とか、その他の準備をされていたり、ご自身も何十年もされているフラダンスを毎年踊っていらっしゃいます。この方、三味線をされたり、私の着物の着付けとかもしてくださったり、おじいちゃんも、子どもとトランプして遊んでくれたり、習字をさせてくれたりしています。

そういう関わりを楽しんでもらえる方たちと出会い、関係を築いていく。
相性もあるし、出会いもあるし、忙しい毎日の中めんどくさい、といえばそれまでですが、
昔のように、地域で子どもの成長を見守り、地域が支え合って生きていけることが出来る関係を、一人一人が大事に出来たら、お互いが助けられる部分、みんなで楽しめることって増えるのではないかと思います。


その文化祭のイベントの一つが映画上映。
いつも子どもも楽しめるものですが、
今年は カールじいさんの空飛ぶ家 (Wikiにのってるあらすじはコチラ) でした。
原題は 「UP」 です。 

映画を見る前に、3.11 その日でしたから、みなで黙祷をしました。

そして、映画。
ギャグっぽいシーンも沢山あって、笑わされながらも、
もうしょっぱなから泣けて泣けて (苦笑) …

なんだかいろんな部分でいろんな視点で自分の体験と重ね合わせてみていました。 

文章にせよ、聴覚視覚作品にせよ、日々の何気ない体験にせよ、それらは常に 受け取る人の 「自分」 というフィルターを通して体験し、感じているので、 100パーセント客観的な説明というのは不可能なんですよね。言い換えれば、そこに様々な主観的体験、主観的感想があるからこそ、ある人が表現したもの、体験したものが命を授けられ、受け取った人がもつ様々な世界へ、様々なメッセージを受け取って飛び立っていけるのだと思います。


以下は、「今のわたし」 (きっと10年後にみたら、気になる場所もセリフも感想もちがってくると思います) というフィルターが掛かった UP の作品の紹介と感想です。(何年か前に飛行機の中で見た時は、全然感動しなかったようなうっすらとした記憶があります)

偉大なる冒険家マンツにあこがれる内気な少年カール、同じく冒険にあこがれる生き生きとした少女エリーが廃屋で冒険ごっこをしている時に出会う。 エリーが誰にも見せたことがないもの見せてあげる、といって 「私の冒険ブック」 というのを見せてくれる。その最初のページには、伝説のパラダイスフォールの写真の切り抜きが張ってあり、ここに、将来連れてって、約束よ、誓って! とエリーに言われる。びっくりしながらも誓うよ、と誓いのポーズをとって言う。

やがて成人して、二人は結婚し、その廃屋を新居にする。
子どもはいなかったけれど、幸せにくらすが、エリーは病に倒れ、年老いたカールは一人になってしまう。
人生は楽しい事ばかりではないのは百も承知だが、そのカールとエリーの幸せなシーンばかりを切り取って走馬灯をみているかのように、お互いを思いあう、二人のいとおしき人生の日々を追っていく場面に


幸せなカップルの関係が成長していく
その関係をお互い大事にしている姿に
号泣。


ひとりぼっちになったカール。
エリーと出会った家、エリーと過ごした思い出のつまったその家が、立ち退きの危機に立たされているのだけれど、カールはどうしても、絶対にその家のことが諦められない。ふと、エリーの 私の冒険ブックを開く。 
ずっと、エリーと行きたいとおもっていたけれど行けなかった場所、パラダイスフォールの写真。

壁に飾ってあるエリーの写真を見ながら言う、エリー、行こう今から!
風船をたくさんふくらまして、家ごとカールは飛び立つ。


涙・涙・涙。
大事な人への思いが、大事な人との約束が、
ひきこもりで、つまらない毎日を送っていたカールをふるい立たせる、彼に夢をもういちどみさせる。


それから、いろんな困難や出会いがある。
エリーと語っていた、あの夢のパラダイスフォールまで、南米の奥地までやっていくる。

そこで、一緒に旅を続ける、少年ラッセルに言われる、
「誓って、ケヴィン#を救うって」
その言葉でカールはもう一度思い出す、エリーが出会った頃言った言葉、

「誓って、私をパラダイスフォールに連れてって!」

#ケヴィン とは、旅の途中で出会った鳥で、悪者に狙われている鳥
そして、くしくも、悪者とは、子どもの頃の憧れの人、あの冒険家のマンツだった! 
輝かしい パブリック イメージと、汚れてしまった心を持つ憧れの人のもう一つの姿の落差・・・


そして、いまいちど エリーの 「私の冒険ブック」 を開くと、パラダイスフォールの写真が張ってあるページの続きのページに、自分とすごした エリーとカールの、一緒に年月を重ねていった日々の写真が沢山貼ってあるのに気づく。そして、エリーが病床に書いたであろう言葉が最後にそえてある。

「幸せな日々をありがとう。 こんどは、あなたが新しい冒険に飛び立って」

カールとの日々の写真たち。
エリーがどんな思いで、大好きなカールと死に分かれていったか。
その写真たちや、メッセージを、どんな思いでカールが読んだか。
涙・涙・涙。


ケヴィンなんてどうでもいい、と思っていたカールだけど、救出に向かう事を決心する。
風船がしぼんで家が持ち上がらなくなっていたので、エリーとの思い出の大事な大事な家財道具を全部捨てる ー パラダイスフォールの横に、自分とエリーの椅子だけ綺麗に並べて。

しかし、ケヴィンを救出する過程で、家を失うことになってしまう。
あの、命に代えてでも守ろうとしてきた、エリーとの思い出の家を。
でも、カールは飛んでいく家を静かに見守る。
だって、エリーは書いていたもの、 新しい冒険に旅立って、と。

涙・涙・涙。


ケヴィンを、彼女の子どもたちが住んでいるアマゾンの秘境に連れもどし
カールとラッセルは、自分達の町に帰ってくる。

ボーイスカウトの表彰式シーン。
ラッセルは、両親が離婚しているから、カールが父親役として一緒に檀上にあがり、ラッセルに 「お年寄りのお手伝いをした勲章」 のバッジをつける役を担う。 カールは、特別に用意したバッジをラッセルの胸につけながら言う、「君はお年寄りを助ける以上の経験をした、様々な困難を乗り越え沢山のことを学んだ本当の冒険家だ。」 お母さんが、観客席からちょっと涙を流しながら見守り拍手をしている。

ラッセルが、ちょっとおバカで人がよくておデブちゃんで、友達からからかわれていそうなキャラクターに見えるから、なおさら泣ける。

涙・涙・涙

以上、主観に満ちた映画感想でした~。
泣くって、科学的にもストレス解消効果が証明されているそうですよ。
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by totoatsuko | 2012-03-14 19:39 | Comments(0)

3.11

d0065558_12135644.jpg日々の雑務に追われて、 
3.11 、この一周年の日を気持ちをはせながらじっくりと迎えることができなかったのですが、

日曜日のその日は、
TVで、ネットで記念の式典の様子をみたり、それに関連する本などの書評や紹介を読んだり、
地域で開催されていた文化祭に出向いたとき、そこに居合わせた人たちと皆で黙祷する機会があり、
関わっている社会のおかげで、あの日失われた命について 
与えられた命について、
私なりの祈りを捧げ、思いを馳せることが出来ました。


遺体・ 震災 津波の果てに という、震災直後の現地でのルポ本のレビューは、
逝ってしまった人の、
そして残された人たちの心の苦しみや、
苦しんで亡くなったであろう人の遺体を少しでも安らかにと祈りながら送っていった人たちの気持ちが心に突き刺さってきて、涙なしには読めませんでした。


それと同時に、沢山の励まされる取りくみ、プロジェクトやイベント、作品にも出会いました。

アカデミー賞をのがしたものの、NYの日本人会で主宰した自主上映会では大絶賛だったときいた映画
津波そして桜

もうひとつは長淵剛さんの歌 愛おしき死者たちへ
うわっつらな優しさにすがるのではなく、
自分達の深い悲しみの中から、自らの強さを見出し、新しい扉を開いていこうとする、
それを応援しているような歌詞に、自分が辛かった時の気持ちも重なり、励まされ、
胸が熱くなりました。

(歌詞)
決して絶望をなげくんじゃなくて 深くみつめてゆくものだ 悲しみを 抱きしめる覚悟があるから 俺たちは生きてゆけるのさ 決して希望などたやすく信じるな 生きてゆくのがみっともなくなる 苦しみを打閉める覚悟があるから 俺たちは涙を流して立ち上がる 甦れ 愛おしき死者たちよ 100年かけてもねむるんじゃないぞ 無言の痛みと無念の怒りたちで 貧弱な俺たちの胸を 叩き続けてくれ あぁ そして俺たちは またこぐ船 あの海に立ち向かい 船をこぐ 
床に はいつくばり唇を噛んだら 命の行き場を探すものだ 悔しさを 抱きしめる覚悟があるから 俺たちは 優しくなれるのさ ただいたずらに ひけらかすな 優しさを なおさら無力に思えるから何もかも抱きしめる覚悟があるから 俺たちは 生きてゆけるのさ
甦れ 愛おしき死者たちよ 100年かけてもねむるんじゃないぞ 無言の痛みと無念の怒りたちで 貧弱な俺たちの胸を 叩き続けてくれ あぁ そして俺たちは またこぐ船 あの海に立ち向かい 船をこぐ あの海に立ち向かい 船をこぐ



大事な人を一瞬にして奪っていった津波。
大事なもの、夢描いていた将来を一瞬にして無にした津波。

そして、原発。

思い返せば、六十余年まえの原爆では、広島でおよそ20万人、長崎でおよそ14万人が亡くなりました。
人のエゴのせい? なにのために? 失われなくてはならなかったのだろう、
味わわなくてはならなかったのだろう、この痛みや悲しみや怒りは。


一度傷ついた心は、時間がたったって、本当の意味ではそう簡単に癒えるものではない。
その傷と一生一緒にいきていくしかない。
謝罪などで、償われるものではない。
ただ、その体験をどう生かしていくか、どう人生をかじ取りしていくか、
それは、一人一人の心のもちよう、その人次第だとおもう。

よくも、わるくも、一人であろうと、集団であろうと、人間がすることは、
その後のいろんな人の人生に影響を与える。


先祖から私に命がひきつがれてきたこと、
今こうして命がまだ与えられていること
今こうして、家族とともに笑顔で朝を迎え、夜を迎えることが出来ること、
絶対に守っていく、大事にしていく。
(どんなにそう思っていても、大事にしていても、奪われてしまう事、壊されてしまうことは避けられないのだけれど)

今こうあれることに深く感謝するとともに、あの日召された2万人近くの魂のことを、
そして、戦争で失われた命や
厭がおうにも引き裂かれた家族の心の痛みを忘れることなく、過ごしていきたいと思います。


歴史はくりかえされる。
何千年もの間に、何度も戦争も、殺戮も、災害も、家族間のいさかいも繰り返されてきました。

私たちは、歴史から学べないのでしょうか。
将来の人間たちのために、社会の為に、地球のために、今、私たちが出来ることは何か。
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by totoatsuko | 2012-03-13 12:14 | Comments(0)

子どものためのアートセラピー・心理療法

子どものための
アートや音楽を使った心理療法やグリーフカウンセリングやっていますか?と問い合わせを受けました。

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そもそも心理療法、セラピーや グリーフカウンセリング という分野は
日本でまだ偏見があったり、知られていない領域ではあるけれど、
”子ども” の ”心の深いところのケア” となると、もっと専門家と出会う機会が狭まるのかもしれません。


大人と違って、子どもは自分のセッション代を自分で払えないし、
年齢によっては、いろんなものを抱えていても、セラピーに行く、という選択を自分で見つけたり、選びとって保護者を説得することができない。

心に何か抱えている子どもと何等かの接点がある親以外の大人、
例えば、日本の医師や教師などの間でも、
アートセラピー、音楽心理療法、グリーフカウンセリングなどの効果について、
いや そもそもこの分野がどういうものか、という認知もひくいので、医療や教育、福祉機関の人からの紹介もないし、そもそも保険も適用されない。

公的機関からの派遣や、公的機関としての(アートセラピー系の)サービスも少ないので、
必要としている人に、その存在をなかなか知ってもらえないし、
なかなか、子どものためのアートセラピーを生業としていくのも難しいのかもしれないですね。



家庭環境が壊れていたり、トラウマを持っていたり、、、
小学生でも鬱や摂食障害などになる子どもがいる時代ですから、
子どもたちのためのアートセラピー、音楽心理療法の潜在的なニーズは高いと感じます。





以下のセッション内容のお問い合わせやご予約は letsmusicingATgmail.comまで
音楽心理療法・ Guided Imagery and Music 個人セッション (私のHP)体験談はコチラ


幼児音楽教室 music together

なぜ、幼児に music together クラスなのか?や 募集中の 春学期の日程やクラス料金についてはコチラ  3月最後の土曜日に春学期がスタートします。 学期の途中からでも、始められます。


パークサイド広尾レディースクリニック (広尾駅から徒歩3分) で、毎月第一土曜日の午前中 
アート素材や音楽を使ったリラクゼーションセッションやってます。
次回は4月。 参加費 3000円
土曜の朝、静かな自分との対話や、自分を解放する時間をもってみませんか?



子ども(3歳~)とオトナ向けアートWS、アートベースの活動をのせたブログはコチラ 
3月は、第3土曜日の午後です。 
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by totoatsuko | 2012-03-08 00:14 | Comments(0)

冬から春にいこうしていく日々

今日はときどきお日様もでて、
風や光に春をかんじ、とてもふんわりとしたものを感じました。
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子どもの卒園と入学、
私自身は、music together プログラム の始動のための準備と、
来年度の勤務先での新しい企画、
自分自身のフラメンコの発表会の準備、

などで、気持ちもふわふわ、わくわく、でも 引き締まるような張りつめたものも。

今日、私の名前も載っている今年度のGIM fellow のmembership list が AMI協会から送られてきました。去年、Guided Imagery and Musicの卒論がacceptされて、8年がかりでディプロマコースを修了してもらった、FAMI(fellow of Association of Music and Imagery) という資格。少し時間がたって振り返っても、楽しかったけれど、ほんとうに大変な道のりだったと改めて思います。 

でも、こうやって、自分が取り組んでいることに時間をかけてでもあきらめず大事に向かい合い続けることで、いづれそれが形になる日があり、ひとつのドアをきちんと閉じるところまで丁寧にやれば、次のドアも自然と開いてきているような、そんな感覚を覚えます。



フラメンコは、ただクラスに行って、ちょっとづつでも振りを覚えて、曲が通して踊れるようになること、ちょっとづつ感情をこめて踊れるようになっていくこと、それが2年前くらいに始めた時からの喜びでした。

でも、発表会に出るとなると、、、衣装のこと、アクセサリーのこと、考えてる? とクラスメイトに言われ・・・ただ踊ることができる、レッスンに行くことができることのありがたさに感謝して有難く思っているステージから、華やかなフラメンコの衣装たちを色々”興味を持って” 見る楽しみをいま味わっています。

様々な生地の色合い、手触り、デザイン、布の組み合わせ・・・・
みていると、すごくワクワクします。

何事もそうですけれど、当事者になれば 
目の前にずっとあったものを、より広く深い視点でとらえるようになりますね。
個人的には、あのひっつめた髪型とか、でっかいお花とか、場合によっては、あのフリフリとか、まだ違和感があるスタイルもあるのですが、、、自分がしっくり来るフラメンコの型はどういうスタイルか・・・頭の中でイメージを膨らませながら、シュミレーションしながら模索するのを楽しんでいます。

踊りの衣装のデザインって、
曲や踊りや自分が表現したいもの一部であり、見る人を魅了するものでもあるけれど
まとう人のキブンをあげて、自分をよりその曲に踊りに入り込ますことが出来るすごく大事なものなのだ、
と ”踊りの舞台用の衣装を選ぶ”、という初めての体験を通して痛感しています。

といっても、予算内でなかなか恋に落ちるようなデザインには出会えないのですが(苦笑)

ゆっくりと、自分のペースで、無理をしないようにしながら、でも時々背伸びをして
この、冬から春に移行していく毎日をあじわいながら過ごしていきたいです。
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by totoatsuko | 2012-03-06 23:26 | Comments(0)

雛祭り御膳

ドリームマップWSのランチ。
女の子の日のランチだから、頑張って、いつもより時間をかけてつくってみました。

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お品書き

お雛様おにぎり
キノコとごぼうのクリームスープ

もやしのカリー ガーリック風味ナムル
ブロッコリーのがドガド(ピーナッツ系のソース)
アスパラの塩炒め
春雨サラダ フルーツビネガー和え
ラタトゥイユ

揚げ物
小麦タンパクの唐揚げ風
サツマイモの天ぷら・オートミール衣
切れハシ野菜の揚げ団子


デザート
アップルタルト
小豆サンドウィッチ

Tea
マンゴーティー
アールグレイ
コスタリカ コーヒー

手土産のお菓子だったり、毎週金曜の夜ごはんだったり、いろんな人に、私が作ったものを食べてもらう機会が増えてきているのですが、一口たべて、「うん、篤子さんの味がする」  というようなコメントをよく貰うようになりました。

レシピ教えてもらって、その通りに作るのに同じ味には絶対ならないんだよね~、 
何が違うんだろうね、
篤子さんの テキト~ ってなところじゃない? 
そっか、そこは私には真似できないな

といって金曜会で爆笑したことも。


パンを買ってきて、味でどこのお店のパンか分かるような感じで、
篤子さんの味、という風に感じさせられるようになってきてるんだ、とおもうと、なんだか可笑しかったです。


音楽療法は、本当に音楽療法士の人柄によって、セッションが全く違うから、
音楽療法士として、篤子さんのセッションが希望、といわれるのは自然な感じなのですが、
お料理で ”私独特の味がある”というのを褒められるようになったのは新しいことでした。

誰かと仕事をするとき、何かを企画するとき、何かを依頼するとき、
「この人にお願いしたい!」 「この人じゃないと嫌」 
そこまで、自分のアウトプットに自分の個性や好みが投影されるのは、 同じように、その個性を倦厭する人もいるというデメリットもありつつ、あなたがいい、 と言ってもらえる形の存在肯定は、私にとっては嬉しいものです。


これからも、人として、私のアウトプットとして、
もっともっとそう思ってもらえるよう魅力的に成長し続けたいと思います。
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by totoatsuko | 2012-03-03 17:38 | Comments(0)

ベジタリアンの人に配慮した薬

d0065558_031351.jpg写真は、毎年つくってる、おにぎりとお野菜のお雛様とお内裏さま。
お内裏様の着物はキャベツと白菜、お雛様の着物はカボチャのマッシュです。
他にも、ほうれん草などの青菜、紫サツマイモや人参など、色の綺麗なお野菜を駆使すると、豪華な着物になります。顔は、ジャガイモやサツマイモをふかしてマッシュして、ギュッと丸めてつくります。

子どもも大喜びで、制作に取り組みます。
かわいすぎて、なかなか食べる気になれませんw


ところで、先日なんとなくブラウズしていたら、ベジタリアンに配慮した薬についてのBBCの記事 がありました。

この記事によると、流通している薬には、卵や動物の骨からとったゼラチンなの、動物性のものが含まれていることがよくあるのだそうです。滅多に薬を飲まないので、そういう事を考えたことがなかったのですが、、、

それを知らずに飲んでいたベジタリアンの人たちにとっては、
無意識に、知らないうちに動物性のものを取っている(摂らされていた? 処方されていた)ことに驚いたし、
それが 人々の間に 「問題」 となってから、同じ効果をもつけれど、すべて植物性で作られた薬を今後開発していく必要性がある、と業界が動いてるとのこと。

ビタミン剤では、随分前からベジタリアン仕様のものがいくつものブランドから出されていますが・・・

海外ではベジタリアンの存在、いいかえれば、特定のポリシーを持って生きている人に対する配慮が、ここまですすんでいるんだな、と感心しました。というか、ベジタリアンが、海外では どんどん マイノリティーではなくなっているのかもしれないですね。

日本では、まだまだ ベジタリアン というと なにか特別な反応をされることが多いみたいですが。
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by totoatsuko | 2012-03-03 00:31 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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