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カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

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食物汚染

「放射能に汚染された野菜」という風評被害の問題について読む。

水や食べ物に放射能の数値が検出された、と大騒ぎになって
都内のお店から一瞬ボトル入りの水が消えたり、
数値が検出された野菜の産地のものを避ける。


でも、日々食べているものに常に入ってる添加物とか、
添加物を長期にとり続けていることについての問題意識にはつながらないのか~、と思う。

どちらも同じ
政府に「人体には影響がない」というお墨付きなのだけど。

ー放射能数値がでてるものは、数値として人体に影響はないし、長期間とり続けるわけではないから騒ぐことはない、という政府の見解と
ー公的機関の認定をうけた人口添加物は、日常的に長期間とりつづけても人体に影響はない、という認識

中国産の野菜だって、
ものすごく汚染された土壌で作られているものもあることが判明したけれど・・・

物事の表層でおこっている現象をとらえたり、気づいたりしても、
表層というのは、刻々と変化していくもの。
表層にでた現象だけとらえて一喜一憂していたら、ふりまわされてしまう。

何かにきづいたら、何か問題にぶちあたり取り組むことになったら、
表面にペンキを塗り足して
一見修復したり改善したようにみえるような演出をする、
というのもいいけれど
自分のこれまでの価値観や行動パターンの根っこに近いところからじっくりと見直す機会にする、そういうことも大事だと思う。



音と色をつかったカウンセリング・深層心理プロセス

うつ・虐待・摂食障害・妊娠や結婚・人生の大きな決断をまえに迷ってたり体調を崩されている方・不登校などのお子様をもつ親御さん などのために
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by totoatsuko | 2011-03-25 13:08 | Comments(0)

心のかげ・ひなた

母親が子供が泣き止まないので首を絞めて殺した、というニュースをみました。

こうしてたくさんの命が失われ

ああ、一人生存者がみつかった、よかった、と涙をながして家族が喜ぶニュースが流れ、
それを見ながら全国で涙を流す人がいただろうけれど

命や家族についてみつめなおす素材がたくさん転がっている中でも
(大きな災害がなくたって、このテーマはいつだって考えさせられる機会があるものだけれども)

日々の一人ひとりの心、というのは暴走をはじめたらとまらないのだ、
というのを確認させられたような気持でした。

理性ではよくない、と分かっていることも、
理性的に望んでいる事も、
心に、無意識の層に蓄積されてきた意識されていない熱は、
大事なものをいとも簡単にけちらかして
一気に破壊してしまう。

子どもの首をしめたお母さんも、ニュースをみながら
失われた、あるいは助けられた命に涙をながしていたかもしれない。

でも、何かが彼女をそうさせた。

しょうがないのだけれど、
それが生きている、人間をやっている、ということなのだろうけれど

命をかけてでも何かを守ろうとしている人がいて
同時に、自分の意識していない心の闇のせいで、命や人にとって大事なものを奪う人がいる
というのは、ほんとうにやるせない。

だけど、心をつよくもって そういう自分たちのいろんな側面を受け止めていきたいと思う。


音と色をつかったカウンセリング・深層心理プロセス

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by totoatsuko | 2011-03-23 00:29 | Comments(1)

今 こうしていることに罪悪感

生き延びてしまったことに対して
今 こうやって不自由なくのうのうと暮らしていることに対して
被害にあっている人や事態の改善のために直接何も働きかけていないことに対して

多大な罪悪感にさいなまれる人も少なくありません。

自分はこんなところで、何してるんだろう
仕事をしてる場合じゃないんじゃないか、
命がけで現地で動いているひとがいるというのに
恐怖と飢えと寒さに必死に耐えながら救助を待っている人たちがいるのに

自分だけ生き延びて、亡くなった人たちはどんなに辛い思いをしただろうか
生きのびなければよかった
かわりに死んであげたかった



ほんとうに そうですよね。

わかる、その気持ち。

でも、きっと、自分が、自分達の日常を、自分の持ち場で”自分らしく生きる”ことだって、
自分にしか出来ないこと。


親ともだちと話ていました。
自分の家族や子どもと一緒にいて、彼らにおおきな安心感を与えてあげられるのは
日々を、心を分かち合ってきた自分たちにしかできないこと。


そして親たちにとっては、そのこども達の存在が、
どんなにか自分たちの支えに、活力になっていることか!


どんな時でも、人を笑わせてくれるピエロ
その顔を、目をよくみてみてください。
笑っているけど、涙のあとがあります。

ピエロは、ただ何も考えずにおちゃらけてるんじゃない。
人の痛みが分からないんじゃない。

深い悲しみを心の痛みを自らが抱え、
その身を切るような苦しみを「自覚しているからこそ」、
自分にできること、ピエロにしかできない、誰かの笑顔を増やす役割を心から演じることができるのです。

どうか誇りをもって
それぞれが出来ることをやっていきましょう。 


目の前の人を置いてでも、
もっと多くの誰かを救う行動のほうが大事に・大義だと思える時があるかもしれません。
動けない自分を残念におもうかもしれません。

でも、どっちが尊い行動か、どっちが重要性が低いか、なんて議論なんて意味がない。

現地に飛んで行けなくて焦燥感を感じる人もいるかもしれないけれど、
いま自分にできることを 信念をもって一生懸命やる、 
それが目の前の人、自分のまわりの人、より多くの人、
そして ひいてはこの災害からの復興のためになる

それぞれが、それぞれの偽りのない背中をみせ、
その背中に守られながら、いろんなものを感じて健やかに育った若者たちが、
日々のわたしたちのスピリットを、思いの積み重ねをうけついで
5年10年、数十年後の日本、世界、ひいては地球や人間のありかたに繋げてくれる


生きのびた罪悪感も、悲しみも、とてもとても深いし痛い。
後追い自殺だってしたくなる。
辛さを抱えながら生きるなら死んだ方がましだと思うくらい、生きるのがつらくなる。

けれど、そのトラウマは、 
自分にしか出来ない生き方・社会貢献の生き方を生む原動力にだってなる。


負の感情は、いっきに自分を、そして自分のまわりも飲み込むことができるけど、
陰と陽は表裏一体。

罪悪感もしかり。

重たいものだし、追いやりたい感情だろうけれど、光に、希望に転換していこう。
それだって、一人ひとりが出来ること。

わたしも 一人の日本人として、地域の住民のひとりとして、お母さんとして、女性として、
一人の専門家として出来ることをやっていきたいと思っています。


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by totoatsuko | 2011-03-17 17:23 | Comments(0)

セルフケア エクササイズ - 呼吸法

わたしたちはまだ災害の渦中にいるので
ものすごい圧力でからだにも、こころにも、生活にもいろんなものが侵襲してきていることを自覚するステージにいないと思いますが、自分自身と、その周りをやさしく柔らかく包む何か、、意識して取り入ることですこしでも心穏やかにすごす助けになるかもしれません。


例えば呼吸をつかったリラクゼーションも
どこでもできる、心を落ち着かせる一つです。

静かな空間で、目を閉じるか、半開きにして呼吸に注意を払う。
呼吸の波を感じて、つま先や指先、細胞のひとつひとつに酸素をいきわたらせるつもりで、
15分くらいを目安に (自分で十分と感じる長さでOK)、
ずっとずっと 呼吸と体の内側、表面、細部に注意を払う気持ちで。

吐き出すときに、いらないものを出していく
吸い込むときに、宇宙の新しいエネルギーを取り込むようなイメージを持って。

心と、体の新陳代謝の意識をもって、
呼吸エクササイズを始めた時に例えば、波立っている海の表面が心のさざ波が、
ゆっくりとした穏やかな海の表面になっていくようなイメージをもって
丁寧に呼吸してみてください。


放射能関連のニュースが流れていますね。

どこかに避難できて、すこしでも安心できたらいいですよね。

でも、そうできない人もいる。

出来るだけ多くの人が どうか どうか より心にも体にも傷がすくなく、
この災害を助け合って乗り越えていけることを、心から祈っています。


自然の大きなちから感じたら、なんて非力な私たちなのでしょう。

私たちは、
ひごろ自力で生きているように 結構いろんなことを操作できてるように感じるけれど
自然に 地球に 有難く生かされている ような気持ちになっています。

どのような使命を与えられて私が命を授かったのかわかりません。
使命なんてないかもしれない。

ただ、与えられた日々に、 命に心から感謝して、謙虚な気持ちをもって、
人に対しても、地球にたいしても丁寧に接しながら生きていきたい、と改めて思っています。


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by totoatsuko | 2011-03-15 20:29 | Comments(0)

プレイアウト - ショックの緩和方法

被災地のことを思うと、心が痛み、いたたまれません。
やっと やっと避難所でもう会えないと思っていた家族と会えた! 
という新聞記事には、涙が流れました。

「家族」のかたち。
家族や友を思う気持ち。
お互いを思いやる気持ちの温かさ、
思いやる人と人との関係・信頼関係・繋がりがもたらしてくれるもの。

危機になって初めて、その重みを感じる人もいるのかもしれません。
でも、危機になってから大事さを分っても、失ったもの、捨ててきたものは帰らない。
人と人との関係は、ゲームのように自分の都合にあわせてリセットすることはできない。



子供たちが、金曜以来「地震ごっこ」を何度も何度もやっています。

さすが! と思いました。
PTSDなどのプロフェッショナルなケアの手法の一つに、play out というものがあります。

それを、自分たちで自ら遊びに取り入れてる。

こどもは、大人のように「言語や会話の中で」
自分の受けたショックを人に伝えたり、
共有したり、共感を示すことで感情や体験を消化することができにくい。

消化できずに傷を放置しておくと、後にトラウマと呼ばれるような、無意識の層にその未消化の体験が大きく陣取って、日々の感情や価値観や生き方に大きな負の影響を与え続けてしまいます。
ー プロフェッショナルな心理的ケアプログラムでは、場合によっては大人相手でも使える手法です。

ごっこ遊びを通して、いろんな役柄を体験し、感じているものを「演じる」ことで、
その事件を客観化し、全容を把握し消化していきます。
あとは、絵にしたり、替え歌にしたり、という手法もあります。
その時の状況を絵に描いて、それを誰かに説明することで、消化のプロセスを促すことができます。
言語を持っていない子供・人でも、「書くこと自体」が、大きな心のプロセスの助けになります。

なので、子供がそういう遊びをしていたら、
不謹慎、などと諌めずに
おおいに奨励して、
いっぱい気持ちを発散し、いっぱい彼らなりの言葉でいいので喋らせてあげて

大人は共感する態度をしめしてあげられれば、と思います。

自らそういうアクティビティーを出来ない子どももいるので、
大人からうながしてあげてもいいと思います (でも、嫌がったら無理させないで)。

そして、必要ならたくさんスキンシップをとり、大きな気持ちで抱きしめて
守られている感覚を体験させてあげてください。
自然の中でゆっくりすごすことも気持ちをやわらげてくれる助けになります。

そういう話を、今朝保母さんにも話して、子供を預けてきました。

一見影響をうけてないように見える子供でも、無邪気な笑顔をみせている子供でも
実際彼らがどう思っているか、感じているかははかりしれません。

大人たちは色々知っているから、まだ心がざわざわしてるし、当分してると思います。

出来れば、それは大人同士で話をすること、お互いの話をきくことでケアしあい、支えあい、
「日常」をとりもどし、できる限り通常通りの生活をし、
大人たちができるだけ心おだやかにすごす、その「背中をみせてあげること」で
(言葉で「落ち着きなさい、心配する必要はない」、と指示してもあまり意味が無い)
心のざわざわを子供にできるだけ伝染させないでおくことができたら、と私は思っています。
ーとはいえ、子供は大人の心理を鋭く察するので、フェイクで平静を装っても見破られますけれど。




大人の間では、今起こっている現象を茶化して話したり、
対岸の火事のように話したり、悪質なチェーンメールを発生させたりして、
人々の不安を煽ったり、まわりをいらだたせる、
などの方法でしか自分たちの不安を「共有」したり「消化」できない人もいます。
無意識にやっている場合が多いので、自制できないだろうし、
聞いている人は、どうしてそういうことが出来るのか理解できないまま
イライラしてしまうかもしれません。

とても残念なことです。

とても大変な状況なとき、「笑い」は一瞬で人々の気持ちを明るくしてくれます。
茶化すことで笑いは生まれ、笑いが共有できた人の心は、
一瞬でも闇から逃れることが出来るでしょう。
でも、不特定多数の人がその会話をきくような状況下では、控えたほうがいいのかもしれません。


ショックは、少し時間がたってから、何度も違う形で現れてきます。
人々の、子供達の様子を見守っていきたいと思っています。

そして、私に出来ることをやっていきたいとおもいます。

米国認定音楽療法士・グリーフカウンセラー
灘田 篤子

音と色を使ったカウンセリング
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by totoatsuko | 2011-03-14 11:22 | Comments(0)

トラウマタイズされないためにも

いろんな情報がとびかっていますね。
私は、今日は朝からTVをやめました。
とても難しいことかもしれないけれど・・・TVを消す勇気があれば、と思います。
自分の、子どもの心を守るために。

情報は、自分が知りたい時に知りたい情報を検索すればネットに取りにいくことができます。
本当に 本当に必要で、実際自分が動かなくてはならない情報は、TV以外からでも得られるはずです。

TVをつけていたら、不安をあおるような映像やレポートの仕方、だれが何が悪いかという議論など
ほんとうに今私たちが必要なこと以外も、いやおうなく降ってくる。

NYのテロの時、ワールドトレードセンターから2ブロックのところに住んでいました。
非難したNY大学では、人が集まり、それこそ今のようにTVはすべて事件関連のものでした。
そして、何度も何度もあの飛行機がつっこむシーンが放送されました。
のちに、そのTVを一緒にみていた子供たちが、
そのシーンが頭に焼きついて離れなかったり、
TVなどからの情報によって恐怖を体験して、
実際NYで事件を体験していない子供たちも
その感情をかかえきれなくなってPTSD症状を発症した例もありました。

事件後、アメリカでそのケアについて、議論がなされました。
そういう危険性を、
心へのほんとうに ほんとうに深刻な影響を
今マスコミや政府や国民は自覚していないかもしれない。

今起こっていることはとても怖い事だし、知りえる情報はすべてキャッチしたい。

子どもたちにも、今自分の国で大変なことが起こっており、
それに対して自分は何ができるのか、
これから自分たちの国をどうしていきたいか、
家族ってどういうことか、
生きるってどういうことか、


そんなことを一緒に考える機会であれば、

と思う一方で、

私個人の恐怖感や、
過剰な恐怖を煽るようなマスメディアなどから、出来る限り子供たちを守ってやりたい、
大変なときこそ、冷静に事態に対応し、

みなと助け合っていく背中をみせてやりたい、

本当でない情報も流れているようです。
何が信じられるのか、何が本当なのか、
沢山の命が失われ、
物事の根底が、平和である、という前提が覆される。

負の気持ちに飲み込まれる材料はいっぱいそろっています。


でも、家族や友人や地域の人とのつながりに助けられたり、
人の善意にふれたり、
何かアイデアが生まれたり、
自分の根本的な価値観がかわったり、
生き方が180度かわったり
個々人が、ポジティブな体験をする機会にもできうる。

最近なんとなく意識の表層でかんじていたことなのですが、
今回の事を機に、改めて、生きること、人とのつながりを、
もっともっと丁寧になぞりたい、大事にしていきたい、と思っています。


音と色をつかったカウンセリング・深層心理プロセス

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by totoatsuko | 2011-03-12 16:48 | Comments(0)

生演奏と録音音楽 II

音楽療法を学んでいるとき、
セッションにおける生演奏 と 録音音楽がもつ影響力の違い、
というのを随分と議論したり考えさせられた。

クライアントの目的、必要とするプロセスの手助けになるものなら、どちらでも構わない。
録音と生演奏の組み合わせ、という使い方だってOKだ。

ギタリストさんに構えてもらって、
覚えていたはずの踊りの振りが思い出せなくなってしまった経験を通して
学んでいた当時のことを思い出している。

録音音楽 と 生演奏の大きな違いは、
セッションという時空を超えて、演奏者も匿名性が高い状態で、過去演奏されたものが機械を通して再生させられるか、リアルタイムのセッションの場で、その場にいる人間のフィルターを通して、「その場の音楽」が奏でられるか


例えば、このあいだのフラメンコのクラスで私が私を見失って見つけ出せなかったのは
ギターさんの奏でた音楽やギターさんの思いがどこまで影響したかは確かめていないので分らないが、
少なくともギターさんとの関係、ギターさんに対する私の思いがそうさせたことは明らかだ。

まちがったり、途中で踊りが思い出せなかったら申し訳ない、という気持ち
ちゃんとやりたい、という気持ち
もしかしたら、過去の厳しい先生を投影して気持ちが硬くなっていたかもしれない


録音された音楽なら、ギターさんの存在は必要ないし、ギターさんに配慮する必要も、ましてやその場にいない録音音楽を演奏した人にも気持ちのエネルギーを分けなくていい。ボタンひとつ、停止、巻き戻し、再生。たんたんと、自分の都合いいように音楽を発生させることができる。

生演奏・ライブミュージックをセッションで使うということは、
よりお互いの情動や関係性に密接に関わる場合がおおくなる。

だから、ものすごくパワフルなことが出来る。

音楽 × 人の気持ち

で、人の心に切り込んでいったり、包みこんだり、支えたり、背中をおしたり
クライアント自身の内側から、音楽&セラピストに対して起こる情動(見栄でも、動機でも、なんだっていい)がもつエネルギーを、心にとってその人の生き方にとって「よき方向へ」つなげていける。


ただ、パワフルがゆえに、too much だったりして、生演奏よりも、録音音楽を使ったほうがいいタイミングや人の心の状態もある。そこを認識して、クライアントにとってよりよいものをその時 その時プロフェッショナルに選択していくのが私たちの役目だ。

あのフラメンコのレッスンでは、
生演奏は、私の頭の中を真っ白にしてしまった。
そういう意味では、生演奏ではなく録音を使い、もしかしたら部屋に一人にしてもらったほうが人の気持ちを気にせず自分の記憶や踊りに集中できただろう。

しかし、生演奏で踊れなかった、という体験をし、それがどうしてなのか、
と吟味する機会をえたことにより、
自分の踊りの記憶はまだまだ甘く、もっと練習を重ねなければマトモに踊れない、
という、残念な自分の姿を悲しいけれど認識することで、
でもそんなに練習する時間はないからしょうがない、という現状を受け入れる気持ちと
なんとかもう少し練習する時間をとりたい、という向上心を刺激する機会になった、
とも言える。


音楽療法は、ただなんとなく気分がよくなる、というだけでなく
はっきりとした「目的」やなんらかの状態の「変化」や「改善」などをもって行うので、
音の使い方にはセンシティブだし、意識的に選択しているのです。

人との関係性のなかで使われる音楽、というのは
心にも体にもすごく影響力がある、そう再確認した出来事でした。
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by totoatsuko | 2011-03-06 10:44 | Comments(0)

生演奏 と 録音音楽

フラメンコを習っています。

やっと、やっと一曲、というか ひとまとまりの踊りの振りを覚え
これから、その振りにニュアンスや、色合いを自分なりにどうつけていくか、
という所を練習していける楽しみを味わい始めています。

しかし!踊りの振りを覚える、とはほんと難しい。
レッスンで教えてもらって、レッスンを録音したり録画しても、思い出せないのです!
録画したものをみたら再現できるとおもいますでしょぅ?

でも、音楽に乗って、その動きをする、というのは
録画を見ただけでは絶対不可能、、、、というか
今の私の浅い踊りの経験では無理でした。

ピアノをやっていたころは、
とりあえず先生がいなくても、楽譜を読んでその通りに弾けば曲は演奏できるので
自分でいかようにも練習できていたので、
まず一人で練習できるまでに「踊りを覚えるために教えてもらう」 というのがとてももどかしいのですが、
経験がある人は、ぱっとみてさっと体に入っていくようなので、
なにごとも積み重ね、と
自分自身が、子供のころからひたすら何時間も毎日ピアノをひいてきた
そして、いくらやっても うまくなんない! もどかしいやら試行錯誤の連続の経験を思い出しています。


と、話はそれました。
レッスンはギタリストの演奏にのって行われます。
録音したのをききながら、家で一曲踊れるようになりました。

でも!
このあいだ、実際ライブで演奏してもらって、はいどうぞ(踊って)
と言われたら、
全然踊りが体からでてこなくて、頭も真っ白になって、つったってるだけ、という経験をし
生演奏と録音音楽の持ってるものの違い、記憶や気持ちや体の感覚に与えるものの明らかな違い、というものを「体感」しました。

とても衝撃的でした。

(続く)
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by totoatsuko | 2011-03-06 10:43 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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