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エシカル消費

先日の日経新聞おりこみのNIKKEI MAGAZINE に エシカル消費、 と題するコラム。 
最近、この エシカル という言葉、よく見かける。

エシカル(Ethical) とは、直訳すれば「倫理的」 という意味。

以下引用
環境破壊、児童労働、貧困、紛争などと一線を画す宝石や貴金属を用い、首飾りや耳飾、指輪などに仕立てる。
孤児自らの自立を目指すアフリカの工場で加工した牛の角、、、(中略)

エシカルファッションが台頭したのは2005年。安価な服を短く着つぶすファストファッション全盛への反動でもあった。今では「ファッションが倫理をまとう時代がやってきた、と宣言していいほど大きな流れになっている」と指摘する。(中略)

ファッションだけではない。「エシカル消費」は、今後あらゆる分野に広がる。
エコロジー、リサイクル、フェアトレード、有機栽培や地産地庄消、自然派化粧品、職人技や伝統文化を継承したものづくり、寄付月商品、ボランティアツアー、古着や古民家、再生可能エネルギー。

自然も人も傷つけたくないという思いで共通する。

これまでばらばらに見えたこれらの現象にエシカルという事場が一つの輪郭を与えようとしている。

なぜ今、エシカルか。「いったん立ち止まって考えたいと思う人がうえたからではないでしょうか」。
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自然も人も傷つけたくない、 そう思う。

エコ疲れ、という言葉をきく。
環境にやさしいのはいいけど、不便とか見た目が悪いとか、
エコをファッションやトレンドのように生活に取り入れても、飽きるし、
これまでの生き方・消費の仕方と違いすぎてしんどくなる。
自然にやさしくても、人間の心がしんどかったら、続かないし、真実のエコでない、と思っていたから
エシカル、という概念との出会いは、それを解決してくれた。

エコもエシカルも、もし心から共感して、心からそういう風に生きたい、と思ったら
宣伝が提案するエコの形をとりいれなくても、
自分らしい 人にも地球にもやさしい生き方を「模索」することが そんなにしんどくないかもしれない。

その、模索の過程がじんせい、と思え、答えのない旅を楽しめれば。
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by totoatsuko | 2010-09-27 02:48 | Comments(0)

ダイアローグ イン ザ ダーク

ダイアローグ イン ザ ダーク (直訳:暗闇での対話) というのを体験してきました。

1.5時間で5000円、なので 心理的に敷居が高く、この場を知ってから、実際体験にいくまで、随分の年月がたってしまったのですが、機会があれば是非!!! みなさまにお勧めしたいです。

1.5時間の内容を省略して書けば、
真の暗闇の中を、杖1本もって、8人以下の人数+目が見えないアテンダントと、歩き、進んでいきます。

本当の暗闇、って日常では体験することはないと思います。 
眠るとき、電気を消しても、どこからか光がもれている。

私は、途中で自分が目をつむって歩いている自分に気づきました。
あけていても、何もみえないのだもの。

ほんとうに、杖で足元を確かめ、足の裏で道を感じ、皮膚で空間を感じるしかない。

まったく知らない8人の仲間とアテンドさんとも、
とにかく声を出し合って、自分は何を発見した、とか、
こっちに道がある! とか
ここは足元が悪いから、はい てを伸ばしてますからつかまって、とか
助け合わなくちゃどうにもならないし、助け合いたい、という気持ちがすぐ生まれてくる。


ダーク イン ザ ダイアローグは、ドイツの自動車会社が合弁するときに、社員の研修でつかったり、ダボス会議でも、参加者に提供されたそうです。
そういうところでも認められている体験プログラムである、というのは、体験してみて、ものすごく納得。
チームビルディング・チームマネージメントにも、即効性&持続性がある、とてもパワフルな教育プログラムだと思います。

目が見えない人の世界を体験してみよう、 というレベルのものではなくて
もっと心理面に、もっと個々人の生きる価値観や哲学にまで影響する体験。



体験後、さまざまなグループの反応をうかがったのですが
男性は得てして、日常での上下関係を暗闇にも持込勝ちなのだとか。
では列になって、と暗闇にはいるまでの、顔は見えないけど姿はなんとなく分かる、位の薄暗闇で言われたら、ちゃんと上司を先頭にするのだそう。
暗闇にはいったら、そんな上下関係は 全く関係なく かかわりあわなくてはならなくなるのに
果たして先頭が安全かどうか、先頭に立つことがグループをまとめるに最適かどうか、なんて分からないのに。

暗闇は、 既成の関係を壊す・フラットにする。

それは、大人と子供の関係にも言えるそうだ。
小学生以上から体験できるのだが、暗闇の中では、子供だから、大人だから、というのが、ゼロになる。
日常、視覚がある世界では優位にたっている大人の知識とか経験は、まったく意味をなさない。
子供のほうが、視覚がない、という状態に順応するのは早い場合が多く、新たな大人と子供の関係が生まれるのだそう。 

だから、家族や、社員研修で体験したら、ものすごく得るものが大きいと思う。
映画2本分なんて、ゆうに超えて、ずっとずっと心に残って、ずっと発酵しつづけて、日々の自分の固定概念に対してクエスチョンを投げ続けてくれるものになると思う。


最後に、暗闇カフェで、お茶を飲む。
においや、味が濃く感じられる。

暗闇レストラン、という企画もあるらしく、
マクロビオティックのお料理がコースで提供されるとのこと。

そして、季節にあわせて、暗闇の自然や町並みは、入れ替えられるとのこと。
また参加してみたい、
あそこで定期的に自分をリセットしてみたい、
違うメンバーと、違う仲間と一緒に参加してみたい、
きっと、全くちがう自分の心理反応に出会うと思う。

暗闇は、ここちよかった。
プログラムを終えて、外にでたら、視覚からの情報が多すぎて、目を閉じたくなった。

現代は、情報勝負、情報を持ってるほうが勝てる、より便利、などいろいろ利点はあるのだけれど、
常々望んでいる、シンプルな暮らし、 というのは、違う次元で可能なのではないか、
とも思ったのでした。


ダイアローグ イン ダーク、
企業に出張プログラムもしてくれるとのこと。
是非!
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by totoatsuko | 2010-09-24 00:45 | Comments(0)

日韓 アイドルの違い

友人が、

最近出てきて売れている韓国の女性アイドル?グループは、
鍛えたボディー、完璧な美人、磨きぬかれたパフォーマンス、
と完成度がとても高い

しかし、日本で売れてるのは いつまでたっても
素人っぽさ、 身近にいそうな普通っぽさ がウリな子たち
そういう子が、うっかり知性とか出そうものなら、うれなくなっちゃったりする

そういう日本の 好みというか、文化というか、
それは 自分に自信がない という心理の反映じゃないかなぁ、
という。

私は、どちらの芸能人達にも詳しくないのですが、

”自分”がしっかりしていなかったら、

鍛えたボディー、完璧な美人、磨きぬかれたパフォーマンス、という様な人たちがもつ、
鋭さとか、強さとか、本物がもつ重心の重さ、
みたいなのは、重すぎたり、圧倒されたり、うっとおしかったりする、

自分に自信がなかったら、
まったく つけいる隙がないように感じたり、
対等に関われないような、劣等感を無意識に感じる

というのは想像できる、と思ったのでした。


逆に、
日本のアイドルの魅力がわからない
全部おなじにみえる

という文化もあるのですよね。
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by totoatsuko | 2010-09-15 00:40 | Comments(3)

虐待関係・両者の思い込み

虐待をするほうも、され続けているほうも

自分が加害者である、
自分が被害者である、

と、まったく自覚していない、

仮に、誰かに指摘されても、
自分はそうじゃない、

と、「加害者も、被害者」も、「心から思えてしまう」


という事実は、ほんとうに恐ろしいことだ。
ほんとうに、おそろしいことが起こっているのに。


でも、自分たちはちがう、という強い勘違い?が維持されているから、
その虐待関係というのは、お互いによって続けられていくし、
世代を超えて受け継がれていくのだと思う。


加害者には、加害者と似た価値観や心理状況の人がいたり、
そもそも、そういう言動をはぐくんできた成育環境や親との関係があるから、
被害者が、「私は被害者。こんなに辛い思いをさせられている」 と仮に騒いでも、

それくらいのこと、あたりまえ、 とか
たいしたことじゃない、 とか
しつけだ、とか
騒ぐほうが おかしい とか
騒がれて 自分を人に悪くいわれて、自分が被害者

等、あたりまえのような顔をして言う。

仮に、目の前で相手が血を流していても、涙を流していても。

そして、そういう風にもっともらしくいわれたら、被害者は、
自分が感じていることは おかしいんじゃないか?
自分のがまんがたりないからなのか?
自分が発狂しそうになっている、というのは 嘘なのか?
大丈夫・私、

って、全然大丈夫じゃないのに、
自分の辛さを、自分で否定して、
心理的・肉体的・性的暴力の中に身をおき続けることを、自らえらんでしまう。
(その結果、溜め込んだ辛さ、悲しさ、怒りを子供や他のパートナーに無意識に、あるいは衝動的にあてつけ、加害者になるパターンも)


それは、self-esteemが低い人とか、
相手に精神的に頼っていたり、共依存の関係だったりしなくても、
その人が、しっかりした信念を持った人でも、
虐待関係に入り込んでしまっている場合、自分で自分の感覚を否定して、加害者の言い分を自分に言い聞かせてしまうのだから、、、 虐待関係、というのは本当に、怖い。


そもそも被害者は、二人の関係をバラしたら、相手にどうされるかわからない、というような自覚していない恐怖によって、自分が関係の中で経験してきたことを人に話さない場合が多いので、虐待関係と気づきにくいし、その関係からは抜けにくい。そして、仮に誰かと話しても、例えば、被害者体質に育つにあたって多大な影響をあたえているであろう親兄弟などに相談しても、「あなたが悪いのよ、もっとがまんすべき」 という言葉が帰ってくることが多く、自分を助けてくれると思っている人にそういわれたら、自分が悪いのか、と思ってしまい、また被害者の道へまっしぐらにもどってしまうこともあるし、

客観的に状況をみることができる友人などがいて、
それはおかしな関係だ、辛い、とおもっているのは間違っていない、と
自分が感じている感情を肯定してくれる人にであってもなお、

自分自身で、それを否定してしまう場合もあるし、
そうだよね、 と、サポートしてくれる人に力をもらって、
精神的にサポートしてもらって、
自分をこれ以上傷つけないために、関係を絶つ・距離をおく選択を勇気を持って出いくことができる場合もある。

でも、普通の感覚では想像できないほど、それは勇気がいることなのだ。
だって、距離をおく、となると
加害者は、猛烈に攻撃してきたり、非難してくるから。

辛いけれど恒常的に攻撃されてるほうが、一回のダメージは少ない。
猛攻撃が恐ろしくて、足がすくんで、距離がおけないパターンも沢山ある。
恐怖が自覚できているなら、まだいい。

もう、つらすぎて、「自分の感情を殺して」しまって、
ほんとうは、心はすごい恐怖をかんじているのに、何もかんじずに、攻撃下になされるがままに自分を丸投げしてしまい、再生不可能なまでに心をころしてしまい、 そして 肉体も殺されてしまうかもしれない。
その結果、PTSD,ポスト トラウマティック ディスオーダー という、実際の攻撃は過去のものになっているのに、あるいは今現在攻撃されていないのに、精神状態・身体状態に症状がでてくる。恐怖が植えつけられてしまっているのだ。


たとえ、このままの状況にいては、自分だけではなくて、子供たちも心がやられてしまう、と分かっていても。
大事な子供たちを守りたい、と思っていても、怖くて動けないのだ。
そして、子供たちを奪った、
お前は加害者だ、
と狂乱して攻め立てられるのを想像したら、
それだけで震えがとまらなってしまうこともあるのだ。

DVの被害者用のシェルターがわざわざ存在するように、
そして、逃亡に成功した場合は、決して住所を教えない、というのが鉄則であるように、
ほんとうにストーカー並に血眼になって追いかけてくるし、
見つけたら、ただじゃすまされない。


加害者も被害者も、人に指摘されても、なかなか自覚できない。
ほんとうに残念だけど、そう。
セッションまで来てくれる人は、自覚があって、どうにかしたい、という人だから、
その人の心が、ありのままでいることができる、そういう生き方は何か、一緒に探していけるけど、

プライベートで、そういう話を誰かがしていても、
本人に自覚がない場合が多いし、
理論的に考えて、それっておかしくない? と言っても、
うん、まあね~、 という反応を経験したこともあって、すごくもどかしい経験をしあこともある。


だから、少しでも「これって、おかしい?」 って自分で思えた人がいたら、
その芽が踏み潰されないうちに、プロフェッショナルなサポートにつなげることが出来たら、と思う。

これくらいは、辛いけど、大丈夫、
こういうのは、あたりまえの会話、ちょっとあのときは言い過ぎた・やりすぎたけど、
と本人が言っていても、
自分が思っていても、

傍からみたら、全然マトモじゃない場合ってある。

ああ、何とかならないんだろうか・・・・
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by totoatsuko | 2010-09-06 15:50 | Comments(4)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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