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風のかたち - personal reflection

映画をみながら、沢山の思いや記憶をたどっていた。
としごの弟が、目の前で血を吐いて発病して以来、
5年間入退院をくりかえし、9歳のとき死去。当時は、不治の病。
今なら8割は完治する小児癌。


小学校での休憩時間。
薬の副作用ですごく太ってしまった彼をいじめる子供の集団が本当にゆるせなくて、
必死に向かっていった。
やじうまがたかってるのを発見した先生が、止めにはいり、
後で、彼と私の教室に、他学年・他クラスのいじめ集団が謝りに来た。
あの出来事、あの時の憤り、あの大事な人を守ろうとする必死さ、久しぶりに思い出した。


危篤ときいて、祖母に連れられて病室に入り、必死に泣きながら声をかけたら、ふっともどってきてくれて、目を数秒あわせてくれた。
あの数秒間は絶対にわすれられない。

あの数秒間があったから、私と弟はちゃんとさよならが出来たきがする。

彼との日々。
彼がいた時の、いなくなった後の家族のかたち。

大切なひとを失うこと。
もう、この人とはおしゃべりしたり、お茶をのんだり、遊んだりできなくなること。

帰宅した後、彼は布団に寝かされ、彼と私の部屋には、彼がいれられるであろうお棺が、大きく横たわっていた。
ここに、弟ははいるのか。。。

久しぶりに、彼がこの世界から離れていったときのことを思い出した。
出会えてよかった。
ケンカもいっぱいしたけど、私の弟になってくれてよかった。
ほんとうに どうもありがとう。
たのしかったよ。

あたながいたから、今のわたしがいる。

初めて、成人したあなたを想像してみた。
思えば、どうして、こういう想像したことなかったんだろう?

あなたが生きていたら、どんな感じだろう?
どんな姉弟関係なんだろう?
どこに住んでいるんだろう?
わたしのこと、どんな風によぶかな?
あなたのこと、どんな風によんでたかな?

なんだか不思議だ。
やっぱり、あなたは 私のなかでは あのときから 年はとっていない。

会いたいな。
会いたい。
話してみたい。肌をふれあわせてみたい。

そもそも、あなたは あのとき死んだ、 と思っていたから、
失ったものについて、こういう風には思ったことがなかった。

でも、今もし あなたが生きていたら、 と思ったら
私の人生の色合いは全然ちがっていたはずで、
なんだか、ものすごく大きなものが、あなたがいなくなったせいで抜け落ちてしまった気がした。

でも、それはきっと違う。
やっぱり、そもそも、私とあなたのこの世での運命は、9年間だけだった。
だから、私は何もうしなっていない。
むしろ、あなたを思うことで、強くなれたり、励まされたり、みちしるべを示してもらったり、
あなたと私の関係は、生と死をこえて、まだ続いている。

映画 「風のかたち」は、それを再確認させてくれた。

細谷医師が言っていた。
死んだ子供は、みんなに何かをおしえていってくれる、と。

おとうとと私の、第3章が、今 始まった気がする。
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by totoatsuko | 2010-08-29 03:10 | Comments(1)

風のかたち

小児癌とたたかう子供たちと、彼らが毎年集うキャンプを10年に渡って取り続けたものを1本の映画にした風のかたち を見る。



なかま

つながり

しんらい

いじめ

つながり

しんらい

やさしさ

おもいやり

へんけん

なみだ

いかり

えがお


命をさずかり、 命が今 この瞬間つづいていること
そして、続いている命同士が出会い、ある関係がうまれ、こころ をかよわせる

それは、あたりまえのようで、 じつは とても類まれないであい まじわり

いのち の重み 
じぶんを おもってくれる人がいる、という重みを本当に知っていたら
そう簡単に うらぎったり すてたり 軽くあつかったり できない


もうすぐ死ぬかもしれない、
と思いながら闘病した子供時代をすごした人が

完治して、おとな になることができたら
ほんにんや そのかぞくにとっては
それは、びょうきを しなかった人より 全くちがう いのち に対する思いがある
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by totoatsuko | 2010-08-29 01:45 | Comments(0)

広岡西武、草食チーム

日経新聞、私の履歴書

今連載しているのは、高校が同窓の広岡で、親近感を持って読んでいる。

彼が選手として活躍していたころはしらないし、
西武を優勝に導いた監督として輝いていたころは、
野球は、親が祖父がTVでよくみていたが、広島カープはセ・リーグなので、
西武の試合は見たことがない。

なので、この連載を読むことは、
私の中で、知らなかった野球史の一部 を振り返っている感じ。

8月23日は、選手の食事の改造。
自然食を導入したことが、
すでに技術ができあがったベテラン選手たちが、
その技術を試合でいかすべく、毎日はつらつとグラウンドにでこられる体調管理につながった、
と書いてあって

1980年代に、すでに日本のスポーツ界でこんなことを監督という立場で推奨し、選手の家族まで巻き込んでやった人がいるのだ、と正直驚いた。

以下、抜粋
「今までスタミナづくりには肉はかかせない、得にスポーツ選手はたくさん食べないと肉体が維持できない、とされてきた。実際はその逆で肉の変中は血液を参加させ、疲労を招き、ケガを誘発させやすくなる。白米は精米の段階でビタミン類を失う。玄米や雑穀類は栄養価が高いうえに、自然治癒力を促進させる。

今なら常識に近いことがらだが、当時は「肉をたべないライオンズ」とか「ヤギさんチーム」と皮肉られたものだった。

###
今なら常識、と広岡は書いているが、 
いやいや、全然 常識 というには程遠い
1980年代と同じ、草食は皮肉られる、
というのが、今でも常識?だと思うのですけれど、

彼の住んでいる世界では、自然食が常識なのかしら?
それとも、私の住んでる世界が、彼の住んでいる世界とかけ離れているだけ?

###

折りしも、子供に「玄米と白米、どっちがつよい?」 と聞かれる。
ものごと、つよい・よわい、 だけが価値基準ではない、答えはないよ、とおもいつつ、
その年代の子供にとっては、結構大事な価値観。

昨日の新聞では、こういう風に書いている野球の選手がいたよ、
と、新聞をひっぱりだしてきて、広岡の文章をよんであげた。
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by totoatsuko | 2010-08-24 10:03 | Comments(0)

普通・普通じゃない

先の投稿で、子供の
普通、普通じゃない、
という発言。

日本的だなぁ、と思う。

だって、直訳したら
ノーマル、アブノーマル、
となるわけですよね。

アブノーマル、って
例えば、
abnormal psychology (普通じゃない心理) -DSM という普通じゃない精神状態についての辞書のような本があるのだけど、例えば、摂食障害、アルコール中毒、鬱、ナルシシスト人格障害、境界線人格障害、等、本当に「専門的な治療が必要」なくらい、その人が生活を送るのに問題をきたしている、周りに人も弊害をもたらす程、尋常ではない心理をさすとき、アブノーマル、という言葉を使う。


Web英語辞書 英辞朗によれば、
「異常{いじょう}な[のある]、基準{きじゅん}からはずれた、正常{せいじょう}[まとも]でない」 とある。



「普通じゃない」 
と日本人の誰かが言った場合、

それは、
その人がおもっている ”みんなと違う” というニュアンスであって、
本当に、 ”世界中” のみんな、じゃなくて、
”自分の知ってる世界の中の、その一部の世界” のみんなと
「同じじゃない」 というのの同義語、という風に、私には思える。

客観的に見て、異常な状態である、と言っているのではない、ということ。
「人と違う」 ことが 「異常事態」 と捉える人の言語選択だということ。

すごく、人と違うことを批判的にとる日本人の心理傾向が反映されている言葉だと思う。
(ただ、”ですぎた杭”というのは、打たれないのだけれど。)

アメリカだったら、個々人が人と違う、というのは意識の大前提なので、
「人と違うこと」 が普通であるかそうでないか、
normal or abnormalか?
という捉え方にならない。

たぶん、different(違う)とか、 unique (ユニーク)、とかスペシャル、
という言葉が選ばれるのではないだろうか。


不確定ですごく主観的な価値観をもつ言葉、「普通じゃない」 は、
日本社会では、ものすごいパワフルな影響を人の心に与えうる。
そう言われた人が、他の人からいじめにあったり、仲間はずれにされたり。

普通じゃないから=みんなと違うkら、、、だから、何?
とか、みんなと違うものを楽しみましょう 
とか、じゃ普通なもの、普通じゃないと思えるものとをブレンドして
その過程や結果を待ってみましょ、

って、なかなかならない。

幼児が、すでに 「普通じゃない」 という言葉を仕入れているのに、ほぅーー、
と思った母ですが、

概念や価値観の仕入先は関係なく、
仕入れたモノを鵜呑みにすのでは決してなく、
それを材料に、自分なりに考えて、自分なりの考え方を形成していく
そういう心の作業をサポートできる対話を重ねていけたらいいな、と思う。
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by totoatsuko | 2010-08-20 11:00 | Comments(0)

毎日がハプニング -ままはテンパリスト

d0065558_10365368.jpg最近子供たちが面白い。

ほんっとうに、おもしろいのだ。

最近マイブームになりつつあるおむつに手をつっこんで、中の粘土状のもので遊ぶ。
泥遊びさながらぐちゃぐちゃやっているのを発見して、
わーーー!!と叫ぶ兄、
その声で駆けつけた私が、もういっかいわーーーー!!!!!!
(怒ってもしょうがない。意味がない。泣きたかったけど。)

超特急ヘリコプターで、ブーーーーン♪ と風呂場へ脱出し、
ねっとりまみれのカラダを洗って、
あー、さっぱりしたねー
と微笑んで目をあわせると、まゆの上にも茶色いものがべったり。
わーーーー!!!!!!!!!

本当にさっぱりして、子供たちが、あたかも何もなかったかのように遊び始めたら、
私は、床や椅子に散乱した茶色いもののお片づけ。

以後、兄は、細かくにおいチェック。
「くさい!」 と早めの報告が入ります。


まぁ、そんな修羅場だけじゃなくって
今日は、こないだ着てたあのかわいい服着てよ、とか
ちょっと座って、 と言って、髪留めをつけてくれたり、
ままが作ったごはんおいしいから、こんど代わりに作ってあげるね、
とか、嬉しくなっちゃうことも言ってくれます。


あるいは、ハダカレンジャー!!! (スゴイ造語だ)
といって全裸で架空の敵と激しく戦い、
勝手に敵にやられて、床にころがって 
「うおー、やられた~」 とお腹をかかえてのたうちまわっていたり。
(ホント、おかしい。でも、笑っちゃいけません、本人、ホンキ。)

あるいは、
まま、どうしてウチは玄米で普通じゃないの?
ん? 普通?普通って、どういうことをさしてるの?

だって、みんな白いごはんでしょ?
そうかなぁ?みんなじゃなくない? 白の人もいるけど、●●ちゃんとか、●●君ちも、おうち遊びにいったら玄米じゃない? 玄米のおうちからみたら、白いゴハンのおうちは、普通じゃないってこと? 

んーー、普通って何?
なんだろうねぇ?なにをもって普通っていうか、ってこと、一緒に考えてみよっか?

という話も出来るようになってきて、びっくり。成長を感じます。


そんな話を友人にしたら、
そんなエピソードが満載のすっごい面白い漫画 ままはテンパリストがあるよ、と。

面白そうです!

子供の虐待の報道が増えているけれど、
お母さんに、ハプニングを楽しめる、笑いとばせる心の余裕や、体力がなければ、
お母さんが、そういう心理状態であれるための、周囲のサポートや生活環境がなければ、
お母さんが、何か嫌な思いを抱え、それに翻弄されていたら、
子供にあたってしまう、
それは、ほんとうにしょうがない、というか、
追い詰められた心理で子育てを楽しんだり、子供に優しくなんて、出来ないと思う。

だって、色々タイヘンだもの。

でも、 タイヘンさを感じながらも、すっごく楽しい!って思いつづけられたらいいな、と思っています。サポートしてくれている仲間やご近所さんに、大感謝。
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by totoatsuko | 2010-08-20 10:43 | Comments(1)

その場の人間関係を音楽に例えてみる

子供がとつぜんへそ曲げて、にっちもさっちもいかない状況になったときとか
子供どうしがケンカして、タイヘンなときとか、
私も対応しきれず、ギャーギャーを放置、

とか、
対応に困ったり、自分がきーーーー、っとなりそうになっているとき
子供が言ったこと、やったことを、パーソナルに取らず、

文句をいうことで、暴れることで、何を私に伝えたいんだろう?
どんな気持ちやニーズを表そうとしてるんだろう?

と、いっぽ引いて、頭をつかって冷静に対処する、というのは一つの手。

Garyの講演をきいたあと、ふとアタマで状況を解釈するのではなく、
この、わぁぁぁぁぁ っとなっている状況を「音楽」に例えると、今どんな音が鳴ってるだろう?
って想像してみよう、と思いつき、やってみると、
自分もクールダウンできるし、
なんだかとても面白かった。

現代音楽みたいに、不協和音がいっぱいな感じとか、
ストラクチャーがあいまいで、それぞれの楽器が好き勝手してるような曲とか、
カルテットみたいに、お互いがソロパートをせめぎあってるとか、
デュオでも、かたっぽが主で、どっちか伴奏で、 でも伴奏はふつふつと何かを溜め込んでる感じとか、

そして、面白いのは、
ケンカも、音楽に例えられると、ある一種のbeauty をもった作品になる、ということ。

例えば、
ケンカのはじめ、 なかんじのオーボエのイントロ
それに反撃、フルート
それとは関係なく、コンスタントに流れ続ける、コントラバスの音

それらが、メロディーやハーモニーを変えながら、音楽を展開していく。

例えば、、、
もういい! ってオーボエが音楽から離脱し、急な空白が譜面に生まれたら?
フルート とコントラバスは、どう音楽を続けるのか? いっしょに、突如音楽をやめるのか?

音楽が展開していくには、あるいは、終わるには、いろんな型、がある。
最初の主題のメロディーを、アレンジして、繰り返し登場させていくのか、
第二主題を送り込み、それから第一、第二主題を絡ませて、また第一主題に戻るのか?

ABA と展開してコーダ(曲が終わるためのメロディー)がこの曲にはつくのか、つかないのか?


この間は、じゃ、私は、第一主題の展開形だ! とおもって、
子供の怒った顔やしぐさやセリフを真似して、演じてみたら、
急に子供が大笑いをはじめて、
それで、また全く違う音楽の掛け合いが、子供と私の間ではじまった。

今、子供とのやりとり、子供との距離で、どんな音楽(それは、既成の曲である必然はない。)がながれてるかな? そう思って、今おかれている自分の状況を想像してみたら、結構たのしい。

子供との関係だけじゃなくって、
コミュニケーションがうまくいってないときだけじゃなくても、
そこで奏でられてる音って何だろう? って思ってみる。

幸せだなぁー、と感じていて、
そこに存在する音楽を心の耳できくことができたら、
幸せかんが、倍増する。
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by totoatsuko | 2010-08-16 23:09 | Comments(0)

なんでも凍らせちゃえ!

歩いていたら、今度はちっちゃなフリーマーケットに遭遇。

3店舗のうち、1つは農家のお店

茄子の種類が6個くらいおいてあって、
白茄子の、その美しいこと!

白くて、つややかで、すこし腰がまがってるのがまたセクシー。

言われたとおり焼き茄子にしたら、
身がこっくりあまく、とろりとした食感。
最高!

それから、店頭で、冷凍スモモも売っていて、
これぞ天然シャーペット!

なので、今ウチには、まるごと買ってきたままのスモモとぶどうと
いただいた梨のスライスが、冷凍庫の中でごろごろしてます。

バナナは冷凍よくしていたけど、
こういう水分の多い果物を冷凍すると、シャーベットの食感になるんですね、忘れてた。
あつーい時には、とってもおいしいです。

既製品をかってこなくても、あるものを冷凍庫に入れちゃえば、おいしいデザートに。

そいうえば、子供の間では最近冷凍パンをそのままかじるのもはやり。
「冷たくておいしぃ~」 と言っていました。
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by totoatsuko | 2010-08-10 12:29 | Comments(0)

living dreams - 養護施設の子供対象 アートキャンプ

メンターとして関わっていた企画の写真がアップされたのでご紹介

上、クリックしてみてください、雰囲気が少しでも伝わるかしら?

d0065558_23593813.jpgこれは、ちょっとちっちゃくて見えづらいけど、画家のカノートモカズさんのワークショップで、子供7人くらいでつくった動物たち。


恐竜とか、タイガーとか、体育館の上のほうから、見下ろしてます。




d0065558_00863.jpg



これは、童 飛鳥さんリードによす、子供たち全員による、横幅10メートルの絵。
テーマはサーカス




アートは、その利用の仕方や楽しみ方に「~ねばならない」というルールがないから、
その人、その人のスタンスで関われるのがステキだと思う。

もちろん、学校教育や育った環境などの中で、
「アートとはこうであらねばならない」、というのを
「無意識のうちに」自分に刷り込み制限しまっていて、
描くこと、音をかなでることを全く楽しめない関係を
自分自身で無意識に作り上げている人はいっぱいいる。

それは、プロ級のアーティストにすら言えることで、
自分がかかわってきた、築いてきたアートとの関係にとらわれている場合もある。
「とらわれている」という自覚はないのですが。

。無意識というものの
。無意識に存在するものの 
影響力。

作品には、必ず無意識の要素は反映されている。
見る人が、聴く人が、作者が、演奏者が気づくくらい顕著にでるか、
ほんとうに微妙にでていて、
随分後になって、あああの時自分はこうだったから、こういう色を音を選んだんだ、
と気づいたり、気づかなかったり。

音楽家との音楽心理療法
アーティストと、音楽と色を使ったセッションのケース、
いくつか読んだことがあるのを覚えています。

ああ、そういえば、ミュージシャンの方とセッションしたことありました。
あの方、どうされてるかしら。
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by totoatsuko | 2010-08-09 00:00 | Comments(0)

8月26日の映画「ご縁玉」上映&チェロコンサート@月島のお知らせ

友人がボランティアで関わっているプロジェクト。
監督もフランスからいらして、
出演者によるプロの演奏つきです。

映画、というよりはドキュメントみたいなかんじでもあるのですが、
去年公開されたとき、私はいっぱい人間のあったかさや生きること、
を感じながら泣きながらみました。

好きな人は、すきだろうし、
こういうことに全然興味がない人は、まったくつまんないだろうな、と思ったりしながら、

以下、案内メールコピペします。

###
今月26日(木)午後7時から、東京・月島で、2008年11月に49歳で他界した大分・豊後高
田の養護教諭「山ちゃん」こと山田泉さんにまつわる映画上映とチェロコンサートを催します。
山ちゃんが限りある命を見つめた最期の時間と、そこで起きた奇跡のような交流を追いかけたドキュメンタリー「ご縁玉」を上映するとともに、この映画のもう1人の主役の仏人チェリストでベトナム孤児の男性が来日するので演奏してもらいます。この映画を撮った在仏の江口方康さんもいっしょに帰国します。

「ご縁玉」http://ciema.info/index.php?itemid=647は2009年キネマ旬報文化映画ベスト8に選ばれました。チェリスト・エリックマリアは、現代音楽の巨匠ブーレーズに見出された若き才能。上映後のコンサートでは、映画で流れたバッハの無伴奏などを弾いてくれる予定です。定員240人。あと50人ほど余裕がありますが、これからはスピードで埋まってしまうと思います。ご希望の方は、是非早めに、こちらからhttp://blog.goo.ne.jp/goendama_2010、アクセスいただき、専用アドレスにお申し込み下さい。定員に達したら締め切ります。料金は2000円です。


★ちょっとだけ映画のあらすじを★
 山ちゃんは乳がん2度目の再発から数ヶ月後の2007年秋、「最期の海外旅行に」 と滞在したパリで、偶然知り合った仏人チェリスト男性との出会いと交流しました。チェリストは別れ際に渡された五円玉を握りしめ3ヶ月後、 大分の山ちゃんの元へ「楽器で病気を癒す」とやってきます。

       【なんで、そんな簡単に外国人が大分の田舎にまで来ちゃうの?】
と、素朴な疑問が沸くのですが、これは彼女のお腹に多分埋め込まれている「人間磁石」の仕業。実はこのチェリスト、元ベトナム戦争孤児で生後間もなく捨てられ、9ヶ月で仏人夫妻に引き取られた人です。ルックスも日本人みたい。 山ちゃんは、初めて日本に、しかも、かなりのどかな豊後高田にやってきたこのチェリストを、自分がボランティアとして 長くかかわった児童養護施設や最期を迎えることになるホスピスなど、 方々へ連れ歩きます。

でも、この二人、言葉が通じません。山ちゃん、先生のくせに英語超下手(笑)。なのに、ぐんぐんと「心の距離」を縮めていく様子が見事です。


★以上、ここから私の感想をちょっとだけ★

何とも言えず温かい映画です。 「相手を思いやる」という目に見えない行動のオーラやメッセージが観客にしっかりと伝わります。なぜか?それは、きっと登場人物は「本当の苦しみ」を知る人たちだからと感じました。

 一番身近な人に裏切られたり
 傷つけ痛めつけられたり
 命の限界を見せつけられたり
 自分ではどうすることもできない淋しさをまとっていたり

ただ、映像に映った人々の表情が、皆ものすごく良いですj。 これが、とても印象的。
私は記事を書くためなどで10回以上も観ましたが、ある時、ふと、「いいなぁ。こんな風に
人は笑えるんだ。 こんな風に誰かと自然に触れ合っていきたいなぁ」と、なんともいえず嬉
しい気分になってことがあります。貴重な機会なので、是非どうぞ。

詳しくはhttp://blog.goo.ne.jp/goendama_2010で。
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by totoatsuko | 2010-08-07 09:48 | Comments(0)

Gary Ansdell の講演をきいて

Gary Ansdellの講演@国立音大

内容が、私にとっては、
とてもinspiring (刺激的、というニュアンスとはちょっと違うのだけど)で、
勇気付けられるもので、
とっても感動的だったから、
なおさら、満席でない会場をみて、とても残念に思った。

まだまだ、講演を聞いて思ったことなどは消化中。
今後、少しずつ、自分なりに消化したものを、自分の言葉でかいて、
みなさんとシェアしていきたいと思っています。


音楽療法の深い内容とは別に、
自分が音楽療法の学生時代に授業できいていたようなことを聞く、ということは単純にとても懐かしく、
あのころの若々しく初々しい音楽療法に対する希望とか情熱みたいなものや
当時やっていた具体的なセッションの中で感じていた自分の感情や
敬愛する音楽療法士であり先生でもある人たちの顔や
あの頃の毎日の日々に感じていたことなど

いろんなことが思い出され、飴玉を舌の上で転がすように
ゆっくりとあじわいました&味わってます。

講演の締めくくりに、若い精神科医で精神病の底の辺りから抜け出した後、
回復期にGeryとやったいちセッションが紹介されました。Geryがピアノで彼が歌。
その場で、即興で作られた歌。
そして、精神科医の言葉は印象的。
ノートにとっていないので、言葉はそのとおりではなく、
あくまで私の主観的な解釈と自分なりの補足と、
無意識のセレクティブな記憶にたよってそのコメントを再現してみます。

あくまで、「薬」で、人の精神状態を治そうとする立場の精神科医が
音楽療法を通して自分の心の状態の決定的で根本的な変化を体験した後の言葉、
ということで、とても重みがあります。

###
音楽を即興でつくっていく、ということは、希望をつむぐことだ。
セッションの中で即興を重ねていくと、
次にどの音を選ぼうか、と考えるプロセスは、まさに希望をつむぎ、道筋をつくっていくプロセスだった。

どんなに絶望していても、(Geryの)音楽は常にそばにしてくれるし、待ってもいてくれる。
自分の音が静止していても、Geryと一緒なら、静止している、という音楽・状態を、
一曲の音楽の一部として意味づけてくれる。

自分が、音が静止しても、そこで音楽はおわらなかった、
そして人生も終わらなかった。

静止は、音楽の中に必要な「休符」として存在が位置づけられ、
静止状態の音のない状態のもつ静寂がもつ豊かなエネルギーを「味わう」ことで、
次に新しいフレーズを「生む」動力が働く。
新しく始めたい欲求が高まる。
###

そうそう、そうそう、そうそう、、、
音楽ってスゴイのだ
プロフェッショナルにつかったら、本当に信じられないようなプロセスを、変化を、クライアントの無意識がずっと求めていた生き方や、感じ方や、人や物などの関わり方にうみだしていくのだ、とても自然に、自発的に。

決して、多くのカウンセリング、と呼ばれているセッションでもらう、
外からのアドバイス的なものに導かれて、というのではなくて、
自分自身の中からの、
本当に自分の心が穏やかになれて、素直になれて、
かつ自分でも知らないようなクリエーティブな解決や回復や変化への道のりが、

まるで、「音楽が展開していくように」 心に、人生におこっていく。

そういう自発的な変化を支え、見守らせてもらえる、というのは、
たとえその過程がものすごくクライアントにとってもセラピストにとっても大変なときがあるとしても
本当にセラピスト冥利につきる。
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by totoatsuko | 2010-08-04 22:12 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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