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カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

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母を訪ねて三千里

ユングは、心理プロセスで起こる心の状態の変遷の普遍性を、神話やおとぎ話の中に見出した。神話やおとぎ話で繰り返し扱われるテーマは、人間の心が時代を超えてかかえているテーマなのだ。

言い換えれば、今自分がどんな神話を生きているのかをセラピーでプロセスすることにより、自分の過去や現在をよりよく理解することに繋がる。

例えば自分にとってはサポーティブではなかった親をもち、精神的に辛い幼少時代を過ごした主人公が、青年期以降に真の親を探しに行く旅に出る、というテーマはおとぎ話しによく出てくる。

旅に出るには、自分は幼少時代辛かった、自分の親は自分にとって有害だった、というのに、少しでも気づかなければならない。無意識のレベルで気づく、というのでもいい。とにかく気づく。問題意識を持つ。それが、自分を心の旅へ、自分が新たに生まれ変わる旅へと駆り立てる。

自分の親が自分にとって有害だった、と少しでも気づくのは辛いことだ。
虐待する親をもった子供ですら、自分の親は自分を愛してくれている、くれていた、と信じている人だっている。私たちは明日程度の年齢になるまで、ご飯を与えてくれて、身の回りの世話をしてくれる人がいなければ、生きていけない。だから、その人が他にどんな仕打ちを自分にしようとも、その人は自分を愛してくれている、と自分に言い聞かせ、感情を殺して、その人にすがって生き延びるしか命をつなぐ方法はないのだ。

仮に、何かこの関係はおかしいんじゃないか、と気づき、その関係から離れよう、逃げよう、としても、執拗に追いかけられ、非難され、もっとひどく虐待されることもあり、もっと辛い心理状態に追いやられるので、気づいたことをかき消し、引き続き感情を殺して生きる道を選択してしまう。


自分の母親は、自分にとってどういうアーキタイプ(物事の普遍的なものを象徴するシンボル・イメージ)だったのか?ものすごく強い母性をもち、それが時には子供をカオスへと取り込んでしまうゼウスの妻、ヘラ 的な存在だったのか?それとも、生殖と豊穣の神アフロディーテのように、永遠の恋人タイプ -一つのところにとどまらず母性とは無縁の女性だったのか? ギリシア神話だけではない。 ヒンドゥーや仏教の神にもアーキタイプは見出せる。そして、それら神々の人生の中にも、自分の人生を見出すことができる。

自分の父親もしかり。 ゼウス? ポセイドン? ツキヨミ? e.t.c.

自分の親が自分が必要としているもの、いたものを与えてくれない存在だったら・・・
探しに行けばいい、自分にとって親のような存在の人を。
それは実在の人物でないかもしれないが、必要な愛をサポートを指針を示してくれる象徴的な存在。
それは辛くて遠い遠い道のりになるかもしれない。
でもきっとみつかる。
音楽心理療法・GIM-Guided Imagery and Music のイメージの中でクライアント達が見つけていくのを見てきたから、そう言える。

ーGIMのトレーニングでは、自分はどの神が象徴的にもっている要素に当てはまるか?というエクササイズもやりました。この作業を通して、神々の性質を学んでいくのだけれど、結構面白かったです。
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by totoatsuko | 2010-02-26 04:54 | Comments(0)

保育に欠く理由

保育園は学期末、継続申請の書類を提出する時期だ。
就労証明には、いつも祖父母の居住地と年齢と「保育に欠く理由」を書く欄がある。

いつも思う。
自分の生活があり、孫の保育に日常的に参加したくないから

と書いても、正当な理由とみなして貰えるかな、と。

祖父母は親族だけど、子育てにどうかかわるか、は彼等だって決める権利がある。
たとえ働いていなくて自由な時間があったとしても、自分の時間やエネルギーを孫のために使うかどうかは完全に祖父母の自由だと思うのだが。。。

同居してるから、近くに住んでるから、あるいは生存してるから、孫の面倒みれるでしょ、というスタンスは、子供や子供のパートナー、あるいは孫との関係だって色々あると思うから、私にとっては違和感を感じる。

日本語にあって、英語にない表現のひとつ
あうん の関係
何も言わなくても分かり合えて、協調し合える関係という意味合い

それは、ジェネレーションギャップや、個人のライフスタイルや価値感の多様化によって昔より大きくなっている現代で、何も言わなくても分かり合い、相手をニーズを察して助け合う、というのはとても難しい。察することが出来ないくらい価値感が違い、ライフスタイルが違う。

自分や相手の境界線はどこなのか、察しあうのではなく、ちゃんと確かめあって尊重するべきだと思う。それは保育領域にとどまらず生活の色んなシーンで。親子だから、夫婦だから、・・・してくれるのは、するのは当然・・・ではない。親子でも、夫婦でも、家族でも親友でも、出来ないことは出来ないし、距離は大小であれ、必ず必要なのだ、いい関係を保つために自分がいい状態でいるために。

書類は書類、事務的なものだけど、きっと時代が変わっても変わっていない記入内容なのだろう。祖父母は仕事やってなければ孫の世話に関われるよね、というニュアンスを書類から感じて、んんんんーと考え込んでしまっている私のぼやきでしたー。
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by totoatsuko | 2010-02-19 21:55 | Comments(0)

時間の問題なのではない

年末急にはかどった論文関連の作業が、ここ1ヶ月まったくできていなく涙。

時間だけの問題ではないのだ。
例えば、出産前後数ヶ月は、いつもより時間があったはずだけど、全然出来なかった。
例えば旅行中、本を沢山持参したけど、旅先でカタイ本を読む気にはなれなかった。

気持ちの切り替えとか、エネルギー配分がキー。
それがなかなか難しい。
調べものをする、というのはまとまった時間が必要なのに、つい別の事が気になったり、お茶を一杯飲んでから、、、とずるずる。。。

もう今週はやるのをすっぱりあきらめて、今目の前の作業に気持を集中しようと思います。
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by totoatsuko | 2010-02-19 12:37 | Comments(0)

料理から感じたエネルギー

広島の大学で講義するのに、広島の実家に数日間滞在。
久しぶりに母親の手料理を口にしたら、すごくやさしいエネルギーだった。
いままでそんなこと感じたことがなかったのだけど。

自分がつくったお味噌汁とくらべて、なにかやわらかな感じのするお味噌汁だった。
材料は同じなのに。

不思議。

でも、こういうのは不思議でもなんでもなくって、調味料で味が変わるように、作り手によって、作り手の気持ちや体調によって、風味がかわる、というのは当然なのだろうな、とこうもはっきりとエネルギーの違いを感じさせられたら、そう確信せざるをえなかった。

だから、紙に書き落とせるレシピは秘密にしなくても、自分にしか出せない味は自分にしか出せない。
同じレシピを見てつくっても、作り手が違えば、作る季節が違えば、「明らか」に別物のお料理が出来る。
まぁ、そんなことに注意を払っていなければ、違いも気づかないだろう。
事実、私もこのたび母のお味噌汁をいただくまで、こんなにくっきり感じたことはなかったから。

ミュージックセラピーも同じ。
同じテクニックを用い、同じ理論をもっていても、セラピストによって、クライアントによって、内容は全くちがうものになる。
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by totoatsuko | 2010-02-15 21:41 | Comments(1)

文楽 曽根崎心中

文楽の 曽根崎心中、みてきました。
人形遣いも三味線も太夫も国宝級の競演。
今の時代とは比べ物にはならないくらいの 世の不条理。
お初のういういしさと 毅然とした強さと 
やりきれない2人の追い詰められた思い

同じ文楽でも 演じる役者と素材によって、完成度はこうも違うものかと。

頭がキンキンしました。
いまだ余韻 さめやらず。
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by totoatsuko | 2010-02-15 21:37 | Comments(0)

講義@広島文化大学

先日、広島文化短期大学(この四月から4年制の大学になる)で、音楽療法の学生向け&卒業生向けにGIMについてワークショップしてきました。GIMという名詞は聞いたことがあるけど、実際どういうものか知らない、ということだったので、1.5時間のほとんどを、理論は完全に横においておいて、体験中心にしました。

元来GIMは個人セッション用につくられたテクニック・アプローチなので、いつもグループ対象にやる場合はすでに純粋なGIMを体験していただくことは出来ないとお断りしています。ただ、そのエッセンスは参加したその人なりに感じ取っていただけたら、という思いで講義?の内容を組み立てます。

久々に教壇に立ち、学生や現場の療法士の方々と交流できて楽しかったです。

こういう場で、GIM的体験に感動して、どうやったら自分のクライアントとのセッションにこのテクニックのエッセンスを使えるか?という話になることがよくあるのですが、、、ひとつ私達がセラピストとして忘れてはいけないことは、自分が面白い、効果的!と思ったことをするのではなく、あくまでもクライアントのニーズやセッションの目的に合うものをやる、ということ。もちろんGIMっぽい手法がクライアントにとって意味がある体験となりそうなら、使ったらいいとおもいます。

ワークショップで感動して、学んだことを実際つかってみたい! と思ったら、まず自分に使ってみたらいいかもしれません。自分が曼荼羅をかいたり、書いたものをプロセスしてみる。あるいは、同僚同士でセラピスト&クライアント役になって練習セッションをしてみる、とか。

終了後、ワークショップにも参加してくれた、4月から広島文化大学 音楽療法科の専任講師になる友人の狩谷美穂さんと話す。広島で大学の専攻科目として音楽療法をもっているのはここだけなのだとか。仲間同士のピアースーパービジョンー仲間同士で自分達のクライアントについてお互いアドバイスしあう。雑談や愚痴大会ではなく、お互い専門家同士としてディスカッションする、あるいはスーパービジョンー自分より経験がある人から客観的なアドバイスをもらう、というのを、セラピスト自身の成長のために、セッション内容の向上のために、根付かせていきたい、と言っていました。とても賛成です。
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by totoatsuko | 2010-02-15 21:29 | Comments(2)

仮面をつけたりはずしたり

人はみな仮面/persona/パソナ を使い分けて生きている。
人はみな、一つ以上の役を演じることを求められ、生きている。

会社員であり、息子であり、どっかの行きつけの店の客であり、e.t.c.

この間、退職を機に社会から孤立した男性のドキュメントをみたが、彼は会社員、という仮面と他の仮面をその時々に応じて使い分けることができず、いわゆるモーレツサラリーマン という役柄のみを数十年演じ続けた結果、体を壊し、熟年離婚し、会社員以外の仮面(夫、父親、住んでいる地域の住民 等)を演じる必要がなくなり、誰からも文句をいわれず、心おきなく会社員の仮面をつけていられるようになったとき、会社員生活を終え、社会から孤立してしまった。会社員時代に出来た友人は、会社員の仮面を脱いだと同時につながりは消滅してしまった。

誰も彼に会社員という仮面をはずしてはいけない、と言ってはいない。家族との時間をほとんどもたず、父親や夫の仮面をかぶらない、と決めたのは意識的ではなかったかもしれないが、彼の無意識の選択だった。ただ、彼は当時は気づかなかった、自分が会社員の仮面を脱いだことが無い、というのを。それゆえ、家族との関わり、社会との関わりを失っている、ということを。

母親という仮面も、すごく外しにくい仮面だと自分の経験を通して思う。
小さな子供って常にお母さんを求めてくるし、それに応えてあげたらすっごくステキな笑顔を返してくれるから嬉しいしもっと被っていたい、と思う。本能的にも子供と肉体的に離れるのに不安を覚えるお母さんもいるから、そうするとなおさら瞬時もお母さん仮面をはずしにくい。お母さん業から離れること、離れて、例えば一人旅に行くことに罪悪感を感じたりもするかもしれない、自分の内面から、あるいは社会的な批判を受けて。そして結果的にはずすのを、一人旅に出て、他の仮面を演じることを、他の人生の側面を体験する事をあきらめる。

子供が成長して、そんな感じのお母さんが子供との関係の中で必要とされなくなっても、何十年もはずしたことが無い仮面だったら張り付いてとれなくなってしまうのも理解できるきがする。

出来れば、色んな仮面を自由に自分が付け替えたいときに付け替えながら生きていけたらいいのに、と思う。
仮面をかぶる「自分」がいつ、どんな仮面をかぶって、どんな役を演じ、楽しむか、生きるか決める。

周りや自分の罪悪感から無意識のうちに知らずしらずなんだかよくわかんない仮面をかぶって求められるがままのキャラクターを演じて、本当の自分が分からなくなってしまわないといいな、と思う。

プラス、仮面を与えられるのを受身いるのではなく、演じてみたい仮面・仕事・役割 があれば、自分から作っていけたら、もっと人生がカラフルに主体的に楽しめる、あるいは修羅場をくぐっていけるのかもしれない。
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by totoatsuko | 2010-02-10 05:27 | Comments(0)

おしらせークライブ ロビンズ氏講演会

ノードフ ロビンズ音楽療法の創始者の一人、クライブ ロビンズ氏の講演会が
3月17日に東京 洗足学園
20日に京都で行われます。
京都の詳細は↓
日時:2010年3月20日(土) 午前10時30分~午後3時30分
場所:同志社女子大学純正館S013教室
(京都市今出川校舎、京都御所の真北、最寄り駅地下鉄今出川より徒歩8分または京阪
出町柳より徒歩10分、駐車場無し)
参加費:一般 8,000円  学生 4,000円
定員:250名
申し込み:メール先(mailto:emiemiemyy@yahoo.co.jp)
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by totoatsuko | 2010-02-10 04:55 | Comments(0)

みにくいあひるの子

women who runs with the wolves という本を読んでいる。
まだ全部目を通していないのだけど、心の中でもやもや考えていたことをうまく書いてくれていた。

赤ん坊は保護者なしでは生きられない。
自分の足でごはんをみつけ、天敵や悪天候から身をまもるすべを身につけるまでは。
それだけではない、人間の私達は精神的な支えとなる人を求める。幼少時、多くの場合それは親だ。

しかし自分の産みの親が、自分の心の魂の本当のお母さん・お父さんであるとは限らない。
虐待する親などは分かりやすい例かもしれないが、そうじゃなくて、とくに大きな問題を親子の関係の中で持っていなくても、その親子関係は「親子関係」でないかもしれないのだ。

血がつながっている、という理由だけで、
親が100パーセント自分の子供の望む親の姿であることは出来ないし、
子供も自分の理想を親に見出す、求めることは不可能な場合が多い。

醜いアヒルの子のように、親と思っていた親は自分が必要な愛情をくれなかった。
他の兄弟からも疎まれ、追い出されてしまった醜いアヒルの子はお母さん探しの旅にでた。
たまたま、このアヒルの子にとっては辛い家庭環境、家族との関係だったのだが、他のアヒルの兄弟にとってはすばらしいお母さんで、居心地のいい家庭環境だった。

さまざまな困難を通り抜けた後、醜いアヒルの子は白鳥のお母さんを見つけ、自分と似た様な姿をしている子供の白鳥をみつける。

この物語では、生理的母親でないアヒルの元で孵化したがために不幸せだった白鳥の子が、自分の生理的母親を見つけてハッピーになる、という関係のダイナミックスだが、women who runs with wolves の筆者がこの物語を通して言いたかったのは、「自分の母親」とされている人から「自分にとって母親から必要としているもの」を受け取れないことも普通にある。そういう場合は、その母親を責め、その関係の中でもがき続けるだけではなくて、自分で「精神的な母親」 soul mother とでも言おうか、を探しにいく旅にでればよい、という事。

自分を産んだ母親が、生理的な父親が、自分にとっていい存在でないからといって、その人たちが悪い人なのではない。ただbad matching・ 相性があわなかっただけ。 血が繋がってるから仲良くあるべき、といわれても、そうあれない場合だってあって、それは誰が悪いわけでもない。たまたまアヒルのママを持った白鳥だっただけ。

同じようのアヒルのママが自分には理解出来ない子供を持ったとき、むりやりアヒルとして育てようとするより、理解できない子供が必要とするサポートや母親役になってくれる人を見つけてくる手助けをするような関わりを持てば、理解できない子供と傷つけあう関係を回避できるはず。

とはいえ、頭で分かってもなかなか自分の親や子供に期待する気持ちはそう簡単に変えられない。でもセラピーでその気持ちをひとつひとつ拾って気持ちに向かい合っていったらきっと自分のsoul mother/ soul child をみつけよう、って気になれる。自分の親が心の親でないことも、それは辛いことでもあるけれど、受け入れていく道のりを見つけられる。そして、自分の親と、子と、「親子関係」というものに対して自分が持っている先入観によって縛られてしまっている自分達を超えた関係を築くことができる。

自分の母親に、母親を求めなくてもいいんだ、無理に、この母親の子供、という役を演じなくてもいいんだ。
みにくいアヒルの子は、自分の母親を探しに行った。アヒルのママはこの子を自分の子として育てるのを放棄した。お互い一緒にいてお互いにとってよくない、という悲しい事実を受け入れて、それぞれが決断した選択。

この世の中に、私の魂のお母さんがいて、見つけようと思えば見つけることが出来るんだ、とおもったらすごく気持ちが明るくなった。それも、一人だけじゃないかもしれない。

もしかしたらもう出会っているけど、気づいていないだけかもしれない。
その人と精神的な母親&子供、という繋がりを築けるはずなのに、気づいていないから友人・知人どまりになっているだけかもしれない。自分を心から愛し、心から受け入れ、心から応援し、疲れたときは何も言わずに暖かいベッドを用意してくれる、一番の理解者。私にとっては誰かな・・・・

明らかにその一人は、NY時代の私のセラピスト。私が生まれ変わる手助けをしてくれた彼女。

P.S この文の「お母さん」は「お父さん」にも置き換えて読んでもいただけます。ただ、お母さんという女性性に求めるものと、お父さん父性性に求めるものは全く違ってくると思います。
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by totoatsuko | 2010-02-02 15:14 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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