カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

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ドラムサークル@新宿 

2月14日に新宿3丁目で友人がドラムサークルをやります。

興味ある方は是非ー。
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by totoatsuko | 2010-01-30 10:58 | Comments(0)

パソナで生きる

昨年の夏、サマーウォーズ という日本のアニメ映画を見た。
ここ一週間で、サロゲート(surrogate)、とアバター(Avatar)、という映画を見た。

1つ目は面白いよ、と進められて。2つ目は飛行機でやってたからなんとなく、3つ目は映画史上最高売り上げを達した映画タイタニックの監督・ジェームス キャメロンが、3Dで撮った映画で、現在自分で自分の収益記録を塗り替えている今アメリカで話題の映画だから。

偶然だったのだけど、全てに共通しているのは、自分が、仮の姿(肉体)で世界を生きている、という点だ。
それくらい、アバター、という概念が浸透しているのを反映しているのだろう。

サマーウォーズは、インターネットの世界に生きる世界中のアバター達。その中の一人が凶暴化し、アバターの生きる世界を破壊し、それは現実の世界の破壊に直結していく。

サロゲート(訳すと、代行人?)は、自分のサロゲートが車にはねられてぐちゃぐちゃになっても自分は全く傷を負わない。人々は世の中を危険なので、家でマシーンに横になってアイマスクのような装置をつけると、別の肉体が代わりに街にでて仕事をしたり買い物をしたりスポーツをしたりする。その容姿やスペックはお金をつめばどうとでもなって、50歳でも10歳のような容姿でいられることも出来る。サロゲートが、例えばやけどしても、自分の肉体は傷つかない。耐えられないシチュエーションになれば、即座にマシーンを頭から外せばすぐに逃避できる。

映画・アバターも、サロゲートと似ているが、自分のアバターが撃たれると自分の肉体も傷つく、という点で違う。ただ、危ない!と思ったとき、さっとマシーンから離れればアバターの肉体から抜けることが出来る。

いずれも、ネットの世界でハンドルネームやアバターを通じてコミュニケーションが増々活発になっている流れをくんだ映画たちだと思った。ただ、どんなにアバターによって演じたい自分、理想の自分を生きていてもそのギャップは決して埋められない。

ネットの世界では、現実の世界よりももっと簡単にパソナ(仮面)をつけたり外したりできるし、もっと色んなパソナを演じる、楽しむことも出来る。現実の世界では、否が応でも演じさせられる役割があり、それは時にものすごいストレスになるから、ネットの世界でそういう風に自由に出来るのって楽しい。

でも、忘れないで。
パソナはパソナ。アバターはアバター。
自分は自分。
仮面をつけることで現実逃避はできても、生身の自分の心の痛みは決して癒されない、希望は満たされない。 自分があってのアバターだから、自分の生身、大事にして欲しい。生身の心の声もきいてあげて、生身の自分と向かい合い対話することも忘れないで。
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by totoatsuko | 2010-01-30 10:40 | Comments(0)

モーニング・クライング

昨日は、亡くなった親友といつも一緒に車で行っていたNYから2時間ほどのところの先生宅に亡くなった友人を含んで2人のクラスメイトのうち、もう一人のクラスメイトも来て合流。一晩をすごす。

泊まるお部屋を用意してもらったのだけど、彼女と一緒に学んだ部屋からどうしても離れる気になれなくて、ブランケットに包まってソファーの上で彼女と過ごした時間を思いながらうとうとする。

朝になると、なんとなくみんなこの部屋に集まってきて、静かなひと時。
それから、彼女の思い出や、この出来事に対する怒りや悲しみをぽつりぽつりとみんなで語り合い、一緒に泣いた。とても大切なプロセスだった。

GIMのトレーニングは終わっても、ここは私たちの変わらないネスト/巣 だったよね。
でも、もうここには彼女は帰ってこない。
悲しいね。

私は、まだ怒りが収まらないわ。
just it should not have happened. 起こっちゃいけないことだった。

そうそう、いつも Excact!(exactly じゃない)て言ってたよね。

それから軽く朝食を食べて、2時間ドライブして、メモリアルサービスがとり行われたNYの病院へ。
彼女の写真がのった式次第のパンフレットが用意されている。
stone service といって、参加者は、前におかれた水のはいった大きなたらいに、沢山用意された石を入れていった。日本で言うと焼香のような儀式。彼女のインターン時代のセッションの様子や、最近ヨーロッパのTV局に取材された映像を紹介してくれ、間・間で彼女が未熟児などにつかった子守唄も、彼女のインターンや仲間によって演奏&合唱された。

とてもパーソナルでintimateなサービスで、ますます涙が出てきた。
久しぶりに逢う仲間や先生にも出会って、
「あれ?篤子って彼女とそんなに親しかったの?」
「そうなの。GIMのクラスでずっと一緒で、、、」と話していると涙がまたあふれてきて、そしたら友達が
「come here and stay in my arms for a while.」 その腕のなかがとても温かかった。
儀式や仲間と一緒に泣いて、気持を共有するの、繰り返し泣いて、怒って、記憶をシェアするのって、グリーフプロセスにとっても大事。

最後に、、、周りの協力がなかったら私はこれに参加するために日常を離れることができなかったはず。改めて、家族や友人達に感謝でいっぱいです。
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by totoatsuko | 2010-01-27 19:41 | Comments(0)

ルービン美術館

d0065558_16111142.jpgユングの Red Book という凄く分厚くて大きくて美しい本があるのを最近知って気になっていたので、先生にそのことを話したら、NYのルービン美術館で今みれるわよ。

<写真は美術館のHPから>


NYのJung foundation book storeではもう完売でおいてなくて見れないから、興味があるならそこに行くといいわ。

と言われ、そんな美術館あたっけ?と思いながら住所の場所にいくと、ありました。
昨年10月にOpenしたばかりのNYで一番新しい美術館なのだそうです。

JungのRed Bookの特集が組んであったほかに、曼荼羅や仏教とは少しちがうJainという宗教の存在についての展示もすごく興味ぶかかったのだけど、なんだか気が遠くなって、自分のunconsciousと人のunconsciousが深いところで繋がっている、というのをなんとなく感覚的にふぅっ と感じた瞬間は、映像で、まず地球儀のチベットの国の上空から見た画面からどんどん遠ざかって・ズームアウトしていって、地球から100万年、1000万年離れた所からみる地球(あるいは、もう地球は散っちゃ過ぎて銀河系の一部となっている風景)をみせてくれる。 

そしたら、地球なんてほーんとに数え切れないくらいの小さな小さな、もう目に見えない小さな惑星の一つになっていて、でもその一つ一つが銀河系を組み、その銀河系が!星の群れをなして、宇宙のほんの限られたスペースだけ!を埋めている。加えて、その宇宙の事で分かっているのはほんの一部。

惑星の誕生の写真があって、1週間カメラのシャッターをエクスポーズしたままで出てきた画像。
これは、100万年前の星の状況を捉えたもの(光が届く時間を計算したらそうなるらしい)、と解説をよむと、100万年!

なんだか、自分が地球がちっぽけなちっぽけな存在に感じられて、
一瞬地球が滅ばないように何とかしよう!ってかんばるのって意味がないように錯覚してしまった。
何兆億だかなんだかの惑星のうち、地球一個なくなったって、宇宙は何も変わらないよね、と。

それと同時に、どんなにズームアウトしたら目に見えないほど些細なものでも、ちゃんとみたら、一人ひとりの人間が一生懸命生きている、というのは紛れもない事実で、地球が滅びるようなことが起こっていくプロセスでは、心がかき乱され絶えられない痛みをかんじるのは事実。

見えないから、些細なことに見えるから、ちっちゃい事だから、きっと周りにおおきな影響を与えないだろうから、その存在、その存在のありかた、進み方、歴史を無視していいって訳では決してない。

ズームアウトした映像は、中間点で今度はズームインしていって、もとのヒマラヤの国の地形が見えるところまで帰ってくる。

データや知識をテクノロジーを使ってこんなにも見る人を魅了するものに作り上げたのはすごい。
お立ち寄りされる機会があれば是非ー。

ちなみに、チベット料理が食べれるカフェは、お昼時、とても混んでましたよ。
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by totoatsuko | 2010-01-25 14:28 | Comments(3)

怒りはエネルギー

d0065558_18571463.jpg怒り、というのはものすごいエネルギーがある。
前述の安藤忠雄が言っていたように、人生の方向や行き方を自らがらっと変えてしまう、自分の理性ではコントロールしきれないほどの自分をつき動かすパワーがある。

ネガティブに働けば、破壊行為につながる。
例えば、殺人とか戦争とか。

怒りは人の心の中でいつまでも燃え続けることが出来る。
それをもって、その人がそれまでの生き方を捨てて人生を復讐の鬼として生きさせる。

怒りは世代を超えて受け継がれる。
親を殺された恨みを、その何代も先の子孫が復讐した。

でも、それと同じくらいポジティブに人の人生を変えることが出来る。
革命がいいとは思わないが、一人ひとりの心のなかに、もう黙って入られない、もう我慢できない、という強い怒りがあったからこそ、世の中をよい方に変えるムーブメントを一人ひとりが担った。

子供を殺された怒りから、殺した相手に復讐するのではなく、銃のない世界を実現を推進するための組織を作ったり、核兵器の無い世界のための運動を起こしたり、、、ガンジーはいい例かもしれない。

振られて悔しくてむかついて、
絶対幸せになってやる!と頑張れたり。

行きたい学校や会社に入れなかったり、認めて欲しい相手に認めてもらえなかったり、さらに否定されたりして、将来は相手が認めざるを得ないくらいな存在になろう!と心に誓って行動に移せたり。

自分の中で生まれた感情(たとえそれが攻撃的な感情であっても)は、必ずしも相手への攻撃にはつながるわけではない。感情そのものを感じることと、その感情を行動に移すこと、その感情を誰かに投影する事は同時発生でも同類とでも限らない。

怒りや、多くの場合それに伴う深い、深い、心の悲哀は、自分では計り知れないおおきなエネルギーを持っている。それに飲まれてしまえば、鬱になってしまったり、他人への攻撃に転嫁してしまったり、と無意識のうちに怒りに人生をコントロールされたり、はちゃめちゃにされてしまいかねない。

でも、自分がイカッテイル、ということを知り、他の受け入れやすい感情と同じくらいその存在を認め、対話を続けたら、
-それはものすごいエネルギーが必要だし、ミイラとりがミイラに、というように怒りに飲み込まれたり支配されたりするキケンもあるのだけど(そういうとき、信頼できるセラピストがいたらすごく助かる)
自分の怒りを認識していなかった時の自分では絶対出来なかった生き方、物事の考え方を呼び込んでくれる。

泣いちゃいけないんじゃない。
腹をたててはいけないんじゃない。
悲しいんだもの、腹がたつんだもの、それは自分の気持ちにとってまぎれもない真実。
それを否定しつづけたら、飼いならそうとしたら、無理がくるのもむりはない。

一人で声をあげて泣こうよ、
地団駄ふんで怒ろうよ、声をあげて笑うのと同じくらい。

そうしたら、声をきいてもらえた自分の涙や怒りが何かを納得してくれて、誰かを受動的に・能動的に無意識に攻撃してしまう前に、何か道しるべをしてくれるはず。
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by totoatsuko | 2010-01-24 18:57 | Comments(0)

児童擁護施設での記録映画「葦牙」

「今は、自分たちが育った時代と違い、社会が溶けてきている。子どもたちは、母乳と母語をもらって心を育てる。虐待を受けた子どもは心が作れない。みどり学園の先生たちは、かつて虚弱児を育ててきた経験からこう言った。『虚弱の子は、体から手を入れて心を育てたら治った。でも、虐待の子は、体に手を入れても心がなかった』(!)」
監督の言葉は重く心に響きます。

児童虐待、私たちもその一員である社会の母、父ができることは何でしょうか。
いか、友人の記者からのメールです。
########

「葦牙(あしかび)」は、岩手県盛岡市にある、児童擁護施設「みちのくみどり学園」で暮らす子どもたち(7割が親の虐待などで入所)と
その子どもたちを見守る施設の人たち、そして親を3ヶ月にわたって追った記録映画です。
http://www.kazesoyo.com/01intent.html

虐待の現場はないものの、施設で暮らす子どもたちの暮らしから、親から愛情を注がれずに育った子どもたちがいかにもろく、葛藤しながら生きているか、わかります。そして、施設の人たちが、それをどう支え、いかに自分を肯定して生きていけるようにしているのか、示唆に富む映画でした。

映画で印象に残った場面や言葉を紹介すると、5歳の頃から施設にいる太一くん、という男の子(今は9歳だったかな?)に、保育士さんが話を聞いてる場面。
保育士さん「太一くん、施設に来た頃のこと覚えてる?」
太一くん  「ううん」
保育士さん「施設に来た日、太一くん、先生から離れなくて、先生、ずっと抱っこしてたんだよ。
その次の日も、次の日も、友達が『遊ぼっ』て来ても、返事もしないで、ずっと先生抱っこしてたんだよ」
(保育士さんの首に抱きついている、太一くんの写真)
その保育士さんの言葉。
「私たちは『社会の母』」。

何十年にもわたってみどり学園と交流のある大工の男性は、太鼓の演奏指導と太鼓づくりを通じて、子どもたちを育てている。その大工の方の言葉。
「お母さんのお腹の中の子どもは『純真無垢』。太鼓の『鼓動』は、演奏している人と聞いている人、演奏している人同士をつなぐ。『心鐘(心の鐘)』は、何もしなければ鳴らない」。

みちのくみどり学園の園長先生の言葉。
「虐待を受けた子どもたちの境遇は悲惨。でも、子どもたちは必死に生きている。だから、必要なときに、必要な大人が、必要な言葉をかけたら、子どもたちは希望を持って生きていける」

記憶で書いているので、多少、違うと部分はご容赦を・・・。

試写のあと、監督の小池さんが挨拶され、
「今は、自分たちが育った時代と違い、社会が溶けてきている。子どもたちは、母乳と母語をもらって心を育てる。虐待を受けた子どもは心が作れない。みどり学園の先生たちは、かつて虚弱児を育ててきた経験からこう言った。『虚弱の子は、体から手を入れて心を育てたら治った。でも、虐待の子は、体に手を入れても心がなかった』(!)」
それを聞いて、こういう現状を伝えたいと映画を撮影されたそうです。

この映画のすごいところは、子どもたちがすべて顔出ししていること。これは、学園が1ヶ月半かけて親や子どもを説得したから、だそう。そして子どもの母親も顔出ししていて、これはすべて「学園への感謝」からだそう。

監督は、母親=虐待の加害者=悪者というとらえ方も、本当にそうだろうか、と問いかけたかったそう。
母親は、子育てに無関心な父親や地域の中で、孤立して子育てしていたり、自身が虐待の被害者だったりで、一番矛盾が集まっている存在としって、味方したかったのだそうです。

そして最後に、監督は「虐待を受けて一度は深く傷を負った心が、それを超えて、どう回復するのか、その再生のプロセス、芽を描きたかった」。
「人は、そばに誰かいて、話を聞いてくれれば生きられる。人は、他人が居ることによって生きられる」。
「子どもの傍らに存在する大人たちが、どのように配置しているかという社会の在り様が子どもたちの力を引き出す要だと思う」

児童虐待のために、私たちは何ができるのか、そのヒントがたくさんある映画でした。


名古屋では2/6~19日まで上映されていますが、
他の地域については、
ホームページ:http://www.kazesoyo.com/01intent.html
または、記録映画「葦牙」制作委員会の都鳥拓也さん(090-8593-0597)が取材受付なので、問い合わせてみてください。


一人でも多くの人に見て欲しい映画です。しかし、この映画は、登場する子どもたちのプライバシーを守るため、スクリーンの上映のみ撮影を許された作品で、DVD販売、テレビ放映の予定はないそうです。

監督曰く、なかなか上映してくれる場所がないそうです。
ぜひ、自主上映などしてくれそうな団体や施設があったら、そちらも連絡してみてください。

「3日に1人、虐待で子どもが殺されています」というメッセージが胸に突き刺さります。

子どもたち、そして子育てしてる人たちにとって、必要なときに、必要な言葉や手助けができる、
「社会の母」「社会の父」がたくさんいるような世の中になったらいいな、と感じた・・・
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by totoatsuko | 2010-01-20 19:28 | Comments(0)

ただいまメンテ中♪

子供が熱38度台をうろうろ1.5日間。
でも、保育園いってみんなと遊びたくて 遊びたくて・・・
兄も弟がいない保育園はつまんなかった、とブーブー文句。

美しき兄弟愛だけど、いずれ、彼等もindividuation process を経て兄である、弟である、というアイデンティティーからの脱却をそれぞれが一度は経験しないと、個人として、自分の人生を歩む妨げになってしまうよね、と思いつつ。

今朝は37度半ばになったので登園。
お迎えコールあるかどうか>>>

自宅待機中は、涙目だったり、目が二重になったり、いつもより鼻水多かったりしたけど、チャンバラごっこいつもの8掛けくらいだけどやったり、あったかかったので外出したり、上機嫌だったり、食欲あったりで、熱あるのに・・・子供ってすごいな、と思って観察してました。

私の鍼灸の予約が入っていたので連れて行ったら、熱が出る鍼(熱を放出させる鍼)を彼にしてくれました。ボク鍼やったから強いんだよ、とゴキゲン。

熱さまし&水分補給に、りんごジュース。
いつもはジュース飲まないから、ここぞとばかりに「お薬のりんごジュースなんだよ。病気の人しかのめないんだよ」他の兄弟に対して得意げで、益々ゴキゲン。

保育園で、病院受診おねがいします、インフルエンザのこともありますので、と言われたのだけどインフルエンザの検査しなくても、観察していればインフルエンザの症状ではないのでいかず・この判断は過去の経験から↓

ー以前熱が出たとき受診したら、発熱から4時間くらいたった後じゃないと、検査反応が出ないのですが、念のため新型インフル検査しますか、と勧められ、結果が時間が足りない、という理由で出ない可能性があるのに検査する意味ってあるのですか?ときくと、結果が出るかもしれなくて、それが仮に陽性だったら対処の準備が今できます、といわれて、すっきりしないまま検査したら反応が出なかった、という苦い経験。
結局、様子みてたらインフルの症状に発展しなかった。
なんだったんだ、この検査。検査しなくても、観察すればいいことだ。それに、考えてみたらインフル症状になっても、薬飲まなきゃいけない、飲まなきゃ死ぬ、というわけでもないみたい。ならば、なおさら糖分を他の多くの人と比べてばあまりとっていない体だから、自力でインフル菌(新型の菌自体の毒性は他のインフルよりも弱いという事実)を攻略して抵抗力つけれるかもしれない。まずは自分で感じて、見て、様子見が大事と、改めて色々学んだ・考えさせられた少し前の受診。

野口整体的には風邪をひくのは、よかったね、ということらしい。
自力で体を整えるチャンスなんだそうです。

なので、ただいま 体メンテナンス中♪
音楽心理療法での心のメンテナンスでも、精神的にも体力的にもとてもとても辛い時期を通ることがあるのだけれど今回の彼のメンテ期間は、あまり辛くなさそう。
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by totoatsuko | 2010-01-20 10:04 | Comments(0)

コミュニティー ミュージックセラピー

私はコミュニティー ミュージックセラピー、という音楽療法の分野の一つの専門ではないのですが、知識と少ない経験から言うと、音楽を通してコミュニティーに住む人と人、人と社会の繋がりを広め、深め、強化する活動のプロデューサー、というのが、コミュニティー ミュージックセラピストの役割内容と言えます。

例えば、地域の中で歌を習いたいなー、と何となく思っている人たちを繋げて、地域の中で教えられる人や、そのグループ活動に必要な活動場所や知識や経験を持っている人を繋げていく作業。

例えば、死が近い人が、もう一度コンサートを聞きに行きたい、と言ったとき、コンサートホールと掛け合ったり、その人の目の前にプロの演奏家を連れてくる手はずを整えたり、それに必要な資金の調整をしたり。

結果的に、一人ひとりの精神生活を豊かにしていく、というわけです。

私が気が向いたときにやっている、子供を通じて知り合った家族の集まり(食事会だったり、プロによるサロンコンサート)なんかも、コミュニティービルディング活動といえなくもないですが、これは趣味でやってるので、プロフェッショナルでこういう動きをしてくれる人がいたら、もっと幅広い層の人を大きな規模で繋げ、色んな結果をもたらしてくれると思います。

特に、なかなかイニシアティブを取ったり、はじめの第一歩を踏み出すエネルギーが停滞しているたり、退廃したコミュニティーにそういう方がいらっしゃると、すごくコミュニティー自体の雰囲気が向上する。と書いていて、派遣村、というのも似てるかな、、、いやちょっと違うかも、と思う。

コミュニティーミュージックセラピーの場合、外に何かを訴えたり、外からの援助を喚起する活動、というよりはコミュニティー内の潜在的な気力・活力・能力を採掘して、コミュニティーの一人ひとりが人と繋がり、自分をその関係で活かし、関わりを楽しみ、精神的なサポートをお互いから受けることによって、よい循環を作っていくプロセス。

自分自身が、そのコミュニティー自身がもっている潜在能力を引き出す、という意味では、私の音楽心理療法のアプローチと共通しているところがあると思う。

専門でもないのに、コミュニティー ミュージックセラピーについて書いているのは、Ryan McGinness というアイコンを色々デザインしている人のむちゃむちゃかっこいいサッカーボールが売られているのを発見して、そのBoxに、このサッカーボールはコミュニティービルディングに貢献することを願ってデザインされた、と書かれていたからなのでした。その姿勢を知って、増々彼が好きになりました。
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by totoatsuko | 2010-01-14 12:59 | Comments(2)

自分応援団

そうそう、
家族が自分の一番の応援団的な存在であればいいけれど、世の中そうじゃない関係って一杯ある。
親だから、子だから、と相手に期待していたり利害関係があったり。

音楽心理療法をやっていると、親子の感情の絡まり、というのは永遠のテーマだな、と思う。

なにせ、親殺し、子殺し、家族間のアビュース・虐待は見渡せばすぐそこに転がっているのだから。
そんな中、家族以外の自分の応援団を見つけることって、大事だと思う。
自分に批判的な家族に変化してもらい、批判的な態度をやめてもらう、あるいはサポーティブになってもらうのは、不可能に近い。

人間そう簡単に変われるものではない。

そもそも変わりたくもないのに、相手に合わせて本質的に変わる、というのは不可能&本人にとっても不快極まりないこと。仮に変わってくれるにしても時間もエネルギーもかかる。説得道半ばにして、自分のエネルギーが枯れてしまう。どこかでちゃんとチャージして、自分の生き方を楽しめる環境も持ってなきゃ!

だから、もちろんそちらにロビーイングをあきらめてもあきらめなくてもいいのだけれど、(親(象徴的な親のような立場の人、というのも含む)に認めてもらいたい、というのは子供の普遍的で潜在的な願いの一つ)
どちらにしろ、他方で出会って知り合っていく中であなた素敵ね! と利害とか関係なく素直に言ってくれて、自分も一緒にいて心地よい仲間との輪を広げていくと、逆風いっぱい(しかもそれが直近の家族からだったりもする)の中で、自分を見失わず傷も最小限に抑えつつ、いい刺激を受けながら、褒めてもらいながら自分自身のペースで自分の世界観を生き方を発展する環境を作り、不用意なアタックからも自分を守ることもできるのではないかと思う。
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by totoatsuko | 2010-01-13 10:28 | Comments(0)

ゴスペルパーティー

週末は、10人のゴスペラーが素晴らしい音楽を、総勢30人の親子に目と鼻の先からお届けしてくれました。
体を揺らしたり、手を叩いたり、シンガーと一体となって歌った曲も、
大人っぽいきかせるフレーズもありで、滅多にない友達からの持ち込み企画に大感謝!

ワンプロジェクトというグループ名のプロ・アマ混合の方たち、結婚式や保育園などでも呼ばれて歌っているそうです。

歌の後は、怒涛のランチ。
40人分のご飯をつくったのは人生初めてかも。
段どりから、メニュー構成、量の計算など、経験になりました。

マクロビオティックごはん、初体験の人から、おいしいんだね!と言ってもらったり
以前ここに来て初めてマクロビごはん食べて感動した友達が、今マクロビオティックを勉強しにいってるよ
ときいたり、
シンプルに生きるって、こういうことなんだね、ステキ
と言ってもらえたりして、偏見や頭でっかrちを通り越して、実体験を通して、こういうの好き、
と思った人がいてくれた、というのはすごく嬉しかった。

瞬間・瞬間や、空間、時間、感動を共有することで地域や子育て友達同士、子供同士のきずながより一層深まり、それが日々の私たち一人ひとりの連帯感、信頼、思いやりの気持ちの血と肉になっていっている気がします。
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by totoatsuko | 2010-01-12 22:33 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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