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人生になげやりな態度が腹立たしい。だって?

ニュースで、
路上生活をしていた女性が、好きな男性の子供でないから、という理由で路上で出産後そのまま遺棄・
その罪を問われた裁判で、裁判官と女性のやりとり。

「子供が生まれたときにどう感じたか」「母親との10年ぶりの再会で何を思ったか」。
弁護人、検察官、裁判官が同様の質問を繰り返したが、彼女の答えはともに、「ちょっとびっくりした」。母親としての責任感や親子の情愛の有無についての問いかけは空回りした。

就職を促す両親との衝突から家出し風俗店に勤務し友人との共同生活後、失職などにより路上生活を開始。町中で男性に声をかけ、食事や宿泊場所の提供を受けた。「当日まで妊娠に気づかなかった」とも。逮捕後の面会で母親と10年ぶりの面会を果たしたが、今後の仕事や生活については「何も話し合っていません」。

裁判官は、彼女の人生になげやりな態度が腹立たしい、といらだちをあらわにしたそうだけれども、
人生なげやらないと生きて来れなかった彼女の心の方に私の心は耳を傾けたくなった。

当日まで妊娠に気づかなかった訳ないじゃない。
子供を生むことが、ちょっとびっくりな体験な訳ないじゃない。
産むのって、大変なことなのよ。

言葉を額面通り受け取ってたら、彼女の壷。
そうやって無意識に相手の心をかき乱すのが、彼女の過去の人間関係を生き抜く常套手段であったと思うから。

ただ、そういう返答しか出来ない彼女の心は、裁判の世界でも誰にも慮(おもんばか)られないのか・

どんだけ彼女が怒りや悲しみを抱えて、押し殺して生きてきたか。
一つのかけがえのない生命を遺棄するしか選べないくらい、きっと彼女の心はいっぱいいっぱいなのに、誰一人として彼女の心に寄り添い、耳を傾け、ありのままの彼女を見ようとするう人は存在しないし、彼女を否定しさげすむ人間がさらに増えてしまった、というのは身を焼かれるほど辛い話しだ。

もちろん、遺棄すること自体も、ひどく悲しく切なくいけない事だと思う。
一人のかけがえのない命が失われているのだ。
彼女をかばいたいのではない。

ただ、裁判官らと彼女の問答を読んだ時、裁判官いらだちには私の心は共感することができず、むしろ彼女の心のやるせなさが、空虚な彼女の応答から強く心に響いた。
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by totoatsuko | 2009-11-26 23:32 | Comments(1)

神様のお告げなら文句いいません

学会でアメリカにいる間、食事をみんなでする時に
マクロビだからこれとあれと etcは私食べないんだー、というと、
ふーん。
とそのまま受け止める反応ばかりで凄く気が楽だった。

興味ある人は、どうしてそういうものを食べないの?って聞いてくるし、
そうじゃない人は、そのまま流してくれる。

そこに批判的な感情がなくって、ただ、篤子はそうなのね、という感じですっごい楽だった。

ちょっと位、あるいは、たまになんだから砂糖食べたっていいじゃん、
という、私が日本でよく経験する量とか頻度のせめぎ合いが会話の中で起こらなくて

私はこうなんです 
といったら 

そうなんですか ・まる
とそのままを受け止め尊重してもらえるのが嬉しいし楽だった。
無理なく自然体でいることができた。

宗教だったら、例えば
私はOO教です、という人に、
今日くらいお祈りお休みしようよ、とか
宗教上の理由で食べない、と言っている人に
出汁はお肉の骨でとってますけど、肉片は入ってないからいいですよね?

というようなdetail(細かい要素)の交渉は、ものすごくナンセンスだというのは異教徒が共存する国では常識。

ベジタリアンやマクロビの人がホームパーティーに来る、というと、一体何を出したらいいか分からない、何でパーティーの時くらい「普通の」(普通って?)の料理食べればいいじゃない。なんで譲れないの?と思うホストもいるかもしれないけれど、それは一重に違う食のスタイルの人が交わる - ひいては、違う文化バックグラウンド、生活・思考スタイルの人が一同にあつまったり、一緒に共同作業をする、ということに多くの人は慣れていないからなのかもしれない。

でも、ただ慣れの問題だけだとも思えない。

神・というオーソリティー、権威の言うことなら何の疑問も呈さず、
むしろ権威の決めたことにつべこべ言う、という行為に引け目を感じる、権威にたてつく事はいけない、と教えられてきた、という理由で
「宗教上の理由でーはしない。-をする。-は食べない。」 という人に対しては何も言わないのかもしれない。

でも、神じゃなくって、自分と対等な相手の個人のポリシーだと、自分が考える常識と違うものに対して、「違う」というだけで何かいじりたくなったり、批判したくなったり、少しでも自分と同じに近づけようとしたくなってしまうのかもしれない。

自分のポリシーを尊重するより、和を尊重するほうが断然大事でしょ、って。

でもね、自分の人生の神みたいな役割は、自分自身でもあると思うのです。
譲れないもの。 それは誰でも持っていると思うのです。そして、それを大事にするのは非難されるべきだとは思えないのです。

神が与えてくれるような、大局的な視点や導き、心の支え、スピリチュアルな祈り
それは、音楽療法・音楽心理療法・GIMなどのプロセスを経験したら自分自身の中にも存在することに気づくこともあります。

自分のそれに気づいたらなお一層、相手の譲れないものを尊重することの大事さをより重く感じるのかもしれません。
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by totoatsuko | 2009-11-23 23:27 | Comments(0)

Smiley mam ー笑顔のお母さん

子供のいる音楽療法士の友達と話していて
「子供が変な踊りをやっているのを見てすんごい私がウケてゲラゲラ笑ったら、もっとエスカレートさせてやるんだよその踊りを。そうやって子供って、お母さんの笑顔みたさに頑張るんだよね。」

というフレーズが心に残った。
そう、そういう事実は知っている。
子供はいつも親の肯定、ポジティブな反応や暖かいまなざしを無意識に、意識的に探している。

もっと自分の子供にも意識して、一緒にいて嬉しい・楽しいよ、という感情を大きな笑顔や言葉の抑揚で伝えよう! と思った。

全く親が無反応だったり、虐待的な反応だったり、表面的な反応しか示すことができなかったら、子供の心はとても不安定になる。小さな子供にとっては、親の肯定的な反応は心身の栄養剤、心と体が成長するには不可欠な「ごはん」なのだ。

例えば、何をしても虐待を受けたり、批判的なコメントや表情しか親から帰ってこない環境で育った子供は、「世界はそういうものだ」 とインプットしてしまい、自分の心や体は痛いとおもっているのに、そういう反応を求めてしまうようになることがある。 

あるいは、セクシュアルアビュースを親から受けていて、本能的には吐き気がするほど嫌なのに、
親が、そういう歪な形ででも自分を求め、自分を必要としてくれている、と子供は感じ、
親に嫌だと言えず、自分が嫌な思いをすることが、自虐的行為が、自己肯定だとーひいては自分が求めているものだと間違ってインプットしてしまう。

「すごいじゃない」「いいじゃない」と微笑みかけられるのは気持悪くて、自分が頑張ったことに対して暴力や批判されるのが心地いい、と感じてしまう。

味としては客観的には大しておいしくなくても、おふくろの味だったり懐かしい味だったら、美味しいかどうか、というのは別にして、馴染みなるものを欲する心理と似ている。

Smiley mam
親子間の事件をよく聞きますが、心から笑える笑顔のお母さん、増えたらいいな。

そのためには、お母さん自身の心のわだかまりを何とかする必要があるかもしれないし、行政や夫や親戚や友人や地域などからの心理的サポートがある、お母さんが周りから肯定されてる、と感じられる事が不可欠だと思います。

お母さん自身が自己肯定できなかったら、無意識に親の姿を自分に取り入れ、モデルとして見て育つ子供もそれを受け継いでしまいがちだから・・・お母さんが嬉しいことをするのは良くない、毎日はつらいものであらねばならない、と無意識に思っていたら、子供だってそれを受け継ぐのだ。 頭で考えたら、そんなことない、と思うかもしれないけれど、実際そういうことが受け継がれていっているのを、音楽心理療法・GIMをやっていると日常茶飯事にみうけられる。

最後に、、、
この投稿の中の「お母さん」は「お父さん」にも置き換えて読んでみてください。
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by totoatsuko | 2009-11-23 13:29 | Comments(1)

全米音楽療法学会@San Diego

全米音楽療法学会@San Diego から帰ってきました。
サンディエゴは旅行で行ったことがあったけど、かすかな記憶のみ。
新地に赴く気持で、地図を持って町をバスやトロリー、徒歩でうろうろしました。

部屋を日本人の友人達とシェアしていたせいか、あまり英語を喋ることもなく、酒井法子&音楽療法 が日本で話題になってるらしいよ・など、日本ネタも多く。ただ、日本にいても、こんなに日本人の音楽療法士と沢山話す機会はなかったので、とても良かったです。

今回心に残ったのは、ルームメイトがやっていたドラムサークルとハープ。
その存在は知っていたけれど、今後取り組んでいきたい、と思った分野です。

そして、やはり音楽療法の深さや可能性を再確認してきました。
日本ではなかなかその価値を認めてもらえない、音楽療法の中でも心の深淵を扱う私の専門分野の一つ- GIM/GUided Imagery and Music、だけれども、これまでと同様に地道に実践し続けていきたい気持や、GIMでのプロセスが人の心に人生にもたらし得る大きなものを自分で確認し、それを学会に・仲間に背中を押してもらえました。

今日は寒いですね・・・
体を冷やす食材や調理法は避けてはいるものの、やっぱり寒い。
サンディエゴではまだ早かった、サンディエゴでセールで買ったダウンジャケットを早速着込んだらモコモコあったか、汗がでました。
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by totoatsuko | 2009-11-19 15:06 | Comments(0)

Life changing event

死を意識する機会はあまりないが、例えば自分自身が重い病気になったり、とてもとても親しい人の死に立ち会ったりして自分の心が震えたら、人生に対する見方や態度が180度とか360度という世界を通り越して、異次元に移るくらい変わる。

それは心の根底から揺さぶられるから。
見たこともないくらい深いところに根ざしている心の根っこから。
これまでの生き方や価値感全部に大きなクエスチョンを投げかけられるから。

本や映画に自己投影して、うるっときたりなんか違う視点が浮かんでくる、というレベルではなくて、もう本当にぐらぐら、がたがたする。

音楽心理療法では、そんな事が起こりうる。
「死に直面しなくても」 「命に危機感を感じるイベントに出会うのを待たなくとも」 本人にその気さえあれば、音楽心理療法で今までの行き方や心のもつれるパターンを変えることが出来る場合もある。

死に直面して、不安や恐怖や怒りや悲しみに押しつぶされそうになりながら、内面からあふれ出てくる自分の存在意義に対するクエスチョンや、自分のためてきた感情の波に対峙するような大仕事を、セラピストと一緒にやることになる時があるのだ。

例えば、長年Lover で結婚していないカップルが、どちらかの病を期に、あるいは、何かのきっかけで音楽心理療法を受け今まで聴いたことがないような自分の心の声を聞いたとき、初めてどのくらいその思いが強いか、というのを頭ではなく心で感じる。そうしたら、気持を行動を移さずにはいられなくなったりする。例えば長年のその関係を終わらせるか、結婚に踏み切るか。

こんなに愛していて、こんなに大事なのに、色んな事(精神的自由度が減る、とか社会的な理由とか)を理由にして結婚しないでいるのは、なんて勿体無いことをしてるのだろう!なんて自分にひどいことをしているのだろう! と自分でもびっくりするくらい自分の素直な感情や思いの強さに突き動かされる。

あるいは、こんな関係をだらだら続けているなんてなんて勿体無いことをしているんだろう、私、と関係を解消するに伴って生まれるであろう想像すらできる壮絶な痛み(これが無意識に働いて別れることを決断できなかった理由であったかもしれない)を恐れず、別れたり。

音楽心理療法でクライアントと生きる世界はほんとうにものすごい。
中途半端な気持では、かんたんに飲み込まれる。
生の声が出てくるのを待っているじっとしている期間や、その声をまさに聞く時は、日々ルーティン的に表面的にこなしてるような部分と付き合っているのとは違って、根っこのところをぐらぐらゆさゆさやずどずどやられる。

一ミリもフェイクでない生身の人間の生身の心のプロセスには、クライアントにとってもセラピストにとっても、飽きさせられることがなく、どんなときもfacinatingである。死 という誕生と同じくらい大きなライフイベントに出会う前、まだ色々やり直せる、試せる時間が残っているときにセラピーに行く、というのは時に想像もつかないベネフィットを人生にもたらすことがあるのだ。
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by totoatsuko | 2009-11-09 15:35 | Comments(0)

何故マクロビオティック?

久しぶりに、
お肉食べさせないなんて子供たちかわいそうだね、
自然でいいじゃない、なんで食事制限するの?
寿命は寿命なんだし、美味しいものたべないと損だよ

と、言われて思った。

食事を制限しているのではなくて選択しているのだし
かわいそう、というのは凄く一方的な視点で、
例えば、真反対にして、
お肉を食べないと満たされた気持に慣れない人はかわいそう、と言う視点もあるかもしれない。
が、その人には全く思いもしないような視点だろうけれど。

これをこの人にどういう言い方をしたら伝わるかな、って考えていたのだけれど、その時限りの関係だったので、結局、踏み込んだ話しはせず。


マクロビオティックは健康的、というのが巷での評価なのだけど
私は、健康のためにこういう食のスタイルを選んでいるのではなくて、
この地球に、宇宙に生かされている限り、それらと自分が出来る形で共存する生き方がしたい、と思うから。

健康になりたい、というだけだったら、もっと他にも方法があると思う。

だけれど、私は自然の法則を尊重し、自然にある命に敬意を払い、自分が一人で生きているのではなく地球に生かされているのだということを大事にして生きて生きたいし、子供たちにも少しでもいいからそういう意識をもって欲しいと思う。

1キロのお肉を作るのに16キロの穀物が必要で、砂漠化が進んで、温暖化が進んで、、、
本来なら赤ちゃんしか飲まない母乳を、人間はオトナになっても飲み続け、、、、
需要に応えるべく、人間にはよっぽどのことがない限り投与しない成長ホルモンや抗生物質を日常的に与えたり遺伝子操作をして家畜を育てたり、、、、
何も人口添加物・化学式で表される白砂糖という化学品を使わなくても、とても美味しいお味は引き出すことが出来るのに、余計なものを加工品を作る過程で料理をする過程で大量に、または日常的に投入して、、、

どういう生き方をするのかというのを選ぶのは誰だって決める権利があるし、それは個人の自由である。

マクロビオティックは、健康法ではなくて、どう生きているか、そのもの。

だから、そもそもかわいそうとか不自然、とかそういう感情の対象ではなくて、
マクロビオティックをするのがいい、とか悪い、とかいうのではなくて、
その人がどういう生き方をしているのか、したいのか、その人の哲学のチョイスの一つがマクロビオティックなのだと思う。
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by totoatsuko | 2009-11-09 15:02 | Comments(0)

何故マクロビオティック?

久しぶりに、
お肉食べさせないなんて子供たちかわいそうだね、
自然でいいじゃない、なんで食事制限するの?
寿命は寿命なんだし、美味しいものたべないと損だよ

と、言われて思った。

食事を制限しているのではなくて選択しているのだし
かわいそう、というのは凄く一方的な視点で、
例えば、そのままひっくりかえして、
お肉を食べないと満たされた気持になれない人はかわいそう、
と言う視点もあるかもしれない。

お肉をたべない、というのは人生の幸せを放棄してる、という発言がどのくらい意味がないか、
というのをこの人にどういう言い方をしたら伝わるかな、って考えていたのだけれど、その時限りの関係だったので、結局、踏み込んだ話しはせず。


マクロビオティックは健康的、というのが巷での評価なのだけど
私は、健康のためにこういう食のスタイルを選んでいるのではなくて、
この地球に、宇宙に生かされている限り、それらと自分が出来る形で共存する生き方がしたい、と思うから。

マクロビオティックの本にも、マクロビオティックとは宇宙の法則に従った食事、と記されている。
でもまぁ、いきなり宇宙がどうのこうの、といわれても逆にあやしぃ^^^^、と思ってしまうので、入り口は、マクロビオティックで健康に! というのはとてもいいキャッチである。

ただ健康になりたい、というだけだったら、もっと他にも方法があると思う。

だけれど、私は自然の法則を尊重し、自然にある命に敬意を払い、自分が一人で生きているのではなく地球に生かされているのだということを大事にして生きて生きたいし、子供たちにも少しでもいいからそういう意識をもって欲しいと思う。

1キロのお肉を作るのに16キロの穀物が必要で、砂漠化が進んで、温暖化が進んで、、、
本来なら赤ちゃんしか飲まない母乳を、人間はオトナになっても飲み続け、、、、
何も人口添加物・化学式で表される白砂糖という化学品を使わなくても、とても美味しいお味は引き出すことが出来るのに、余計なものを加工品を作る過程で大量に、日常的に投入して、、、

どういう生き方をするのかというのを選ぶのは誰だって決める権利があるし、それは個人の自由である。

マクロビオティックは、健康法ではなくて、どう生きているか、そのもの。

だから、そもそもかわいそうとか不自然、とかそういう感情の対象ではなくて、
その人がどういう生き方をしているのが、その人の哲学の表れなのだと思う。
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by totoatsuko | 2009-11-09 15:02 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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