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ハロウィン

保育園でも保育園の衣装を借りて仮装したりして、ハロウィンの浸透率高し!
私が子供のころはなかったよねー、と思いつつ仮装姿の子供たちが可愛くて楽しんでいます。

そしてふと、どうしておばけに仮装するのだろう?
どうしてお菓子もらって歩くんだろう?
と以前も疑問に思って調べたはずなんだけど忘れているので、グーグルしてみました。
ハロウィンについて

読むと、いろんな逸話があるのだけれど、日本のお盆と共通点がある説もありました。
亡くなった人の霊が家の周りをうろうろしているから、
仮装によって亡霊を脅かして帰らせる、
あるいは、その亡霊自体になってって楽しんでいる
らしく
お菓子は、もともとはお供え、という意味合いもあったのだ、
という事も読みとれました。

「仮装によって亡霊を脅かして帰らせる」のと、「その亡霊自体になってって楽しんでいる」という異なる意味合いが仮装という行為に含まれているのは、心理学的に見て面白い。

例えば、自分に危害を加える相手(亡霊)を追い払うために、相手と同じ亡霊になる、という選択。
気付かないうちに、嫌な相手と同じような振る舞いをし、真似のはずが自分自身のものとなっていく。

例えば、それはToxicな(自分にとっては毒のような)関係ー例えば親子関係・夫婦関係にも見られる。
虐待者は、自分の心理的ニーズを満たすために、あるいは抱えきれない感情を吐きだすために、虐待者(ハロウィンでは、人々を恐れさせる亡霊・おばけ・魔女)を演じる。誰かをはけ口として利用する。

虐待者を恐れる側の人間は、虐待者に対しては向かっていかないけれど、他の関係ー例えば保育園で学校で会社で虐待者を演じる。どんなに虐待されることが辛いことか身をもって知っているにもかかわらず、虐待者を演じてしまう。虐待されて押し込められた辛い感情を、異なる関係にぶつける。

虐待&被虐待者を演じている人は、そもそもこの関連性に気づいていない場合が多い。

ハロウィンに例えればでおばけに仮装してTrick or treat! と近所の人を脅かしてお菓子・欲しいものをせがむ。被虐待者が虐待者になるのは世代を超えて受け継がれていく構造。

例えば、音楽真理療法ではそうやってその心理を紐解いていくのか?
言葉で言えば簡単に聞こえるが、実はその内実は自分の心が体験する以外は決して分かり得ないのだけれど・・・自分の心で非虐待者の時、虐待しているとき、深層心理の層で何が起きているのか、起きていたのか、虐待という行為以外に自分の心のニーズを満たす方法や場所はないのか、
そんなことを言葉にならない心を色や音にしてみたりして未知の自分を知ってゆき、手に負えない自分との距離をゆっくりとでも確実に縮めていくことで、虐待する・あるいは虐待される関係(虐待まではいかなくても、自分にとって良くない・自分を蝕む関係)を続けている自分の生き方の色合いが確実に変わっていきます。


P.S
ハロウィンには、おばけかぼちゃごはんをニンジンと海苔で作ったら雰囲気出ます。
みじん切りの人参(ミキサーやってもOK)に塩をふって蒸し煮したら甘ーーーくなって、
それをかぼちゃっぽい形のおにぎりの表面に敷き詰め、海苔で目と鼻と口を作ります。お試しあれ。

海苔だけでも、こうもりおにぎり、魔女の帽子など出来ますよー。
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by totoatsuko | 2009-10-30 10:31 | Comments(0)

インフルエンザワクチンに関するデータ

インフルエンザワクチンの効果についての日本臨床内科医会のデータをご紹介します。

ここでの結論は
>Total(全年齢通算)では、打たない方の発症率が4%ぐらいで、打った方は3%ぐらい。などということが分かります。(=1パーセントしか違わない)

と結んであります。

#####

インフルエンザワクチン(新型に対するのワクチンでなく、従来のもの)については、数年前から「日本臨床内科医会」が実地調査をしています。


こうして調べると
「ワクチンを打たずに放っておいたらインフルエンザにかかる率はどの程度か」
「打つと、その率がどう変わるのか」などの見当がつきます。
打たない人たちは高い率でインフルエンザになったのに、打った人たちはほとんどならない、という結果が出れば、ワクチンの予防効果は高いと言えます。
(*ただし、この方法で調査をすると、ワクチンの効果を過大評価しかねないとの指摘もあります。理由は末尾に。)

調査の結果は
日本臨床内科医会のトップページにアクセス

→題字から数行下がった「インフルエンザ情報」の雪だるまをクリック
→画面を下にスクロールすると「6.インフルエンザの予防」が出てくる。
→その中の「図8」をクリック
→グラフが出てくる。

結果は、年によってだいぶ違います。
例えば、グラフ最下段の一番新しい結果(06/07、つまり06年の末から07年はじめにかけての冬はどうだったか、というデータ)をみると
・0~9歳では、ワクチンを打たない人の発症率が13%か14%、打った人の発症率はそれよりほんの少し多い程度

・Total(全年齢通算)では、打たない方の発症率が4%ぐらいで、打った方は3%ぐらい。


*過大評価となる理由は以下のようなものです。
1.ワクチンを打たないグループには、もともと病弱で熱を出しがちで予防接種をしにくい、など体力のない人が多く含まれそうである
2.そういう人たちはインフルエンザにもかかりやすい。
3.結果として、ワクチンを打たないグループでのインフルエンザ発症率が上がる。
4.比べると、打たないグループの方が発症率が低く見える。しかし、ワクチンの予防効果で低くなったわけではない。


**************
私は、高価なワクチンを打つよりは、食事を見直し、よく休み、よく動いて体の免疫力を維持するのがもっとも手っ取り早く体や自分に優しい方法だと思っています。

細菌やウイルスが好きな卵・砂糖・肉(汁) -細菌やワクチンの培養はこれらのものを使うことが多い、を摂取していないと、体内環境がウイルスに向かないので感染しにくいー体内に炎症を起こしにくいー病気になりにくい、と思うのですが、

体を口の中の状態に例えてみると・・・

歯磨きをせずに寝た翌朝って、口の中がちょーーネバネバで臭い。
=菌が、口内に残ったカスを食べて増殖してる。カスを腐敗させて悪臭を放ってる。 

これと同じ現象が体の中でも起こっている。
菌が体に入ってきても、菌の好物(砂糖、卵、動物性食品)がなければ増殖「できない」けど、
そういうの沢山あったらばばーっと増えて広がって「病気」に発展しやすい。歯磨きみたいに、体内浄化って出来ないから食べたものがそのまま免疫力にも影響する、ってのはありかな、と思います。

そして、たとえ病気に発展しても菌のごはんが体内になければ、深刻な症状にも発展しないのではないかとも、思っています。

ちなみにこの細菌の好物理論。私が今の時点で(将来変わるかもしれないけれど)共鳴しているのは、マクロビオティックで教えられたから、偉い人が言っていたからという与えられた知識を自分の知識として自動的適応しているのはなく、日々観察している自分自身の体調や、子供たちが保育園で何度も流行りものがあっても、面白いくらいに全くといっていい程もらってこないし、熱が出ても、お薬を与えなくても自力で割とすぐ治まる、(持って生まれた体質も勿論加味するべきだと思いますが、)等の日々実感することの積み重なりからです。だから、あくまでも、今日の投稿の内容は私の個人的見解であり、それ以上でもそれ以下でもないことをご了承くださいませ。
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by totoatsuko | 2009-10-27 11:44 | Comments(0)

人口添加物に対する感覚の違い

子供が遠足に行って、先生からかっぱえびせんの小袋をおやつに頂いた。
うちの子供はその場では食べきらず、家に残りを持って帰ってきた。ウラを見ると当然添加物表示。2,3種の添加物と砂糖。そして、それを嬉しそうに食べている子供。

それを見てものすごーーーーく嫌な気分になっている自分。
「そのお菓子には砂糖やお薬がいーーぱい入ってるんだよ。」 
「いいんだよ。先生が食べてね、ってくれたんだもん。」と彼。
子供が悪い訳ではないのに、ただ私が彼にそういう物を摂取して欲しくない、という日々の「思い」、地球と共存するような生き方を一緒にしていきたい、という「祈り」に近い物をいとも簡単にスルーされてしまった感じがして、その怒りが、彼に対する口調に出てしまった。申し分けない気持になって反省した。まだまだちっちゃいな、私。

物によっては、2,3種では済まない程添加物が入っている食品があるからそれに比べたら、1,2種類、というのは少なくていい、と感じるのか、そもそも添加物や砂糖に対して何も何思わないのか、人によってそれぞれだけど。

自分の子供には、とにかく人工的な薬品(添加物といえば聞こえはいいけれど、要は薬品・薬物。毒。)や科学的に加工された砂糖。を不必要に摂取させたくない、人工的な味を美味しいと思う舌になってほしくない、たまたにだからいっか、とは決して思えない、その気持がとどれほどまでに強いのか、人工添加物に対して何も思わない人との添加物に対する感覚のギャップの大きさを再確認。

例えば、防腐剤・
見なれてるから何も思わなくなってる人が多いのだろうけど、それをコンビにの工場で日々お弁当に霧吹きで振りかけていて手が凄く荒れて直らないという人がいた。そういう作用をする物質を日々食事としてとっていれば、当然内臓を傷つけ、炎症を起こし、二次的な症状を誘発し、同時に、薬品を解毒するために肝臓を過剰に働かせ痛めてしまう。

(最近の遺体は昔に比べて腐敗が遅いのだそうだ。蓄積された防腐剤が肉体に残っているから。 
最近のお産で生まれた瞬間出てくる赤ちゃんが入っていた羊水はシャンプーの匂いがすることもあるそうだ。それは経費毒(皮膚から吸収される洗剤などの害)の結果。私はそういうの、凄くコワイ現象だと思う。けど、それが全然おかしい事だと思わないひともいる。この感覚の違いの距離はすごく大きいなぁ、と思う。)

例えば、同じ成分でもで防腐剤・という表示なら気にならなくて、枯葉剤って書いてあったら、誰も食べないよね・・・ほんのちょっとだからいいか、って枯葉剤入りの加工品、食べないよね・・・そう、毒入りギョーザ事件ではないですが、添加物だって場合によっては毒とだって置き換えられる。たとえ政府とか機関が認めたものでもね。

そんな物を子供には与えたくない。自分も食べたくない。そんな味が美味しいと思うようになって欲しくない。
私は、人間は、地球に生かされているのだから。

添加物や砂糖や極度の肉食が地球や自分に影響があるだって?ばからしい、そういう人いっぱいいる。

新ためて、添加物や砂糖が肉体や精神に、ひいてはそれらが地球に次世代に及ぼす影響に対する危機感が、自分と人とではもの凄く違うことを実感。そして、子供がそういう物を誰かから与えられる、という事が「個人的に」こうも自分を嫌な思いにさせるのだとも実感。

ただ、世の中生きていればそういう場に遭遇することは多々あるわけで・・・
子供は自分とは別個の人間だから、子供の意思や行動や生き方をコントロールすることは出来ない。究極的には、子供が毒が食べたいんだ!と主張すれば、それによって自分に何をしようとしているのか分かっていっているのなら、親にそれを止める権利はないと思う。 やっぱりその時も私は死ぬ程やるせない気持なのだろうけど・・・

でも、やっぱり1キロのお肉を作るのに16キロの作物を消費しているという事実があるのに、環境問題を自分たちの食と結びつけた全然が盛り上がらないのはどうしてなのだろう?

日々の生活の中で、自分たちが地球と深く繋がり影響しあい命を紡いでいるのだ、ということを実感しながら生きるのは難しい。昔は感じられたかもしれないけれど、今は地球の大自然の息吹と私たちの感覚にはあまりにも距離がありすぎる。

食糧難がくる、と言われているのに、食料難で死んでいく人がいっぱいいるのに、砂漠化がどんどん進んでいるのに、エコカーだの、バイオ燃料何だの、省エネだの、ってのと同じ感覚で日本も(ヨーロッパではそういう動きはすでにあるみたい)肉食を顧みたらどうだろう?農耕について考えてみたらどうだろう?

次世代のためにも・私たちの地球のためにも・・・
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by totoatsuko | 2009-10-22 12:46 | Comments(5)

トップモデルの彼女

まだ誰とも付き合った事がなかった -誰かを好きになる、って事を知らなかった頃、ナオミ・キャンベルかそれ級のモデルがBFに浮気された、というのがとても衝撃だった。

あんなに綺麗でスタイルよくて世界の頂点に立ってる人が彼女なのに、それでも浮気しちゃうんだ、せっかくトップクラスの美貌とスタイルを持つひとを手にいれたのに、そうじゃない人の方がいい、そういう人を失ってもいい、って思うんだ・・・

この心理的反応から分かるのは、衝撃を受けた当時の私は、明らかにオンナのみ力は外見、という価値感だったようだ。綺麗でスタイルよくても「個人的に」「自分にとって」人間的に魅力的じゃない人だったら付き合う対象にはならない場合もある、って事に考えが及んでなかった。まぁ付き合ったことないから、そういうのを自分の体験を通して体得する機会がなかったのだから、しょうがない。どうやったらオトコの子に好かれるか、って一般論を集めた特集ばっか組んでる雑誌の影響を受けてそれが当時の自分の価値感になっていたのは頷ける。

誰かにとってはとてもステキなパートナーが、
誰かにとってはとてもステキに「見える」パートナーが、
誰かにとってはウザイだけの存在でありうる。

それは、他の事にもあてはまる。
どんなに素晴らしい哲学も、思考回路も、生き方も、「自分」にとって素晴らしく感じられなければ、自分にとって素晴らしい物ではない。もしかしたら、自分がそのよさを理解することができなくて宝のもちぐされかもしれないし、ただ単に自分の求めてる・必要としている物とは違うだけかもしれない。
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by totoatsuko | 2009-10-22 10:58 | Comments(0)

処方された薬を頂かない

子供が保育園で砂が大量にめに入り洗浄してもとりきれなかったので近所の眼科に連れて行ってくれました。他の子供のお世話もあるのに、病院まで連れて行っていただいて感謝。あらためて、保育園をやる、というのは大変な事、大変ありがたい事だと思う。

お迎えに行ったら、処方された目薬を4,5日さしてください、充血してきたら、再度受信してくださいーとの事でした、と保育士さんに処方箋を渡されながら言われたのだけど、結論から言うと私は処方箋はもらいに行かなかった。

ここでの私の心理。
目の中の砂は取りきったらしいし、子供の目も子供の様子も変わりなかったので、もしかしたら必要ではない薬物を子供に与えたくない。もし充血してきたら、薬物を与える前に、まず自分で出来ること・殺菌作用のある塩水洗浄と、食事療法ーという程の事でもないけれど、菌の繁殖を助ける糖分を含む食物(甘い野菜含む)を控えて様子を見よう。それでも充血してきたら薬局に行こう。薬は最終手段。

同時に、処方された薬もらいに行かない事への罪悪感を感じているのも自覚していた。罪悪感を感じている自分に違和感を感じながら。 お医者さん、という社会的に権威のある立場の人の指導通りに行動しないことへの罪悪感を自分は感じるのだなぁ、と。そういう風に教育されてきたり、空気を感じ取ったりして、自分で考えるより医者の言ってる事の方が正しいと潜在的にインプットされてしまっている私。たとえ、そのお医者さんと自分の病気に対する考え方や対処の仕方に対するポリシーが違っていても、その潜在的な思考回路は残っていて私の心理や行動に作用する。(お医者さんによって、薬の使い方、病気の捉え方が全く違うので、たまたま近所だから、という理由だけで主治医に選ぶのではなく自分の信念に響く方を見つける事は、自分が納得して病状・症状と付き合うのに大事なことだと思う。)

最終的に、不要な薬物は摂取したくない、自然療法の力は凄い、という自分の信念は確かなのは知っていたので、薬はなしで。

そしたら、「処方された薬を与えないなんて!子供が死んだらどうする。何でも自分のルールに持ちこむのやめて」と怒鳴った人もいた。凄い子供の事が心配だったんだと思う。

で、怒鳴られたから私は凄い腹がたって言い返した。「必要ないかもしれない薬を医者が言ったからって与えたくないの。医者がいつも正しいわけじゃない。なんで医者の言うことを鵜読みにするの?必要なら薬だってあげる。でもまず目の前子供の状態を観察してから決めたらいいじゃない。一生けん命見てるのよ、子供の様子を。死んでもいいなんて、思ってる訳ないじゃない。」

今、子供の医療費はただだけど、一人ひとりが自分の体調や信念と相談しながら、まず自分で出来る対処をしてから、受診回数や薬の講入を考えたら、国の医療費(そもそもそ私達の税金)削減にとても貢献出来るのではないか、とも思う。

結局、子供の目にその後問題は出ず。よかった薬物を使わなくて済んで。

それにしても、私が感じた罪悪感、凄いことだな、と新ためて思う。
医者に処方された薬を上げないことが、親として悪いことをしているような気分に「自動的」になってしまっていた。

ちょっと自分の考えと照らし合わせたら、その自動的思考を行動に移す手前で自分らしくない行動を止めることが出来るんだけど、日々暮らしていると、なかなか人にこういわれたけど、自分はどう考えるか、どう感じるか、ってちゃんと自分と対話しながら意思決定をしていけない状況って多いのだろう、と思う。

いかがわしいセールスや振りこめ詐欺などでは、人の罪悪感や不安を使うというのは常套手段ですよね。
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by totoatsuko | 2009-10-22 10:57 | Comments(1)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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