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トクホ

体に油がつきにくい油、がウリのエコナが発がん物質を含んでいる疑い、と取りざたされていたり、インフルエンザの予防接種の打った人と打たなかった人のインフルエンザにかかる可能性の差異は3パーセント位なのに注射することがエチケットみたいな空気とか、WHOはA型インフルエンザの予防にマスクは何の効果もない、と明言しているのに日本だけマスク売り切れ、とか、、、最近、なんだかなぁ、と思ってみているニュース。

エコナは、確かトクホ(健康保健用食品)。で、トクホって何?
トクホは、平成3年にできた制度で、個々の製品ごとに厚生労働省から許可を受け、保健の効果(許可表示内容)を表示することのできる食品。他の食品と違うのは、からだの生理学的機能などに影響を与える成分を含んでいて、血圧、血中のコレステロールなどを正常に保つことを助けたり、お腹の調子を整えるのに役立つなどの特定の保健の効果が科学的に証明されている(国に科学的根拠を示して、有効性や安全性の審査を受けている。

とのことだけど、その検査の仕方・結果の分析の仕方が危うい感じのものは沢山あるのだそうだ。

そもそも、なんでアヤシイ合成食品にそんなお墨付きを与えるような制度なんか作るんだろう?
企業や政治の利害があったのかしら、とかんぐりたくなる。

トクホ、というお墨付きだし、ってことで普通の何倍の値段もする商品を買っていて病気になってしまっては悲しい。。。エコナつかって成長ホルモンたっぷり打たれながら育ったお肉食べてたら、あんまり意味ないんじゃないかって。少しでもヘルシーでありたいがお肉も食べたい、、、という心理的欲求に答えたのがエコナだったのか?実際は油と同時に肝をいためる人口薬品を摂取していたということ?

もう中国の農薬野菜や食の偽装事件がつみかさなっているのだから、もうそういう表示は鵜呑みにするのやめませんか? と思う。

人工的に表面的な健康とか食品を追うのではなくて、
健康的に見えるように作られた商品で自分の体調やキブンをごまかし続けるのではなくて
自分はどんな風に生きたいのか?いったいぜんたい自分は何を口に入れてるのか?地に足をつけて見つめ直す機会だと人々がとらえたら、トクホの罪のせめてものアップサイド、といえるのかもしれない。
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by totoatsuko | 2009-09-30 16:25 | Comments(0)

鳩山夫人@NYU 音楽療法センター

たまたま見ていたニュース番組で、鳩山首相の国連出席関連の報道。

続いてご夫人のNYでの訪問先、として日本人学校での様子に続き、
母校のニューヨーク大学のノードフロビンズセンターで音楽療法セッションに顔をだしてる様子が写り、あら・まぁ。

ニューヨークなんて他にいくらでも訪問先あるでしょうに、あえて音楽療法の現場が選ばれたのはどういうポリティックが働いたのだろう? とかんぐりつつ、何気に嬉しかったひとコマでした。
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by totoatsuko | 2009-09-23 23:22 | Comments(0)

Story Singing

久しぶりにJazz Vocalを聴きに行った・
生の場は、アーティストの生のエネルギーやかもし出されるパーソナリティーとともに、その人の作品をまじかに、録音という他人の作為や機械プロセスを通さず、
直接自分のフィルターに入ってくるので、作品とクリエーターの人間臭さをブレンドしたものを味わうことが出来る。

バックで始まっている曲のイントロに重ねて、「here, i'm gonna tell you a real story -- (これから本当の話をするわよ)」と言い、絶対本当じゃない怪奇で、少しSexyなストーリーを歌った。

彼女の招き寄せる綺麗に塗られたマニキュアの指先の動き、
腰のくねりや、シルクのスカートが形どるヒップ、
「白い蛇がいうの、だから私を中に入れてよ、って。」

ステージという非現実的な世界で語られる・歌われる非現実的なストーリーにぐいっ、と引き込まれ、自分が蛇になってそのFeelingを感じたり、Sexyな蛇に入れてよ、って言われる人間になったり。そして、なんだかヴォーカリストが蛇なのか、ヴォーカルなのか夢想の中で曖昧になってくる。

箱(ジャズバー)と、音楽と、ストーリー、に骨組みされた空間と時間の流れの中で、しばしのトリップ。
どこにでもいける。ストーリーに寄り添っても、ストーリーに触発された自分の内面から生まれたストーリーの中へでも。 それが安心してそれにどっぷりつかれるのは、この曲が終わる頃には、このトリップからここー現実へ帰ってこれる、という確信が無意識にあるから。


次の曲に移り、ステージが終わり現実に帰ったあとは、その新たに手に入れた記憶という名の飴玉をときどき取り出して舌の上でころがして楽しむ。 他の飴玉と一緒に味わうと、また違う味わいが楽しめる。

ちょっと舐めたら消えてなくなるものも、どんなに舐めても舐めても、歯で割ってもなくならなく飴玉もある。
美味しいだけじゃなくって、まずーい飴玉だってあるし・・・
わたしのポケットには、どれだけのStoryが、どれだけの飴玉があるんだろう?
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by totoatsuko | 2009-09-10 10:24 | Comments(0)

環境整備係

会社を経営する立場の人が、何もしていないのにあっという間にお昼になってしまって、、、というと、
これといった仕事ではなく雑務の積み重ね(例えば、経営者という立場で人に会ったり、何気ない会話であったり、ブレインストーミングだったり、執筆だったり、ただそこに存在してエネルギーや空気をかもし出す)が、社員がより心地よく働くことができる環境をつくることにつながる。社員がやる気を持って働いてくれる、というのは会社にとってとても大事なことなのですよ、と他の経営者が言っていた、

というのを聞いて

母親業 とか妻業、という業務を、
ああもうこんな時間、
今日はXXしか出来なかった
アイロンかけてない、かけてもかけてもたまるアイロン予備軍
なんでさっき掃除機かけたのに、もうこんなに汚いわけーー?
夜中までかけてつくった料理は、さっきの食事で食べつくされてしまったから、また何かつくらなきゃ、
毎日おなじ業務のくりかえし
と頭をたれてしまう私をとっても勇気付けた。

やってもやっても、汚れ物は出るし、部屋は乱れるし、
子供と遊んでも遊んでも、満足することなくもっと遊ぼうよ!って言われるし、

そんなエンドレスで、何か形になることとか、達成感、というのは味わえないのだけど、
こうやって家族が自分がいい気持ちで毎日を送ることが出来る環境整備を一生懸命やっているんだ、
家族は、この整備された環境を享受することにより、気持ちよく、楽しい時間を過ごすことが出来ているのだ、
私が頑張ってやっていることは、やらなきゃやらないでOKな物ではなく、
明らかに自分や家族の日々の心理に影響を与えているのだ、
日々の、瞬間瞬間の家族の笑顔が、安定した精神状態が、健康な体である事が、私の母業・妻業のスタイルや内容への評価なのだ

と思うと、仕事のような何かの業務を仕上げる、という事に、これまで持っていた視点とは異なる意味合い・やりがいを見出した。

ああ、でも頑張っても頑張っても家族も自分も、その生活に関係にありがたいと思えなかったり、そう思ってもやってくれた相手にありがたく思っている気持ちを伝えなかったり、伝えることが出来ず、家族の関係・ダイナミックスに反映されなかったら、やりがいどころか、ふがいなさややりきれなさを溜め込んでいくことになっていくのだと思う。
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by totoatsuko | 2009-09-04 17:35 | Comments(0)

自分はDV(ドメスティック バイオレンス)被害者ではない

DV(家庭内暴力。身体的、性的、言葉の暴力、全てを含む)を自分自身が受けていても、
そしてDVが何かというのを知っていても、
自分はDVを受けていない、と DVは自分の問題ではない、と思っている、
日常的な暴力が、病的なものではない、と自分に無意識に言い聞かせて、
乾ききって荒れ果てた関係を受け入れてしまっていて、
自分や家族の誰かが肉体的、あるいは精神的な死に追い詰められるまで
DV被害者であることに気づかない場合が沢山ある。

夫や妻に、親に日常的に殴られたら、セクハラされたら、言葉で傷つけられていたら、
それはもうDVといえるのに、これはDVなんておおげさなものではない、と
客観的にみたら理解できないかもしれないけれど
被害者達は言い聞かせる。

自分が「被害者」である、家族が「加害者である」というのを認めたくない、という心理もあるのかもしれない。

以下のネットの記事に紹介されたケース。

(以下、内容コピー&ペースト)
以前はごく普通の仲の良い家族だった。食卓には笑い声が響き、年に数回は旅行に行った。だが元夫は仕事などが原因で神経症になり、ささいなことで逆上するようになる。12年前から4年間、DVの被害を受け続けた。

 「全部お前のせいやっ」。たまに殴られることもあったが、病気が原因で、自分が至らないのが悪いと思った。だが元夫の行動はエスカレートした。夕食が5分遅れた、車の中にツメ切りがない、バイクの免許試験に落ちた……怒鳴り、家の物を壊し、手がつけられない。

 恐怖に耐えきれなくなり家を出た。だが13歳だった長男は「パパのそばにいてあげたい」と残った。長男は何度か「ママと一緒に暮らしたい」と伝えてきた。元夫から「包丁、買うた」と脅されていた。長男を奪ったら、どんなことになるかわからないとおびえた。

 そして高校入学目前、長男は殺された。死後、元夫が長男に日常的な暴力を加えていたことを知る。長男は最後までそれを口にしなかった。

 昨年秋。山梨県であったDV防止のシンポジウムで長男の被害を紹介してほしいと頼まれ、写真などを提供した。見に行くと、DVについて説明したパネルがあった。「加害者に心を支配されることもある。怖いと感じたら、それがDV」。ドキッとした。まさに、私や。自分を押し殺し、元夫におびえ続けたのはDVそのものではないか。 資料を読みあさった。

DV被害者は、加害者にコントロールされて自分が悪いと信じ込み、事態を悪化させる。
早く気づいていたら。自分のような人に、自分が受けているのはDVだと気づいてもらう方法はないか。

 考えたのが、女性だけが手にする生理用品に相談窓口を掲載すること。「バッグやポケットにしのばせて、外へ出た短い時間で電話できる。毎月手にするものだから早い段階で気づくこともできる」。昨年末、思い切ってメーカーに手紙を出すと、「検討する」と返事が来た。

 今年2月から、署名サイトでネット署名を募り、これまでに200人余りが応じた。目標の1万人は遠いが、長男が応援してくれていると信じて呼びかけ続ける。(染田屋竜太)
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by totoatsuko | 2009-09-04 09:27 | Comments(0)

アイローズ展

先日歩いていると、ワタリウム美術館前。アイローズ展、今日まで追加延長、とあったので、アイローズが誰か全く知らないまま、ポスターに書かれていた精神疾患者の絵、とかなんとかいうのがひっかかって入ってみた。

彼女は31歳で統合失調症と診断され、そのご亡くなるまで40数年間施設で過ごす。
ゴミ箱にすてられている紙くずをひろって書いたりしていたが、ある医師と美術家にみいだされ、彼女の作品は世に知られていく。

彼女の作品のほとんどの人物の目は顔の半分を占め、水色で塗りつぶされている。
ほんとに、どの作品もそうなのだ。

それで、医師が彼女にどうして目が大きな水色なのか尋ねたら、水色にぼやかすことで周りの世界をみなくてすむから、とアイローズは答えたそうだ。 ならば目をとじればいいのだが、そうではなくて、あえて大きな目であるところが逆説的だが、彼女の心理を代弁しているのだろう。

まわりのことが、めんどくさくなったとき、理解できなくないとき、疲れているとき、自分の世界に閉じこもりたくなったとき、、、周りには目を開いているようにみせかけて、本当は自分の目にシールドをかけてほとんど見えなくする。 そうやって自分を守る。そうやって壊れそうになっている、壊されそうになっている大事な自分と自分の世界を支える。

興味深いのは、晩年、彼女の絵に高値がつき始め、施設を所有する州の意向で、彼女にもっと作品を量産させようと、専属の作業療法士をつけたところ、彼女の絵に生気がなくなり、数ヵ月後に老衰で亡くなったということだ。この作業療法士、アイローズに、絵に日付をつけたら?とかタイトルをつけたら? というinterventionをしたみたいなのですが、、、作業療法士として訓練された人ではなく、訓練されたアートセラピストであったなら、彼女の命や作品はまったく違う道をたどったかもしれない、と思った。
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by totoatsuko | 2009-09-03 17:47 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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