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盗まれる、という心配

以前の記事を読んだ友人がメールをくれた。

私、この前のアーティストの取材でまったくブログにかかれてる事と同じことを思って、
「私だったらこの部分、手描きじゃなくてパソコンで‥‥とか考えちゃいますよ」
と相手に言ったら、
「それがあるから、膨大な作業の積み重ねがあるから、
不安になったときも自分は大丈夫って思えたり、折れずにやっていられるんですよ」
と言っていた。

作品が批判された時は本当に悲しいし、
いつもそういう恐怖と闘っているらしい。
多くの人はそう言う。

 #もちろん中には、
 #「他人が何を言おうと別にかまわない」と
 #とりあえず言ったり、あるいは本当に思ってる人もいるだろうけどね。

そんな時に自分を支えてるのが、
自分がどれだけこだわるか、何をどれだけ注いできたか、ってこと。
もちろん人に見てもらいたいとか評価されたいと思っているだろうけど、
そのためにはまず自分が妥協しない、ということが前提になければならないと彼らは強く思っている。
「言わなくちゃわかんない」なんて思ったり、手を抜いたりしないんだよね。


友人のメールを読んで思った。
真似されるんじゃないか、とか追い越されるんじゃないか、と心配になり秘密主義になるのは、自分のプロセスに自信がないからかもしれない。自分が凄く力をそそいでつくったもの(それは過去から繋がっている今ある自分自身という作品であるかもしれないし、自分の専門や技量であるかもしれない)は、たとえ一見他の物と同じに見えても、他のひとでも出来そうにみえても、同じではないというのを、自分自身が一番よく分かっている。自分というユニークな存在が全身全霊を傾けて作ったものと全くおなじ物を、他の誰かが作り出せるわけがないのだ。

ブランドものとその海賊版。アーティストのクリエーティブワークが詰まったCDやDVDと、その海賊版。
海賊版は、本物となんら変わらない。
けれど、そこに込められたエネルギーや意図は全く違う。
その違いが分からない人もいるし、コピーであることを何ら気にかけない人もいる。
でも、アーティスト自身が一番知っているはず。コピーは、本物になれないと。コピーが出回っても、自分が作った作品の自分にとっての価値や意味合いは変わらない、と。

-ただ、本物を悪用して、世間一般における本物の価値や評価を無意味に傷つけるような作為も生まれるので、そういう物から作品を守る、というのはする必要がでてくると思う。自分、という人間がどんなに批判されたり生き方を真似られても、自分自身に信念があればそれは自分自身のの存在は揺るがないけれど、悪い噂を意図的に広められ生きにくい環境におかれたら、やっぱり凄く嫌だし、自分(作品)を守ろうとするだろう。


第三者に、あなたの作品はこっちの作品より劣っている、とか好きじゃない、といわれても、「批判された」という事にたいして悲しい思いはすれど、自分自身や全身全霊を傾けて作り上げた作品に対する愛着や自負みたいなものは変わらない。第三者はいくらでも何でも簡単にいえる。でも、一生懸命その作品が生まれる過程を歩んだ自分がいたら、そんな無責任な言葉や扱いによってちょっとやそっとでは自己嫌悪にはならないくらいのゆるがないものがあるのだな、と思った。
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by totoatsuko | 2009-04-14 14:31 | Comments(0)

ご主人さま・家政婦さん

仕事でクライアントの方の話をきいていて、家政婦さん扱いされてる妻たち、家政婦扱いしているつもりはない夫達、そしてそれが夫婦というものだ、と諦めて?いる人はなんて多いのだろう、と思う。

家政婦さん・あるいは海外だとメイド、として雇われている人の役割は、家事や子供の世話であることが多い。それに対してお金を支払う。ある意味ビジネスリレーションシップ。付き合いが長くなってくると両者の間には、家政婦と雇い主を超えた思いやりなど、お金を超えた気持ちが育っていくけれど、そのクオリティーみたいなものは、夫婦間のものとは一線を画す、はず、、、。そうじゃないケースもあるけれど。

だけど、何だか家政婦みたいに、家事、子育てや日々の雑用を全て奥さんがやるのが当たり前、と思っている夫。オレは外で働いてお金を稼いでくるのが家族の中の役割。家の事や、自分のためにやってもらう事(食事の準備とか洗濯とか)を妻に任せるのは、家政婦さんにやってもらうのと同じくらい当たり前な事で、一々お願いしなくてもやってくれている家政婦業務をやってくれている妻特別に感謝する、という発想をもたない。むしろ、ちょっと家が汚いだけで、文句を言い、文句いうだけで、自分から掃除を手伝おうという気持ちはさらさら持たない人もいる。その家は、自分たちで作っていくはずのものなのに。

そして、妻たちも、そういうものだとあきらめて、家が汚い、と言われて罪悪感を持ってしまう人もいる。
今日は、体調が悪くてできなかったの(ちょっとは察してほしいなぁ)、などという理由は、夫婦間波風たてないように、飲み込む。
何で私だけがやんなきゃいけないの、と不満に思いつつ、古今東西、両親や友達をみても、そんなものだった、と不満をなだめ、その気持ちを夫に伝えてみる、という発想も持たなかったり。

でも、行き場がなく無意識の層に追いやられているお互いに対する不満はPassive aggression#として、その関係の中でそこかしこに出てしまうのだが。

夫婦の関係は、家政婦さんとその雇い主が築くものとは全く異なるのだけど、不満をいだきつつ家政婦っぽい役割を自ら演じたり(直接は賃金を支払われていないけど、家にはお金を入れてくれているし)、奥さんを無意識にでも家政婦扱いしている夫たちは、勿体ないなぁ、と思う。そういう役割にはまることで、夫婦として「一緒」に家や家族の形を作り、保ち、発展させていく楽しみや苦しみを体験する機会を逃してる。

いや、そういう深くて複雑でリッチな関係を夫婦に求めていないのだったら、それはそれでいいと思います。

夫婦は、お互いにたいして、夫婦としての思いやりや相手に対する興味がなくなったら終わってしまうしかないのかもしれない、と私の場合は思う。(いろんな夫婦の形があるので、他の形があるのも当然。けっして、全ての夫婦と名の付く関係がそうじゃないといけない、と私が思っている、とは読み取らないでくださいね)

そう考えると、熟年離婚は、すごく筋が通っている、と私は思う。
お金を稼ぐ、という役割を担当して、家族を金銭的にサポートしてくれて有難う。でも、積極的な母親業を子供達が必要としなくなった今、私がこの家にいる必要もなくなりました。家政婦業も定年にさせていただきます。定年がない妻業ですが、そういうものはわたし達の関係の中ではそもそも大して存在していないので、やめるにあたって何のためらいもありません。

どうせ卒業するなら、あーなんていい学校だったんだ、と思いながらしたいものだけど。
とくに、自分の命を卒業するときは。
だって、せっかく入った学校だもの。せっかく自分の人生を長い間費やす場所だもの。

こんな現象が根強くのこっているのは、
子供の頃から見聞きする周りの夫婦達がモデルとして刷り込まれているから?

男性も女性も、その結婚や相手との関係に何をみているのか、
そういうものだ、と示されているモデルと、
そういうものだ、と無意識に自分が思いこんでいるモデルと、
自分自身が夫婦関係に求めるもののギャップは何なのかあまり気づかないようにして、一旦夫婦になってしまったら、その関係を深め・豊かにすることよりも、いかにして自分の気持ちをなだめて、継続を導くか、というのが優先しがちなのか。

我慢しているけど、夫婦ってそういうものなんだ、と受け流し、あきらめている夫や妻たちの話をきいていて、そんな事を思った。

#Passive agression - 受身的な攻撃 とでも訳すのがいいのか。
例えば、怒りを、相手を非難したり暴力をふるったりするのはactive agression. その反対で、むかついてるのを、例えば無視、という態度で対抗したり、例えば相手が嫌がる浪費をしたり、間接的だけど相手の気持ちを確実に害することをしたり、相手に直接文句は言わないが、相手の悪口を周りにひろめて相手がそのコミュニティーにいづらくする、そんな受身的な攻撃性。
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by totoatsuko | 2009-04-14 14:15 | Comments(0)

ゲシュタルト手法を使ってGIM II

前回の投稿から日にちが随分たってしまいましたが、、、続きかきます。

GIMセッションで、クライアントが音楽を聞きながらイメージを感情面・身体面・思考面・ひいては魂のレベルでも、自分、というものを体験しうる状態のとき、セラピストは何をしているか・あえてしないのか?

クライアントが、イメージ体験をより豊かに体験する手助けをする、というのを常に念頭においておきながら
クライアントに時折質問し、どんなイメージを見ているか聞いてそれをノートに書き取ったり(イメージを体験している深層から表層意識に戻ってきた時、イメージ体験の詳細が思い出せない事があるがら)、

例えばクライアントが何かのイメージにぶち当たって身動きが取れなくなっていて、そこに何か介入があるほうがクライアントの心のプロセスにプラスに働く、という場合、セラピストが手助けになるような言葉がけをする。それは、例えば、周りを見てみることを促すものだったり、体験している身動きの取れなさの苦しさをもっと感じる手助けだったり、様々。

滅多に、イメージ・物語の方向を変えるようなサジェスチョンはしない。
あの湖の方に行ってみたら?とか、こう考えてみたら? とか。

言葉がけをするときは、限りなく客観的マインドであろうとする。(完全に客観的にはいくら努力してもなれるものではない) 私がいい、と思う方向を提案することはせず、あくまで、クライアント自身が持っている、自分でも気付いていないかもしれないエネルギーやアイデアや芯の強さ・弱さやクリエーティビティーが力を得る手助けをするのが目的。それらの要素が、それ自身の自信を取り戻したら、人に色々指示されなくても、内側から動き始める・新たな展開を人生にもたらす。

イメージ体験とセラピストの関係を説明し始めたらゲシュタルトXGIM から随分と横道にそれてしまった・・・

ゲシュタルトの要素をイメージ体験に適用するというのは、例えば イメージの中に出てきた何か(感情・建物・人・色・形)になりきってみるよう、セラピストが進言する、という方法。この場合、例えば、今クライアントがイメージしている赤い花が私の主観では凄く大事に思えたら、クライアントにその花になって、その花が考えていること・感じている事感じようとしてみてください、と提案する。

これは、ある意味強引な提案だ。
クライアントは、その花の重要性に気づいていないかもしれず、その重要性に気づくのには、自分自身がいっぱい遠回りをして気づいていく、という過程が大事かもしれないから。私がそう提案してしまったら、「自分でみつける」というそれはそれは大事な過程・機会を奪ってしまうかもしれない。

だから、この手法をGIMのイメージ体験の中で使うのはとても気をつけないといけないと思う。
ただ、そのタイミングやなりきってみる対象の選択が正しければ、
言葉だけのゲシュタルトセッションより、パワフルな体験・プロセスが起こりうる。
なぜなら、そこに音楽があるから。

音楽なしで、花になりきって花の気持ちを感じてみるよりは、
深層心理に意識を留め、そこに存在する花に象徴される心の要素と繋がるのを音楽は手助けしてくれる。

前回の投稿で紹介した私のゲシュタルトセッション体験 -
音楽のない環境で、自分の描いた道であり壁になりきって話してみる事を促された時、ああここに上手く選択された音楽が存在したら!と自分自身の体験で思った。なぜなら、ふと集中力が途切れそうになって、壁の気持ちにフォーカスできなくなたり、壁自身をみうしないそうになったりしたから。音楽があれば、深い真理に私を留めてくれて、もっと深い所を探ってみることへ背中を押してくれたり、すこし光をともしてくれる。

何々手法とか、何々論とか、何派とか、色々知っているのはすごく意味がある、と同時にそれらを自分なりに消化し、自分のやり方に組み込んで使いこなせるようになって初めて「知っている」ことが生かされるのだと思う。

ゲシュタルト的アプローチは、私のGIMトレーニング中では語られなかった要素なので、私的にはこのコラボレーションの可能性に気づいたのは新鮮であった。しかし、新しくえた玩具を嬉しがってどこでもかしこでも持ち歩くような子供のような使い方をせず、まずクライアントありき。ここぞというときに使えるように消化・吸収していたいと思う。
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by totoatsuko | 2009-04-12 21:40 | Comments(0)

根本的な変化は望まない

断固とした口調で政治から、抜本的な改革が必要、というのを時々きくけれど、実際抜本的な変化を生活の中でかんじたことはない。どんなに現状が危機的な状態で国民自身が苦しんでいるにも関わらず、荒治療を慣行しようとする政治家にはあまり票が集まらない。地元で人気がとれない場合が多い。
ある政治家が、日本の教育がいかに危機的で何らかの手立てが必要だ、という人よりも、地元に道路を作る予算をつける実行力のある政治家のほうが生き延びると言っていた。

今日もまた糖尿病(血液中の糖が高血糖であり続ける疾患 - 視力喪失、動脈硬化 →脳卒中、肢体切断、死 などをもたらす)に新たな治療法(対処療法)が報じられていた。

糖尿病ほど、実際より軽んじて認識されている病気はないのではないか、と思ってしまうくらい、糖尿病になりかけ・なっている人・かつ何の対処(生活の変化)をしていない人は凄くおおい。

食生活を改めれば糖尿病はなくなる・予防できるけれど、その重要性よりも
新薬や治療法の方が話題になる。

口臭ケアの商品はヒットするが、そもそも口臭をつくる原因やプロセスを変えよう、という発想をする人は少ない。食べたいものを我慢してまで口臭を消そうとするよりは、対処療法で、出来た口臭を消すための化学品を取る。

鬱や摂食障害などの治療でも、ホルモンのバランスや睡眠のパターンなどを薬でコントロールして、よりいい心の状態を生み出そうとしても、それだけでは薬をやめたらまた元の状態に戻ってしまうことが多い。その状態を生み出すに至る複雑な過去からの心理プロセスを紐解かないと。でも、その紐解きのプロセスは心の痛みを伴うから疎まれる。

食糧問題が取りざたされている。しかし1キロの牛肉を作るために16キロの穀物が必要であることを宣伝しないし、よりお肉を食べるようになってきている中国が近い将来食料の輸入国になること(今中国に満たしてもらっている胃袋は満たしてくれるパトロンを失う)も、とうもろこしが原料のエネルギー開発を進めればますます食糧危機が進む、というのも知ってはいても、自分が口に入れるものの選択を変えはしない。

みんな、嫌な状態は変えたいと思うけれど、変え方が「早くて手軽で辛くなくて自分(の発想・哲学・信念・生き方)が根本的に変わらなくていい」方法を多くの人は探している感じがする。あるいは、危機的状況だけど、あまり危機的ではないように解釈しようとする。だいじょうぶ・ なんとかなる、と。本当はならないのに。

みんな知っているのだ・無意識に。
根本的に変わるにはもの凄い痛みとか心理的抵抗・葛藤が起こる、というのを。
少し先に見え隠れする体を震撼させる激痛や死よりも、目の前の痛みを避けたがる・反射的に避ける選択をするのだって、それはそれで自己防衛といえる。
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by totoatsuko | 2009-04-08 13:53 | Comments(0)

結果がでない過程

久しぶりに美術館に行った。

作品を作る過程にどれほどの時間とエネルギーが注ぎ込まれたのか、と思いをはせる。

心に強く語りかけてくる作品もあれば、そうでないものもある。

アーティストは、誰かに評価される瞬間を夢見て、膨大なエネルギーを注ぎ作品を作っているわけではない(はず)。どんなに自分を捧げて作品を作っても誰かに評価されるとは限らないのに、そんなことは関係なく、自分の作りたいものを作る。創作の過程にこそ意味がある。

作る過程を地道に歩き、味わえる、って凄いな、と思う。
何かを作っているとき、何かを仕上げようとしているとき、その過程がそんな長い時間を要するものでもないのに、ただただめんどうくさくなって、適当に処理したり、ショートカット使いたくなったりする私は、アーティスト達の「過程」における情熱の持続に心を打たれる。

アーティスト マインド的には、細部までこだわる、自分に妥協しない、というのは当たり前なのだけど、今の時代って、人に評価されないことに時間と労働力を費やすのってバカらしいとか、勿体ない、って感じさせられる時がある。例えば、一年かかって製作したものに対して、誰も見向きしなかったら・・・1年無駄にしたような気になる場合だってあるだろう、自分がその一年を楽しんでいなかったら・結果と評価だけを追いかけていたら。

過程を楽しみ、作品を完成させていくことにより、自分自身が自己実現やセルフエスティームを補完しできるのだけど、、、人って本質的に誰かに認めてもらいたい、というのがあるから、創作過程において、自分で自分を評価し、喜びを見出せなかったら、つらいだろうな。

「過程」に思いをはせる私としては、出来上がった作品だけをみるのではなく、その過程を、その作品が生まれるに至る哲学や背景も一緒に味わいたいと思う。それは、アートだけではなく、日常の自分自身や相手の何気ない言葉や行動 という「形」にも当てはめたい。どこからそのコトバがうまれているのか。なにかそういう行動を起こさせているのか。言葉や振る舞いの表層だけをすくって判断するのではなく、もう少し深いところまで受け止めようとしたら、相手の色合いがきっと違って見えるし、それに反応する自分もかわってくるだろう。

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たった数センチの作品を作るのに膨大なエネルギーを費やせる、
ある人には全く無駄にみえるものに深い意味を見出し没頭できるアーティストは
なんてステキなんだろう。

人に何を言われようと、
どう思われようと、
自分にとって価値があると思うものをコツコツとやり続ける、
たとえそれが何の結果にも繋がらないように思えても。
だって、人生は結果を出すことが目的なのではなく、積み重ねる過程そのものだから。
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by totoatsuko | 2009-04-03 22:18 | Comments(0)

見たい映画

四分の一の奇跡

人は何故完全ではないのか。
宇宙は何故完全ではないのか。

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by totoatsuko | 2009-04-02 22:30 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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