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片思い

片思いって辛い・痛い・どうしていいのか、どうしたいのか・・・混乱させられる、思いが強ければ強いほど。

プライドとか見栄とか捨ててその思いを伝えているつもりなのに、相手に届かなかったり、その思いを拒否されたり。

相手を思っているはずなのに、だんだん相手が憎くなる。
近寄らないで欲しいと思う。
殺してしまいたい、と思う。

皮肉なものだ、
相手のことをこんなにも思っているのに、思いを受け止めてもらえない、
相手とコミュニケーションとろうと努力しているのに、その努力が実らないがために、あるいは、あだで返されるがゆえに、

その存在をうざったく感じ始め、
その存在から距離を置き、
強いては、その存在を抹殺したい、
と思うに至ってしまうのは。

皮肉なものだ。

どうしてそうなってしまうのだろう?
相手のことをそんなにも思っているのなら、その人から距離を置きたい、殺したいという気持ちは相反する。
繋がりたくてしょうがない相手を自らの手で消してしまったら、自分が切実に望んでいたもの、「その人」を失うことになるのに。

皮肉なものだ。

どうして憎んでしまうのだろう?
それはサバイバルなのかもしれない。
思いが強ければ強いほど、それを無視されたり受け止めてもらえなかったら、その分自分の心が受ける傷は深く大きい。人の気持ちや行動をコントロールすることは出来ない、そう頭で分かっていても、そういう理屈で心を納得させようとしても、成功しない。思いを受け止めてもらえない悲しさは、悲しさとして存在する・漫然と。

悲しみが積み重なっていったら、怒りや憎しみに変わる。
自分を守るために。
もうこれ以上傷口から血を垂れ流しながら相手を思い続けることはできない。
こんなことを続けていたら、相手を思っている思いの本人・自分が死んでしまう。

自分は死にたくない。
こんな思いをさせて心を死の崖っぷちに追いやっている相手が憎い。

思っているのは自分の勝手。
だから思いが届かなくて悲しくなって、
それでも思い続けるのをやめられず、
自分が傷ついているのも、ある意味自分のせい。

だから片思いが辛くて相手を抹殺するのは、超自分勝手。
でも、ちょっとワイヤーがからまったら誰にでも起こりうる心理展開。

そんなメンドウな事には巻き込まれたくない。
だから、感情を感じないように自分に言い聞かせていく、日常から。
そんな傾向、誰しも幾分かはもっている。

これ好き?これやりたい?
うーん、どっちでもいいよ。

女(男・子供・友達・ペット・洋服・会社・社会・国)なんて、他にもいっぱいいるじゃん・あるじゃん。
なにもその人に固執しなくたって。
なにも、例えば、日本に固執しなくても。

そういうスタンスでいるほうが、やっかいな思いに巻き込まれないですむ。
余分なエネルギー使って相手に自分の思いを伝えようとして泣いたり怒ったりするのはもうたくさん。

万が一、そんな強い感情に巻き込まれそうになっても、すぐ身を引けるように、
すぐ自分の感情を、たいしたことない、たいした相手じゃない、そんな大事じゃない・この気持ち、って切り捨てられるように。

そんな傾向、誰しも幾分かはもっている。
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by totoatsuko | 2009-02-21 05:49 | Comments(0)

休符

リズムはゆらぐ by 藤原 義章から
「休符」は「音符と同じように時間の長さを規定する記号。休符の間も音楽は休みなく続いている。休んでいるのではなく黙ってるだけだから「黙符」といったほうがいいかもしれない。

という記述があり、なるほどなぁと思う。

もしかしたら、本当の休符は、フェルマーターかもしれない。フェルマーターで音がのびているあいだ、拍はカウントされず、そのときのその音楽の演奏者の時間の流れと感覚によって音の長さが決められる。決められた拍子とか拍ではなくて、奏者の生きている時間の流れみたいなのが、音の緊張感を高めたり緩めたり、一息ついたりするのに必要な長さとして。

私の一日の時間の中で、フェルマーターな時って、いつだろう?
セッションとセッションの間は、一息つくというより、振り返りと頭と気持ちの切り替えでちゃかちゃか動いてる。
仕事が終わっても、今度はすばやく家庭の顔に切り替える。

そう考えると、あんまりない、止まってる時間って。
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by totoatsuko | 2009-02-19 21:32 | Comments(0)

too much インプット

カンファレンスに出席したら、とても面白い刺激がたくさんあって、消化不良な状態で少し気持ち悪い。まさに、食べすぎ飲みすぎで気持ち悪い感と同じ。

早く消化してスッキリしたいのに、
色んな事がありすぎて、どこから手をつけていったらいいか分からない感じ。

しかも、満腹だから動きが鈍い。

皮膚の表面にいっぱいキラキラした、素晴らしいに違いない物がくっついていて、早くそれを自分のものにしないととれてどこかに行っちゃいそうで。でも、本当にキラキラしてるかは分からない。凄い重要な要素を含んでいるように感じているだけ。

まず、何が「自分にとって意味のあるものか」というのキラキラの反射の中からみつけないと。どんなに素晴らしい宝石も自分の好みやライフスタイルや哲学に沿っていなかったら、自分にとっての宝石にはなりえない。

どれが自分にとって今本当に必要なもので、そうでないか、というの分からないから、どう掘り下げていって、どんな自分の一部に変容させていけるのか分からない感じ。

とりあえず、断片的な要素を書き落としたけれど、ひとつひとつ拾っていくには時間がかかりそうです。
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by totoatsuko | 2009-02-17 23:47 | Comments(0)

エコ ジレンマ

なるべくゴミを出さないように生活したいと思う。
なるべく地球と共存する、地球を大切に思いながら生きたいと思う。

でも、現代の便利な物は使って、省ける苦労は省きたい。
子育てしてると、両手がふさがってしまう作業や体に負担がかかる動きや、余計な気を回さなくてはならないステップは、独身時代よりもっと省きたくなった。

そして起こったジレンマが宅配。ネットで買い物=宅配。
オムツとか、洗剤などの日用品とか、かさばる物、重いものを宅配してもらうよう頼むと、大きなダンボールに梱包して届けられる。自分で袋を持参して買えば必要ない包装。個人的に凄い無駄なことしてる気がして地球とそういう事してる自分に対して罪悪感。

反面、こういうもの、玄関まで届けてもらえるって、凄く凄く助かる。
夜中でも、買い物できるのも、凄く便利。

宅配。私にとっては、カナリ心を悩せるテーマ。

最近は、めんどくさい気持ちを筋トレ・あるいは運動だよ、と言い聞かせてお店に足を運び、自分で荷物を運ぶように極力しています。

こういう雑務がめんどうだと感じないくらいの気力と体力を保てたら一番いいのですが。
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by totoatsuko | 2009-02-08 22:22 | Comments(0)

昔ながらの・・・

現代の日常では経験しない作業を子供たちと一緒に体験。

町内会主催の餅つき。
公園で、ミニかまどを作って、焼き芋&焼きおにぎり。

どっちもすっごく大変な作業。
体をいっぱいつかうし、それに連動して頭も一緒につかう。
知らない人と一緒になって。


餅つき。
まず、臼を出してくるのってたいへん。重いんだもの。一人じゃ出来ない。
そしてなかなかもち米はお餅にならない。
あんな重い杵をつかって何度も何度もついても。
何人もが交代してつき続ける。

お餅をついた臼を綺麗にするのも一仕事。
綺麗にねばねばくっついてるお餅をきれいにとって、乾燥させないと、
この臼を長くつかっていけない。

お餅が、本当におご馳走なんだと感じた。


かまど作りも、人生初体験。
レンガを積んで、枝を集めて、新聞紙に火をつける。(火は、マッチの力を借りました)
なかなか枝に火が移らない。
お腹が減ってきたので、早くサツマイモ&おにぎり焼きたいのに、ぜーんぜん火がつかない。
だからって、他に選択肢がないので、ひたすら考える、体を使う。ハウツー本もないから不便。どうやったら火が大きくなるのか。。。枝や新聞紙の置き方とか、量とか、みんなで考えて、みんなで工夫してみる。

枝に火が移るよううちわで扇ぐ。扇ぐ、扇ぐ、大人も子供も、無心になって扇ぎ続けること3,40分。やっと枝が激しく燃えはじめ、炭をその上にのせる。団扇で扇がなくても、炭に火が入り火力が安定したのが、その30分後。

やったぁ!!!
さっそく食べ物を入れて焼くー食べる。
美味しい。
ただ、シンプルに美味しい。

食べ物に火を入れることって、大変なことなんだ。
原始時代の人って、マッチもなかったんでしょう。凄いよね。食べること自体が、すごいスペシャルな事だったんだろうね。

そんな会話をしながら、芋と米をほおばる。

お餅なんてどこでも買えるし、火だってガスひねればすぐつく。
だからこそ、週末の体験は私の心と体に何か強いものを残していった。

昔はよかった、(現代生活はよくない)というつもりは毛頭ない。

ただただ、生きるために生きる作業をかさねていく生活
原始時代って、そんな感じだったのだろうな。

この作業をいかに効率よくやって、いかに生活を便利にするか、、、とかではなくて、ただ命をつなぐ、自分の体ぶんだけの範囲で生きるというか・・・
なんだかうまく表現できないのだけど、そんなものをこの体験を通して感じることできて、すごくよかった。
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by totoatsuko | 2009-02-07 23:40 | Comments(0)

しぼりたてそのまんま牛乳

授乳期にある牝牛からしぼった後、なーーーーんにも人間の手を加えていない牛乳を飲む機会があった。

びっくりした。

菜食している人の母乳のように、サラサラしていた。味も市販のものに比べて信じられないくらい薄かった。とにかく、私の知っている「牛乳の味」ではなかった。

市販の、言ってみればコクのある牛乳には、一体どんなものが混じっているんだろう。
牛乳のパッケージには何の添加物表示はされていないけれど、、、
人間だってそうなのだから、牛だって添加物漬け。

添加物漬けの牛の肉自体やそのお乳自体は、添加物として表示されない。

子供を産まなくても年から年中おっぱいが出るように体質を変えたり(人間は、子供を産んだ後の限定期間しかおっぱいは出ない)、おっぱいの味を調整するなど、市場のニーズに応えるためにブレンドした牛の飼料に含まれている薬品の作用って、 ホントすごい!!!と舌をもって感じました。
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by totoatsuko | 2009-02-05 10:05 | Comments(0)

だって何も分からないからー

d0065558_53061.jpg既婚者同士で結婚式の準備の話をしていた。ドレス屋を何軒まわったとか、何ヶ月前から準備始めたとか。

それで、いわゆる結婚雑誌、といわれるものを買った?という質問に
「買いましたよー、だって何も(結婚式の準備の事)分からないじゃないですかぁ」
というコメントが帰ってきて、興味深かった。しかもそう言った人が、なんとなく自分を持っていないような人だったから。

結婚式をするにあたって雑誌から、結婚式とはどういうものなのか、多くの人は、どんな感じで準備していくのか、親とか招待客に気遣うべき点は、等リサーチして、その情報に基づいて、自分らしい?結婚式を企画する。

これから自分がやろうとしている事ーこの場合結婚式、について何もわからないからまず雑誌を見ちゃったら、この人の場合、「結婚式ってこうあるべきなんだ」という先入観が入ってしまい、それが縛りになって、自分が本当に結婚式でやりたいことについて自由な発想ができなかったんじゃないのかなぁ、と思ったのでした。

それとも、そもそも自分がなくて、どうしていいか・というか自分がどうしたいかさっぱり思いつかないから、慣行に習って、雑誌が勧める内容を踏襲するのが、その人らしかったのかもしれない。

何かをやろうとするとき、まずリサーチするのか、それともまず自分がやりたい形をやってみるのか。結婚式だからやらなくてはならないこと、やってはいけないこと、というのは一般論としては存在するけれど、「自分の結婚式」には、自分のルールをあてはめてもいいのではないかと。

そもそも、自分は結婚式が本当にやりたいのか、同じお金と時間と人を巻き込むのなら、他のものに費やしたい、と思ってないか、という所から自分に問うのもありだ。

NYの癌の専門病院(Slone-Kettering Memorial Hospital)でセッションをしていた時のこと。毎朝、病院スタッフからのリファーラル(この患者さんの所に行ってセッションしてください、という要請)シートが届く。そのシートには最低限の情報(名前・部屋番号・癌の種類・その他が記載されている場合とない場合)だけ載っていて、例えば宗教は何かとか、癌の進行や治療の状況はどんな感じかとか、家族との関係とか、患者さんの心理に大きな影響を与えている情報は記載されていない。

私にはチョイスがある、その患者さんを訪れる前に。
そのリファーラルシートから得られる情報だけをもって患者さんを訪れ、患者さんと接しながら患者さんを知っていきセッションを一緒にすすめていくのか、
訪れる前に、カルテをみたり、医療スタッフや家族と話をして患者さんの情報を得てからセッションをするのか。

前者の場合、先入観から患者さんを見失うリスクは少ないが、踏んではいけない地雷を踏んでしまう可能性もある。(まぁ、踏んでしまった地雷もセッションの糧として使えばよいのですが)後者のばあい、医療スタッフや家族のみる患者像を情報として持っているがゆえに、その先入観・色眼鏡をかけて目の前にいる患者さんを捉えてしまう危険がある。


何か自分が知らないことをしようとする時、
まず、一般論や人の意見をリサーチしてから実行するのか、
とりあえず自分の直感と本能を信じてやりたいことをやてみるのか。

なんとなく、みんなが事前リサーチしてから実行してるからとか、
なんとなく、みんながとりあえず飛び込んでみた後から情報集めして軌道修正してるから、
というなんとなくな理由で何かをするのではなくて、自分が本当にやりたいことを実現するには、どういう手順を踏んでいくのが自分にはあっているのだろうか(どっちが一般的に正しい間違い、という視点ではない)、というのを意識するのって、大事ではないかな、と思ったのでした。
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by totoatsuko | 2009-02-04 09:27 | Comments(9)

対立を超えて III

子供のセラピーをやっていると、大抵親と子の対立が生まれる。

セラピーを受けて変化していく子供が帰る場所は、子供がセラピーを受け始めるまえから何も変わっていない子供の問題を作り出している親や家庭環境だから。

親は、子供の何かを問題視して、あるいは子供にもっと情緒豊かになって欲しいとか、自己表現できるようになってほしいとか、心を開いて欲しいとか、色んな希望を持って子供を音楽心理療法セラピーに送り込むのだけど、当の親は、セラピーに行かない場合が多い。

だから、セッションの中で子供がどんどん自分の感情に素直になっていっても、感情に素直になることが危険な家庭環境のままだったら、セラピーの効果も半減してしまう。あるいは、全く変わらない親との対立や、心の溝が深まってしまう。

子供のセッションを希望される方には、ご自身もセラピーに行かれることを私はお勧めしている。子供のその状態は、100パーセント親のせいでは決してない。親が、子供の在りように100パーセント責任を感じる必要もない。子供を親の思うように作り上げるなんて、所詮無理なことだから。なぜなら、今、その子がそうあるのは、その子のもって生まれたものや、その子の環境に対する本能からくる適応方法が大いに関係しているから。でも、親や家庭環境の影響がゼロではない。

親や兄弟にもセラピーに行くことは、その子が受けるセラピーの恩恵をより尊重することになる。

しかし、特に日本ではなかなか深層心理をアートを使ってちゃんと扱える人がいないので、私の場合、その数少ない紹介出来る人を紹介するか、家族セッションを提案することになる。

変化する、というのは、変化しないものとの摩擦を生む。
それは、変化する本人にとっても、変化する人を相手にする人にとっても対立・摩擦・痛みを引き起こす。

それが嫌(と無意識で感じてる場合もある)で、変化したくても変われない人、沢山いる。

でも、セラピーにきて、セラピストのサポートを得ながらだと、その対立をうまくかわしばがら、たったり、痛みに耐えながらだったりできる、内なるエネルギーを感じながら、変化のプロセスを遂行しやすくなる。

・・・と、言葉で書くのは簡単ですけど、
「自分が変わる」
「変わっていく自分を抱えながら変わらない周りとうまくやっていく」
というのは、私自身実体験してきた・している(生きていれば、繰り返し脱皮成長・変化する)から言えますけど、ほんとうに、ほんとうに言葉では表せないくらい痛くて、辛くて、心が大騒動する・ある意味周りにもご迷惑おかけするプロセスなんですよね・・・
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by totoatsuko | 2009-02-03 22:24 | Comments(0)

対立を超えて II

大地宅配という、食品の宅配会社の社長が言っていた。

土壌から昔ながらのやり方を大事にしながらつくって、農薬を出来るだけ少なくして美味しい野菜を作って会員の方に届けよう、と農家の人達と一緒に考えて頑張っているうちに、農家同士で、あっちの堆肥はうちのより悪い、とか内部分裂・内部批判みたいなのが起きてきた。

人間、人を批判して熱くなるのは、優越感に浸れたり、自分のパワーを感じることが出来て気持ちいい。でも、批判してるだけでは、自分たちは共倒れ・一緒に腐ってしまうよ。批判するエネルギーがあるなら、それを使って、自分が持ってる技術を伝える努力をし、教えてもらう方も謙虚にその教えをこい、共に成長しようじゃないか。

そう社長は農家の人達を導びき、纏めて
いったのだそう。

純粋さ・完璧なもの・理想をつきつめていくと、
不純なもの、自分の理想にそぐわないものを排除したくなる。

でも、そもそもわたし達は不純物にまみれた世界で「生かされている」のだから、
不純なものを排除して、あれは間違ってる、これは悪い、と選別しながら生きるのは、すごく難しいし、自分一人は理想に近づけても社会から家族から孤立してしまう場合もある。だから、不純なものを取り込みながら、その流れの中で生きる、という方法もありだと思う。

というのは、セラピーのプロセスで、今まで自分はなんてひどい生き方をしてたんだ、生まれ変わろう、その努力をしよう、と思って頑張っていると、先の投稿でも書いたけれど、周りのものが全て間違ってるように見えてきたりして、自分が変容する痛みを乗り越えるために必要なエネルギーが、そのギャップの苦しみに消費されてしまうことがあるからだ。

けれども、周りの批判を浴びながら、周りから孤立しながらも、純粋なもの・理想をとことん突き詰める生き方もありだと思う。奇跡のりんごの木村さんのように。
ーその場合、周りを批判はしない、というのは鉄則。だって、自分が勝手に変化しようとして、勝手に自分の理想を持って勝手に自分のペースで別の人間に生まれ変わろうと、全く新しい世界を作ろうとしているのだから。

ー周りからけんか・対立を吹っかけられるのも覚悟しておかなくてはならない。勝手に変わっていくあなたを許せない、迷惑、排除・切捨てられようとしている、と周りは感じ、怒りを感じる場合もあるから。でも、そこで売られたケンカを買う・対立を大きくするのは、あまり生産的ではない。

意見が違う=対立ではないのだ。
ただ、「違う」「違ってきている」というだけ。

意見が違う、というのをニュートラルに受け止め、
自分が、その違いをどう扱っていきたいのか
ー周りの意見(自分にとって不純物)を取り込みながら生きるのか
ー周りの意見はおいといて、自分の信念を純粋に求め・作り上げようとするのか
(木村さんのように、自分の理想なものが形になった時、それまでケンカを売り続け、完璧に敵を演じていた周りが、一瞬にして賞賛する側に回ることもある)

どちらの生き方も間違ってない。
どちらかを選ぶ必要もない。
自分のちょうどいい配合をみつけられればそれでいい。

ただ、周りと真っ向 対立しながら自分の変化のプロセスを積み重ねていくのは、余分なエネルギーを必要とする。でも、それが自分にあうやり方だったら、そうすればいい。大変だけど、自分に合わないやり方をするよりは、大変じゃない。

できることなら、対立を超えて、ちょうどよい距離を保ち、お互いの存在と在りようをお互いが尊重しながら生きていければいいな、と思う。
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by totoatsuko | 2009-02-03 22:05 | Comments(0)

対立を超えて I

自分の信念を作り上げていく過程・あるいは、自分の価値感を根本から疑い・組み替えていく過程が、音楽心理療法のプロセスの中で起こる。

今まで絶対正しいと思っていたこと、今まででは考え付かないような生き方や考え方が、セラピーのプロセスの中で、自分の内側から生まれてきて、その発想自体に自分自身がまず戸惑ったりする。

そして、その戸惑いの中から、少しづつ芯のようなものが見つかり、今までの価値感や思考回路をつくりかえていく作業が自然と起こる。

その時、何も変わらない自分の周りの人との付き合い方に戸惑ったり、今まででは傷つかないような言葉がけにショックを受けたりする。何故なら、自分は変化の真っ最中で、ある意味無防備で、手探りで、暗闇にいるような状態だから。

ほら、小動物が脱皮する時が、一番無防備で危険な時っていうでしょう。
わたし達も、着替える時、一旦裸にならないといけないから、肌はさらされ、着替えの作業のため防衛反応も落ちるでしょう。

一生懸命、見えかけている・気づきかけている自分の本当の姿の片鱗を追いかけていると、これまでと全く変わらない周りの、試行錯誤している自分に対する接しかたや言葉がけが、凄く配慮がないと感じられたり、そういう態度を私にとってきたから、今までのような自分になってしまったんだ、と相手を責めたくなる。私の事を思ってるんだったら、今、私が変わろうとしているこの過程と苦しみを理解して、「私に対する態度も変えて欲しい」と思う。

でも、自分が内面の深い所からゆっくりと変化のうねりを体験していても、周りの人はセラピーがどんなものか分からないし、セラピーを受けているわけではないから、自分の変化に伴って、自分の変化をサポートするような変化をして欲しいと願っても、それは無理なのだ。
その事実を受け入れるのは難しいし、つらいけど。

それに、周りは自分と一緒には変われない、と頭で分かっていても、やっぱり心は相手に変化する事・言わなくても自分を分かっているように振舞ってくれる事を無意識に求めてしまったりする。もし、セラピーを受ける前の自分が、周りの人との関係にそういうものを求めるタイプだったら尚更。

それで、相変わらずな周りを責めてしまったり、自己嫌悪したりするのだけど、そういう対立も、ケンカして、あーむかついた、もうこの人とあんな話はしない・付き合うのやめよう、と切り捨てるのではなく、
セラピーにその嫌な体験を持ってきて、音楽や色をつかいながらゆっくりかみ砕いて大事に扱っていくと、すこしづつ見えてくる、変わろうとしている自分が嫌な思いをしなくて付き合える相手との距離の取りかたや、接しかたが。

時間はかかるけど、ゆっくりやろう。
痛みや不安や混乱をともなうけどもう少し頑張ってみよう、
セラピストは私を決して最後まで見捨てないから。
この変容は一生もの。
この変化のトンネルを抜けたら、全く新しい世界観と確固たる自信をもって、残りの人生を生きることができるのだから!
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by totoatsuko | 2009-02-03 17:21 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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