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カンファレンスのお知らせII-4月4.5日

International Mental Health Professionals Japan

Announces its 13th Annual Conference

April 4 & 5, 2009 at the National Women’s Education Centre (Saitama)
Saturday: Talks and Workshops, IMHPJ Meeting
Saturday Night: Dinner at the Cafeteria
Sunday: Talks and Workshops, IMHPJ Meeting, Elections

IMHPJ is an organization of Mental Health Professionals who workprimarily with the foreign community in Japan. Our goal is to create and maintain a high level of professionalism and accountability, and to providenetworking and continuing education. All mental health professionals in Japan areinvited to attend and participate in our conference.

Presentations are on topics of interest to mental health practitioners in Japan.

Presentations will be held in English.
Conference Fees: Before March 7th / At the Conference

Both Days: Members: 8,000 / 10,000yen
Non-Members: 10,000 / 12,000 yen

Single Day: Members : 5,000 / 6,000yen
Non-Members : 6,000 / 7,000 yen

Dinner will be held at the Cafeteria on Saturday night within thecompound.
Cost for meals range from 700yen - 1,000yen

To register for the Conference, or for General Inquiries please contact:

Yvonne Ryo Baczko, Conference Coordinator

Yvonne-ryo@softbank.jp phone: 03-3718-9479 Mobile: 080-3391-3643
For information on IMHPJ, visit our website at www.imhpj.org

For information on the National Women’s Education Centre:http://www.nwec.jp/
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by totoatsuko | 2009-01-26 16:50 | Comments(0)

カンファレンスのお知らせI -ドラマセラピー3月1日

ドラマセラピーミニカンファレンス『ドラマセラピーフェスティバル2009~遊ぶチカラ~』

日時:2009年3月1日(日)午前10時~午後8時
場所:芸能花伝舎(東京・新宿)
参加費:8000円
定員:60名(先着順)

プログラム
9:50 受付
10:10-10:20 オープニングセレモニー
10:30-12:30 ワークショップ1/ワークショップ2
13:30-15:00 シンポジウム「ドラマにおける遊びの役割とドラマネットワークの広がり」
15:15-17:15 ワークショップ3/ワークショップ4
17:30-20:00 ドラマフェスティバル(パフォーマンス&懇親会)

申し込み方法:日本ドラマセラピー研究所ホームページより申込書をダウンロード
         dramatherapy@hotmail.co.jp までメールにてお申し込みください。
詳細:日本ドラマセラピー研究所ホームページ
  http://www.geocities.jp/jpdramatherapy/2009miniconference.html
お問合せ:dramatherapy@hotmail.co.jp まで
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by totoatsuko | 2009-01-26 16:47 | Comments(0)

夜遊びセラピー

セラピー とは、はてなキーワードによると、治療・治療術のこと、と書いてあった。
ミュージックセラピーは、直訳すれば、音楽を使った治療術、ということか。

今週は遠方に住む母が来ていたので、そういう事でもない限り出来ない(理論的には、ベビーシッターを雇えばできる事だが・・・)夜のお出かけを何度かした。

夜の顔(と一言でいっても、様々だが、言い換えれば昼に見せない顔)をした人たち、その人たちの装い、その人たちが醸し出す会話。なつかしさと、新鮮さを感じながら観察する。

そして、自分も夜の群集に紛れ込んでいった。

夜しかやっていない、行きたかったレストランを予約する。
キッチンという私にとって日常を象徴する場が、ひとたびカウンター越しにすわると
超非日常なプロの料理人たちのプロの作法を垣間見て胸を躍らせる立場。
非日常なレベルまで完成されているプロの味と盛り付けを、非日常な会話とともに楽しむ。

生音を浴びるように聞けるライブハウスにも行った。
いわゆる「音楽療法」とは違う、音によるわたしという人間の浄化。

私からつむぎだされる言葉やその音色も違ったことだろう。

いつもよりもずっと遅い時間まで起きていて、遊んでいても、次の日すっと起きれてしまうのが怖いくらい。そして、日中もなんだか気分が違う。エネルギッシュな動きが出来る。

完成度の高い(本物?)に沢山触れたから?
日頃触れない空気やエネルギーが、私のエネルギーサイクルを刺激してくれたから?

夜遊びセラピー、恐るべし。
でも、夜遊びの内容と、頻度によっては効果薄?

また当分、夜遊び封印。
それはそれで悪い気がしないのは、夜遊びセラピーのおかげ?

それでは、よい週末を。
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by totoatsuko | 2009-01-16 17:41 | Comments(0)

奇跡のりんご - つづき

雑誌に載っている本の公告に木村さんの言葉
「りんごの木は、りんごの木だけで生きているわけではない。
周りの自然の中で生かされている生き物なわけだ。
人間もそうなんだよ。
人間はそのことを忘れてしまって、自分ひとりで生きていると思っている」
というのが紹介されている。

よく、人は人に助けられながら生きているんだ、というのはきくけれど、
自然の中で生かされている、という言い回しはあまり聞かない。

周りの自然に生かされているのは人間もりんごもおなじだと思うけど、
人間には社会とか他の人間とかもいて、自然の一部として生きることに批判とか抵抗とかがあって、そういう生き方をするのって、とっても難しいんじゃないだろうか。

ああ、でもそれって、農薬漬けのりんごの木や農作物のなかで無農薬りんごとして生きることの難しさと同じか。。。
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by totoatsuko | 2009-01-12 09:41 | Comments(0)

奇跡のりんご ・ 奇跡の生き様

NHK プロフェッショナル 仕事の流儀でも特集され、もベストセラーになっている
木村さんの 数十年におよぶ 無農薬りんご を栽培するに至る壮絶な道のり。

基本的に、りんご農家の仕事は、いかに数十種類の農薬を上手に使い分けて出荷されるまでりんごを害虫から守るか、ということらしい。要は、巷に出回っているほとんどのりんごは、超高級ブランドりんごであっても、そうとうな農薬をかぶりながら育ったものということだ。

しかし、無農薬りんご栽培、というのは、木村さんによると人間が何も食べずに生きていくという位、不可能なことらしい。でも、彼はあきらめなかった、ド貧乏になって絶望の淵に追いやられようとも、どんなに批判的な目にさらされようと、彼は自分の信念を棄てなかった。

蛇足だけれど、キリスト教のストーリー、アダムとイブで、蛇にそそのかされて食べたりんご(それゆえ二人は人間界に追放される)は、時代がらきっと無農薬だったに違いない。

そうやって、木村さんという一人の人生の壮絶な数十年がつぎこまれて、
無農薬りんご は誕生した。
そのりんごは、腐らない。
そのりんごは 今 都内の有名レストランで ものすごく高い値段で興されているらしい。

自然体で生きることは時として凄く難しい。
無農薬でりんごが育つこと位。

人工的なものを使わずに育つこと、生きること。
今の私たちにとって、人口添加物が入っていないものだけ食べて生きるなんて奇跡に近い。

木村さんのように、なんでそんな無農薬(人口添加物排除)にこだわるのか?
無駄な努力・意味無いこだわり、そしてはた迷惑、と疎まれる。

農薬りんご、無農薬りんご - どちらもりんご。
農薬りんごの方が美味しい場合もあるだろう。
(私は無農薬りんごを食べたことも見たこともないのだが) 一人の人間の人生を投入されてやーーっと生まれ育った無農薬りんごと、農薬りんごを見分けられる人は少ないだろう。

人口添加物が入っている食材やホルモン剤などが入った飼料を食べて育った動物達を日々摂取している人と、そうでない人も、見た目が凄く違うわけでもなく、どちらが豊かな人生を送っているかは客観的にはわからない。

世間話をしていたら、誰だって農薬は使ってないほうがいいよね、って言うに決まってるけど、もし無農薬のものが農薬付のものの倍以上の値段だったら、迷うと思う。無農薬栽培にかけられた手間に対する対価を払ってまで無農薬のものを選ぶかどうか。対価を払えないのなら、食べるのを諦めるか、食べる頻度を減らすか、農薬付のものを選ぶか。

スローライフとかエコがいいよね、って言うし、「それっぽい」商品やレストランは流行ったりしてるけど、トータルで自然なものだけで、環境にも配慮した人生を作っている人は凄く少ない。

どの選択も間違っていない。
どの選択をするかが、その人の生き様。

りんごだけじゃない。
今、スーパーでは自然に育った動物(のお肉)や、添加物(白いパウダー・薬品)をつかっていないお惣菜や加工食品はめったに置いていない。凄く沢山の種類の食材がならんでいて豊かさの象徴みたいだけど、私にとっては真反対で、買いたいものが無いお店。
残念だけど。
そして不便だけど。
だって、時間や料理するエネルギーがない時、ちょこっと白いパウダー入りのお惣菜を買って食べる、というチョイスがない。内臓・特に排毒をつかさどる腎臓に負担をかける人工添加物は理屈として避けたいし、感覚的に美味しいと思わないことが多いから。

そういう時は、食卓が凄くシンプルになる。
ご飯と常備菜(一週間くらい冷蔵庫でもつ)、ふりかけ、とか。
でも、そのシンプルさに、自然なもので時間をかけて気持をこめて調理した食材に
私の心と体は満たされる。

マクロビオティックな調理は
ホルモン剤を食べて育った手ごろ価格のお肉やお魚を使って一皿ささっとつくるよりちょっと手がかかる。なので、マクロビな調理をする余裕がない時は、料理せずにあるものを食べて空腹と心を満たすのが今の私に合っている。

たまに、修行僧のような食事だね、と言われたりする。
その人の言う修行僧の食事のメニューは知らないが、私が知っているのは例えば、玄米ご飯と味噌汁と胡麻豆腐。それに比べたら、ウチのシンプルバージョン食卓もバラエティーに富んでる、って張り合うのは意味無いが・・・ 

食も人生もチョイスが沢山ある=豊か とは一概に言えない。

何が豊かな食生活かは、凄く主観的なもの。
薬品が沢山入っていても、色んな味があって、着色料によってカラフルな食なのか、
無農薬りんごのように、沢山も、色んな種類もつくれないけど、それ自体が自分の力で生きているそれそのものの生き様が味に反映されている食材なのか。

どんな生き方が豊かでそうでないかも同じ。
木村さんみたいに、まわりのりんご農家に異端児として疎まれ、さげすまれ、批判の的になり、自分の生き方まで否定されて自信喪失まで追い込まれてもなお、自分の信じる生き方にこだわって生きるのか、
そんな面倒くさい周りから変な目でみられるような事を考えたり、実行するのは避けて、時代の流れに身を任せてトレンディーに生きるか。

どっちも間違ってない。
口で言うのは簡単で、誰だって、人の生き方は人の数だけある、って言う。
メディアで取り上げられて有名になったら、木村さん・凄い、ってそろって評価する。
けど、木村さんが試行錯誤している時に個人的なかかわりをもった人は批判的な感情をもつ人がほとんどだった。

私は心から、どんな生き方も間違っていない、と思う。
というか、表面的なところだけ見ていい・悪い、と判断する対象ではない、と思う。
人の生き方は人の数だけある、そして、それは全て尊重されるに値する。
そう心の底から信じているからこそ、音楽心理療法士として、クライアントの心の深遠の旅・自分再発見と変容のプロセスをサポートすることが出来る。
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by totoatsuko | 2009-01-11 22:20 | Comments(0)

権威の否定が生き辛さにつながる?

d0065558_13125822.jpgある人の考え方。
権威の否定が生き辛さにつながる
何か(例えば、宗教・先生・上司・親・社会の規律)を否定しよう、というのが、生き辛い感を引き起こしてるのではないか。

そうなんだろうか?
権威を持ったことがなく生きるほうが、つらいような気が私はする。
成長していく過程で、自分が自分の権威となれるようになるためには、外部の権威との関わり・ぶちあたり・自分と相手を試す経験の積み重ねがなければ不可能だ。

例えば、絶対的で理不尽な親。

自我がなく、自分の意志が何たるかも知らない内は、そんな親も権威とは感じないだろうが、自分 というものが育ってくると、その「自分」が望むものや、「自分」自身のありのままの状態に対して肯定・否定のメッセージを伝えてくる親は「権威」となる。
顔色をうかがうし、自分の意見より権威の意見を尊重しなくてはならない。
小さい子供にとっては相当な権威だ。恐れる相手だ。
しかし、それくらい強くてパワフルでゆるぎないからこそ、子供の内面が揺れている時は、かけがえのない心の拠り所となる。

また、自我が育ち、物事の判断も自分で出来るようになり、絶対的で理不尽な親の「まちがってる」「理不尽」な側面を見つけたとき、子供は権威と対決するチャンスを得る。
絶対正しいと思っていたけれど、絶対間違ってる事がある。
絶対正しいと思っていた事が、自分にとっては正しくない、というのをクリアーに認識する。

子が親の絶対性を破り、真に自分が自分の権威となるため =他人がもつ権威に振り回されない人間になるためには、親という権威との対決が不可欠だ。何が親にとって正しくて、何が自分にとって正しくないか指摘する。親の絶対性が強ければ強いほど、指摘する・対決するハードルは高くなる。当たり前だ。親が偉大で強くて破壊力のある相手であればあるほど、戦いを挑むのは恐い。こちらも、しっかり自分をもたないと、簡単に言いくるめられてしまう。その戦いに負ければ、反逆者のレッテルが貼られ、自分も敗北者として自分にレッテルを貼り、その後、権威に対抗する・自分をしっかりもち、その自分に挑戦してくる相手と自信を持って渡り合うことが出来にくくなってしまう。

「権威」捨てた先生や親をよく見かける。
子供の気持ち・希望を尊重する、という題目のもと。

乗り越えるハードルがない子供達。

乗り越えなくてはならないハードルがない人生は、楽かもしれない。
でも、なんの節目もないただ平坦な道を永遠に歩き続けることは、もっと辛いことかもしれない。


私はマクロビオティックな生き方をしたいと思っているし、それは子供達に提供する食事にも反映する。ある日数家族で焼き肉屋に行った。他の家の子供達が「肉!肉!お肉ちょうだい!」と叫んでいる横で、私の子供達はゴハンとナムルをもくもくと食べていた。そして、横に座っている自分の父親がお肉をほおばっていると、私の顔色をうかがいながら「お肉頂戴」とお願いし、ちっちゃい破片をもらって口に入れるときも私の顔を見ていた。みんなが食べているものを自分も食べたい、と思うのはとても自然だと思う。ひとかけら食べて満足したのか、またゴハンに戻っていた。

まだ何故私がお肉を食べないか説明してもよく理解できない年齢だけど、お肉は食べないもの、という認識は私の権威によって植え付けられているようだ。だから、お肉を食べるとき、その権威の顔色を伺いながら、母親と違う価値感をもつ父親という権威に心理的にサポートされて、自分の素直な欲求(お肉を食べる)を手に入れた。

まだ、彼には私に真っ向から対決するほど強い自我と智恵が備わっていない。
だけど、いずれ時が来る。何故お肉を食べさせてくれないのか?肉を食べて何が悪いのか?母親にとって悪いことが自分にとって悪いこととは限らない。 そんなフツフツとした疑問が。そして、私にそれをぶつける体力をつける。

私はそんな日を待っている。
顔色をうかがわなくてはならない母親の子供なんて可哀想、という意見があるのも知っているが、今、子供にとって私が時として顔色をうかがわなくてはならない権威的な存在であることに何ら悪気を感じない。乗り越えるハードルが高いほど、ぶち当たる数も増え、自分が何たるか、相手が何たるかを知ろうとする機会が増える。

私の子供達が、私の権威を必要としなくなり、自分が正しいと思うことを正しい、と誰の顔色もうかがうことなく言えるようになる日を待っている。

仮にマクロビオティックの理念が自分にとって合わない、と将来子供達が思ったとき、
マクロビオティックな食事をする私に対して変に批判的な気持ちをもたず、
かつて自分の権威だった私に対して罪悪感をもたず、
マクロな私の前だけマクロをやってるふりをするのでもなく、
マクロでない自然体の自分で、マクロな私と関われるように。

自分が自分の権威で、それ以外のものである必要はない。
誰かに自分のルールを押し付ける事はできないし、押し付けられる筋合いもない。
そう、心の底から信じて、ありのままの自分を自分自身が受け入れられる生き方ができるといい。そのためには、成長の過程で、権威の否定・権威との対決というハードルを何度も何度ものりこえていく必要があるだ。

ハードルである、ということは疎まれる・攻撃の的になることもある。辛い事だ。
でも、それは母親として喜んで引き受けようと思う。それが子供の自我の成長に必要な心理的抑揚だと信じているから。

折りしも、少年が「引きこもりを打破したかったから、父親を刺した」という事件があった。
引きこもりな自分や父親 - という打ち勝つことの出来ないもの・ある意味権威ーを乗り越えるために、肉体的に殺す(実際は命は落とされなかったようですが)、という方法しか選べなかったのは悲劇だ。
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by totoatsuko | 2009-01-09 13:10 | Comments(7)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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