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Loving or Being in love

1976年に出版された(30年以上前!)ユング派のRobert A. Johnsonによる
SHE - understanding feminine psychology
を読み返した。薄っぺらいのでさーっと読める。

ちなみに、これと対になる HE もある。
ギリシア神話のGodsを引き合いに出しながら色んな話が紹介されている。

Loveについての言及が面白い(interesting)と思ったのでここでご紹介。

P31.
If one watches people IN LOVE looking at each other, one knows perfectly well that they are looking THROUGH each other. Each is in love with an idea, or an ideal, or an emotion. They are in love with love.
The worst thing about being in love is that it is not durable: it does not last. One day the bright vision of the beloved, which had previously danced with such beauty before one's eyes, seems plain and dull.

私の意訳は以下
IN LOVEの場合、自分の理想像やこうあって欲しい、自分をこんな気持ちにさせてくれる人である、という自分の中のanimus/anima (男性性・女性性)を相手に投影している。ありのままの相手の姿をみる、というよりは自分の無意識にあるLoveに対する理想形を愛してる状態。

最悪なことに、この状態は長く続かない。ある日、パーフェクトに思えていた相手は、何の変哲もないつまらない人になってしまう。


P30.
LOVING is seeing another person for down-to earth, practical, immediate experience that another human being is. Loving is not illusory. It is not seeing the other person in a particular role or image we have designed for him. Loving is valuing another for his personal uniqueness within context of the ordinary world. That is durable. It stands up. It is real.

LOVINGとは、相手を現実的に見て、感じ取ること。 Lovingは絵に描いたものでもなく、自分の理想を空いてに投影するものではない。Lovingとは、相手のありのままの姿を見て、自分にとって、相手のユニークネス・個性に価値を見出すことである。それの関係は長く続くものだし、際立つ物であり、本物である。

””””””””
Being in loveの、自分の理想を相手に見つけたような錯覚をして、
あの他にはない焦がれるような一人芝居の燃え上がるような感覚と、
Loving each otherの相手との安定していてそれでいて満たされる関係の深さ。

どちらも凄くすごーくspecialな経験だと思います。

書きながら、この週末相手に「こうやってくれたらいいのになぁ」と自分の相手に対する希望と現実の相手の行動のギャップに不満を感じつつ、相手とのコミュニケーションを怠ったいくつかの瞬間が思い出され・・・

(本って、書いてあることに、ただ素直に関心したり触発されたり感動したりもするけれど、
自分のリアルな体験と重ねることができると、また違う味わいがありますよね。)
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by totoatsuko | 2008-09-26 23:19 | Comments(0)

アガリ症を音楽心理療法で解消

d0065558_9392713.jpgピアノを専攻していたころ、私はすーーごく緊張した。4歳からピアノを習いはじめて、毎年一回は2日間に渡る合同発表会があったのだけど、おそらく初めて緊張したのは小学校4年生の発表会だったと思う。それ以降ずっと続いた。人前で演奏するのは大嫌いだった。

心臓がすっごくドキドキしたり、何も考えられなくなったり、
自分が弾いている音に集中したら次の音が分からなくなりそうで、楽しかったことを思い出して自分の音から意識をdetouchさせ、指の記憶で演奏を乗り切ろうとしたり。皮肉なものだ・日々何時間もいかに繊細な音の揺れを思うように紡ぎだすかを練習しているのに、本番は緊張のあまり「ミスタッチ」をしない、というごくごく当たり前で初歩的な問題を避けるために、苦労して探し出してきた自分の「音」に無頓着にならざるおえない、なんて・・・

話を元に戻して、、、
音楽心理療法では、アガってしまう癖を解消することも起こる。
アーティストやスポーツ選手とのセッションケーススタディーは、音楽療法の洋書でも紹介されている。何もプロだけではない。日常行なうプレゼンテーションが恐怖、という人もよくいる。
アガッてしまうと、もう頭で色々理屈を唱えても
ex. 「誰も自分をそんなに批判的に見てないよ」「十分準備したじゃないか」
なかなかその心と体の緊張状態をコントロールしにくい。

自己啓発本系で、色々how to (主に’頭で’どうコントロールするか、という方法の紹介)が書かれているけど、恩恵に預かれていない人も多いはず。

では、音楽心理療法を通してでは例えばどんなプロセスによって、その緊張してしまうパターンに変化をもたらすことが出来るのか?

それは、とてもとても不思議なのだけど・・・
例えば、舞台に立っているときの自分や周りの空気や感触をGIMセッションでイメージしてみる。音楽を変遷意識状態でききながら展開するイメージ - 例えば、自分は小さな硬い欠片で、周りの空気はエネルギーはないけれど自分にはすごい圧力があるものに感じる。小さな破片はもっともっと硬くなり、萎縮する。その萎縮する感覚を感じるし、客観的に全体像を見ている自分も存在する。

あるいは、自分が緊張している状態に意識をフォーカスして、セラピストと打楽器やピアノをつかって即興してみる。自分の緊張を体で感じながらそれを音に落とす作業。そして、その音を聞き返す。するとその音を通して、緊張状態の自分の心と体のダイナミックスに色んな発見がある。すーーーごく自信なさげだったり、びくびくしていたり、セラピストの音(例えば、クライアントはオーディエンスをセラピストの音にプロジェクト・投影する)にどの様に自分の音が影響されているか、あるいは自分の過去の経験からオーディエンス・あるいは発表する、ということに、何をどんなプレッシャーを投影しているのか気付く。

あるいは、上記の緊張状態・その前後の状態をイメージや音に落とす作業を、色に落とす(クレヨンで紙に描く)、という方法をとることもある。


いずれの方法も、どうしたら緊張しなくなるか、という答えやhow to は導き出さない。

なのに、あがってしまう自分が消えていく。
あがってしまう自分を見つめることによって、あがらなくなるのだ。
凄く不思議なのだけど。。。

あがってしまう自分をみつめるなんて、本番を振り返るプロセスで散々やってる、と思うかもしれない。でも、それは「頭」でやっていることで、音楽心理療法をとおしての見つめ方は、それとはまったく違う視点・意識の層で行なわれる。自分をアンコントローラブルな状態にしてしまう無意識の何かに、直接入っていってその状況を捉えるのだ。

私も、音楽学生時代にこういうのに出会っていたら、コンクールとか発表会でもうちょっとマシなアウトプットが出来たんじゃないかなぁ・・・思ってしまいます。
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by totoatsuko | 2008-09-26 09:38 | Comments(0)

結構鈍感?

d0065558_10254128.jpg私の両親は、私がまだ実家で一緒に生活していたころ、実家を離れて大学生活を送っているころ、
どんなにTVで私の世代の価値観・行動・思考パターンを垣間見ようとも、自分の娘は「自分が育てた娘だから」自分の世代と、あるいは自分と同じ価値観・人生感を持っている、と無意識に思っていたように思う。

援助交際とか、出来ちゃった結婚とか、インターネットで知り合うとか、複数の人と付き合う・遊ぶとか、朝帰りとか。今の世代の人は、凄いね、考えられない事するね、といいつつ、娘がその世代なら、もしかしたら娘もそういうことやってるかもしれない、という風には全く繋がっていないようだった。

大学を卒業し、NYUに合格してNYに行くことになったり、付き合っている人がいることが発覚して、ガチンコで話をしなくてはならない状況に追い詰められて、娘が自分たちとは違う人種なのだということに初めて気づいたようだった。どんなにTVからの情報を受け止めていても、わが身に照らし合わせてその情報を消化するのは、別モノらしい。また、娘が自分達がおもっていた人間とは違う、と気づいたからと言って、その生き方や哲学を尊重できるか、というのはまた別の話である。

もう長い間、食にまつわる事件が日本を賑わしているけれど、添加物とか農薬量とか毎日口にするものを根本的に見直すという意識の変化は起きていない。ニュースで取り上げられた製品について「何がイマドキ安全か分からないねー」「困りますよね、こんなことが起きると」と人事のように話してる。

私の親と凄く似てるな、と思う。
ニュースで流れている事実に、凄い批判的である。
事故米流通を黙認していた厚生労働省を責める。
でも、厚生労働省が発表している、「安全な食品添加物リスト」「理想的な食のバランス」なんかを疑おうとはしない。表示に中国産と書かれていなくても、思わぬところで中国産のものが入っていたりしても、食品表示をまだ信じてる。
すごい鈍感なのか、なにも考えていないのか、何なのか?

添加物などに無頓着な人を批判したいのではないので、誤解しないでほしい。
そういう生き方だってある。
でも、添加物事件を見て批判的なコメントをするなら、食の安全を気にするなら、何故自分の食生活・日本の食事情・厚生労働省の事まで繋げて「自分の頭を使って」考えないのか、不思議だ、と言っているのだ。

昨日は祝日。近所で秋祭り。
お神輿と一緒に終点までわっしょい・わっしょい!って練り歩いたら、子供には人工添加物いっぱいのアイスクリームがご褒美に。体と精神に毒な薬品、(という認識は配ってくれるおじちゃんたちには毛頭ないのだけど)がいっぱい入ってるものを「ご褒美」にあげる。

私はとてもじゃないけど、人工添加物(毒性があるもの)を「ご褒美にあげる。おいしいよ。」って子供に手渡すことは出来ないし、家族や友人に私の目の前でそういうのを子供に勧められるのを黙認するのは凄く難しい。(他人があげようとしたら、躊躇わずに丁重にお断りする。)好意が分かる分、お断りするのはとても辛いけど、家族と友人はこれからも長い付き合いだから、何故添加物や砂糖が入っている物を食べさせたくないか、説明するけど、「人と違う」というのを割り切るのが難しい日本人は、たとえ親しい仲でも、その説明を苦々しく受け止める・あるいは好意を拒絶されたと誤解したりするので、ものすごいエネルギーを使う。相手が自分にとって大事な人であるがゆえに。

でも、私は今のところ、諦めていない。マクロビオティックを取り入れて生活しているのは、健康のためだけではなく、自分がより自分らしくいきるための哲学なのだ、というのを認識(理解することまでは求めていない)してもらう努力を。
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by totoatsuko | 2008-09-24 10:43 | Comments(0)

何故 旅をするのだろう?

旅行
色んな形の 旅 がある。
誰でも 旅 をする。
生きていること自体、旅 であるともいえる。

次の休みがいつか決まったらワクワクしてきて、その非日常の過ごし方の計画を立てる。
あるいは、行きたい旅があって、その目的にあわせて日々の業務・生活日程をアレンジする。

毎日とは違う異空間・時間の流れから私たちは何を得ているのだろうか?

旅は終わりがあり、また日常に戻ってくる。
そのとき、私たちは何か変わっているのだろうか。

旅にでかける理由も味わい方も人それぞれ。
その時の自分の価値観によっても変わる。

日常が私にも戻ってきた。
非日常の時間がぎゅっとつまった飴玉をときどきとりだしながら、
秋の風がふきはじめた東京生活を楽しもうと思う。
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by totoatsuko | 2008-09-17 00:10 | Comments(0)

リストカット

病院の待合においてあった東京都医師会から年6回発行されるのパンフレット「元気がいいね」。
初めて手に取ったのだが、
こころの健康講座第十回 リストカット(手首自傷)症候群
とある。

一部引用すると
リストカットは10代ー20代の女性を中心にひそかに蔓延している。

リストカットとは
ナイフや剃刀なので手首(右利きの場合は左手首が多い)や、腕、太ももなどを繰り返し傷つける行為をさします。手首を切った場合「リスカ」、腕なら「アムカ」、太ももは「モモカ」などと呼ばれています。

何故自らを傷つけるか
憂鬱な気分・不安から逃れる、怒りの発散、自分への罰、現実感を得るため、心配してくれる人がいることの確認などのために傷つけることは多く、切った瞬間、辛さや不安から開放された気がします。しかし、しばらくすると切ったことへの後悔や罪悪感が生まれ、再び苦しむことになります。この悪循環がやめられないのです。

リストカットへの対応
リストカットのみに注目し、責めたり、やめさせようとせず、そのような行為をとらざるおえなかった本人の心理を理解しようとする姿勢が大切です。ただし、世話を焼きすぎも良くありません。後始末などは本人にも手伝わせましょう。「またか」「どうせ演技だろう」などといった、虫をする対応は症状をエスカレートさせることになるので注意してください。リストカットに気づかれたときは早めに精神科等の専門医療機関に相談されるのがよいでしょう。

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リストカットが何かを知らない人に知ってもらうには分かりやすく、短くよくまとめられたコラムだと思う。でも、当事者や、その家族がこれを読んでも、何の助けにもならないんじゃないか、と思った。特に対応策のところ。

特に10-20代のリストカットの場合、家族との関係、育った環境に起因する凝り固まった心理的なわだかまりがその行動を引き起こしている場合がおおい。とてつもない確執を持っている母親にいきなり優しくされたり、自傷行為の後片付けを手伝って、と言われて、その関係が改善されたり、リストカットを控えよう、という気にはなるはずがない。精神科で精神安定剤をもらったり、表面的に話を聞いてもらったところで、再発防止になるとは思えない。

心の深い所にある本人も気づいていないような痛み・傷を自分で理解し癒していくプロセスを専門家のサポートによって行なわない限り、リストカットする人たちの心の痛みは決して癒されることはない、と思った。
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by totoatsuko | 2008-09-02 22:58 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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