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カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

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私もカラーセラピストです

ある集まりに行って、音楽心理療法士です、と言うと
お仲間ですねー♪ というノリで
私もカラーセラピストです、と言われました。

カラーセラピストって よく知らなかったのでグーグルしてみたけれど
私のやっていること、教育体制もアカデミックなものもとも全く異なる、
というのが一瞬で分かり

でも、カラーセラピーやアロマセラピー、ヒーリングミュージックと音楽心理療法は同じ感じのものだと思っている人も沢山いるんですよねー、現実は・・・

とリマインドされた一瞬でした。
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by totoatsuko | 2008-08-29 15:15 | Comments(1)

セラピーに行った事ある、というスティグマ

音楽療法を大学で教えている人と話をした。
学生で、絶対サイコセラピーに行って自分の内面と向き合うべき、と思わされる学生が沢山いるけれど、強制はできない。それはもの凄いジレンマ、と言っていた。

私は、特に精神的にまいってる、とかでなくてもセラピストを目指す人間はセラピーに行き自分を掘り下げる作業は不可欠だと思っているのだが、その先生が言っているのは、そういうレベル以前の問題で、明らかに何か心に抱えていてこのままでは将来セラピストとしてやっていけないだろうと心配される生徒のこと。

セラピーに行くほど自分は弱い人間だったり、問題を抱えている人間ではない、と思いこみたい、セラピーに行くことによって、周りからそういう目で見られるのが嫌、というのが数あるunconsious/consciousな理由のようだ。(そういう自分のunconsciousな自己否定に気づいていない -それはカナリ問題。)

学生の親も、自分の子供がセラピーに行くような子ではない、セラピーなんか必要ない、と抵抗感をあらわにするらしい。

そもそも、セラピーに行く人=何か悪い問題を抱えている、精神的に弱い、という連想が間違っている。ひっくりかえせば、自分がセラピストとなった時、自分のクライアントをそういう目で見る(無意識的にやるのだろうけど)わけだ。 これはセラピストとして根本的に間違った姿勢だと私は思う。

私たちは、体調が悪いと医者という専門家を訪ねる。その時、自分の体に対してすごい劣等感とか否定的な概念を持つことはない。調子が悪いものをよくするために専門家の力を借りるだけだ。

あるいは、どこも悪くないけど、健康診断にいく。
健康診断に行くことにスティグマを感じる人はいない。

音楽心理療法・セラピーに行くことだって、同じことなのに。
自分の心のメンテナンスチェックをする、バランスが悪くなってるところをケアする、そういう作業をする場にすぎないのに。

セラピーを受けたことがないセラピスト・カウンセラーの資格保持者、将来資格保持者になろうとしている日本の現状を残念に、また恐ろしく思う。
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by totoatsuko | 2008-08-29 00:33 | Comments(0)

カップル & 親子 セッション

NYの癌の病院やボストンのホスピスで働いていた時は、患者を含む複数の家族とのセッションをやる機会も多かったのだが、個人ベースで活動している日本ではこれまで依頼がなかった。

複数のメンバーとセッションを、
学校の授業やイベントでやるような、楽しく合奏やお絵かきする時間が持てましたー、
という以上のものにするためには
グループダイナミックスについての知識・経験も不可欠で、
個人セッションをやっているときとは異なる役割を、セラピストは自認する。

先日、親子4人とセッションする機会があったのだが
長い間4人で会うことがなかった人たちが、数日間一緒に過ごす、というオケ-ションの中のイベントの一つとして、1回限りの音楽心理療法セッションが選ばれた。

参加した各人の、セッションが始まったときのセッションに期待することはバラバラだったのだけど、みんなで何も考えずに即興した・音で遊んだ・音でコミュニケーションをとった、音のレベルでのコネクションを感じた・音で家族の知らない面を感じた 体験は、とても印象ぶかかった。

もっとこういうシーンに関われたらいいなぁ、と思った。

パートナーとの関係に違和感を感じていたり、なんかうまく意思疎通が出来なくなっていたり、共感できなくなっているカップルや家族(親子・兄弟)。

言葉で不満を言ったらケンカになったり、
言いたいことが言えなかったり聴いてもらえなかったり
相手に権威を感じて、伝えたいのに気持ちがすくんでしまったり。

でも、音や色でやるんだったら怖くない場合が多い。
言葉のコミュニケーションとは全く違うレベルの対話や繋がりが出来る。
昔のあの楽しかったころの感覚が、音や色で一緒に遊ぶことによって再現される・よみがえってくる。あのお互いにわだかまりがなくて、素直なピュアな気持ちだったころに。

是非、お試しください。
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by totoatsuko | 2008-08-23 10:01 | Comments(1)

陪審員制度

2009年の陪審員制度に向けて、時々宣伝を目にする。
陪審員が陪審経験によって受ける心の傷をフォローする制度はどうなっているのか、ふと気になって調べてみたが、今のところ日本弁護士連合会、にも裁判所のHPにも、それについての記述は見当たらない。

実は、日本でも戦前、陪審員制度が取り入れられていた時期があり、昭和3年から昭和18年まで、全部で484件の陪審裁判が行われている。

当時の陪審員は、一定額以上の税金をおさめる30歳以上の男性から選ばれた12人で構成されていたが、裁判官は陪審員の出した結論に拘束されることはなく、昭和4年には143件の陪審裁判が行われたが、以後は徐々に減少し、昭和13年以降の5年間は、年に4件、あるいは1件しか行われず、昭和18年4月に陪審法は効力が停止されている。

今回の再試行がどういう道をたどるのか興味深いが、
そもそも、どうしてこの制度を、今、生き返らせねば「ならない」と考えるに至ったのか伝わってこないし、心のサポート部隊が存在しないことに大きな不安を心の専門家として覚える。

グロテスクな証拠や、聞くにも痛ましいストーリー、判決(有罪・無罪)に自分が関わった事により人間の人生を大きく左右した、という重圧。けっしてクラスルームでのディスカッションでは済まされない。陪審員を経験したことによる心の負担は、一人で抱え込むことが出来たり(守秘義務のため他人には事件の詳細を話してはいけない)、決して見過ごされるものばかりではないはずだ。

そもそも、教室で、自分の教師(という権威的立場の人)と他の生徒と「対等」にディスカッションする、という体験を教育を受けたことがない人間が、裁判官と対等に、本当に心から思っている自分の考えをいう事が出来るとはなかなか思えない。どんなに裁判官がopen mindな態度をとってくれても、自分が勝手に権威に感じる脅威は、消すことは出来ない。

これから始めようとしている重大な制度でも「心」のケア「人間間の心のグループダイナミックス」に全く焦点が置かれていないことに、日本の行政レベルで働いている人の「心のケア」に対する認識の低さを感じてならない。そういう人たちの間でも、鬱になる人は沢山いて、問題意識をもつ機会は沢山あるはずなのに・・・他人事、ですましているのだろうか。
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by totoatsuko | 2008-08-19 14:17 | Comments(0)

女性の出生率×出生率

d0065558_1511047.jpgこれもキャシー松井さんが言っていたこと。

これから日本の国力を維持するには何が必要か、という点について
移民政策の改定
出生率の改善
使われていない労働力(女性・老人)の活用

が大事だろうと。

彼女は99年に当初かなり話題になった「ウーマノミクス:日本の隠れ資産」というリポートの第一弾を書き、その中で語られていること。これは投資のフレームワークの中でこの国が無駄にしている人口の半分、隠れている資産の活かし方の提案。

政治家の人に話すと、
移民政策改定には、総論賛成・各論反対・ の方が多いとか。
また、女性の就労率があがったら出生率はもっと下がる、と本気で信じている方も少なくないとか。そういう反応は慣れているので、女性の就労率が上がった国は出生率も上がっているというデータを渡すそうだ。

日本の政策を作っている人や企業のトップはまだまだ男性が多いから、
女性が働きやすい社会的インフラ作りは急速には進まないかもしれない、
家庭でも女性(妻)に対する古い考えを維持している男性は少なくないし、
学校教育においても地域社会においても、昔の日本女性の家庭での役割をあからさまに・無意識に求める・押し付ける男性も女性も!いるので、社会に出て働きながら子供も育てよう、という女性をとりまく環境がよくなるのは、当事者たちが頑張ってアクションを起こして積み重ねていくしかないのだろうな、と思う。とても残念だけれども。

私は、無知からどうして「女子大」と女性に限る大学が存在するんだろう、と思っていたことがあった。今の日本の女子大に、女性しかいないことの強みみたいなのを感じられないから。しかし、バングラディッシュに作った女子大学についての話をキャシーさんから聞いているうちに、昔日本でも女性が教育を男性と机を並べて学ぶことに「社会や家族からのプレッシャー」があった時代には、男性がいない環境、というのは高等教育を受けたい、という女の子の親がそれを許す理由の一つにも、男性と対等であるという教育を受けていない女子学生自身の心理的な安心という側面もあったのだろう。
だから女性しかいない大学、というのは進学へのおおきな後押しとなる環境だったのだと、と理解できた。そう考えると今の女子大の存在意義というのは何なのだろうか?歴史があるからそのままに女子大という形を保っている、というのでは惰性的で悲しい。

今の女性のニーズを汲み取ることが出来る社会に変わっていってほしいなぁ、
そのためには世代を超えた一人一人の女性・男性の意識が変わっていく必要があるなぁ、
いつもの週末より大変だった時間が過ぎ、日が昇って子供達が保育園に行ったあと、ほっと一息ついて思ったのでした。
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by totoatsuko | 2008-08-18 17:37 | Comments(0)

Asian University for women

d0065558_150434.jpgAsian University for Womenという大学のオリエンテーションクラスが春学期にオープンした。敷地はバングラディッシュで、主にSouth Asiaの女性の高等教育を目的としたもの。

日本ではゴールドマン・サックスのキャシー松井さんが理事になっているのだが、彼女が言うに
南アジアでは女性の地位がとても低く、高等教育を受ける男女比も大きい。必然的に国を引っ張っていく人は男性に偏り勝ちだけれど、志の高い有能な女性に一流の教育を受けるチャンスを作ることで貧困に苦しんでいる人々に手をさしのべ、国を、世界を変えるための貢献が出来る、と言っていた。

名もない小さな小さな村でインターネットなんて触れたことも無いような限られた世界で育った少女達が、世界一流の人材(日本の大学でもそうそう揃わないようなうらやましい教師陣!)を教師とする大学で学び視野・知識・実力を得ることができる。

キャシー松井さん自身はアメリカに移住した日本人両親の間に生まれ、父親は今やアメリカの蘭市場3分の1を供給する会社を経営し、松井基金をつくりメキシコなどからの移民の大学費用を出してあげているのだそうだ。彼女を含む4人の兄弟は皆ハーバードに学び、父親からは一銭もおこずかいを貰わないし、遺産を受け取ることもない、という。
心ざしがなんてステキな家族なんだろう、と思った。

そして彼女自身、教育の重要性を実感してきた、と話す。
大学を卒業した後2年間日本で奨学金によって無料で勉強できる機会があり、ICUと神戸の大学院で学んだそうだ。神戸のinternational studentの寮に住んでいる時、日本人が、south asiaからの学生に対するより、欧米圏の学生にpyschologicalに近かったり、情報をくれるのにも優遇するのを凄く違和感を持って受け止めていたそうだ。

Asian University for womenはまだまだ始まったばかりだけれど、
その飛躍を願わずにはいられない。

余談ですが・・・
キャシーさんが、インターナショナルな生徒の集まりであるこの学校には、心をサポートする部門を充実させることも大事だ、と言われていた。
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by totoatsuko | 2008-08-18 16:58 | Comments(0)

らしさ。

d0065558_11132289.jpgはす向かいに向かい合って同じくらいの席数のイタリアンレストランがある。
一つは雑誌などによく取り上げられていて、もう一つは泣かず飛ばず。
パスタランチは後者の方が1200円で手打ちパスタが選べて、パン・デザート・飲み物付。
前者は夜は美味しい手打ちパスタを出すけれど、お昼はそれはなし。
1000円でミニサラダ、パン、飲み物付。

一度一人で人気の無い方に行ってみたのだけど、手打ちパスタはそれなりに美味しかった。
でも、私はデザート食べないし、パンもありたきりな味だから、パンもパスタもそこならではの物が食べれる向いのお店の方がやっぱり好きだな、と思って店を出た。

そして、この週末、好きなほうのお店が閉まっていたし、こちらのお店に行ってみたい、という人がいたし、私も過去の自分の感覚を確かめてみたかったので再訪。だけどやっぱり、全く同じような感想を味にもつ。加えて、スタッフがあまりアテンティブでなかったり、お手洗いの扉が開いていたり。デザートを食べなかった分300円引きしてくれたのだけど、でも、もういいやこのお店にくるのは。

「些細なことの組み合わせなのにね。
お店のインテリアや雰囲気も味もポテンシャルを感じさせられる。
全てをちょっとずつだけ向上させることが出来たらハス向かいのお店と互角になれそうなのに。でも、何年か営業していてその些細な点を変えていくことができなかった、というのは
それがこのお店のポテンシャルーまだ発揮されていない実力なのではなく、
真の実力なのかも。」

レストランって、その料理そのものの味だけがお客さんに提供するものではなくて
(美味しい”味”だけが目的なら、家でも食べられる場合がある)
全てなんだなぁ、と改めて思う。
その料理の出てくるタイミングとかサーブされ方とか流れている音楽とお店自体の雰囲気とのマッチとか。
丁寧だからいい、とか感じいいからいい、のではなくて、そのお店らしさが出ていて、それがお客さんに心地よく受け止められる形で表現されているかどうか。

人のあり方も同じだな、と思う。
例えば、ブランド品を全身まとっている人。
それが、その人の雰囲気やライフスタイルや話し方にマッチしていてブランド品で全身固めてます!という嫌らしさを全然感じさせない人と、何か作ってる感がプンプン感じてきて、あなたの本質は何?ってつい思ってしまって身を引きたくなるような人。

こうしなければならない、って教えられたから
あるいは、何らかの理由で、そういう風に振舞った方がウケがよい、
あるいは社会的にスムーズに生きられる、と信じて
ちょっと無理して、あるいは意識してして生きてるんだろうな、って
感じさせるような人。

本当は、自然な本来の自分の姿で社会の中で生きていくことは可能なのだけど。

音楽心理療法のセッションに来て、初めて、自分が’作られた自分’を生きてきたことに気付く人もいる。何気なく書いた絵や即興した音やイメージが自分の想像している自分の姿と全く違っていたりして、こういうのを作り出した自分は一体自分のどこに存在していたんだ?!と。
そして、そういう知らない自分をなかなか受け入れることが出来ない場合も多い。

でも、ゆっくり・プレッシャーなしでやっていく。
(自分で自分にプレッシャーを与えてしまうことが止められない人もいるけど。。。)
自分は自分でいい。
でも自分って誰?
どんな自分でも、自分らしく生きていいよね、
という対話のプロセスを。

いつも笑顔でない自分でも、それが本当の自分で、そういう自分を自分がちゃんと受け入れてあげて生きていたら、いつも笑顔でなくたって、無理に常に笑顔をひねり出さなくたって、周りに悪い印象を与えるわけではないのだ。実際、いつも笑顔の人がいて、すごく気持ち悪い、と思った事がある。振る舞いや雰囲気や生き方の哲学がちゃんと繋がっていたら、自分にしかない自分が自然と演出されるし、意識しなくたって自然な笑顔が自然と生まれてくる。
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by totoatsuko | 2008-08-18 10:16 | Comments(0)

高野山カフェ

私はどうしても都合がつかなくて行けず残念なのですが、
東京青山に9月3-7日限定で現れる 高野山カフェ、とても興味深いです。
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by totoatsuko | 2008-08-17 12:31 | Comments(1)

ダリ展

d0065558_16561251.jpgNYのMOMA(Museum Of Modern Art)でダリ展をみた。
何故今さらMOMAがダリ展なんかやるんだろう、と思ったが納得。

ダリがヒッチコックやヨーロッパの映画会社と、短い映像・映画を作ったもの、
ダリを素材にしてディズニーが2003年に作った映画、
ダリが映像を作っていたのを知らなかった私としては、とても新鮮だった。

ダリが静止画で表していたものが、映像として表現されていて、
それはあたかも白昼夢を見ているような、世間の深層心理をシンボライズしているような、
GIM(音楽心理療法)で見る深層心理のイメージのように感じられた。

現実では起こりえない現象が展開される。
手のひらから大量の蟻が出てきたり、瞳を剃刀で横に切れ目を入れたら、その深遠で別の世界が展開されていたり、見ていた野球ボールが乳房になり人の頭になる。

ぞくぞくさせられたり、思わず目をそむけたシーンもあったのだけど、
シュールな事件・現象が置き続けている現世界と妙に繋がる感があって、
満たされた気持ちでMOMAを後にした。
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by totoatsuko | 2008-08-13 16:55 | Comments(0)

夏休みの予定確定

d0065558_16342121.jpg





9月5日ー17日です。
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by totoatsuko | 2008-08-13 16:33 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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