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カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

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熱い思い

d0065558_17125840.jpg情熱を持っている人はとても魅力的だ。
自分が関わっていることー仕事・学業・遊びなどーを話すときの目のきらめき・手振り身振り。
誰かに認めてもらうこと・あるいは褒めてもらうことがそれをやっている最大の理由ではなくて、まず自分がやっている事の価値を自分自身が見出している。

だから媚びない。

それゆえに魅かれる。
どんな事をやっているの?
その楽しみって、喜びってなに?
もっともっと話を聞きたくなる、やっている姿を見せてもらいたくなる。

その人が、「それ」に打ち込むまでに至る、そして打ち込んでいるにあたって起こる出会いやハプニング、アチーブメントの現在進行形の物語。もの凄いexcitingでその人の情熱がなければ作れないユニークなストーリー。

""""""
8年前、音楽療法の存在を初めて知ってこの分野を勉強したい、と思ったとき、周りも誰も音楽療法の存在を知らなかった。私自身ですら、音楽療法の本質をしらなかった。ただ、なにかもの凄い物だ、という「感覚」しか持っていなかった。

でも、音楽をおよそ20年間やってきた傍ら、お医者さんになって病で苦しんでいる人のために自分を役立てたいと思っていた自分には、音楽療法との出会いが「まさにコレだ」と思わされた。日本では音楽療法士に対する認識も社会的地位も全く無かったけれど。

住み慣れたNYを離れ地盤を持たないボストンの地に移ったとき、6年ぶりに東京に拠点を移して音楽療法士として活動を始めようとした時、音楽療法を求める人や施設との出会いがすれ違ってあまり活動出来なくて、くじけそうになったときもあったけど(仕事がない、自分の専門を認めてくれる人がいないというのは結構ディスカレッジされる)、でもやっぱりやめられなかった、この仕事。
私がやっていること、私以外に出来る人って沢山いないから・
特に日本では。
音楽心理療法の力の凄さは、誰に否定されようと、強く信じているから。
そして、人の心は・精神状態は、お薬だけでは決して癒されないものがあるし、
人には
どんなに弱っている人でさえ自分の内面から心の状態をよくする力を持っている
と信じているから。

音楽療法は8年前よりポピュラーになったけれど、依然として私がやっているような深層心理まで扱うものはマイナー(これは音楽療法界に限らず、一般にいうカウンセリングの世界でも同じ・ちなみに、音楽を使わない言葉だけのカウンセリングも行なっています)。

心の表層を扱って毎日を回すのが目的のカウンセリングスタイル以外にも、こういう心の深い所まで扱うスタイルが世間にも知ってもらえると、もっと楽に生きることが出来るようになれる人って沢山いるのだけど、とは思うけれど、それは私にとって一番重要じゃない。

仕事だからやっている、という感じセッションしている音楽療法士の方の姿をみたり話を聞いたりすると、勿体無いなぁ、と思う。だって、もの凄いものー人の心と言葉になりえない音ーに関わっているはずなのに、扱っている本人がそれを感じられていないんだもの。セラピストが信じていなかったら、クライアントは絶対信じるようになることは出来ない。(勿論仕事は情熱だけでは出来ませんけど)

セラピーにおける音楽や色の力を沢山に人に知ってもらわなくても、
目の前のクライアントが少しでもいい方向に向うストーリーがある、
そこに私は熱い思いを投じている。

それとは別に
熱く語れるものがあることは、とても幸せなことだとも思う。
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by totoatsuko | 2008-02-29 16:11 | Comments(0)

自律神経

背中の上の方が痛くて、マッサージに行った。
なんでか分からないけど、きっと寒くて肩をすぼませたり、10キロ以上の子供を抱えたり、お布団の上げ下ろしをよくやったから筋肉が張っているのだろう、と思っていた。

お兄さんに
「眠れていますか?」と聞かれ
「うーん、子供が夜中に何回か起きるから、ここ数年は6時間連続で寝てる、という状態はないですけど。。。」
「いや、眠りの深さの事です。肩甲骨って普通その周りを押したら出てくるんだけど、何ていうかなぁ、癒着していて全然出てこない。背骨に沿って走ってる自律神経が興奮状態になってるから。これじゃぁ、寝れないはずですよ。」


ということは、筋肉が緊張して痛くて眠れないんじゃなくて、神経が興奮状態を保って、副交感神経とのバランスが崩れているってことか。すぐに思い浮かぶストレス要因ってないのだけど、何なんだろう、私の無意識や体が感じている刺激って?
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by totoatsuko | 2008-02-26 13:21 | Comments(0)

誘導尋問

今日の音楽心理療法(GIM)で私は誘導尋問ぽかった、と反省したセッションがある。
しかも、セッション中からその傾向には自分で気づいていたのに途中でそのスタイルを変換できなかったで余計自分の中でわだかまり。


何故それが起こってしまったか?
振り返るに2つ要素がある。
一つは、時間が押していたこと、残り一緒に出来るセッションの回数が限られていたこと、クライアントといまいち信頼関係が築けていない気がしていて、私自身が何か不安だったこと。

もう一つは、クライアントの、人よりも”早く”何かを成し遂げたい・手に入れたい、それができないと意味がない、という思考・行動パターンに、無意識のうちに私が乗せられてしまった上、それを助長させようとしてたこと。

そういう生き方が、クライアントの行き詰まりをうんでいるにも関わらず!

折角時間とお金をかけているんだもの、心の状態に対して、何か理解できる説明なり、新しい解釈なり、発見なりを持って帰って欲しい、と思ってしまった。本当は、そのクライアントにとっては「そう簡単には大事なものって手に入れられないし、理解して征服することもできない」というのを、答えが出ないセッションによって感じることのほうが大事だったかもしれないのに。

逆に、誘導尋問っぽい - 色々アイデアをこちらから提示して相手がその中からしっくり着そうなものを選ぶ、というスタイルが向いているクライアントもいる。例えば、自分自身が何が何だか分からなくて、自分自身で考える力も感じる養ってこなかった人とか。

セラピストは何をどんなことを言うか・言わないか、という膨大な選択肢をセッション中常に迫られている。その全てを頭で把握して頭で選択しているわけではなく、私の場合はほとんど無意識・半無意識の直感や本能がその選別を担当している。
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by totoatsuko | 2008-02-24 09:49 | Comments(0)

前も言ったじゃない

もー、前も言ったじゃない、聞いてないの?忘れたの?
と腹立たしく思ったら、ちょっと待って。

相手に向かって言った=相手が聞いていた・理解した・同意したわけではない。

この間話し合いしたじゃない、まだ分からないの?
というのも同じ。

わたし達は、情報を無意識に選び取っているから、聞きたくない物にはアテンションしないし、耳に入っても無かったことに出来るし、無理やり聞かされても忘却の彼方に素早く送り込む。

一度話し合いを持っただけでは、その議題やテーマについてお互いの考え方やスタンスを理解することは無理に等しい。何が相違点か、何をお互いは問題と思っているのか、という事項をミーティングに挑むように念入りに準備して話し合いに入っても、ビジネスとは違うから、ノートには書き出しきれていない感情が整理されないまま出てきたりして、相互理解を深める話し合いを困難にする。

一回言っただけでは、一回話し合っただけでは、意思疎通が出来ないのは当たり前。
英単語を単語帳から一回覚えただけでは、その意味の使いまわしや本質的な意味まで吸収できないのと同じ。

腹が立つのも分かるけど、
腹をたてて相手をなじる事にエネルギーを使うよりは
今度はどんな風に伝えたら・話したらいいか、という方に使った方が建設的だし、
そのcreativeな説明の仕方を考える過程で、改めて自分が伝えたいメッセージは何なのか、自分にとって-自分と相手との関係にとってどんな風に大事なのか、内省するいい機会になる。
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by totoatsuko | 2008-02-21 11:54 | Comments(1)

久々に泣いた

セッションでクライアントが泣いている前で、私も泣いた。
いつもの泣きと何かが違っていて、その時の自分の感覚が消化しきれない。
泣いた、というよりは、涙を流した、というほうがしっくりする。
まだもやもやしているので、ここに書く事によって消化を試みてみようと思う。

いちセラピストの、
セッション中に自分の内面で起きたことを消化・理解する
色々ある中の一つ方法をここに記すことが、
読者やセラピストの参考になるかもしれない、と思い。

何故 涙が頬をつあったのか?
同情とは全く違う。
何故なら、クライアントを可哀想、と思う気持ちは無かったから。


クライアントの代わりに泣いてる?
そういう選択をするセラピストもいるかもしれないけど、
今回の場合は、クライアントは既に泣いていたので違う。

クライアントがやっている事を模倣することにより、
セラピストによって模倣された自分の行動をクライアントが見ることにより、
自分の言動にたいする洞察を深める手助けをする、という手法もあるが、
今回の場合には全く当てはまらない。


感情移入?大辞泉によると、それは「自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分との融合を感じる意識作用。」心理学用語でいう、投影・projection.

もし感情移入が理由だとすると、
私が持っている(過去・現在・将来にまたがる)悲しみの性質がクライアントの悲しみに似ていたので、思わず自分の悲しみを思いだしてしまい、泣いた、という論理。

否。自分の悲しみとクライアントの悲しみの共通項は頭で認識しており、泣いている瞬間は「自分の悲しみ」を感じていなかった =自分の悲しい出来事を全く思い出したり感じたりしていなかった。


分かった、私はクライアントが訴えるパーソナルでもの凄い力の悲しみを全身全霊で体を張って受け止めながら、そのパーソナルな悲しみを超えて、誰しもが持つ、人間の普遍的な悲しみに近づいていたような気がする。

XXだから悲しいーという因果関係は、人間の数だけストーリーが違う。
私は、目の前のパーソナルな悲しみの理由と悲しみのパワーに限りなく近づき寄り添い、自分なりの感じ方でクライアントの痛みを受け止める事によって、「普遍的な悲しみの渦巻きの中心」を感じることになり、涙が止まらなかったのだ、きっと。

悲しみの理由がXXだったから涙が出たのではなく、悲しみという言葉に修飾される感情の渦の渦中に半分みを投じ、そのエネルギーを感じたから涙がとまらなかったのだと思う。


何だかいち音楽心理療法士のセッション中の涙が壮大なスケールな話みたいに展開してしまったけれど、一つだけ記しておきたいことは、だからといって、私はHere and Now -目の前のクライアントや、クライアントの感情からdetouchしてしまい、自分の涙に溺れて居たわけではないこと。

どんなに強い強い強い感情がクライアントから提示されて、
どんなに壮大なスケールの感情を感じ取ったとしても、
プロフェッショナルな役目を果たすためにはセラピストは絶対にそれらに翻弄されてしまってはならないのである。
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by totoatsuko | 2008-02-20 22:48 | Comments(0)

トランジションー痛い

季節の変わり目って、体調を崩しがち。
外的要因ー気候の変化、時期的に起こる環境の変化(住居、立場、人間関係などの移動・卒業・定年退職。季節は関係ないけど、人との別れー失恋、離婚、死別、などもそう)に自分の心と体がついていけなくてバランスを失う。

体が、心が、毎日をまわす事に執心するのを止めて休みなさい、そして自分をケアして下さい、と主張する。でも、体を壊したときには、もう自分にはそういうエネルギーが残っていない場合もある。

Transition -何か違う状態に変化する・移行する過程・その期間ってもの凄く辛い、痛く感じる場合がある。

着るものを変えなくちゃいけない、自分が認識する自分のアイデンティティーも変えなくちゃならない、周りの自分の見る目も要求してくるものも変わる。でもどう変えていいか分からなくなったり、変えるのがめんどくさかったり、怖かったりする。
5月病やマリッジブルー、ある種の登校・出社拒否は分かりやすい例だろうか。

外的要因やついていけない環境によって心や体が揺さぶられて傷つきやすい状態になっているとき、引きこもる、という周りと自分を切り離す方法で自分を守ろうとする。周りが変化しているのを感じないような環境に自分を置こうとする。もちろん、こういう理屈を頭で意識してやっているのではなく本能的に。

何故自分が引きこもっているのか分からずやっているから、その負のスパイラルにはまってしまって、抜け出せなくなってしまう人もいる。
あるいは、自分は今おかれている新しい環境になじめないでいる、と頭で分かっても、息が苦しく感じてる心のニーズまではなかなか汲み取ってあげる余裕もなくて、そのギャップに苦しんでプチ鬱が、重度鬱になっていく。

音楽心理療法・GIMでは、その負のスパイラルが長くきつく巻かれているほど、それを解いていくにはセラピスト・クライアントのエネルギーと時間を要する。どうしてついていけなくなったの?心は何が気に入らないの?受け入れられないの?

すこし暖かくなって気持ちも緩んでくるこの時期、
ほどき方を間違えると、よけい絡まってコブが出来、どうしようもなることも。
どうぞご自愛くださいませ。
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by totoatsuko | 2008-02-20 00:32 | Comments(0)

雨水(うすい)

今日は日差しが暖かかった雨水でした。
(2/3節分、2/4立春)
よくお茶室などにかけてある一句を思い出しました。

花をのみ 待つらむひとに山さとの 雪間の草の春を見せばや
藤原家隆

「雪間草」は春の季語。
冬に降り積った雪が消えかかりところどころに黒い地面が姿を出すその隙こに萌え出る草が雪間草。東京に住んでいると、花に春の兆しを見出したりするけれど、寒さが厳しい山里では雪の隙間に芽を伸ばす草に春を感じるのでしょうね。
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by totoatsuko | 2008-02-20 00:19 | Comments(0)

おしらせ2

2006年10月に日本で開催されたクリエイティブ・アーツ・セラピー国際会議(GIMーGuided Imagery and Musicのワークショップを私は行ないました)をまとめた本『新しい芸術療法の流れ クリエイティブ・アーツセラピー』 関則雄編 フィルムアート社、が出版されます。

国際会議自体はヨーロッパ、北・南米・アジアからも沢山の講師や参加者が集まりとても質の高いものだったので、本にも期待しています。
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by totoatsuko | 2008-02-19 23:32 | Comments(0)

お知らせ 1ードラマセラピーカンファ

『ドラマセラピーフェスティバル2008~Drama is everywhere~』

日本ドラマセラピー研究所が活動を始めてもうすぐ3年、今改めて、ドラマそのものの魅力、そして可能性を感じています。 今回、2007年度の締めくくりとして、「ドラマセラピーフェスティバル2008~Drama is everywhere~」を開催いたします。

当日は、ドラマセラピーに関する活動紹介だけでなく、心理、福祉、医療、教育、コミュニティワーク、その他様々な形でドラマに関わっておられる方々にもそれぞれのワークを紹介していただき、「ドラマを讃える」一日にしたいと考えております。

「ドラマ」という名のもとに集う皆さまと、この機会に、共に学び、刺激し合い、成長していくことができたらと願っています。
日時:2008年3月9日(日)10AM-8PM

場所:芸能花伝舎(東京都新宿区) 
http://www.geidankyo.or.jp/12kaden/08access/index.html
参加費:8000円(懇親会軽食込)
定員:60名(先着順)
申込期間:2008年2月1日~2月29日

申し込み方法: 日本ドラマセラピー研究所HP(www.geocities.jp/jpdramatherapy )から
プログラム内容:基調講演 岡村直子氏(立命館大学)/各種ワークショップ/事例発表・活動報告/懇親会&パフォーマンスなど

主催:日本ドラマセラピー研究所(www.geocities.jp/jpdramatherapy)
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by totoatsuko | 2008-02-19 23:22 | Comments(0)

殺される牛の感情と肉体の話

d0065558_23275620.jpg聞いた話。

これからと殺される予定の牛達が集められた空間の空気を凝縮して出来た一滴の雫を人が飲むと、死んでしまう。何故なら、その一滴には、牛達の死への恐怖や殺す人間に対する怒りややるせなさなどが凝縮されているから。


勿論、食肉製品となった彼らの肉体にも、その感情はしみついている。

XXXX
ここでベジタリアンを推奨するつもりは全くないので誤解しないでいただきたいのですが、、、
上の話を聞いて、その一滴を飲んだら死んでしまうというのが本当かどうかは別にしても、その空間の殺伐とした情景、牛の感情で満たされた空気みたいなのはリアルに想像できて、日常みている店頭のお肉の情景に繋がったのでした。

そういう彼らの肉体をいただくということは、そういう負のエネルギーも一緒にとりこんでいるんでしょうね、たぶん。

と殺場の空気はアウシュビッツのガス部屋の空気に共通するものがあるのだろうと。
あの場に閉じ込められた人たちの感情は、想像を絶する。

アメリカにいた時、と殺現場の映像をみたらお肉が食べられなくなってベジタリアンになった、という人に何人か出会いましたが、わたし達って、知らないから出来ていること、って沢山あるなぁ、と思います。
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by totoatsuko | 2008-02-15 09:34 | Comments(6)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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