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癌の医療保険と インフォームドコンセント

d0065558_12455555.jpg最近、保険料の不払いのニュースが目に付く。

そしてふと思った。
「癌特約」というのがあって、癌の治療やその入院費用が出る、というものなんだけど、
そもそも 日本人の多くは、まだ本人に本当の病名を教えない、という文化がまかり通っているので、本人も死ぬまで自分が癌であることを知らない(あるいは、薄々感じていても、知らない振りを通すし、家族も医者も誰も真実を語る機会を設けない)場合が本当に多いのだ。

そういう場合、癌特約はおりないことになりますよね。
癌じゃない、という前提で治療しているのだから。

保険に加入する時、癌の治療にはこんなにお金がかかりますよ、と恐怖心をあおられて特約をつけるのかもしれないけど、いざ癌になって、「癌であると知ったら、生きる気力を失うかもしれない」という本人と家族(と医者)の恐怖心によって、自分の本来の状態を知る権利を放棄する。その結果何年も何十年も払い続けた特約料は、保険会社のおいしい肥やしとなっているのだろう。

インフォームドコンセントの問題、こんな所にまで波及しているとは、、、
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by totoatsuko | 2007-01-31 21:35 | Comments(0)

猿を見分ける

d0065558_12451634.jpg子供は 猿一匹 一匹を見分けることが出来るのだそうだ。
大人の多くが、猿A と猿Bの顔つき、体つき、しぐさの違いを見分けられないのは、猿をみたら瞬時に 頭で「猿」 とカテゴライズしてしまい、脳がそれ以上の洞察をしようとしないから。「猿」とひとくくりにせず、一匹 一匹を興味の対象としてみたら、それぞれの猿がとても個性のあるものとして見えてくるのかもしれない。

この論理は結構わたし達の日常のものの捉え方にも当てはまる気がする。
例えば、ある人のバックグラウンド(就職先、職種、学歴、趣味)や、人種を聞いただけで、一定の先入観(色眼鏡)をもって、この人はこういう風に考えるだろう、とか、こういう事に興味があるだろう、とかこんんなタイプの人だろう、とか。

その人に対して全く情報を持っていないときに働く「知ろうとする力」は、ある限られた情報を基にグルーピングすることで、瞬時に格段に弱まって、その人本来の姿とは全く違う人物象を作り上げていく、、、あるいはその人のユニークな面を無視する。

この思考回路は、本能的に(嫌だな)と思うタイプの人と接するときにも働く。
これ以上深く関わりたくないから、その人の話をよく聞く前に、その人をよく知る前に、「だからこの人は~で、いけ好かないのだ」とさっさとグルーピングしてしまい、相手を「個」としてみなさず、自分から切り離す。

別に、これが悪いことだと言っているのではない。
全てのものの個性を知ろうとしたり、相手をするなんてしょせん不可能なのだから。

でも、わたし達は、そうやって無意識に色んなものを選別して、大事なものを見落としてしまっているかもしれない、と心に留めておくべきだと思う。
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by totoatsuko | 2007-01-31 21:33 | Comments(0)

実感がない

d0065558_12444870.jpgあるクライアントの服飾類の買い方が、その人の長年の心のアンバランスを反映していることが、GIMセッションの中で分かる。

いいな、と思ったら、それをいつ使いたいとか、どれだけ自分が必要としているか考えずに購入する。(本人は考えているつもり) 結果、どんどん モノは増えていき、クローゼットから溢れ、部屋一つがクローゼットになっていっても、本人は、何かがおかしいと思っていない。

しかも、服飾類を買うときは他の家族や「自分」に対して「これも、将来的には娘のものになるのだから」と言い訳をしながら買っている。そのお金の使い方に自分自身が責任を持っていない。モノを購入する事を決断した「自分とそのモノとの関係」がとても希薄である。これは、彼女の自分自身との関係が希薄であることに繋がっている。ひいては、人とのかかわりの中でも、自分自身を深くコミットしていない。

クローゼット部屋の縦列されたハンガーの中の何処に、自分が「選び」「お金を使って」自分のモノにした服があるのか、時々見つけられない。それは、彼女が自分自身の決断にコミットしていなかったから。ひとつひとつ思い入れを持って買っていたなら、そんなことは滅多に起こらない筈だ。

彼女は、満たされたいのだ、切実に。自分では全く気付いていなかったが、もう何十年も、心が渇ききっていた。しかし、本人はいつも整った格好をし、人間的に成熟した女性だと自負していた。「ステキね」と誰かに言われることが、彼女を一瞬だけだが、「満たす」。モノを自分に買い与えることで、一瞬心は満たされるかもしれない。でも、彼女にはそれを味わったり、消化したり、楽しむ心のひだが育っていない。カラッポなのだ、心が。満たされてないことを認めたくない心は、感じることを拒否しているのだ。

満たされたいという欲求を持つ、回りが自分を満たしてくれないと不満に思うキタナイ自分を隠すために、 服飾品を常に買い足し、いつも違う洋服を着て美しい外見を整えておかなくては、という脅迫観念に無意識の内に支配されている。

自分は、立派な人間だと自分に言い聞かせていないと立っていられないから、本質的に自分を満たす方法をさぐるサイコセラピー・心理療法に行ってみよう、なんて思ったことがなかった。

でも、少しづつ彼女は気付き始めている。
何かが かみ合っていないと。
モノ が増えても、人にステキね、と言われても、自分が満たされていないことを。

何かを手にとったとき、その手触りや 重みや かおりを 自分がどう感じているか?
そして、それは本当に自分に必要な物なのか?
それと関わることで、自分が喜びを感じられるだろうか?

自分が、自分の選択や感覚、感情を軽んじて、あるいは偽って生きてきた事に気付いた彼女は、今、ゆっくりと自分自身と、自分の周りの人たちと、生きている環境と、新しい関係を築き始めようとしている。いったい自分は誰なんだ?何を感じているの?どんな自分を否定してきたの?何を怖がっているの?何が欲しいの?

ゆっくりと、大きな変化のうねりが生まれてきている。
きっと、このプロセスのやまを超えた時、彼女は、自分を再発見し、全くいままでとは違う感覚で人生を楽しめるようになるだろう。

*本人が特定されないよう、セッションの時期、詳細は変えてあります。
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by totoatsuko | 2007-01-31 15:21 | Comments(2)

接骨院 お勧め!

何故か 近所には小さな接骨院がけっこうある。
腰痛、肩こり の方どうぞ。スポーツマッサージやってます。針灸やってます。保険ききます。

色々 うたい文句が通りに面した壁に書いてある。

いつも素通りしていたのだが、先日腰に激痛がはしって、数日おいてもなかなかよくならないのでその中の一つに行ってみた。音大時代に追い込まれてピアノにかじりついて練習していたら、背中が曲げられないほど硬直して眠ることも出来なくなった時、この手の治療に通い助けられた経験があるのだが、それと比べると、この痛みは大した事がないので、保険証をもっていわゆる「治療を受けに行く]感覚に違和感があったので躊躇していたのだ。

心がギクシャクする、バランスを失ってる、疲れてるからなんとかする手段を取りたいけど、サイコセラピーに行くほど病んでないし深刻でないし、と思い、そんな専門的ではなくて、もうちょっと手軽で軽めでポピュラーな癒し(例えば、旅行とか温泉とか、マッサージとか、ジムとか)でいいや、と思う感じと似ているかもしれない。まだ大丈夫、と思っているうちに専門家のセッションを受けるほうが、早く心のアンバランスの根源をつきとめる事が出来、回復もその分早いだが。。。

いざその針灸マッサージ店のドアを開けると、白衣を着た人たちが何人かいて、雰囲気は街の病院みたい。病院独特のにおいはないけど、オシャレなマッサージ屋がもつ薄暗くてリラクシングな雰囲気作りみたいなものの努力は全くされていない。むろんホットタオルとか、オイルマッサージとかもない。まぁ、音大時代通った所もそうだったが。

しかし、効果はテキメンだった。経験も専門的な東洋医学の視点から見たカラダに対する知識もちゃんと持っているし、プロ意識がしっかりしていて、大満足。全身マッサージと鍼をやってもらって約1時間20分、1600円。 こういうのは、施術者の腕に大きく左右されるし、雰囲気もなにもあったものではないけど、実はちゃんとあり、付加価値がつけられていない分手ごろな値段の針灸院 オススメです。
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by totoatsuko | 2007-01-29 15:28 | Comments(1)

これってGIM?

d0065558_2174675.jpgGIM・音楽とイメージの関わりに興味をもたれている方から、
「ヘレンボニーの"音楽と無意識の世界"という本を参考に、自分で音楽をかけて目を閉じ、自分がイメージしやすい場所を思い浮かべてイメージを始めるのだけれど、劇的な体験(本に書いている体験談のような体験)はまだ経験したことがない。毎回、音楽によって違うぼやーっとしたイメージを見たりするけれど、これはGIMのうちに入りますか?」

という質問を受けました。

それに対する私の返答は
「ボニーメソッドGIMは一人で出来るものではありません。
GIMセラピストになるべく大学院終了後、最低3年以上のトレーニングを受けたセラピストが、真摯にその人の心が必要としているプロセスを発生させ、促進するための補助となるその時その時の音楽を選び、言葉も的確に使いながら、クライアントのイメージのプロセスをサポートしていくセッションの事をボニーメソッドと言います。

イメージを見ること自体が目的でもなければ、感動的な体験をすることが目的でもなく、あくまで、その人の心が必要としているプロセスを音楽とイメージを使って行なう心理療法です。

もちろん、心地よい音楽を聴きながら、言葉も使いながらイメージを誘導する ガイデッド イマジェリー (Guided Imagery)という手法をセラピーに取り入れていらっしゃる方もいますが、厳密にいうと、それだけではボニーメソッドGIMとはいえません。」 でした。

ヘレン ボニーの本には、統合失調症の人にはGIMは向かない、という記述がありますが、原則として私も同感です。ただ、10の人格をもった人とのボニーメソッドGIMセッションで、よい結果を導いたケースはありますので、一概に言えない、ということも記しておきます。
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by totoatsuko | 2007-01-24 13:54 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

出席停止

d0065558_15533148.jpg期限切れ騒動の記事を書いていて、いじめに対する政策案の事を思い浮かべていた。

首相が、いじめた子供には出席停止を、と言っているが、またうわっつらな議論しかしてないんだな、この人たちはと思ってしまった。悪い、とレッテルを貼られた人に罰を与えれば、いじめてしまうその子の心理や行動をはぐくんだ人間関係・生活環境が変わるとでも思っているのか?

間違いに気付いた企業が、変革しようとしているのに、社会は企業いじめにもっぱら忙しくて、変革のためのサポートは誰もしないのと同じだ。

いじめられっ子と、いじめる子の立場は、時に逆転する。ささいな心理変化で。
昨日のジャイアンが、今日はのび太でありうるのだ。

今の子供達の心の危機を - ひいては子供達をはぐぐむ場である過程・地域・先生の心の危機の深刻な構造をきちんと理解している人間は、政府の諮問委員会に入っているのだろうか?もしいるとしたら、その人の声は周りに届いているのだろうか?

子供たちは、将来おとなになり、子供を育てる、社会を構成していく。
子供達がすくすくと成長できる、心の状態が危うくなりがちな思春期やモラトリアム期をうまく乗り越え、脱皮しながら大人になっていける環境をつくっていかなければならない、という危機感、どれだけの日本人が感じているのだろうか?
出席停止、なんてうわっつらのうわっつらのようなバカげた対応をし続けているかぎり、絶対にいじめる側、いじめられる側、どちら側の子供達の心も安定しない、安全に成長できない、救われない。
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by totoatsuko | 2007-01-24 10:54 | 日々感じたこと | Comments(0)

期限切れ騒動

d0065558_15525189.jpg不二家が、社内の規約を無視して、品質管理をきちんとおこなってこなかった姿勢は、確かに企業倫理という点からみれば、自覚が甘かったと糾弾されてもしょうがない。いまや日本企業も、利益を上げればいいだけではなくて、社会や環境にどれだけ貢献しているか、というのもawareであることに迫られている。この感覚は、アメリカで80年代に多くの企業不祥事が起こったころから議論され始め、その流れが日本にようやく流れ着いてきた感があるのだけれど、やはり同じものでも、日本にくればその性質は違って解釈・利用されているような気がする。

うまく言えるかどうか自信がないのだが、、、
アメリカは企業内でチェック体制や、不祥事が起こらないシステム(人を教育するとか、人事体制を変えるとか)を変えるが、社会は社会で企業やブランドを100%信用しきっていない。こっちはこっちで企業を監視していく義務があると自覚しているような気がする。

かたや日本は、悪いことが発覚すると、当事者を感情的に責めまくり、あわや廃業 まで追い込む。どうやったら同じ過ちが繰り返されられないように出来るか、という建設的な意見や議論が大衆の間でうまれない。失敗は成功の元、 なんてことわざを生んだ日本だが、あまりその精神は失敗した人に対して適用されないようだ。セカンドチャンスが与えられない社会では、何か間違いを起こしたと気付いても、恐ろしくて世間に告白できないだろう。変わる 第一歩を踏み出せないだろう。

間違いに気付いた → 公表し、変革の決意を宣言する →そんなの今まで嘘ついてきたんだから信じられないと罵倒される → つぶれるまでぼこぼこにされる

間違いに気付いた → 公表した場合に受ける仕打ちを恐れて隠蔽する → 隠蔽がばれる →変革の決意を宣言する →そんなの今まで嘘ついてきたんだから信じられないと罵倒される → つぶれるまでぼこぼこにされる


どっちのルートをたどっても結果が同じではね。。。

賞味期限なんて、参考に過ぎない、と私は思っている。
賞味期限内でも、私の手に渡る過程で的確な保存がされていなかったら、腐っている可能性だってあるのだから。それに、わたし達には目と鼻と舌があるでしょう?刻印された数字を鵜呑みにして、自分の感覚を疑うなんておかしな話じゃないですか?どちみち、それをフルに使っても、期限内だって、中毒になってしまうことはあるのだから。
こちらは、ちょっと面白い投稿。
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by totoatsuko | 2007-01-24 09:21 | 日々感じたこと | Comments(0)

愛すること vs 恋すること

d0065558_15503844.jpgある人と話していて、「愛すること と 恋すること の違いが分かっていない若い人が多いよね。特に男の子なんか永遠にそういう傾向があるよね、愛される側に立ってることが多いから。
~ 愛することは、ドキドキすることとは違うんだよね。いつもドキドキしていたい ってのが恋で、そういうの追い求めてる内は、本当に人を愛せないよ。」 とその人が笑いながら言う。

男性のほうが 愛することを知らない傾向にあるかは別にして、
妙に その人が言う愛 と 恋 の違いのくだりが しっくりきた私。

恋しているときの 胸が締め付けられるほど苦しくなったり
ささいな事で 瞬時に世界の色合いが 真っ暗闇になったり バラ色になったりもする
ささる様な痛さ、切なさ、胸が躍る喜びと幸せ それらが絶え間なく交錯するスリル。

かたや、愛してる感覚は もう少し安定した セグメントが長い 暖かい感情の広がり。温度は熱くなったり低くなったりするけれど、恋しているときほどブレがない。恋してるときほど、頻繁に強い刺激がないけれど、そこに漂うものは、恋ではおこらない深い深いものがある。

私は、自分の親や子供には恋しないけど、愛は感じる。

私の今のwonderingは、一人の人間との関係で恋と愛は同時に両立するか?ってこと。
パートナーを、時に恋愛対象として、時に愛する対象として、異なる視点や関係を紡ぎだし、感じることが出来るだろうか?そして、こちらもパートナーの心にどちらの感情も生み出させる対象であり続けられるだろうか?
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by totoatsuko | 2007-01-23 09:19 | 日々感じたこと | Comments(0)

電話カウンセリング

d0065558_15513688.jpg友人から ちょっと愚痴をきいてよ、と電話がかかってきた。
愚痴っているのは分かってるけど、愚痴らずにはいられない、というか、この不安な気持ちを聞いて欲しい、勇気づけてほしい、と言う。

私は、友人として思うことを 友人としてべらべらと喋った。
こう考えたらいいんじゃない?とか、こうしてみたら?とか。

ひとしきりお互い喋って、友人が、あーよかった相談して、すっきりした、カウンセリング代今度払うよ、なんて冗談交じりに言うので、そうか、世の中には電話カウンセリングという商売も常識的に存在しているな、と思い出した。

相手の顔も見ずに、相手の潜在的な気持ちを引き出す試みもせずに、こうしたほうがいい、ああしてみたら、なんていうのは、私にとっては友人として接しているから言えるのであって、セラピストというプロフェッショナルな立場で相手と関わっているときには絶対とらない態度である。

その人にとって、何がベストチョイスなのか、なんて絶対他人には断定できない。心を扱うプロなら、尚更だ。尚更、自分がクライアントの心を完全に理解した気になり、相手に指示を出す事が、いかに浅はかであるか知っているはずなのだ。それに、相手が自分で解決するチャンスを奪っている事にもなる。

電話カウンセリングは、クイックフィックス(手短に解決する)を望む現代のニーズに一見あっているのだろう。セラピストのオフィスにわざわざ足を運ばなくていいし、自分なりの道筋や方向を、心の深いプロセスを通して見つけていくような時間とエネルギーを使うかるかったるい作業を飛び越えて、心のプロという「権威」が示唆してくれる答えをその通りやれば、その場しのぎが出来た気になれる。

時間がない人が多い時代には、こういうサービスも不可欠なのかもしれない。
これで、救われる人も沢山いるだろう。
でも、これは私の仕事ではない、と思う。
(GIMセッション、音楽心理療法を受けたことがある人なら分かるけど、このセッション形態、明らかに電話越しでは不可能です。)

相手の顔もボディーラングエッジも見ずに、かもし出す雰囲気・エネルギーを電話越しでしか感じられずに、私は何も出来ない。気休めをいう事は簡単だ。友達を励ますように、クライアントに接すればいいのかもしれない。でも、セラピスト・クライアントの関係と、その関係の目的は、決定的に友人や家族との関係とは違う。

簡単に人工的に曲げられるものは、その人工的な圧力の存在が消えるとすぐもとの形にもどってしまう。

私は、そういう変化を心にもたらすのではなく、その人の内面から自発的に変わっていくプロセス、私との関係が終わっても、その変化の過程が続き、発展していくようなプロセスを生む関わり方をしていきたいと思っている。
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by totoatsuko | 2007-01-22 14:51 | 日々感じたこと | Comments(0)

全力投球

d0065558_1552591.jpg頑張っている姿をみると、感動の涙を流すことがある。
結果が伴わなくても、何かに向って、一生懸命取り組んでいる時の表情やしぐさ、かもし出す雰囲気は、とても美しいし自分も頑張ろう!という気持ちにさせてもらえる。

でも、いつもいつも いつもいつも いつもいつも 精一杯頑張って生きる必要はないと思う。
人生はマラソンだから、そんなにいつも全速力で走っていたら、走れなくなるのはもとより、歩みを緩めて歩く体力すら使い果たしてしまう。体を壊してしまう。

実力主義 がだんだん浸透していくにつれて、
100パーセント仕事に勉強に力を出し切っていないと、
あるいは出し切っているふりをしないと、後ろ目たい気持ちになるのは現代病のひとつか?

残業をせずに帰ると、周りから冷たい目で見られる?
休暇を長く取ると、会社に戻りづらい?
でも、実質的にそういうワークライフバランスが自分にあっていて、仕事も効率的に出来るなら、そっちの方がいいじゃないですか?人の目のためだけに時間を費やす非生産的なチョイスを重ねるより。

ただ何もせずにボーっと過ごすことも、仕事や勉強とは全く関係ないことに時間とエネルギーを費やすことも、本業で創造的なものを作り出すためには無くてはならない要素。ひいては、自分の人生を豊かに生きる鍵ともなる。
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by totoatsuko | 2007-01-19 14:55 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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