カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

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Recilience ~DV・トラウマを抱えた女性の心の健康をサポート

DV・トラウマを抱えた女性をサポートするグループの代表をされている方と出会いがあり、
日本でも、ちゃんとこのポピュレーションのサポートをしているところがあるのだ、と感動しているところです。

男性が対象のものもあればいいのですが、今のところ私は存じません。

暴力など、様々な形の虐待の加害者・被害者は、沢山いるけれど、そういう人はなかなか表に出ていらっしゃらないし、セッションにもご自身から申し込まれることが少ない。何処にどういう風に相談していいか分からない人、誰かに相談することさえ躊躇してしまう方が決して少なくないのを、日本に帰ってきてからも実感していました。

サポートグループ Recilience (=力という意味)のサイトはこちらから。
個人音楽心理療法セッションは、このような方たちのために大きなサポート、現状を変える手助けをすることが出来るけれど、いきなり個人セッション、というとためらわれる方もいらっしゃるはず。

そういう方は、また、そういう方を家族・友人に持つ方は、 このグループに相談してみてはいかがですか?きっと力になってくれます。
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by totoatsuko | 2006-11-28 10:08 | Comments(0)

GIM - 自分と向かい合う安全な方法

d0065558_21304775.jpg模擬GIM (Guided Imagery and Music)セッションを体験した人が、
「言葉のカウンセリングと比べて、すごく安全な環境で自分を感じることが出来ました」
と伝えてくれました。

あくまでも、この人の個人的感想なのですが、
GIMによる心のプロセスの 一つの特徴を現しているようにも感じました。

言葉だと、なまじ それは自分達が生まれたときから使っている、そして、共通用語として認識されているものなので、 簡単に自分で自分の心を 無意識・意識的に言葉によってごまかすことが出来る。

セラピストに 自分の状態、感じていることを伝えるとき、言葉を使うと、何か心とずれてしまったり、本質は決して伝えられない気持ちになってしまうこともある。だいいち、セラピストという他人に自分の深いものを、頭で認識する自分を通して言葉で分かってもらおう、とする試み自体、チャレンジングである、ともいえるだろう。

GIMだと、セラピストに自分の状態を説明するためにイメージを体験するのではない。
自分が普段認識できない自分を感じるための手段として、イメージを生む。

イメージ体験の後、セラピストとイメージについて話をするが、それはセラピストに伝えるためではない。セラピストは、イメージを共に旅しているので、その必要は無いのだ。ただ、イメージの中で体験したことを、言葉にし、旅を共有したセラピストと対話する事によって、自分がそのイメージから自分を理解するためのヒントを得ることが出来るから、やっているのだ。

クライアント本人が、言葉でのプロセスが適切でないと感じる場合もある。言葉なんかで表しきれないものをイメージで体験した時。そういう時は、あえて言葉を使わない。即興演奏、色や粘土、ムーブメントを使って、イメージ体験を消化する。

認識されていない自分の内面が 自然と表層に現れ、自然と変化していくプロセスが、
音楽とイメージのなかで起こっていくのだ。
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by totoatsuko | 2006-11-21 17:45 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

GIM ~ 頭と心と溝

d0065558_21311878.jpg個人GIMセッション(音楽心理療法)では、心のものすごく深いところを感じることが可能である。 音楽を聴きながら体験しているイメージ・感情・感覚から、目を開き、セッションルームに意識が戻ってきた時、少しの間くらくらしていたり、たった今体験したことが、人事のように思えたり、あまりにも衝撃的でどう受け止めていいか分からない、あるいはテレビを見ているようで自分とは関係ないことの様だった、という反応が起きることがある。

それは一重に、音楽の中で体験した心の状態が存在する自分のパーツと、
日常自分の行動や価値観を支配している意識のシステムが、
とてつもなく かけ離れている証拠。
そして、心を奥で起きていることに対して、認めたくないとか、ショッキングだ、という日常の自分の反応。

変遷意識状態から醒めて、いつもの自分が作動し始めた瞬間、数秒前まで自分が体験した事を、いつもの自分の価値観や思考回路で処理しようとすると、無理がきてしまうことがあるのだ。なぜなら、心のある部分では、そういう思考や価値判断が全く意味をなさない世界を作り上げているかもしれないから。

セラピストの私は、クライアントが そのギャップに何かの橋渡しをしたり、交換回路を見出すのを手助けする。全く別物でも、自分の一部は自分の一部。

どちらの自分がいい、悪い、というのではない。

例えば、知らない自分、自分とは思えない自分、見たくなくて無視してきた自分がでてくれば、 それらの居場所をクライアント自身が見つけ、自分に統合してゆき、様々な側面の自分を offensiveにならずに味わい、楽しみ、認め合い、より豊かな、自分に素直な人生をクライアント自身のやり方やテンポで作っていく手助けをしていく。
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by totoatsuko | 2006-11-17 16:58 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

団塊の世代 ~ where to go?

これから 団塊の世代が定年退職していく。
これによって、彼らの持つお金の流れを受け止めようとする産業も続々でてきている。
そして、彼らの心のケアのニーズを訴える声もある。

その前後の世代と比べて、この世代の人は、常に大人数で同じ方向に向って頑張り、グループとして大きなものを達成していく、みんな仲間 という様な意識を持っている人が多いかもしれない。

貧しくて、社会が行き詰っているなかで、それを何とか打破しよう、何か新しいことを始めよう、というよりは、高度成長の波に乗って、流れに逆らわず、疑問もあまり持たず、その恩恵も受けつつやってきた。

そして、もう少し若い世代になると、家に金銭的余裕もでてきて、人生の道草をくう余裕が出たり、色んな選択肢を社会が提示できるようになった。団塊世代が持つ価値観とは、全く違う人生観を持つようになった。

完全終身雇用制度が、まだ存在するうちに退職に至れるのは、ラッキーかもしれないが
会社 とか 社会 家族という大きな枠組みに強くidentifyされて生きてきた人にとって、
退職して 属するべきグループがなくなる、というのは大きなストレスだろう。

今までは、属するグループが提示する道をそのままたどれば、たとえ 何も考えなくても、自分が何者か知らなくても、心に負担を感じることなく生きてこれた。
以前は、退職しても、町内会の役員とか、子供と同居するとか、何らかの帰属するグループが存在したが、核家族がすすみ、地域のつながりも薄れたこの時代、人々は、ぽん と放り出される。奥さんからも 放りだされる人もいる。

仮に、仕事一筋できたならば、趣味のような、自分でやりたいこと は何かなんて、考えもつかないだろうし、一体自分は何者なんだろうか、と引きこもってしまうのも理解できる。

彼らが新しいIdentityを見つけるには、残りの人生を一人の人間として充実したものにするには、どうのような事が出来るのだろうか。
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by totoatsuko | 2006-11-17 16:41 | Comments(0)

密輸 という夢

夢 は、その人の無意識からのメッセージを含んでいたり、
夢を見る事によって、心が自主的にその状態を安定させたり、バランスをとろうとしたり、
今の自分の心の状態を 夢というストーリの中で表現し、心的エネルギーを発散させている、
と ユングは言っているし、私もそう信じている。

エゴや、日常自分を動かしている意識の表層や、刷り込まれた価値観みたいなものが機能する意識の層より、ずっと深い部分、自分の中心に近い部分で、自分を感じる方法。

GIM(Guided Imagery and Music therapy=音楽心理療法)セッションでは、音楽を使って、その現象を体験する。夢なら忘れてしまうが (それは、その夢のメッセージを認めたくない、と思っている自分の一部の仕業かもしれない)、セッションでは私もそのイメージを共有し、ノートに綴っていくので、忘れることは無い。

そして、心は、夢占いなどの本に書かれているようなお決まりのパターンで判断することは、決して不可能である。同じ木のイメージを見ても、個人個人によって、その意味合いが異なるからだ。

ある少年が、自分と女性が、麻薬を密輸しようとしている夢を見た。空港でX線を突破するために、メントス(タブレット)のような形にしたらいいんじゃないか、どうしようか、と思案しているという話。

この人の日常で起こっていることは、家族に内緒で、ここ数年間 色んな小説を読み漁っていることだった。彼の両親は、本を読む時間があるなら勉強しなさい、という人たちだったので、内緒で本を買い、買った本は見つからないようにし、通学や親が外出中、あるいは寝静まったあと、貪るように時間を惜しんで読んだ。

夢に出てくる男女は、日常では密輸人というアイデンティティーを隠し、ごく普通の人として生活しているのは、少年の日常の感覚と同じである。ただ、密輸することにより、隠れて本を読むことにより、そこで得られる価値は倍増する。

もし、麻薬が合法化されて、風邪薬のように薬局で誰でも買えるようになったら、その価値は暴落するだろう。それと同じで、この少年にとって、隠れて、限られた時間と場所で本を通じて異世界と心を触れ合わせることにより、その時感じる自由や、現実逃避が、大きな力・意味合いを持って心に作用する。

この夢は、少年にとって本を読むことは麻薬を密輸することほど危険なこと(=両親にみつかるとかなり危険な状況に追い詰められる)であるという反映であるとともに、日常のストレスや両親との関係を切り抜けるために必要な膨大なエネルギーを、その隠れた行為から受け取っている。麻薬を密輸する夢は一見全く関係ない少年の本を読む行為がつながり、その夢の意味合いを、わたし達は丁寧にほどいていき、脅迫的な両親の元での生活を切り抜けるための手段として、彼は隠れて本を読む(=自分の好きな事をし、そのプロセスでは両親の圧迫から自由になる)ことの意味合いを発見した。

一人で 夢の意味を理解しようとするのはなかなか難しいかもしれないが、
夢には本当に豊かなメッセージが含まれている。
夢日記 なるものをつけて、そこで感じたものを 色にすると、その夢が自分に何を語りかけているか気づくきっかけになるかもしれない。
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by totoatsuko | 2006-11-15 13:55 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)

閉鎖的な子育て

少し前、0歳保育強化(0歳から子供を預かる公立保育園のキャパを広げる)に政府が資金を投入するとかしないとかの議論があったとき、4、50代男性議員が最低1才までは母親が面倒をみるよう推進すべきだ、と言っていた。

この男性は、何を根拠にそうするほうがいいと言っているのだろう?と首を傾げてしまった。

今、大所帯の古い日本の家族の形が保たれている家庭は少ない。
地域というサポートシステムも昔のようには機能していない。
もし孤立した母親一人に 24時間365日 乳児の面倒みさせるというのなら その女性と子供の精神をおかしくするための手段としか私には思えない。虐待が起きてもおかしくない。

やってみたことがない人にはわからないかもしれないが、
この世に生まれたてで、動けなくて、ただミルクを飲んで排泄して、泣くだけの人間でも、
いやだからこそ、その人間と愛情たっぷりな関係を築くには、相当なエネルギーが要求されるのだ。精神的なエネルギーの消費だけではない。私の場合、乳房からミルクを吸われるのは、まるで血液を吸い取られるような感じで、急激に疲労を感じたし、夜もおよそ2年間(妊娠期を含む)、続けて3時間以上寝られない。

なにかしようと思えば、常に自分のために加え、新しい人間の準備もしなくてはならない。
最初の頃、わたしはよく忘れ物をしたものだ。気がまわりきらないのだ、準備すべきことが多すぎて。
一人で出かけるときは、さっと上着を羽織って出ればいい。
でも、乳児がいたら、オムツやらタオルやらミルクを暖めるだの、細かなステップがたくさんあって、慣れるまでそれにすごく時間をとられたし、それをするだけで玄関にたどり着く頃には疲れ果てていた。

それに加え、さまざまな機能が発達する、そしてその後の人生に大きな影響を与える人生最初の1年の間、母親だけが接触する人間というのは、実にもったいない。0歳保育で、保育士さん、自分より年下、年上の子供達と触れ合うことは、子供にとって大きな学びの場なのだ。
実際、世の中には、母親のような人ばかりではないのだから、いろんな人、空気、食べ物に触れることは、とても意味がある。

子育てで忙しくされているお母さんの中には、とても閉鎖的な生活を送っている人が多い。
誰かと触れ合うエネルギーが、子供の世話をするだけでなくなってしまう、というのも理由だし、公園デビュー なんて言葉があるように、でたら出たで、母親同士のいじめとか、複雑な人間関係があるようだから、それに加わるのは億劫になるのも当然。先に記述した、出かける前の準備のめんどくささに加え、出かけても子供がぐずると、どうしよう、という心配もある。

そんな閉鎖的な生活では、ますます子供もも閉鎖的になってしまう。
そして、ある日突然 幼稚園に連れて行かれ、登園拒否になってしまっても、しょうがない。

お母さん になった人も、一人の人間であることには変わりないのだ。
誰かをケアするには、自分が栄養を得られるルートを確保し、満たされていることが必須だ。
それなのに、妊娠期を含め1年以上の間、社会から切断され、精神的なサポートもなく、うば と家政婦業務に専念しなさい、というのは、なんと乱暴な発言ではないか。虐待が起こっても、仕方がない。鬱になっても仕方がない。

保育園に赤ちゃんを預けて、家でボーっとしているお母さんを批判する人もいるが、もし、そのお母さんにとってぼー っとすることが いい状態で子供に接するのに必要ならそれでいいではないか。

0歳保育、その保育内容・質の保証は大事だと思うが、もっともっと受け皿が増えるといいと思っている。そして、お母さんがフルタイムで働いていなくても、子供を受け入れてあげて欲しい、子供の豊かな成長のためにも、お母さんのためにも、そしてひいては日本全体のためにも。
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by totoatsuko | 2006-11-14 10:26 | 日々感じたこと | Comments(1)

日米 自殺の数と理由

前述したミーティングで、アメリカで自殺の研究をしていたという方と話しをした。
彼が言うには、最近アメリカも自殺が増えていて、その理由は、深刻な鬱なのだそうだ。
自殺は鬱のどん底で起きることもあれば、
鬱からの回復期 -心にエネルギーが沸き、先が見え始めた頃にも起こる。
自分を殺すだけのエネルギーがはぐくまれる、そのエネルギーは、その後の本格的な回復に不可欠なものなのだが。

日本の自殺の理由は何なんだろうか?
精神科やサイコセラピーに行くのは 恥だ とか
自分はそこまで悪い状態じゃない、 という意識が
心の闇が自分を覆い征服しようとしているのを阻止できない理由なのか?

なんだかそれとは別の理由があるような気もする。
それは、自分が死ねば周りがハッピーになれる、というきわめて日本的な発想。
死をもって償う、というか。

高校の履修問題で教育関係者が自殺したけれど、生徒に謝る内容の遺書が残されていた。
しかし、この問題を作り出したのは彼ではないし、彼が死んだからって、何の解決にもならない。ただ、彼的には こんなことをしでかしてしまった自分はもう恥ずかしくて生きていられないとか、生徒に申し訳なくてあわせる顔がないとか、それまで持っていた自分のアイデンティティークライシスが起こったのかもしれない。それらが 鬱を引き起こしていたのかもしれないが、少なくとも長期的なものや病的なものではない。鬱だったから、というよりは、社会に顔向けできない、という羞恥心からの方が強い印象を私は感じた。

これは日本とアメリカのカルチャーの違いなのだろうか。
自殺大国の日本、死の魔力からもっと多くの日本人を救う手立てはないものか。
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by totoatsuko | 2006-11-10 22:03 | 日々感じたこと | Comments(0)

鬱 の 対処法

今日は、インターナショナルな精神科医やサイコセラピストの集まりに出かけ、
とても自分の中で風通しが良くなったのを感じた。

本当にちゃんとトレーニングされている人たち、
質のいい仕事をしている人たちと交わるのは、
本当にいい刺激になるし、自分の中でぐるぐる回っているものを消化する手助けになる。

日米で、精神科医として活動する人が、
鬱(ディプレッション) の人を扱うには、ファーマコセラピー(薬)とサイコセラピーのコンビネーションが重要だ、と言っていた。あまりにも深い鬱にはまっている人は、薬である程度までムードを安定させる必要がある。鬱のどん底にいる人は、自分の気持ちをプロセスする心の体力がないからだ。

しかし、ある程度心の状態が安定したら、サイコセラピーを平行して始めるべきだと言っている。
鬱を引き起こしている過去のトラウマや、思考パターンなどを消化する必要があるからだ。

彼は言っていた。
アメリカ人は、薬を恒常的に飲むのを極度に嫌がる。医者も患者を薬漬けにはしない。それは、保険会社の厳しいチェックがある、というのも一つの理由だろう。

かたや、日本人は処方された薬を永遠に飲み続ける事に対して、あまり疑問を持たないし、精神科医もためらわない。何より恐ろしいのは、最初のカウンセリングセッション(1時間ー30分くらい)でアセスメントをして、薬を処方したあとは、半月か一ヶ月に一回 たった5分の問診で患者の状況を把握したつもりになっていること。患者が 症状が回復しないといえば、薬の量を安易に増やし、気がついたら信じられない量の薬を患者が飲んでいる、薬漬けの状態になっていることがある。

なんとなく、日本人はアメリカの薬は強すぎるとか、アメリカ人はすぐ薬を飲むというイメージを持っている人が多い印象を私は持っていたのだが、もしこれが事実なら、状況は全く逆ではないか。日本人の方が医者のいう事を鵜呑みにする上、誰も医者も監督する者や機関がない。


きちんとトレーニングされたカウンセラーが日本にほとんどいないから、精神科医たちがカウンセリングの効果を認めないのはしょうがないと言えるかもしれない。しかし、患者さんの状態によっては、明らかに薬だけで治療するには限界があるのだ。そして、サイコセラピーのみでも。

今日は、精神科医である彼が、アートのように個人の状況にあわせて薬を処方している姿勢をうかがうことが出来て、自分の中で、いい意味で精神科医の役割を再評価することが出来た。
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by totoatsuko | 2006-11-10 21:39 | 日々感じたこと | Comments(1)

誰に助けを求める?

今朝 文部省に自殺予告の手紙が届いたとかで、大臣が神妙な顔で記者会見していた。
私から見たら、文部省にあのような内容の手紙がかけるほど心が開いているんだったら、自殺なんかしないだろう、と咄嗟に思ってしまったが、真相・深層はわからない。

続いて、ヤンキースの松井からの自殺を考えている人に対するコメントということで、
あなたを愛している人がきっといる、家族・親戚・友達・先輩・後輩。だから生きて欲しい、その人たちを悲しませないためにも、という内容のものが顔写真付で公開されていた。

しかし、本当に死ぬかどうしようか、あるいはもう死んでしまいたい、と思っている人にとって、コノメッセージはどれだけの意味を持つのだろうか?と疑問に思う。

どっちにしようか
例えば、海に行こうか山に行こうか迷っているのようなレベルでは無いのだ、本当に自殺を考えている人は。誰かを悲しませないために自分の死にたいという願望を我慢しなさい、なんて何て無茶な要求で、無責任な発言だろうか?

当事者達の多くは、他人を気持ちを配慮して自分を偽ることは、ほとほと疲れているのだ、我慢できなくなっているのだ。周りの人を見渡して御覧なさい、きっとあなたを大事に思ってくれている人がいる、なんて、本当にいるのなら、とっくにその人の心は救われているか、状況の打開策を見出しているに違いない。

また、仮に自殺願望を持っている人が、松井のコメントによって、勇気を出して心を開き、家族や誰かに相談したとしても、困ってしまう人が多いんじゃないだろうか、そんな深刻な話されても、どう対応していいのかわからない、と。

そもそも、当事者の心が遭遇していることにこれっぽっちも気づかなかった、気づいていても見て見ぬふりをしてきた、あるいは、どう対応したらいいか分からずほおっておいた人たちなのだから、いきなり深刻な話を持ち込まれても、それまで通りの対応をするか、誰かに相談して、当事者が勇気を出して打ち明けた秘密をばらしてしまい、もっと危機的な状況に追い込んでしまう可能性だってある。

それに、そんなに心を追い込んでしまう状況をつくってしまった環境に属する人間達の心だって、そうとう病んでいるかもしれないのだ。本人達は、こちらがわの人間だと思い込んで、健全だと思いこんでいるのかもしれないけれど。

どんな人の心にも、闇は存在する。

当事者の危機的な心に気づかない人たちを責めようとは思わない。
誰だって、自分に降りかかりそうな火の粉は避けたい。
仮に気づいていたとしても、心・意識の構造が気づいていないことにしてしまう。

それに、心の闇に飲み込まれそうになっている人と真剣勝負するのは、そこから救い出そうとするのは、素人にはとても危険なことなのだ。目には見えないだろうが、相手の増殖し続ける力強い闇・影は、無防備に近づくと、無意識に押しやっている気づいていない自分自身の闇を呼び覚まし、リンクし、こちらの心も知らないうちに、闇にひきこまれていく。

どうして政府は質の良い専門家を育成するシステムを作ることに投資したり、専門家の存在を宣伝することなく、身内(家族や先生)で解決しようとするのだろう?いま日本人の心で起こり始めていることは、身内で、世間に知られないように丸く取り繕えない事が増えてきているのに。

身内だから、身内としての愛情や利害関係が、その人の心のもつれをより複雑にしていることもあるのだ。
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by totoatsuko | 2006-11-07 09:40 | Comments(0)

イメージ体験のなかで

GIM個人セッション、あるいはGIMのテクニックをグループ用にアレンジしたグループセッションで、被体験者は特別に選ばれた音楽を聴きながらイメージの世界を旅する。

それはただ 真っ暗い空間にいたり、
壮大なスケールの旅だったり、
強い感情、そして身体体験を伴うものだったりする。

また、実際行ったり、知っている場所・人だったり、慣れ親しんだ感情を感じることがある。
しかし、この日常思い出したり、訪れたり、会ったり、感じたりする感情を、
変遷意識状態=エゴがとても弱まった、普段とほとんどその存在に気づかないような深い心の層で特別に選ばれた音楽を聞きながら体験することは、自分自身にとってとても大きな意味を持つ。ただの回想ではない。

グループセッションでは、個人の心の状態にあわせた音楽を選べず、グループの状態の最大公約数みたいな音楽になってしまうし、個人のイメージに私がセラピストとして寄り添い、イメージを深めるサポートが出来ないので、なかなか深い体験やプロセスをもたらすことは難しいのだが、それでも、心はイメージの中で何か日常とは違うものを感じている。


過去に、とても強い怒りを抱えている人がいた。
(以下、本人が特定されないように、事実を差し支えない形で変えています)
本人もそれを自覚していた、自分が怒りで気が狂いそうになっていることを。
とにかく、何に対しても腹が立つし、怒りが常に頭にあって、他の事が考えられない、と最初の個人セッションでその人は言う。

怒りをもっているクライアントに対して、どういうアプローチをするかは、その状況、その人によってまったく異なるが、この人の場合は、イメージでその怒りの中に入っていくことにし、それをサポートする音楽を私は選んだ。

その人は、イメージのなかで怒り狂い、叫び、罵倒し、自分が炎になってすべてを焼き尽くした。ソファーに横たわってイメージを体験しているのだが、顔は真っ赤だし、体は筋肉が緊張し握りこぶしをソファーに打ち付けている。

音楽が終わり、イメージから、深い心の体験から、その人が部屋に戻ってきた、いつもの意識状態で最初に言ったのは、「すっきりしました。あんなに怒っているところを見せてしまって恥ずかしいです。ほんと申し訳ない。音楽の中ではただ腹が立って、腹が立ってどうしようもなかった。でも、よかった、怒れて。普段は、怒った相手に社会的に批判されるとか、誰か他人・あるいは自分自身もかもしれない、自分自身に対してもいけないことをしている、という後ろ目たさとかを感じながら、それでも怒りに支配されて怒っているんだけど、音楽・イメージの中では、そんな他の声なんかきこえなくて、ただ怒りの中心を感じながら、怒りがやりたいように怒らせてあげることが出来た。

怒っている自分を解放してあげることが出来たというか。
これは、日常では怖すぎて出来ないこと。

あー、なんだか本当にすっきりしました。
あんなに長い時間(音楽は25分位だったが、その人の心的体験としては長かったようだ)、あんなにインテンシブに怒り続けて、
しかも、その怒っている自分をフルに、批判的にまったくならず、ありのまま そのままで受け止めてあげることが出来て・



日常感じている感覚・感情や状況を、心の深いレベルで再体験することは、自分に何か深い意味や発見をもたらす。意識の表層で頭で理解しているのとは全く異なる感じ方をするし、何より、日ごろ耳を傾けていない心の感じ方・声に気づいてあげることによって、
それが存在しないものとして構成されていた自分の価値観や自分の世界は、
再構築を迫られたり、その再構築へのきっかけを生むからだ。

ほんとうは存在しているはずの気づいていない自分に気づくとき、
そしてそれを知ってゆき、自分なりの方法でそれとの関係を作り、組み込む・あるいはブレンドしていくプロセスが起こる。
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by totoatsuko | 2006-11-05 12:18 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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