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生まれながらにして平等、じゃない

d0065558_18444483.jpg小学校の先生から、「人間はみんな平等に生まれてきている」と聞いたとき、子供ながらに、(運動が得意な人と苦手なひとがいるし、頑張っても字が綺麗にかけない人とかいるのに、どこが平等かなぁ?)と思った覚えがある。

運動会では、選抜で選ばれた各クラスの代表走者がチームを組んで、運動会の最後のリレー競技があり相当盛り上がって子供的にとても楽しかったのに、ある時から、差別化に繋がる、という理由からなくなってしまった。(別に差別してるんじゃなくて、得意な人を評価する、伸ばすチャンスなんじゃないの?)とその時は思った。

ひとりひとり ちがうのは あたりまえ。
それを、どうして「みんな同じ」といえるのか?
「平等」っていえば、なんか正しいこと、みんなと同じで安全な気持ちになるのか?


出る杭は打たれる 日本社会。
私とあなたは違います、とハッキリ言えない雰囲気。
人と異なることをするときは(キャリアパス、進路の選択、結婚、子育ての仕方、振舞い方、休日の過ごし方、自分の意見を持つこと)、最大の気を周囲に払わないと居心地がわるい環境。
自分と異なる人をみた時、その場の大多数の人と共感できない時、自分が間違っているのではないかと感じたり、居心地わるく感じさせられる文化。

こんな私に誰がした? と嘆くのもいいけれど、
こんな私になってしまうのを放置していたのも、自分なのだ。


社会主義政府が、人民の最大公約数の幸福を作り出すことを目的に人々の生活の画一化を図ってもそれが実現しなかったことからも言えるように、私は、人間は不平等に、ひとりひとり全く異なって生まれてきていると思う。それなのに、「人間は平等だ」なんて言いながら教育したり、生きていこうとするから、ねじれが生じてしまうのだ。

同じ景色を見ても、感じることは千差万別。
同じチャンスが来ても、それを自分の人生にどう取り入れるかはその人次第。
同じ音を聴いても、心の共鳴は時、人、それぞれ。

生きていると、まわり(親、京大、先生、友達、知人、同僚、上司)が作り出す最大公約数の価値観と、本来の自分の価値観がごちゃまぜになってくる。そうやって家族に、社会に溶け込んで人生の色合いを創っていくのだけれど、影響される前の自分の価値観が何なのか知ることは、社会主義のように生活を保護・規制してくれない、以前のように終身雇用制が約束されていない、自分の人生は自分が切り開いていかなければならない時代に生きている私たちにとって、とても大事なことだと思う。

写真はウィーン、ホーフブルグ宮殿の前で休憩中の宮廷衣装を着たお兄さんたち
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by totoatsuko | 2006-06-29 18:41 | Comments(2)

信用すること

d0065558_9101065.jpg崩壊した共産主義の腐敗した政府は、マルクスは、人民をそして、自分たち自身を信用していなかったんじゃないか、とふと思った。

政府という名のものに、全て - 値段、仕事、財産、政策、を決定し、人々に何も選ばせなかったのは、もし、個々人がよいと思う意思決定をしていくと、エゴがぶつかり合って結果的に皆が不幸になる、と勘違いしていたのかもしれない。だから、「恐怖」という感情をつかって、人民を手中におこうとしたのかもしれない。

でも、実際起こったのは総労働力の低下(頑張れば何かを得ることが出来る、という動機がない)、クリエーティビティー=斬新なアイデアの欠如からくる行き詰まり、お互いに対する不信感(一人だけ出しぬこうったって、そうはいかないぞ)、そして、弾圧されるかもしれない、という恐怖。

信じることが、とても怖いこともある。
相手をよく知らないから。
裏切られるかもしれないから。
信じていることが、否定されるかもしれないから。
信じるには、エネルギーが、忍耐強さがひつようだから。

でも、信じて、待たないと生まれないこともある。
信じてくれている、と感じないと、前に進めないことがある。

障害がある人に対して何も分かっていないから、と思って接していたら、絶対その人と心のつながりは起きないだろう。でも、その人の内側に秘められているものを信じてそのひとに寄り添えば、何かが起こる。何かは分からないけれど、、、分かるほど簡単なことじゃない何か。

以前、生まれてから15年間変遷意識状態の人とセラピーセッションをしていたとき、私は特別に何かが起こることを期待していなかったけれど、彼女が私の音楽を聴いていて、それに彼女なりに接していることは信じていた。私の目に見えるものが、たとえ、些細なつま先の動きであろうと、息のテンポの変化であろうと。その結果、ある日彼女は、音楽の途中で顔を真っ赤にしながら起き上がったのだ。

自分の中心を失わず、主観的な期待を押し付けず、無条件にクライアント信じること、
それは、セラピストのみならず、親や先生、アドバイザー、人が育っていく過程を見守る立場の人、あるいは、自分自身の成長を見守る自分にとって、とても大事な要素だと思う。
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by totoatsuko | 2006-06-23 09:10 | Comments(0)

自分の意思で選ぶこと

d0065558_8453521.jpg随分前、初めて欧米に海外旅行をしたときに戸惑ったのはサンドウィッチひとつ注文するのも沢山の意思表示をしなくてはならなかったこと。

例えば、メニュー上のステーキンサンドを注文したら
「お肉の焼き加減は?」「玉ねぎを入れてもOK?」「パンの種類は、白、ブラウン、オリーブ、フレンチバケットから選べるけど、どれがいい?」「パンは焼く?」「ソースはテリヤキ、BBQから選べるけど、どれがいい?」「余分にお金を払えば、チーズをダブルにできるけど、どうする?」「サンドイッチは一個でいいのよね?」

と質問をあびてたじたじだった。

今では、「ミディアムレア、白パンでテリヤキソースにしてください。チーズはシングルでOK.」って聞かれる前に大体の希望を言えるようになったけど、最初はそのチョイスの多さに圧倒されたもの。

自分の好みが口からするする出てくるまでには、まず自分が選べるのだ・選んで相手に伝えなくてはならないのだ、ということと、どういう選択ができるのか、自分はどういったものが食べたいのか細かく (パンはどれで、焼き加減はどんなので、味付けは何で、と)知る必要があった。

日本にいたら、何もいわなくても美味しいサンドイッチが出てきていたから、初めはそうとう厄介だと感じていたけど、今では自分で選ぶことができることを楽しんでいる。そして、たまに日本に帰ったときは、聞かれていないのに「麺固めで」「レアで」と指定してしまう自分がいる。


この違いはどこから来てるのだろう?
私の推測は、日本は日本人がほとんどで似たような生活、文化背景の中で育っているから、好みの差も、世界中から人が集まって出来たアメリカという国と比べると、かなり少ないんだと思う。それに、「あうんの呼吸」という言葉に象徴される、「口にしなくても相手の気持ちを察し、それにあわせて行動すること」が美とされている日本では、いちいち「何が好きですか」と面と向かって尋ねるのは「気遣いが足りない」とみなされるからではないだろうか?

アメリカでは「尋ねないで、こっちがいいと思うことをやること」がいいとは、決してみなされない。

インターン時代、何度もスーパーバイザーに「どうして(どうしたいか、どの曲がいいか、どういう気持ちでいるか)尋ねなかったの?」「どうして、その人がそう思っていると判断したの?」と聞かれた。その都度、いかに多くのシーンで、自分が自分の尺度で無意識のうちに人の気持ちや、好みを勝手に憶測・判断しているか、いかにそれがセラピーを行なっていくうえで危険極まりない行為であるか、身につまされた経験がある。

これから、日本で活動しようとしているわが身。
クライアントになる人は、以前の私のように、「サンドイッチをください」といったら、美味しいサンドイッチを持ってきてくれることを期待する人達が多いのだろうけれど、セラピーを通して、色々自分で自分の好きなものを選べるんだってことに気付いてもらえるといいな。最初はちょっとめんどくさいけど、楽しめるようになる。そうしたら、サンドイッチ(人生)の楽しみは、おなかを膨らますために食べるだけではなく、注文するときの店員とのやりとり、選ぶたのしみ、五感を通じて味わう、と、もっともっと色んな楽しみがひろがる。
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by totoatsuko | 2006-06-23 08:45 | Comments(0)

では資本主義は?

d0065558_17521863.jpg友人たちとの会話は続く。

「まだ僕たちの世代はいい。共産主義が大学に行く前に崩壊したから、若いうちに新しい世界感・概念を取り入れ、対応していくことができた。でも、親の世代はそうはいかない。変化についていけないし、いまでもまだコミュニズムがよかったと本気で思っている人がたくさんいる」

日本も似てるなぁ~。
暗黙の了解だった終身雇用制度が崩れたとき、たくさんの人が自殺していた。
奥さんに会社を解雇されたことが言えず、毎日手作り弁当を持って、スーツを着て会社に行くフリをして公園で時間つぶし。それまで、仕事一辺倒で家族との関係をきずいてこなかったせい。誰が悪いわけでもないけれど、悲しい。一緒に住んでいて、そこまで心が離れてしまうなんて。

資本主義の国で育った一人が言う
「不思議なのは、どんな優秀なひとたちも、当時だれも共産主義を疑わなかったこと。」

きっとそれは、心の底で、あるいは無意識に疑っていたかもしれないけれど、それを口にすると、社会全体から虐待されるという恐怖に、その存在をかき消されてしまっていたからなのだろう、と思う。

「それを言うなら、私たちは資本主義をうたがってないじゃない?」そう私が言うと、
「それはちょっと違って、明らかに共産主義社会よりいいと思っているけれど、完璧なシステムだとは誰も(多分アメリカ人以外)信じていないのが社会主義者との差。それに、資本主義といっても、国ごとに随分ちがうシステムでやることを皆認めている。」

そっか。
でも、日本に住んでいる日本人でどれだけ自分と自分が属している社会について考えたことがあるだろう?少なくとも、私は学校でそういうチャンスを与えられなかった。

「自分が何がしたいか、どう感じているか知らない方が楽なのも事実だよ。与えられたものをこなして、静かでささやかな幸せに満たせれて生きるのが好きならば。でも、それは僕にはあてはまらない。もっと世界を見たいし、自分で人生を創っていきたい。」

自分がどう感じているかを知るのには、痛みが伴うことがある。
それは、セラピストとしてクライアントの心の旅に寄り添っている時、自分の気持ちに素直になったときの経験からよく分かる。そして、私は共産主義で生きるか資本主義で生きるかは、個人の自由だと心から思っているけれど、すくなくとも自分はどんな社会、家族、自分自身に属しているのか知ることは、とても大事なことだと思っている。

知った上で、どんな主義で生きていきたいか決めればいい。

でも、自分が何が好きで、どんな風に生きていきたいか、そんなことを寸分も考えず人生を送っている人は驚くほど多い。それに、自分のことは全部分かっている、と信じて疑っていない人達も。結構、自分のしらない自分に、知らないということを知らないがゆえに、知らないうちに左右されて生きている人がいると思うんだけど。

塩のしょっぱさを、からしの辛さを、酢のすっぱさを知った人にしか味わえない、甘さがあること。いつも、いい気分な自分だけでいたら、いつか心がバランスを崩す。他の色の存在を知っているから、例えば「赤」の本当のうつくしさ、いとおしさがわかる。心にはさまざまな側面があるのだから、どんなネガティブと決め付けられているものに対しても、向かい合ってみることで、きっと人生は、自分自身は、より自分らしくなれる。
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by totoatsuko | 2006-06-22 18:02 | Comments(0)

社会主義の歴史に触れて~

d0065558_17283967.jpgいま、プラハにいます。
往来の友人に会ったり、街並みをそぞろ歩きしたり。

とても20年前までコミュニズム(社会主義)が占領していたとは思えない。ここが、日本人をよく見かけるところ、とルイ ヴィトンのお店を友人が指差す。資本主義は怒涛のようにはいってきたのか、小さいながらも、ブランド通りがあるし、巨大ショッピングモールもいたるところにある。

観光地の路上には、かなりアメリカンな音をだすJazz musicianたちがいる。
本当に、ここは、資本主義を推し進めるアメリカを毛嫌いしていた国なのか?

友人の話す、ヨーグルトは2種類しかなかった(のが、いきなり20個に増えた)とか、高校に行くためにはコミュニズムにならないといけなかったとか、生の声にはいろいろ思わされることがあった。

彼が小さい頃、おじいさんが「新聞に載っていることが全て正しいと思ってはいけない」と言ったのがショッキングだったとか、学校では先生が正しくて授業の仕方も「話をきく」という形式だったとか(それは今も)。きいていて、少し日本と似ているなぁ、と思ってしまった。

新聞に載っていることが間違っているかも、とか、そこでは語られていない事実がたくさんあるかも、と思いながら読んでいる人は、日本でもそう多くはないはずだ。

自分が何を求めているのか?何が好きなのか?自分は誰なのか?

そんな質問を自分に問いかけることは社会主義では許されない。
そんなことを許していたら、ソ連が目指していた社会主義が成り立たなくなってしまう。
オーソリティー(自分より上の階級、職業、立場)に意見する、という概念を持ってはならない、と刷り込まれている (気づかないうちに。思いあたりませんか?私たちの社会の心の中にも)

マルクスの理想は、みんなで働き、お給料は同額、過分に得た財産は、みなで共有することにより、みなが同じくらいのお金を持ち、同じような暮らしをすることにより、みなが幸せになる、という事だった。理論的には完璧な社会システム。しかし、最大の誤りは、彼がその理論に人の心を加味するのを忘れたこと。

人間誰だってエゴがある。
頑張った分だけ、報酬が欲しいと思うのは当たり前。
幸せと思う尺度だって、それぞれ全くちがう。
特別な存在になりたいと思うし、じっさいそれぞれの人間は特別な存在なのだ。社会全体を丸めるための歯車のひとつではない。

話はそれるが、河合 ハヤオさんの本に
日本人はまず「社会」があって、それを形成する「個」がある、
欧米は、まず「個」があって、それが「社会」を形成している、 という「個」と「社会」に対する概念の違いがある、と書かれていて、とても納得した覚えがある。

観光客であふれ、サッカー中継にもりあがっている平穏で美しいプラハを歩きながら、その歴史に触れ、思いはめぐる。
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by totoatsuko | 2006-06-22 17:28 | Comments(0)

Transformation~ GIMセッションにて

d0065558_14375785.jpgGIMセッションで、言葉では表しきれない
とても とても とても とても美しい transformation (変容)を見せてもらい胸がいっぱいになりました。
ほんとうに美しかった。

それはAbani (仮名)と数ヶ月にわたる私とのプロセスの、最後のセッションでの事でした。
私がボストンを離れるため、終りにしなくてはならなかったのです。


彼女は、このセッションに来る前に持っていなかったけど、今持っているものを
「やさしくて、やわらかいもの」
と説明してくれました。そこで、そのクオリティーをマンダラに描くことに。

私は
Max Reager: lyrisches Andante (Liebestrum)
Mahler: Langsam

をかけ、彼女の描くプロセスを見守りました。


音楽は、彼女の側面が投影されるクオリティーのものだったようです。投影により、彼女がより深く、広くその自分自身のクオリティーを探るプロセスを可能にし、やわらかさのなかに強さがあることを発見しえたと感じています。

彼女が出来上がったマンダラを見て言ったことは、
d0065558_1439695.jpg「このセッションに来る前は、柔らかい部分は存在していたけど、それを外からの刺激から守るために黒と青でがちがちに覆っていました。あの頃は、本当につらかった。誰も私の心の叫びをきいてくれなかったし、なんできいてくれないの?って思ってました。自分の中の温度もすごく熱いか冷たいかしかなかった。

でも、このマンダラでは、今は、やさしい部分に満ちていて、周りに対してとてもオープンになっている。まわりと比べたり、まわりの目を凄くきにしていた以前とちがって、今はどんどんこの中にはいってきていいよ、っていう気持ち。

やさしい部分をかいていくうちに、この優しい部分を保つには、なにか強いものがひつようだと感じて、中心はあの色を選びました。

d0065558_14392037.jpgどんなものが入ってきても、ぐるぐる回ってその中心の火に届き、火がそれを消化し、やさしい、綺麗なものに変えていく。そしてそれが、まわりの人に届いていく。家族に対しても、いままで持ったことがないようなやさしい気持ちになれる自分がいる。まわりの物をとりこんでいるので、その火は決して消えない。」


硬くて、がちがちな黒いボールから、このトランスフォーメーションが起こるには、さまざまな過程がありました。わたしも彼女と共にその道のりをふりかえりながら彼女のコメントをきいていると目頭があつくなりました。

あんなにがちがちに硬くておもそうでうごきがないSelf(自分)から、
こんなに自由で、オープンで、創造性があるSelfに変わったなんて!

(音楽とイメージが彼女の変容のプロセスをどうサポートしかたについては、またいずれ。。。)

いつも楽しいものではなかった、結構つらいときもあったプロセスをやりとげた彼女におおきな敬意をはらいつつ、彼女の変容と未来に祝福を。

*マンダラは参考図です。

ん~、この文章、彼女のtransformationの意味深さと私の気持ち、うまく伝え切れていないなぁ。。。
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by totoatsuko | 2006-06-12 14:39 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(1)

もう一度 さよならを、、、

d0065558_13531729.jpg今から10時間後引越しやさんが来るのに、まだやらないといけないことが残っている。
やっと昨日から重い腰をあげて、荷物を仕分けしはじめたのだけど、つくづく自分のAvoidanceの強さを感じてしまった。

やらないといけないのに、この地を離れる準備をしないといけないのに、なかなかそれが出来ない。

Termination processは、時間も反復も必要なのだ。

さよなら、は何度言っても十分でない。
言うたびに、さよならを言う対象 (例えば、人だったり、土地だったり、過去の自分だったり)に対する気持ちが変わる。

少し分かりやすい例をあげると、
誰かが亡くなったとき、お葬式でさよならの儀式をする。
仏教では、その後初七日、四十九日、1年、3年と儀式がある。
そのたびに、亡くなった相手への思いや、その人との思い出との内的な関係が変わっているのを認識すると思う。

最後のセッションで忘れ物をしていく人も、多い。
無意識のうちに、ここに戻ってくる理由をつくっているのか、
残していったモノに象徴される「気持ち」や「自分の一部」をこの部屋に置いていっているのか。

もう1ヶ月も前に最後のセッションをしたクライアントの家族から先日近況報告のメールがきて、クライアントがここのところ調子がよくない、ご飯がたべれなくなった、と書いてある。
引越し前でバタバタしているのにいてもたってもいられなくなり、また、家族も私が来ることを望んだので、さよならは1ヶ月前に言ったけれど、もう一度だけ訪問することにした。

セッションをterminateした後、その関係を終わりきれず 食事に誘う人もいる。
クライアント・セラピストの関係を超えた何かを作ることにより、おわりを濁したい、という気持ち。
そんなクライアントの無意識の願望に気づかず、だらだらと関係を続けるのは倫理に反するし、クライアントのためにならない。

アメリカのサイコセラピー協会が作った倫理では、セッションを終結して2年は、そのクライアントと恋愛関係になることを倫理に反する(=禁じる)と書いてある。言い換えれば、セラピストはセッションが終結されても、もう会うことがなくなっても、その役割に対する責任がある、ということだ。

さよならの儀式は、何度も、時間をかけて、色んなかたちで執り行われ、味わい、感じ、いつしか心のどこかにしっくり来る場所を見つけられる。

厳格なセラピスト・クライアントの関係からずれた、微妙な調整が必要になってくる。
あくまでも、セラピストとしての役割から踏み外さず、倫理感をもって、クライアントの細やかなニーズに対応することが重要だということを、強調したい。
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by totoatsuko | 2006-06-12 13:53 | Comments(2)

Final concert II

d0065558_1443301.jpg(写真は、宴の後の、ポットラック(ご飯持ち寄り)パーティー)

お母さん達が言ったこと:
ボストンに来て初めて自分の子供が障害を持っていると分かって、実は結構つらかったのですが、セッションに来て、子供を理解する新たな視点を学んだ気がします。セッションにくるたびに、子供と近くなれた気がします。

ワークショップのお知らせからブログを見させてもらって、普段は知らない人に連絡はしない私ですが、あの時連絡してよかったです。わたし達(夫婦)は、音楽をやるので自然と音楽を子供もやるのですが、やっぱりこうしたら、ああしたら、って言っちゃう。学校でも生活していても、子供はそう言われる事が多いけど、ここにきたら、自分のやりたいようにやってやりたいように音を出して、それを一緒に楽しんでくれる人がいる、というのはこの子にとって意味のある時間だったとおもいます。

セッションにきて、音楽の楽しみ方がいろいろあるんだって気づきました。何気ない音もこの子のメッセージが含まれているんだって。こういうコンサートは初めてだったけど、心に残る時間でした。出会えてよかったです。

自分と子供との関係を違う視点でみて、自分が子供にどういう影響を与えているかきづきました。音楽って、いろんなことが出来るんですね。

***

子供とのセッションをやるときは必ず家族と関わることになる、とは以前のterminationの記事でも書いたけれど、お母さんたちにもかけがえのない変化のプロセスが起こっていたのをきいて、感慨深く思いました。

この人たちのプロセスをともに歩む事が、本当に終わってしまった、
この人たちの変化を、これからは風のたよりできくことになる、
もう、微妙にかわる彼らの音をそばで聞くことはできない、

そう思うと、とても悲しくなりました。
お母さん達も、別れに対して同じように感じていらっしゃるのを感じて、より繋がりを強く感じると同時に、一層別れが辛く感じました。

でも、悲しい気持ちを認識して口に出してシェアすることにより、涙を共有することにより、その気持ちが昇華して、何かに変わっていくプロセスが始まった気がしました。


子供達、家族のみなさん、
すばらしい音色と、プロセスに対するコミットメントをありがとう。

blessings to all of you!

*こうして書くこと、書くことを通じて起こるプロセスは、私の大事なtermination processになっています。
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by totoatsuko | 2006-06-07 12:18 | Comments(1)

やりがい

d0065558_1431677.jpgインタビューを受ける時、ワークショップの質疑応答のとき、
「この仕事(音楽療法士)をしていて、どういう時にやりがいを感じますか?」

「(お話をきいていて)人の心を扱うのは結構大変な仕事だと感じたのですが、何がこの仕事をやることを続けさせているのですか?」

と聞かれることがよくある。


灘田さんが言った一言が、クライアントの価値観や人生観、行動を変えたときですか?
その一言が、クライアントの悩みに光を与えた時ですか?
クライアントが灘田さんが作った音楽に乗ってきて、その人が感じたことがない楽しい時間を過ごした時ですか?

このように、推測される。


しかし、
相手が感銘を受けるような一言とか、
相手がはっとするような指摘とか、
相手がハッピーになる音楽を提供しよう、

なんてことは試みない。


私を満たすものは、
クライアントと心の深くで繋がりを感じたとき。
それは、家族でも、恋人でも、親友関係では持てない何か。
それは、心全体が共鳴し震えるような、何か。

それが、一時的に、信頼関係が崩れそうになった時、恐ろしい暗闇や、どろどろした辛いプロセスをクライアントと共に歩んでいるときでも、その人の無限の可能性を強く信じさせる源。

こう書いても、実際クライアントあるいはセラピストとしてそれを体験したことがない人にはうまく理解できないことだろうな、と思うけれど。(体験したことがある人は、書き込みで補足説明してください!)

そして、
クライアントが、わたしとのプロセスを通して、
自分自身で自分の内面に光、希望、答え、意味をみつけることが出来たと伝えてくれたとき、私の心は喜びで満たされる。私の役割は、自分自身の内面のプロセスを内面から(私が外から与えるのではなく)誕生させ、変化のプロセスをサポートすることだから。
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by totoatsuko | 2006-06-06 14:03 | Q&A | Comments(1)

Final concert I

d0065558_23114039.jpg最後のセッションでお別れを言ってから、3週間。
今日は、4家族16人(お互いの家族は、これまで会う機会もあり、みんな顔見知り。)あつまって最後のコンサートをしました。

それぞれの家族の中の誰か一人が私とのセッションを何ヶ月か続けてきて、いよいよ今日がボストンで会える最後の日。

今日のコンサートの目的は
1.ステージに一人で立って演奏する機会が少ない障害をもつ子供達が、晴れやかで誇らしい体験をすること。

2. 兄弟、夫婦、親子が、この日にむけて準備すること通して、交流が深まり、お互いに対して新しい発見をすること。

3.お別れを言うこと。

d0065558_23132834.jpg場所は、いつものせまいセッションルームだけど、みんなちょっとお洒落をして、特別な日気分。普通の発表会と違うことは、曲目が、「きらきら星」とか「ショパン」という以外に、「その時の気分で即興」ってのが堂々と曲目としてプログラムに書かれていることと、演奏中まちがっても、そのまちがいも今日の音楽!ってことでGood!という雰囲気なこと。親子共演、夫婦共演も入り混じっていること。

人前にでてお辞儀するのが照れくさい子は、それでもOK.私の後ろに隠れて真ん中まできて、歌の途中から参加すればいい。観客の家族に、友達に励まされて、ちょっとずつ声が出てくる、笑顔と共に。

ピアノを演奏していても観客が気になり、体を後ろに曲げて、よそ見をしながら余裕しゃくしゃくで弾くのもOK.

背筋をピーンと伸ばして、堂々と弾く姿も、いつも見せてくれる表情とは全然ちがってカッコイイ!

d0065558_531648.jpg最後は、みんなそれぞれ打楽器(マラカス、鈴、木琴、ドラム、笛)をもって、即興演奏。
一応「ドレミの歌」のメロディーを私がピアノで弾いて、最低限のストラクチャー(枠)の役割をしたけれど、みんな何してもいい、全然ちがうメロディー弾いてもいいし、吹いてもいいし、叫んでもいい。お互いの演奏しているのを見て、きいて、お互い影響されながら、その存在を自分の中に取り入れながらグループとして繋がり、そのMoment (瞬間)を音にしていく。

最後は、ドミナント・トニックのピアノのfffの和音にガイドされて、グループがぎゅっっ、と一堂に合わさって、Final toneをつくり、グループとして一体になる。


もっと長くグループ音楽を続けたかったな、と後悔しつつ、演奏会は終わり。
最後に、みなさんにお別れの言葉を言っていて、またまた目頭が熱くなってしまった。

これまでの、ひとりひとりの子供達と過ごした時間、彼らが聞かせてくれた色んな音、変化していった心を反映するカラフルな音色、その音に影響されて生まれてきた私の音、交わって生まれた音、兄弟、ご両親との交わりを走馬灯のように思い出し、その美しさに、その創造性に、その変化・成長に、胸がいっぱいになる。

そして、ご両親のコメントがまた心のおく深くまでしみる。 (続く)
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by totoatsuko | 2006-06-05 12:34 | 音楽療法セッション例 | Comments(1)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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