カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

totoatsuko.exblog.jp ブログトップ

<   2006年 05月 ( 15 )   > この月の画像一覧

グループマンダラ

d0065558_638159.jpgGuided Imagery and Music 個人セッションで、*マンダラを書くことがある。
音楽をききながらのイメージ体験をかみ砕いたり、異なる視点からみてみるのに、とても有効だからだ。


このテクニックの応用で、あるグループで、大きな紙に人数分の円をかき、音楽を聴きながらその紙をそれぞれが色で埋めていくグループマンダラをやった。唯一のルールは、ほかの人の円の中は侵害しないこと。

d0065558_9193427.jpg
20分くらいかけて出来上がった、大きな一枚の絵。
ぐるっと一周して、異なる視点で自分の円を、全体像をみる。
自分の位置から見ていた自分が、他人が、全体像がとても違って見える。

上と左の絵、同じものだけど、90度変えただけで、全然別物にみえるでしょう? 重心、中心、色や形が向う方向性の違いとか、あなたは何に気づきますか?

生活のなかでじっさい自分の視点を360度変えて
世界を、自分を、人との関係を見つめてみることは不可能に近いけど、このやり方では、それが可能になる。

自分の円をしっかり縁取っている人もいれば、縁からいっぱい色がとびだして円の内側と外側が消えている人もいる。それぞれのマンダラの色合いも、形も、他の円や共有スペースとの関わり方も、人それぞれ千差万別。

d0065558_9115971.jpg一周したら、元の自分の位置にもどり、色を塗っている時や違う視点を持ったときの気づきや感情、グループメンバーに対する気持ち、自分の色や形が、自分の何を意味しているかという洞察を共有する。グループメンバーは、お互いに質問したり、コメントすることにより、それぞれの洞察を深めていく。

一人でマンダラを書くのと違うのは、そこにグループダイナミックスが存在すること。
自分の円(マンダラ)を書くことによって自分のある一部分が反映しているのだけれど、この場合、他人の中の(関係の中の)自分が現る。

何故、私は右隣の人の近所には色を広げていきやすかったけど、斜め左前の人の所に線を伸ばして行くのを躊躇したのか?もしかしたら、左前の人に苦手意識をもっていて、日常生活のなかでも、そういう人に対して同じ行動パターン(近寄りたいと思っているけど、自動的に素早く自分から引っ込んでいる)とっているのではないか?

d0065558_9134533.jpgでは、どういう側面にたいして、苦手だと感じているのか?左前の人の近所の、ピンクと黄緑のジグザグがあまり好きじゃなかった。

では、ピンクと黄緑のジグザグが自分にとって意味するものはなに?なんか、拒否されているような、近づくとはね返されそうな気がする。

では、何色だったら、あるいはどんな形だったら、近づけそうな気がする?
んんん、自分がピンクの水玉で青の縁取りがされていて、魚のエラみたいなのがついて自由に動けたら大丈夫かもしれない。

d0065558_9143960.jpg多分、これは日常、人との関係の中で感じていることを表していると思う。ピンクの自分は不安な部分をあらわしていて、でも青で守られていて、自由に動けるという自信があったら。それがないから、人と関わる時、躊躇したり、相手が自分の事をどう思っているか気になって話せなくなるんだと思う。


d0065558_915566.jpg(音楽を聴きながら)グループマンダラというプロセス、
絵を描く、色を使うこと自体リラックスする効果があると思うけれど、
それ以上に得るものが、見つけるものがあるのです。

d0065558_9114277.jpg日本に帰ったら、是非やりたいな、これも。

(confidencialityのため、実際の事実とは変えて記載しています)

*簡単にいうと、チベット仏教美術でよくみられる、円形の絵。Googleすると、もっと奥深いことが発見できます。
[PR]
by totoatsuko | 2006-05-29 12:47 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(2)

Therapeutic agency

d0065558_1223136.jpgグループで音楽療法のセッションをするとき、そのグループ自体がtherapeutic agencyとなる。

グループメンバー一人一人が各グループメンバーのヒーリングあるいは変化のプロセスを促進・補助する可能性を秘めているのだ。

例えば
HIVの人たちのためのサポートグループ
家族を自殺でなくした人たちのためのサポートグループ
シングルペアレントのグループ
セラピストのためのグループスーパービジョン
自分探しをしている人たちのグループ、など

グループリーダーの大事な役割の一つは、グループが持っている相互補佐の機能が機能するようグループを回すこと。

「グループ」と一概に言っても、様々な性格・ダイナミックスをそれぞれ持っている。日によっても、その性格は変わってくる。放っておいてもお互いが助け合うグループもあれば、リーダーのガイドが大きく必要なグループもある。

施設でグループを組む時は、グループセッションの目的に応じて、注意深い人選が大事だし、
もし選べなくて、全く異なる基準で分けられたグループをそのまま渡されたなら、グループリーダーは、一体そのグループメンバーの間で何が共通なのか、何が一緒に出来て、何が出来ないのか、どういう目的に向ってこのグループは走り始めるのか、じっくり考える必要がある。
[PR]
by totoatsuko | 2006-05-29 12:27 | Comments(0)

Smoke

d0065558_1761791.jpg午前3時
夜と朝の間の静寂
ふとめがさめて ひとり暗闇にたたずむ

薄暗いあかりをつけて
昔よくきいていたレコードに針をのせると
部屋がsmokeでみたされていく
目をゆっくりとじると、あの場所へもどっていく
もう随分ながいあいだ行っていない

人のざわめき
視線
なつかしいにおい
なじみのウェイトレス
くろずんでつるつるしている傷だらけの木のカウンター
色んないろのおさけがはいった、いろんなかたちをしたグラスがぶつかり合う音

すこし悲しげな細長いトランペットの音にそいねする
触るとあたたかくて、ちょっと骨太で、あんしんする
ぬるいアクセントをきかせるピアノと
ぬくもりのあるシルバーの粒子をはなつドラムの音がはだにはりついてくる

ピアノの和音が半音でゆっくりと私をしたにつれていく
おりきったところで、トランペットがうえの方で歌いはじめる
そのあたたかい音がわたしの肩をつつみこむ

からだのちからを抜いて、身をまかせる
Smokeにつつまれる
誰にもみからない
どこにも属さない 夜中3時のからみ
[PR]
by totoatsuko | 2006-05-28 16:57 | 日々感じたこと | Comments(0)

日本で、、、

d0065558_623384.jpgここのところ日本ネタが多いのは、日本での活動について色々考えているから。

障害のある子供と親のためのセッション、
ホスピスワーク、
一般の方とのGIM セッション

これらがNY-Bostonでやってきたことだけど、日本ではどこから手をつけていけばいいのだろうと。病院にアプローチしても大抵雇ってもらえないよ、というのは知人から聞いているけれど、それでもあきらめず会いに行ってみるとして、他にはないだろうか?


随分前から思っていたのは、
エグゼクティブビジネスマン向け。
仕事をバリバリこなし、地位もお金もあるけど、果たして自分は人間として幸せなのか?これが、本当の自分が望んでいる暮らしなのか?ワーク&ライフバランスは自分なりに取れているのだろうか?ちょっと立ち止まってセラピーで自分と向かい合ってみることで、これからの生き方に大きな影響を与えるとおもう。必ず、仕事で忙しくて見落としてきた自分の大事な側面を発見する意味ある機会になるだろう。


そしてハワイで思いついたことは、
結婚を考えている人たちに(結婚雑誌やドレス屋さんなど?若者男性雑誌を通じて)アプローチする。

結婚って、ある意味大きな変化、大きな決定をするときだし、未来にむけて過去を振り返る人も多いと思う。マリッジブルーになる人もいるし。こんな時、GIM(Guided Imagery and Music) によるセラピー(例えばウイークリーセッション10回ボトムライン)は、もやもやをクリアーにしたり、後悔しない意思決定をするための大きなヘルプになるから。

もうひとつは、日本のHIVを持つ人たちとその家族のための活動。
日本では、まだまだ一般の間でHIVに対して誤解があるし、汚名的な見方をする人が多いから、HIVの人は、ひときわ肩身が狭いと思う。ハワイでソーシャルワーカーをしている友人も「HIV・AIDSを持つ人たちは、通常以上に不安感、疎外感、rejectionからくる傷つきなどを抱えていながらも、それを日々表に出すことなく生活している人が多い」「日本ではピアーグループ(HIVの仲間同士でのサポートグループか、看護婦さんがリードするサポートグループくらいしかない」と言っていたので、ここにも、心を専門に扱うセラピストによる音楽療法を紹介するチャンスがあるのでは、と思ってしまった。

上の案とは別に、都心で自分のオフィスをもって始めようと思っているけれど、最低 赤字にならないよう、最低限のポテンシャルクライアントを募集中。他になにかイイアイデアありますかねぇ?
[PR]
by totoatsuko | 2006-05-25 06:21 | Comments(2)

日本カウンセリング事情 2 ~「カウンセリングは悪」説

d0065558_22535073.jpgひきつづき伺ったお話と、わたしのあるクライアントから聞いた話。


カウンセリングは意味ないよ。
行くと悪化するよ。

と日本でお医者さんに言われるひとが結構いるみたい。
そういうお医者さんに限って、カウンセリングを受けたことがないか、たまたまサイアクなカウンセラーに当たってしまった上、その体験だけでカウンセリングを判断してしまったのか。確かに、質の低いセラピストに当たってしまうと、悪化してしまったり、「一体、なにやってるんだろ」って思ってしまうことも起こる。


でも、これだけは胸を張って言える。
カウンセリング・セラピーは、ぜーーーーったい意味がある。
薬という外的な刺激で変えられないこと、出来ないことを、セッションで可能に出来る。
なぜなら、誰しも自分の中に答えや地図を持っているし、自己回復の源を持っているのだ。
そして、それを引き出すお手伝いができる、マトモな質のいいセラピストは絶対いる。

また、自分の深層心理、自分が誰かを探るプロセスは、薬や簡単な問診では出来ない。

ただ、日本では、どうやっていい人を見つけるか・見分けるか、手軽な手段がないのが問題だ。
最初に当たった人とセッションをやって、カウンセリングってこんなものかな、って思っちゃうんだとおもう。いい人、あるいは相性が合う人だったらラッキー、悪い人だったら、、、ホントごめんなさい、というしかないのだけど。

もし、あなたがカウンセリングに行っていて、何か少しでもしっくり来ないことがあったら、まずその気持ちをセラピストに打ち明けてみて。(勇気がいると思うけど、頑張って。でも無理ならしょうがないけど。)その気持ちを真摯に受け止めて、いっしょにプロセスしてくれる人なら見込みがあると思うし、そうでなかったら、他の人に変わることを考えるのも、一つの手段だ。

だれか、ポジティブな事情知っている人がいたら、ぜひ書き込み・シェアしてください。
[PR]
by totoatsuko | 2006-05-20 22:55 | 日々感じたこと | Comments(3)

日本カウンセリング事情 1

d0065558_2242407.jpg少しまえ、ボストンで活躍される日本人のカウンセラーの方から日本のカウンセリング事情についてお話をうかがいました。

ちょっとがっかり。

ひとつは、まだ臨床心理士の地位や資格が確立されていないから、精神科医など医師が開業するクリニックで雇われて働く場合が多い。

雑誌で紹介されたあるクリニックは、すぐ予約で満員になる傾向があるけれど、
例えばある人気クリニックは、医院長さんがすべての最初のセッションをクライアントとやって、2回目以降、従業員のカウンセラーに振り分ける。1セッション30分。これって、いびつな三角関係。さらに、この医院長先生、守秘義務についてはっきりした自覚を持っていなくて、他人に、しかも漏らしてはいけない相手に、言ってしまうこともあるらしい。人気クリニックで起こっていることゆえ、おそろしい。こんなんじゃ、クライアントは安心して自分の心を開けない。

しかも、30分って短いような気がする。
一週間の心の出来事などを聞いてもらうだけで、すぐ30分なんてたってしまう。
まぁ、話をきいてもらうだけでも意味があると思うけど、カウンセリング・セラピーはもっともっと深いことが出来るのに、と思ってしまう。


二つ目は、最近心のケアのニーズが高まっているので(自殺とか、殺人とか、心身症とか)厚生省がカウンセラーの資格の制度を国会で成立させようとしたけれど、そのシステムが「医者の元で働く」というものだったので、臨床心理士たちが絶対的に反対して、流れたらしいこと。

私は、この法案、流れてよかったと思っている。カウンセラーの独立性が認められず、医師の手下としてクライアントと接することは、先にも言ったけど、守秘義務の問題にかかわってくるし、クライアントとの関係もいびつになってくる。

(似たような点としては、音楽療法士の国家資格化の大きな流れもあるけれど、私は、今それが起こらない方がよいと思っている。何故なら、日本音楽療法協会認定 音楽療法士と名がついている人達のクオリティーが安定していないし、スーパービジョンシステムもうまく機能していないようだから。)


3つ目は、スクールカウンセラーになっている人は、心理系の大学院で就職先がない人もいく職場らしいこと。(すべてのスクールカウンセラーの方について言っているのではないので、悪しからず)


4つ目は、多くのカウンセラーが、自分がカウンセリングを受けた経験がない。これって、かなり深刻。自分を知るプロセスをやったことがなくて、何故ひとのそのプロセスをサポートできると言えるのか?

5つ目は、スパービジョンを出来るひとが、あまりいない。しかし、どんな優秀なカウンセラー・セラピストでも、独りよがりでは決していい仕事は出来ないので、これも結構深刻な点だ。
[PR]
by totoatsuko | 2006-05-20 22:47 | 日々感じたこと | Comments(0)

「音楽」の定義

d0065558_5471914.jpg友達の結婚式出席のため、ハワイに来ています。

絶え間なく、朝もから夜まで、夜中じゅうきこえる波の音をききながら、
NYUの授業で「何を音楽と定義するか」について話をしたのを思い出しました。


美しいメロディーだけとは言えないけれど、
では、日々の雑音は音楽といえるだろうか?

ほら、今これを読んでいる瞬間、ふと耳をそばだてたとき聞こえてくる音はなに?

窓の外の騒音
家電の音
誰かが動いている音
お茶をそそぐ音
隣の赤ちゃんの泣き声


何が音楽で、何が音楽でないか、という区分はとても斬新な切り口だけど、それ以上に深い意味はない。だけど、その議論から、「どんな音に意味があるといえるか?」という問いが派生する。

d0065558_5474051.jpgNYUの授業では Kenneth Aganが赤ちゃんの泣き声だけが入っているCDをかけました。

なんのコンテクストもない、実際の赤ちゃんとの交流もない教室できいたその「音」は、私にとっては、「音楽とは何かを問うための材料」という以外に何の意味も持たなかった。

しかし、実際赤ちゃんと触れ合っている中でその声をきけば、そこに意味を見出せる。単なる、うるさい雑音ではない。注意深く聴いてみれば、その体、顔の表情をみれば、赤ちゃんが自分との関係の中で、その「音」を作り出しているのが分かる。誰もが音楽と認める物と同じように、泣き方にも、様々な抑揚があり、フレーズがあり、リズムがあり、ダイナミックスが存在しているのだ。(ノードフロビンズのエドワードとのセッションが有名な例だ)

波の音だって、静かで隔離されたいときには、雑音にしか聞こえない。窓をしめて、布団を頭まですっぽりかぶって、聞こえないようにできる。

でも、季節、時間、太陽に、気温に、風に反応して形や音を変える波をAppreciate(歓迎)し、オープンな気持ちになり、波の存在を自分の中に取り込んだとき、それは、自分にとって意味が生まれてくる。その結果、波の音に自然に反応して、自分の心や行動の色あいがかわってくる。

クライアントの音も、何も知らない人が聴いたらうるさい雑音に聞こえる場合もあるだろう。
でも、クライアントを知ろうとし、その瞬間を共有しようという姿勢ならば、そこに、美しい音楽を見出すことができる。


どんな雑音も、音楽にきこえうる。美しくきこえる。メッセージを感じることが出来る。
音の感じ方は、自分しだいなのだ。
[PR]
by totoatsuko | 2006-05-19 06:11 | 日々感じたこと | Comments(0)

イマジナリープレイ (空想世界でのあそび)

d0065558_3421167.jpg子供の想像力の豊かさには、時に驚かされることがある。

友人の家に遊びに行ったとき、1歳半の子が、部屋の向こうにあったお気に入りの色んな色の風船の絵が書いてある箱から、その風船を(想像上で)人差し指先と親指先をつかって想像上の風船をつまみ、トコトコ歩いてきて、私の手のひらの上で、その風船をちっちゃの指先から落としてくれた。

彼は、想像の世界と、私と彼の体が触れ合うこちらの世界の境界線が、大人のようにはハッキリしていなくて、自由に行き来している。

大人になったら、想像・空想をしても、その世界を “生きる”ことは、あまりしなくなるが
子供達は、その世界で、深い体験をしているのだ。

イマジナリープレイをするには、読んだり、見たり、きいたりしたことをただあびているだけでなく、自分の中でそれを消化し、自分というフィルターにとおして、声や体の動きを作っていく。
言い換えれば、言葉をただ音として捉えるのではなく、草原と空の絵をただ緑と青の組み合わせとして捉えるのでもなく、そこに意味をコンテクストを自分なりに見つける内的な作業が起こっている。

自分の空想世界、という安全な場所で、子供は現実社会でやる行動を練習したり、現実社会では出来ないことを実現することができる。たとえば、両親がいつもケンカしている家庭の子供が、人形をつかって両親を攻撃したりする。言葉で「嫌だ」といえない子供でも、空想の世界での遊びなら、自由に思い通りの世界を作り事が出来る。


自閉症の子供もイマジナリープレイをするけれど、それは彼ら特有の、彼らの世界内での再現にとどまる。結末を変えたり、他人をそのプレイの一部に取り込むことはしない。(それぞれの子どもは違うから断言はしないけれど)


ある自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)の5歳の女の子。
初めて私とのセッションに来た頃は、ほとんど言葉を発することもなかったし、私の音に関わるということもなかった。同じ部屋にいても、私の存在に気づいているとはいえ、共同で何かをする、ということは起こらなかった。

それから半年後、彼女は本で読んだり、日常できいた言葉や、会話をセッションの中で再現するようになってきた。

例えば「赤ずきんちゃん」に登場する狼になりきって、おばあさんを襲うシーンを再現したり、ベットでおばあさんになりきって赤ずきんちゃんをまちぶせしたり、赤ずきんちゃんになって、狼のおなかをつきやぶって脱出するシーン。ときにストーリ展開を自分バージョンにかえてみたり。

その時どきで、そのシーンにあった音楽を弾くよう私に指示をだす。音楽(外的なもの)を受け入れられるだけのキャパシティーや、他者とのコミュニケーション能力の取得。
その役になりきって、それぞれの感情を表情や言葉で体で表現する。
とても強い狼になってパワー、支配力のある自分を感じてみたり、狼のおなかからおばあさんを助け出すヒーローになってみたり。

こんなセッション一見、何も知らない人から見たら、ただ遊んでいるだけと受け止められるかもしれないが、セラピストの役目は、GIMセッションでクライアントのイメージ体験をサポートしているときと同じ。本人が、より深くその空想体験を豊かに感じるサポートをプロフェッショナルにやっているわけだ。

イマジナリープレイをした直後に子供に大きな変化が現れるとは限らないし、それが目的でもない。子供が十分に、外から取り込んだものを、自分なりに消化・表現するプロセスを支えていけば、自然と子供の内側から何かがうまれてくる。
[PR]
by totoatsuko | 2006-05-12 03:41 | Comments(0)

音楽療法士の『内側の音楽』」-自分という楽器を探索するために

d0065558_8571166.jpg岡崎 香奈さんが 「音楽療法士の『内側の音楽』」-自分という楽器を探索するために」 というタイトルで書かれたものが公開されました。

music therapy online

追って編集部のコメントがアップされていきます。
[PR]
by totoatsuko | 2006-05-10 09:00 | Comments(0)

セラピストである前に

d0065558_13435279.jpgMihoさんの書き込み
「セラピストであること、人間であること、どちらも自分だけど、こんなとき自分の人間らしさ、もろさに気づくことができました。」

を読んで、似たようなことを以前思ったのを思い出しました。

ニューヨーク大学院時代、いい音楽療法士になりたくて、一生懸命勉強したり、仕事を探したり、と自分のアイデンティティーの大半を音楽療法士である自分が占めているような気になっている時がありました。

だから、娘である自分とか、一人の女性であったり、一人の人間である自分の幸せは何なんだろう、と目を向ける余裕がなかった。一人前の音楽療法士になったら、自分は幸せになれる、と勘違いしていたと思う。

ある日、クラスメイトの女の子と話していて
「自分が仕事に忙しくて、子供にかまってあげられなかったせいでその子がグレて、友達の音楽療法士にリファーラル出す羽目になったら、笑えないよね。」「荒れた家庭の子供とセッションをして、信頼がどうとかセルフエスティーム(self-esteem)がとうとかって日々格闘している代償に、自分の子供とちゃんと関係を築けないなんて、冗談にもならないよね」 といってみんなで大笑いしました。かなりブラックジョーク。

別の日に、あるクラスメイトが
「音楽療法士である以前に、バランスのとれた人間でありたい」
と言ったのも心に残りました。

セラピストは、沢山ある自分の側面の一つに過ぎない。
弱くって当然、怒りを感じて当然、うろたえてしまうのも当然、間違ってしまうことも当然。
セラピストである以前に、人間の心をもった人であるからこそ、人間であるクライアントのロールモデルになれるし、クライアントの感情に共感できるし、一緒に歩んでいくことができるのだと思う。
[PR]
by totoatsuko | 2006-05-09 13:43 | 日々感じたこと | Comments(0)
line

音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite